ヒーローは君の

真花

ヒーローは君の

 インターネットの情報がときに不確かなことは分かっていたけど、検索せずにはいられなかった。

 昼休み明けに部長に呼ばれ用件を訊くと、顧客向けのセミナーを来週しろと言う。通常ならひと月前に話を受けて準備を進めなくてはならないボリュームだ。私の仕事は立て込んでいて、公平に見て誰よりも量をこなしているし、質だって下げてない、これ以上は無理だ。何よりずっと暇にしている人がいる。

「流石に今の案件で手一杯です」

 だから、あの暇なコババ、いや岡田さんに振ってくれ、そう念じるけど、和を乱すかも知れないし、彼女の子飼いのコババにとって不利なことを部長、いやアリババが認める筈がないし、変な軋轢をさらに生むのも嫌だし、私は言葉を継ぐのを堪えた。

「他に出来る人いないのよ。あなた独身だし、時間あるでしょ?」

 私の血の気が引いたのか沸騰したのか、ストレスが眼に見える形で体に押し込まれたみたいに、全身に毒が回る感覚。面倒臭い仕事は全部私に押し付けるアリババ・コババの連携はこれで何度目だろう。コババは嫌な仕事も面倒な仕事も一切しないで、楽な仕事をいい加減な精度で散らかしているだけなのに、アリババと行動パターンがそっくりなせいなのか、そう似せているのか、クズはクズ同士くっつくのか、アリババに保護されている。どうしてあんな女が部長なのか理解出来ないけど、コババを重宝することはもっと理解出来ない。どちらもこの職場を腐らせているのに。他に出来る人なんて幾らでもいるだろう。この案件は間違いなくアリババが振り忘れて浮いていたセミナー、尻拭いだ。それこそコババがすべき仕事だ。それに私は時間で区切られた範囲で働いているのであって、時間があるなら残業を幾らでも出来るだろうと言う発想は何なんだ。独身は今関係ないだろ。独身だって仕事の後の時間を大切にしてもいいだろ。お前のミスなんだからお前が自分の余暇を削れよ。

 腹の中で罵詈雑言が猛スピードで巡る。だけど、私はこの職場を辞めさせられたら先が分からない、生活が人質になっている、反発したらまたもっと意地悪をされるんじゃないか、我が身を守るためには耐えなきゃいけないんじゃないか、その悪態を理性が押し留める。

「お願い出来るかしら?」

 嫌だ。だけど、やるしかないのか。土日返上になる。本当に出来るのか。当日になって出来ませんでしたじゃ済まない。

「一旦持ち帰って、検討させて下さい」

「そう。明日までには結論を、いい結論を出して頂戴」

「失礼します」

 目の端に映り込んだコババが鼻で笑った。ずいぶん前に入職したときには「中野さん素敵です」とか言って擦り寄って来たのに、アリババに突如鞍替えしてからは私のことをずっと馬鹿にするか無視する。目的が全然分からない。それで自分が優位に立っているとでも思っているのか。お前がしているのはゴマすりだけだ。折り紙付きの仕事の適当さを、アリババへの迎合だけで誤魔化すのにも限度がある。アリババが居なくなった後どうするつもりなんだろうね。彼女のことは見えていないフリをして、自分の机に戻る。治まらない腹の中のマグマを、それに拘泥しても業務は終わらない、ぐっと押し込めて急ぎの案件から順に片付ける間に定時になり、今日中の仕事をやっつけている内に職場には私だけが残った。

 集中して仕事をしている間は蓋をされていた怒りが、今日の分が終わった途端に噴きこぼれて熱い。

「誰か、アリババとコババをやっつけてくれないかな」

 スマホで調べてみよう。ろくな情報は手に入らないと思うけど、検索することがこころの足しになる気がした。

「悪を倒すんだから、ヒーロー、で検索」

 色々なヒーローの作品や、歌が出て来て、やっぱりこんなものか、それでも雑情報に少しく冷えながらスクロールをしていたら、目が止まった。

『ヒーローは実在する!? 都市伝説になっているヒーロー、上野編』

 上野駅はすぐそこだ。開いてみる。

『都市伝説と言うのはその内容が現実に、あるか、ないか、を論じられますが、都市伝説になっている時点で実在します。都市伝説自体が存在する間は、それに乗っている内容も存在します。逆も然りです。忘れられた都市伝説の中身のものは消滅します。言葉に乗ることで、存在を担保される者達は確かにいるのです。

