第4話 これは俺の恩返しだぞ
それから、やっとの思いで逃げ帰った車の中で、僕はあらんかぎりの不満の言葉をぶつけた。
「話が違う」やら「どこがサンタだ」やらと憤り、「もう絶対に付いていかない」と公言した。
父はうっとおしそうに耳をほじりながら片手でハンドルを握り、「だったら、帰っていいぞ」と心底どうでも良さそうな調子で答えた。それから小指を吹いて耳垢を飛ばす。
答えに詰まる。
僕にとっては願ったり叶ったりのはずが、そこまであっさりと引かれるとつい戸惑ってしまうから重症だった。
かまわれなくて淋しいとでも思っているのだろうか。
馬鹿じゃないのか、と自分のことながら思う。
父に限らず、昔から何かとからかわれたりいじられたりするのは、こういうかまわれたがりな性質が災いしているのだということは分かる。
だからこそ、今日こそは父の思惑になど乗ってたまるかと思った。
ところが堅い決心を固める僕を余所に、父はあっさりと
「じゃあ次の路地に入ってすぐのとこで降ろすぞ。次の目的地の側なんだが、駅も近いしギリギリ電車もあるから普通に帰れるだろ。悪いが家まで送ってやる暇はなくてな」
ヤケに物わかりのいい父が不気味だった。
そしてもちろん父は全てを計算していたはずである。
そのことに気づいたのは、父の言う路地裏に入り込んで車から降りた後だった。
「なにこれ」
目の前の光景を見た僕は、思わずそう漏らしてしまった。
胸の動悸が激しくなり、冷や汗が額を伝う。
「何って次の目的地に決まってるだろ?」
違う、と僕は思う。
僕が聞きたいのはそういうことではなかった。
どうしてよりによってこの場所が次の目的地なのか、それを聞きたかったのだ。
サヤのマンションだった。
偶然のはずがなかった。
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父は、降りるなりマンションの裏手に回り込み7階あたりを見上げて「あ~、こりゃダメだな」と呟いた。
「なにが?」頭で渦巻く疑問を押し込めて平静を装って答える。
父はわざとらしく、『あれ、まだいたのか』というような顔をしてから
「まだ起きてるんだよ」
誰が、というのは聞かなかったし、父も言わなかった。少なくともサヤの実家である702号室の窓からは明かりが漏れていた。それで十分だった。
「ここは後回しだな」と呟いて、父は車の中に戻る。
そしてもちろん、僕も何喰わぬ顔で車に戻った。
「帰るんじゃなかったのか?」ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべながら父が尋ねる。
「やっぱり、監視役が必要かもしれないからね」
何をしでかすか分からない、と思ったのは本当だった。
結局父の思惑通りなのだが、背に腹は代えられなかった。
もう別れた彼女なのにな、と自嘲するがそれで気持ちが変わることはなかった。
@
それから僕たちは一晩をかけて十七件の家を回り、十七枚のガラスを破り、兄弟を含む十七+α人の子供に十七+α個のプレゼントを配った。空き巣としてはギネス級の働きだったのではないかと思う。
時刻は五時二十三分。
冬至の時期の朝は暗く、辺りはまだ闇に包まれていた。
車の窓から見える景色は、徐々に見慣れたモノへと変わっていく。
間違いなかった。
次の目的地は、後回しにしたサヤのマンションである。
サヤのマンションはオートロックなのだが入り口で暗証番号を入れると外部の人間でも簡単に開けることができる。
もちろん、監視カメラもあるのだが、父がむざむざと映るようなヘマをするはずもなかった。
手袋をはめた手で#0624と手際よく打ち込み、オートロックを開ける。
明るい場所を通るからなのか、父は黒いサンタ服を脱いで普通の赤いサンタ服に着替えていた。
地面に伏せ、あるいは壁際に寄って監視カメラの包囲網をくぐり、僕を手招きする。
僕は、ため息をついてそれに従った。
そこでふと疑問に思う。
玄関から入っては夢がないと言っていた父が、どうしてオートロックの暗証番号を調べてまで正規のルートで侵入をしたのか。
