あと一か所、八重子がどうしても行かなければならない場所、それは言うまでもなく工部局官舎から移り住んだあの虹口ホンキュー公園近くの旧居だ。だが、八重子は恐くもあった。

 蘇州川のこちら側ではブロードウェイ・マンションとアスターハウス、そして工部局官舎はかろうじてそのまま残っていた。だが、それ以外は全く自分の記憶にはない、まるで横浜と変わらない現代の都会なのだ。

 果たして自分の旧居が今でもあるのかどうか……もしなくなっていたらそのショックに耐えられるかどうか……八重子は自信がなかった。


 嶺子はもう当然のこととして八重子が旧宅を目指すであろうことはわかっていたので、先ほど間違えて行ってしまった大通りに出てタクシーを探した。


 「タクシーで行くんかい?」


 八重子が聞いた。


 「だって、そこはまだここからの地下鉄はないみたいだし、バスは路線がよくわからないし、いいじゃない。タクシー安いんだから」


 そうこうしているうちに、タクシーが来たので停めた。


 「タオ ナーリ?」


 そう聞かれるので「どこまでか」と言われたのだろう。八重子が答えた。


 「フォッミン イーユ」


 「ア?」


 運転手はぽかんとしている。八重子は焦った、


 「ペイ スーツイルー ガッ フォッミンイーユ」


 「スーツイペイルー ア? ラッ スーツイペイルー ンマッイガッイーユ」


 こうなると八重子にももうわからない。ただ、運転手は首を振りながら言うので、そこには行かれないのか、知らないのか、そんな場所はないと言っているのかそのどれかだろう。


 「なんだって?」


 嶺子が聞く。


 「北四川路の福民病院に行ってくれって言ったんだけど行けんみたいね」


 そして八重子は、行先を変えた。


 「ワンバンジョ」


 「オ。ホウラッ」


 運転手はすぐに前を向いて走り出した。今度は通じたようだ。

 そのまま八重子たちが歩いてきた道を戻る。昔は確か文路といったが、今では標識によると「塘沽路」というらしい。この道も昔は電車が走っていたが、今は当然その線路はない。

 やがて工部局のところで呉淞路とぶつかると、呉淞路を右の方角へとタクシーは進んだ。


 はたして呉淞路はこんな広い道だったかなあと、八重子は思っていた。昔は中央に路面電車の線路がある虹口のメインストリートだったにせよ、もう少し狭い道だったと記憶している。

 しばらく走って右側に、やっとまた八重子の記憶にあった建物があった。赤煉瓦の消防署だ。外壁はきれいにメンテナンスされて古さを感じなくさせているが、間違いなくこの形状はあの頃にあったものだ。今でも消防署であり続けているようだ。

 だが、その周りは全く昔の面影はない。この消防署があるということは、上海を離れる直前に強制的に移住させられた集中営で住んでいた海寧路との交差点も過ぎたはずだが、わからなかった。

 もしかして一つ手前の丸い歩道橋があった大通りとの信号のある交差点がそうだったのかもしれないが、それとも気づかずに通り過ぎていた。

 やがてタクシーは少し狭い道に入り、公園らしき木立を左に見て進んでから右に曲がった。

 ここは道幅こそさほど広くはなかったが、両脇には高いビルや商業施設が並び、飲食店なども多くにぎやかだ。八重子がもしかしてと思っているうちに、タクシーは右に寄って停まった、


