第3話 う、ううん……、お父さん?

「じゃあ通報するか?」そう言われて言葉に詰まる。


 通報すれば間違いなく父は捕まるだろうが、犯罪らしい犯罪をしたならともかく、ベランダから忍び込んでプレゼントを配っただけの父親を自ら犯罪者にしたいと思うほど親不孝者ではない。


 というよりも、肉親として恥ずかしいから何としても通報だけは避けたかった。


 僕が黙り込んでいると、父は一度可笑しげに笑って「こういうのはどうだ」と提案を始めた。


「お前は監視役なんだ。俺はもちろん空き巣に入る気なんかない。純粋に子どもたちのためを思って夢を配りたくてサンタをしている。だが、お前は信用などしていないだろう。俺だってもしかしたら途中で魔が差すかもしれない。どうだ?」


 そのためのお目付役。

 必要かもしれないと僕は思ってしまう。

 僕は、今日で何度目になるか分からないため息をついた。 


         @


 ベランダに着くと、窓は既に開けられたあとだった。


 クレセント部分だけのガラスを切り開き、中に手を差し込んで内側から鍵を開ける典型的な解錠方法。

  

 見事な三角切りだった。


 コップにひびが入る程度の音で済むことから空き巣で多用される、というのは父の会社に勤める片桐さんからの受け売りである。


 僕は頭を抱えた。


 立派な犯罪だった。

 「なにやってんだよ父さん」と大声を上げようとして、「静かに」と鋭く制される。

 父はすでに部屋の中だった。

 慌てて引き戻そうとするが大声を上げるわけにも行かず、僕は、腕をぶんぶんと振り回して『戻って来い』というジャスチャーだけを繰り返した。


 そんな僕を尻目に、父は、「まったくうるさい息子だ」と呟いて、あろうことか鼻歌を口ずさみ始めた。


 ぶん殴ろうかと思った。


 「……ん~ん、んんん♪ サンタクロースイズカミーングトゥタウン~~♪」


 英語の部分だけを歌詞付きで歌いながら、父はご満悦な様子でプレゼントを取り出す。白いサンタ袋から取り出されたのは、一抱えもある大包みだった。


 「どうだ、すごいだろ」


 いいから、とっとと置いて来い、と思う。


 自慢気な父が腹立たしかった。どうして父が余裕綽々なのに、外にいる自分がこんなにビクビクしなければならないのか。


 部屋の中にはベッドがあって、子供が静かに寝息を立てていた。髪の長さからすると女の子だろう。

 いま、この瞬間にでもこの子が目を醒ましたり、両親が様子を見に来たが最後。自分たちは現行犯で捕まってめでたく留置所送りである。それなのに別段父は慌てる様子もなく、気持ちよさそうな鼻歌は続き、


「早くしてよ」僕は祈るように小声を飛ばした。


父は、枕元にプレゼントを置き、一度だけ子供の頭を撫でた。


 その姿は、確かにサンタクロースのようだった。あるいは娘思いの父親のようでもあった。

 それがいけなかった。

「う、ううん……、お父さん?」


 寝言のように呟きむっくりと体を起こしたのは女の子だった。

 うわ馬鹿、と僕は思う。


 女の子は目をこすりながら真っ黒なサンタを正視しようとして顔を上げ、父の後ろ姿は硬直したように固まり、僕は一秒でも早くここから立ち去ろうと踵を返した。

 エアコンの室外機に足をかけてベランダの囲いに上り、来なければ置いて行こうと思いながら父の方を振り返り、


 目を剥いた。


 突然、女の子がぱたりと倒れたのだ。


 起こした体を前に折り曲げたまま、女の子はすやすやと寝息を立て始める。

 父は、倒れた少女を見下ろしながら「メリぃクリスマス」と笑う。

 まるっきり変質者だった。


「ちょ、ちょっと父さん」

「ん?」

「いま何したの?」

「ん、いやなに。ちょっと眠ってもらっただけだ」

 そう言って父は手を掲げて白いハンカチをひらひらとやってみせる。

 多分、漫画とかでよく見る薬品だった。

「見つかって騒がれたら面倒だしな」


 どこのサンタだ、と僕は思う。

 以前、一瞬で眠ってしまうのは漫画の中だけだと聞いたことがあったが、父が相当に熟練だったのか、女の子が小さい上に寝起きだったからなのか、あるいは別の薬品なのか、ともあれ女の子は再び眠りにつき、辺りに静けさが戻った。

 

 ほっとため息をつく。


「父さん。終わったなら早く出てよ」

「おう。じゃあ次行くか、次」


 次もあるのか、と思った。


 僕は力無く肩を落とし、父はベランダに出ようとして悠然と足を踏み出し、


 父は、油断していたのだと思う。


 何もかも順調に進んだと見せかけて、最後の最後でひっくり返すというトラップの常套手段。


 始めは縄跳びだった。


 ピンと張られた縄跳びは一仕事終えて油断しきった父の足を鋭く襲った。後ろ足を引っかけられてバランスを崩した父は次なるビー玉地雷の前にあっけなく沈没、つんのめって前から地面に倒れ込んだ。さらに時を同じくして盛大なクラッカーが鳴る。縄跳びからの連鎖攻撃だった。そして、連動した糸は天井に張り付けられた箱へとつながり、倒れ伏した父の頭にカラーボールの雨が


 見事なトラップだった。


 本当に仕掛ける奴っているんだな、と感心した。


 父は、うぐぐ、とうめき声を上げながら立ち上がり、


「ぼさっとしてないで逃げるぞ。急げ」


 父の言葉でようやく思い至る。

 今のドタバタで両親が起きてこないわけがなかった。

 慌てて周囲を見回す僕を尻目に、父はあっという間にベランダを乗り越えて、するすると下へ降りてしまった。


「おい、魁斗。早くしろ。何のために小さい頃から山登りさせてきたと思ってるんだ」


 少なくとも、空き巣のためではなかったと信じたい。それでもとにかく僕はベランダを乗り越えようと足をかけ、


 そのとき、部屋のドアが空いて母親とおぼしき女性が中に入ってくる。


 「め、メリークリスマス」僕はそう呟いて、その場を後にした。


 できるだけサンタらしく見えるように、というせめてもの努力だった。


(つづく)

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