 そんな都市伝説の中で、ヒーローも多数存在します。

 今、都市伝説ヒーローの中で最も熱いのが、上野界隈で出没すると言うヒーロー、サイゴーマンです。

 目撃証言が多数あり、西郷隆盛の仮面を被ったマッチョマン。多くの人が助けられています。

 彼の決めゼリフが特徴的で「ヒーローは……」』


 電話が鳴って、莉子からで、読むのを中断してそれに出る。

「もしもし、お疲れ様」

「お疲れ。今日も残業してるな、その声は」

「してる。でも今さっき終わったところ。どうしたの?」

「まあ、私もそうなんだけどね。晩ご飯一緒にどう? 何か今日はもう作る気が起きなくてさ」

「同感、食べよう」

 上野駅で待ち合わせてご飯を食べる。もちろん、たっぷりの愚痴をお互いのおかずに添付しながら。


 話したら状況は変わってないのにちょっと気持ちが楽になった。やっぱりセミナーは受けないとなのかな。やりたくないけど。

 莉子と別れて駅の方に向かっていたら、明らかに酔っ払っているおじさんが近付いて来た。やだな、避けるけど意に介さず寄って来る。

「ねえ、お姉ちゃん、俺と飲もうよ。いいだろ? こんな時間にここいらで一人で歩いているってことはフリーなんだろ?」

「すいません、先を急ぐので」

「まあ、待とうよ、飲むだけじゃなくて、セックスもしてもいいよ。欲しそうな顔してるから、サービスしちゃう」

 言って馬鹿笑いをするおじさんを股間から蹴り殺したい。だけど、トラブルにならないように逃げなきゃ。その方がいいに決まってる。私は睨むことも出来ないで、「急ぐので」と繰り返しながら先に進もうとするのをおじさんが通せんぼをして、下劣な言葉をかけて来る。嫌だ。何でこんな目に合わなくちゃいけないんだ。通行人だってちらほら居るのに、誰一人助けてくれない。それとも、私が助けを求めないのがいけないの?

「へっへー、おじさん、ちんちんには自信があるんだぞ」

「そこまでにしろ」

 精悍な強い声が品のない場を切り裂く。

「あぁん?」

 おじさんが振り返った先、私が顔を上げた向こうに、普通の人間の二回りは大きい筋肉の塊の男が、縁日で売っているような西郷隆盛のお面をして、腰に手を当てて立っている。

「何だお前は? 俺のナンパを邪魔する奴は、粉々にしちゃうぞぉ?」

「彼女は嫌がっている。すぐに立ち去れ」

「知るか! お姉ちゃん、まぐわおうよぉ」

 男がおじさんの腕を両方とも掴む。

「やめろと言っている。今なら五体満足で帰れる。それでも抵抗するか?」

「知るかよ。離せよ」

 男はそのままおじさんを持ち上げて、上に投げた。おじさんが意味不明な叫び声を上げながら、ヨーヨーの技みたいに空中を回転しながら上昇してゆく。

「私はサイゴーマン。上野の平和を守る男だ」

 このタイミイング? 喉まで出掛かったけど飲み込んで、おじさんはこのまま落ちて死ぬのだろう、見届けることにする。が、サイゴーマンは男を見事にキャッチして、一升瓶を置くみたいにおじさんを立てた。

「いや、平和を守るヒーローだ。お前、まだ続けるか? 次はキャッチしないからな」

「す、す、す、すいません」

 おじさんは一目散に逃げて行く。その背中をサイゴーマンと二人で見送る。十分に遠くなったところで向き合う。

「あの、ありがとうございます」

「当然のことをしただけだ。むしろ、来るのが遅かった。すまない」

「いえ、セーフです」

 そうか、と言って彼はニカっと笑っている、お面越しにも感じる。

「じゃあ、私はこれで」

「はい」

「いや、一つ忘れ物がある。この言葉を忘れないで欲しい」

 生唾を飲み込んで、彼の大切な一言を待つ。彼はもう一度腰に両手を当てる。西郷隆盛なのに犬の散歩じゃないんだ。

「ヒーローは君の中にある」

「私の中……」

「そうだ。ではさらば」

 サイゴーマンは歩いて去って行った。取り残された私は、そうだ帰路だったと駅の方へ歩き出す。検索したから来てくれたのかな。助けて貰うと嬉しいって感じるんだ。おじさんにはハラハラしたけど、サイゴーマンが来たときはドキドキした。最悪の一日だったけど、これはいいことがあったとカウントしていいよね。

 家に帰ってもう一度「ヒーロー」「都市伝説」で検索してもあのサイトは出て来なかった。それでも、私にはサイゴーマンは確かにいたし、彼から貰った言葉を大事にしようと思う。ストレスだらけの一日を彼が帳消しにしてくれたかのよう。