 「タオラ」


 料金を聞くと、十四元だという。ここまで七分くらいしかかかっておらず、メーターも上がっていないから初乗り料金で着いた。歩けば三十分くらいはかかっただろう。

 十四元は日本円で百八十円くらい。


 「ほうら、安いでしょ」


 嶺子がそう言って笑っていた。たしかにここでは、日本でのバスの一区間よりもここでのタクシーの初乗りの方が安い。

 八重子は降りるとすぐに、ワンバンジョを探した。そのまま歩いてすぐに、小さな川にかかる橋があった。橋は小さな橋で、橋の長さよりも道幅の方が広いくらいだ。

 その橋のたもとに「横浜橋」と書かれていた。


 「ああ、これがワンバンジョ?」


 「え? 横浜橋よこはまばしって書いてあるよ」


 「これで横浜橋ワンバンジョって読むんよ。ここも面影ないね」


 「なんで横浜なの?」


 「横浜よこはまとは関係ないじゃろ。ここは昔から浜の字がこの字だった。あのころ日本の横浜の浜はこれじゃなくて、難しい字だった」


 そんなことを話しているうちに、橋はすぐに渡った。そのまま三分くらい歩くと、右側にいかにも昔からあったという感じの白い四階建ての建物があった。


 「これ、日本人小学校だった。ここもよう残ってた」


 見ると入り口の上には横書きで実験中学とあり。その上には虹口区教育学院と縦に書いていある。今でも学校として使っているようだ。

 そしてその向こうは、大きな病院だった。


 「あの病院を、あんたに見せたかったんよ。あの病院、あんたが生まれた病院なんよ」


 「ええ?」


 嶺子は驚いていた。だから、八重子はこれを嶺子に見せたかったらしい。


 「いやでも驚いた。ここはすごく大きくなっている」


 病院の建物は中央が門のようになっていて、向こうに続く道がある。だが八重子の説明では、もともとはその入り口の向かって右の部分しかなかったそうだ。

 その四階建ての茶色いタイルの壁の部分が昔からの建物のようだが、少なくとも外装はきれいにリニューアルして新しく建てた建物のように感じる。その証拠に、明らかにあとから建てたはずの向かって左側の部分と同じデザインである。

 そしてその上に乗る形で、高層ビルとなって白い建物がそびえている。そこは明らかにあとからの増築だった。全部で十四階くらいはありそうだ。


 門のような部分の上には「上海市第四人民医院」と金色の文字で大きく書かれてあった。


 「今では福民病院って言わないのか。だからタクシーの運転手はわからなかったんだ」


 八重子がぶつぶつ言っているその隣で、嶺子は黙ってその病院を見上げていた。


 「なぜ見せたかったかというと、私には上海はたかだか五年くらいを過ごした町に過ぎないけれど、あんたにとっては住んでいたのはわずか二年でも紛れもなく生まれ故郷なんよ」


 「でも私、小さかったからよく、ていうか全く覚えてないんだけど」


 「覚えていなくても、でもここがあんたの原点、上海があんたの生まれ故郷」


 「ありがとう、おばあちゃん」


 嶺子の声も霞んでいた。

 そのまま、二人はさらに先に進んだ。多くの店があるだけに、ファッショナブルな若者の町のようだ。観光客はほとんどいない。


 上海は親切に道の名前の標識は至る所にある。この道はやはり北四川路だった。だが、標識には「四川北路」とある。微妙に昔と名前が変わっている。

 やがて道は他の道と突き当たったので、八重子は左に曲がった。

 そして少し行くと八重子は足を止め、あぜんとして前を見つめていた。


 そこにはかなり大きなビルがあったが、新しいものではなく、戦前のビルのようだ。高さは五階建てくらいでたいしたことはないが、道のずっと向こうまで続いているという意味では巨大な建物だ。


 「これも残っとったんか」


 「何、これ?」


 「海軍陸戦隊本部」


 「へえ」


 そういわれても、嶺子はよくわかっていないようだった。


 「中国の海軍の?」


 「違う。大日本帝国海軍の陸戦隊」


 「へーえ、残してるのね」


 嶺子もそれを見上げていた。各窓の外にエアコンの室外機があったりするから、今でも人が入って使っているらしい。よく見ると洗濯物を干している窓もあって、住居になっているのかもしれない。

 八重子はそれをずっと眺めながら歩いて、その陸戦隊に沿って右に曲がった。道の右は若者向きの店が並ぶ。


 「もうすぐ虹口公園のはず」


 八重子の足が心なしか速くなった。そして右を見た。


 「ここに神社があったんだけど、やはりなくなってるね」


 「神社?」


 「そう。鳥居があって、灯篭が立ってて、秋のお祭りもあったし、その時はお神輿も出たし、日本と全く変わらんかった」


 今の上海は街並みが日本の都会と全く変わらないので、もし今ここに神社があったとしても何の違和感もないかもしれない。

 やがて正面に、こんもりと森が見えてきた。旧福民病院の前から、ちょうど十分くらいだった。

 

 八重子の足はその森の方へは行かず、公園の入り口を横目に道なりに左に曲がった。

 二人が泊まっているホテルのそばの歩行者天国や外灘も北四川路も観光客であふれていたが、同じように人で埋まっていた北四川路にはほとんど観光客はいなかった。だが、この付近はまた観光スポットになっているようで、公園の前の路上にはたくさんの観光バスが列をなして停車していた。


