第2話 玄関はあっちだよ
「これに着替えろ」といって渡されたのは、トナカイの衣装だった。
父はすでにサンタの服に身を包んでいた。やや中年太りの体に白い付け髭がサンタらしくて実に似合っていた。だが、
「えっ、何で黒なの?」
父が身を包んだサンタ服は、炭を塗ったように真っ黒だった。
「そりゃお前。赤だと目立つだろ?」
目立って何が悪いのかと考えていると、父はもじもじしながら「恥ずかしいじゃないか」と付け加えた。
絶対に嘘だった。
息子に万引きをさせるような父が、いまさらどの面下げて恥ずかしがれるというのだろうか。そう問いただそうとして、しかし
「それより、いま何時だ?」先に口を開いたのは父だった。
そして、聞かれれば答えてしまうのが僕だった。
「えっと、……もう十二時近いよ」
本当に行くのか?
というニュアンスを含ませて尋ねる。
時刻は十一時四十六分。いつまで経っても声がかからないモノだから、てっきり忘れているのかと思っていた。
街頭でプレゼントを配るにはあまりに遅すぎる。
終電間際の残業お父さん達に、罪滅ぼしのプレゼントでも持たせるつもりなのか。
あるいは、父が街頭とは言わなかったことを思い出して、一軒一軒ポストにでも入れていくのかもしれないと思う。
実際に、黒塗りの乗用車で連れて行かれた先は、一軒のマンションだった。
「じゃあ、行くか」
そう言って父は、マンションの玄関をくぐるかと思いきや、駐車場から裏手に回り人気のない路地裏に出ようとした。「ちょ、ちょっと」慌てて引き留める。
「ん?」
「玄関はあっちだよ?」
「知ってるよ」
「なんでこっちなの?」
「馬鹿、サンタが玄関から入ったら夢がないだろ」
唐突に、嫌な予感がしてきた。
「えっと……、ポストに入れてくるんじゃないの? プレゼントを」
「誰が言った。そんなこと」
確かに言わなかった。
だが、それなら一体父は何をするつもりなのか
と思っていると、父は、路地裏におかれてあったゴミ箱に足をかけて、よっこらとマンションを囲む塀を登り始めた。
ちょっと待て、どこに行くのだ、と僕は思うが、こんなところで大声を上げるわけにはいかない。
そう思って僕は、「ちょっと、ストップストップ」と小声で引き留めようとするが、父はまったく気にも止めない様子で、
「そうやって、勝手に決めつけて勝手に納得するのは悪い癖だぞ。そんなだから、サヤちゃんとは、ろくに話し合いもしないでこじれちまったんだろ? 勝手に自分はダメだって決めつけて、相手の話を聞こうともしないで」
そのまま父は壁のパイプに手をかけてあっという間に2階のベランダに登ってしまった。
登り切った父は、僕に向かって「まったく、我が子ながら情けない」とため息をつく。
カチンと来た。
「サヤのことは関係ないだろ」僕は憤然と抗議の声を上げた。しかし、
「おい魁斗。あんまり大きな声を出すなよ。近所迷惑だろ」
近所迷惑、という言葉を聞いて、反射的に声のトーンを落としてしまう。
ただ、それと同時に頭にも冷静さが戻ってきた。
「何してんだよ父さん」
サヤのことよりも、近所迷惑のことよりも、問いただすべきは父の行動だった。
人様のベランダに登って、奴は一体なにをしようというのか。
「だから言っただろう。プレゼントを配りに行くんだよ」
「ベランダから?」
「そう。ベランダから」
どこの空き巣だ、と思う。ロマンもへったくれもない。
「……サンタが来るのは煙突だよ」
「知ってるさ。だが煙突なんて、いまの世の中のどこにあるんだ?」
言葉に詰まる。
「……その、焼却場とか」
言われてみれば煙突がある家などどこを探しても見あたらなかった。
もしかすると、サンタがいなくなったのは世の中に煙突がなくなったせいかもしれないと想像してみる。
サンタは空から煙突のない屋根を見てため息をつく。
子供もプレゼントのない枕元を見てため息をつく。
世の不幸は一本の煙突がないことから始まるのかもしれない。
「いいから早く来い」父が急かすように言う。
バカな考えを見透かされたかのようで恥ずかしかった。
「来いって、玄関からじゃ駄目なの?」
「当たり前だろ」
何が当たり前なのかまったく分からなかったが、父はもう一度、「夢がない」と締めくくった。
さも当然そうな言い方だった。父の頭の中では、ベランダから侵入してくるサンタは夢に溢れているらしい。だが
「でも、それじゃただの空き巣だよ」
もう少し、現実も見て欲しかった。
「失敬な奴だな。空き巣と一緒にするな。似てもにつかないぞ。空き巣はモノを盗む。俺はプレゼントを置いていく。正反対じゃないか」
「……それはそうだけどさ」
「なにが問題なんだ?」
何もかも全部問題だと思うのだが、あまりにも堂々とした父の態度を見ていると間違っているのはこっちではないのかと疑いたくなってくる。
「とにかく、ベランダから忍び込んだら問題あるよ多分。不法侵入とか、色々」
「じゃあ通報するか?」
(つづく)
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