 布団に入れば、サイゴーマンとの短い時間が何度も反芻された、いや、自分で思い出しているのかも知れない、颯爽として、速やかに懲らしめて、傷付けたりせずに、善意だけを置いて去る、これがヒーロー。私、本物のヒーローに助けられちゃった。頬から笑みが零れる。

「でも、ヒーローは君の中にある、って変な言葉。ある、じゃなくて、いる、じゃないのかな。それだったらピンチのときに助けてくれそうなのに」

 柔らかい気持ちのまま眠りにいつか落ちて、内容は忘れてしまったけど優しい気持ちで目が覚めるような夢を見た。


 アリババが朝一番で私を呼ぶ。用件はわかり切っている。論点は私がやるかやらないかではなくて、やることをどう言う形で受け入れるかと言うところになるだろう。コババがチラチラこっちを見て来る。

 げんなりするけど、半ば覚悟は決まっていて、私は今週末を返上するのだ。

「みんなに訊いたのよ、出来る人いないかって。でも、みんな中野さんがやるなら身を引くって」

 絶対に訊いてない。私が、やる、と言い易くする配慮のつもりか。それとも回りくどい説得なのか。あーあー、分かったよ。私が割りを食えば済む話だ。それでいいですよ。半ば決めて来たことだし。しょうがない。

 やる、と言いかけたそのときにサイゴーマンの声がする。

「本当にそれでいいのか?」

 私は固まる。自分の声がすんでのところで留まる。どうなの? アリババが圧力を強める。

「思い出せ」

 何を? サイゴーマンの姿が過ぎる。彼が私に伝えたことは、一つしかない。

 「ヒーローは私の中にある」と呟く。アリババが不可解そうな不愉快な顔をする。私はその顔を睨み付ける。ヒーローが中にいるのではなく中にある、その違いと意味が一気に解き放たれる。

 彼ではない、彼のように、私が私のヒーローになる。

 息を大きく吸って、アリババをさらに見据える。何よ、言葉を漏らした彼女は後退する、だから私は一歩踏み込む。さらにアリババはじりじりと後ずさる。

 アリババに叩き込むように、職場の全員に聞こえるように、どこかで屹立しているサイゴーマンにも届くように、大きな声でぶつける。

「私は仕事が手一杯です。岡田さんが時間を持て余していることには気付いてらっしゃると思います。彼女にこの仕事は振って下さい」

 一気に声が出て、まだ睨み付けたまま、アリババは引き攣って歪んだ、少なくとも私を嬲る側にはない顔。「是非」ともう一押しすると、分かったわよ、頷いた。ありがとうございます、と頭を下げたらすぐにコババのデスクまで行く、私がやり込められるだろうと覗き見をしていたコババはアリババと全く同じ顔をしていた、机にドン、と両手を突く。

「そう言うことで、岡田さん、出来るよね?」

 コババは目を合わせない。親分が負けたのだ、付属物であることに終始している彼女が抵抗する訳がない。コババは下を向いたまま黙っている。彼女からしたら絶対にない未来の中に置かれているのだ、混乱するだろう。じゃあ、押し切ればいい。

「出来るよね? いいわね」

 コババは私の言葉に身をもう一段階竦め、そこから地鳴りのような声を発する。

「やればいいんでしょ」

「よろしくお願いします」

 私はまた一礼して、その場を去る。手応えに納得している私。自分の机に戻ると、視線ではないけれども周囲の誰もが私を意識しているのを感じた。アリババはコババを連れて部屋の外に出て行った、打ち合わせをするのではなく私にされた仕打ちのことを言い合うのだろう、でもいい、私は私のヒーローになったのだから。ひと仕事終えた爽快感の中、次の仕事に取り掛かる。

 二人が完全にいなくなったのを確認するような間の後、部屋の全員が私のところに集まった。

「中野さん、すごい、よく言ったね。胸がスッとしたよ」

「俺もこれから勇気出して無茶苦茶な仕事を断ろうと思う」

「カッコ良かったです! 私も頑張ろうって思えました」

 口々の賞賛が、全く予想外のものだったから私にはこそばゆくて、ああ、だからヒーローは事件が済んだらすぐに去るんだな、彼が私がしたいことは悪いものを正すことで、それに伴う賛辞を求めてるんじゃないんだ。

「すべきことを、勇気を出して言った、それだけだよ」

 これからも私が私のヒーローでありたい。きっとサイゴーマンみたいにいつもいつもとはいかないと思う。けど、私の中に灯った彼から貰ったものは、世界を変える力を持っている。きっといい方向に変える力を。


(了)

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