だが、その疑問は直ぐに氷解した。エレベータに乗った父は、最上階まで一気に登ると非常階段を使って屋上に出たのである。
屋上のカギは家庭用の単純なディスクシリンダー型で、工具を持参した父はわずか20秒でロックを開けてしまった。
「じゃあ行くか」
そう言った父が用意したのは太い縞模様のロープだった。
黄色と黒の縞がミツバチか毒蜘蛛のように見える。
サヤの家は7階だった。
ベランダに降りるためにはおよそ6メートルの下降が必要になる。
父は、片方の端を手すりに結びつけると残りを下へと放った。
勢いを付けて何度か引っ張り決して結び目がほどけないことを確認すると、父は、屋上の柵を乗り越え
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「なんだ?」
「ホントに行くの?」
「行くに決まってるだろ」今更何を、という顔をされた。
確かに十七件も見過ごしておいて今更という気はするが、それでも今回は事情が違った。
「何でサヤの部屋なんだよ。アイツはもう子供でもないし、サンタなんて信じてないし、第一、女の子が窓を破って入ってこられて喜ぶワケがないだろ」
「そんなの、やってみなきゃ分からないだろ?」
そう言って父は不敵な笑みを浮かべた。
カッコイイとでも思っているのだろうか。
「普通、やらなくても結果は分かってそうなもんだけど? ……常識で考えてさ」
「常識がどうした。俺は、生まれてから一度も信号を守ったことがないのが自慢なんだ」
メチャクチャだった。
頭が痛くなってくる。
「とにかく、サヤの部屋には行かせないよ」
すると、父は大げさに
「お前達、別れたんじゃなかったのか?」と驚いてみせる。
その言葉に一瞬怯みそうになるが、そういう問題ではないと考え直す。
「別れたとか、そんなの関係ないだろ。れっきとした犯罪なんだから。止めるのが当たり前だよ」
「いままでずっと見逃してたのに?」そう言って父はニヤニヤと笑う。
言葉に詰まる。
それでも黙っているわけにはいかなかった。
「別れたって、知り合いなのに代わりはないだろ。空き巣が入ろうとしたら止めるのが筋だよ。だいたい、何だって父さんがサヤにプレゼントを渡すんだよ。無関係じゃないか。会ったのだってほんの2,3回だろ?」
言葉を止めれば足を取られてしまいそうで、僕は不安を振り払うようにしゃべり続けた。
「どうせ、僕への嫌がらせなんだろ! いつかの万引きみたいに、慌てた僕を見てゲラゲラ笑うつもりなんだろ。父さんはいつもそうだよ。僕が何も文句言わないからって好き勝手にやって、僕のことなんて少しも考えないで。それでも、僕だけだったらいいよ。僕だけだったら我慢できる。変な父親を持った自分の不幸を嘆いて辛抱するよ。でも、サヤは関係ないだろ? 巻き込むのはやめてくれよ」
そこまでを一気に吐き出して、僕は大きく肩で息をした。
これで父が引くとは思えない。
が、しかし、自分を奮い立たせるだけの熱量は確保できたと思う。
たとえ父が何と言おうと、僕はもうテコでも動かない気だった。
「誰が嫌がらせって言った?」
「だ、誰が見たって嫌がらせだよ。こんなの」
どうして元カノの部屋に父親が忍び込むのを手助けしなければならないのか。
「馬鹿なこと言うなよ。これは俺の恩返しだぞ」
「は?」
意外な言葉に声が途切れる。呆然とした時間が流れる。
「恩返し?」
「そう」
「誰に?」
僕に、とか言ったらぶん殴ろうと思った。
しかし
「もちろんサヤちゃんに、だ」
意味が分からなかった。実際に言葉にも出してみた「意味が分からないんだけど」
すると、父は今まで見たことがなかったくらい真剣な顔つきになり、
「俺は昔、空き巣だったんだ」
そう、呟いた。
驚くべきだったのかもしれない。
けれど……。僕は喉まで出かかった言葉を必死で堪えた。
――今だって大してやってること変わらないだろ!
(つづく)
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