 その公園の入り口まで道を渡らず、その手前を左に曲がった。かつてはこの道は江湾路という名前だったはずだが、標識ではまだここも四川北路だった。

 曲がってすぐ道の左側にも植え込みがあり、その向こうには三十階建てくらいの背の高いビルがあった。その手前で、八重子の足は止まった。そのまま、茫然としている。


 「ない……」


 ポツンと八重子は言った。嶺子もともに立ち止まり、その顔を覗き込んだ、八重子の顔は泣きそうだった。


 「もしかして、家が……?」


 「いや、ここに間違いなく『満州国』の領事館があった。この敷地の囲いの柵はそのままだけど、あの建物がなくなってこんな高いビルが建ってる」


 嶺子もともにため息をついた。ビルはマンションか何かのようだった。


 「時の流れって、こんなものかねえ」


 「あ、でもおばあちゃん、その向こうの家は古そうだよ」


 嶺子が指さす方を見た八重子の顔がぱっと輝いた。背の高いマンションに隠れるように、古びた洋館がいくつも並んでいるのが屋根だけ見えた。


 「あ、あああ!」


 八重子は急ぎ足でそちらの方へ向かった。表通りから左に曲がる狭い道で、道の右側は先程見えた古い洋館、左はまた十五、六階建てのビルで、こちらはホテルのようだ。先ほどの植え込みはこのホテルの前庭で、ちょっとした駐車場やロビーの造りからそれは明らかだ。しかも最上階には大きく「上海天鵝賓館」と書かれていた。


 「これ、黄渡路?」


 八重子がきょろきょろと見渡した。たしかに、この道への曲がり角のところにあった標識にはたしかに「黄渡路」と書かれていた。人通りも少ない住宅街という感じだ。


 「もっと細い道だったけどなあ。石ころだらけのでこぼこの」


 すぐに道の右側に小さな雑貨屋と、同じく小さな木目造りのモダンな壁のレストランがあった。その間に狭い路地がある。路地の入口は鉄の柵の門があるが、今は開いていた。


 「ここ、亜細亜里だ」


 だが、「亜細亜里」という表記はなくなっていた。かわりに門の右側には「李白烈士故居」と書かれた茶色い看板がある。反対側の門の左側の壁には住居表示板があって、「一〇七弄」とあった。


 八重子はその鉄の柵の門の中へ、すたすたと入っていく。


 「ちょっとおばあちゃん、ここひとのうちじゃないの?」


 嶺子が慌てて止めたが、八重子はお構いなしだった。


 「ここ、私のうちだよ」


 実際、門のところに書いてあった「李白烈士故居」というのがちょっとした観光スポットにもなっているようで、そこ目当ての観光客もどんどん入ってきていた。

 そうして同じような造りの家がずっと並ぶ中で、八重子は茶色いドアに「9」と数字が書かれた小さな緑色の札がついている家の前に立った。


 「ここだよ。残っていてくれた。よくぞ残っていてくれた」


 八重子は涙目で家を見上げて、すすりあげていた。


 「帰って来たよ、嶺子連れて帰って来たよ」


 そうして、しばらくは三階建てのその古い洋館を見上げて、黙って涙を流していた。


 「頼んで入れてもらおうか。中、見せてもらおう」


 「いや、いい」


 嶺子の言葉に、八重子は首を横に振った。


 「どうせ知らない人が住んでいるんだし、言葉も通じない。もう、この家がまだあったということが分かればそんでよか」


 またしばらく、八重子は家を見上げ、そして路地の中を見渡していた。


 「この門の中は何も変わっとらん」


 たしかにこの一角だけは、まるで歴史の流れが止まったようだ。これだけ変わってしまった上海の町で、工部局官舎とこの亜細亜里の家だけがぽつんと残っていたというのは、まさしく八重子にとっては大奇跡であった。

 どうやらこの辺りは歴史的景観保存地区になっているようで、この家はこれからもずっと残されていくに違いない。

 近くにあった「李白烈士故居」の前にも行ってみた。15番の家だった。


 「李白っていうから、あの唐の時代の詩人かって思ったけど、違うんだね」


 八重子はそうつぶやいていたが、嶺子は笑った。


 「そんな、唐の時代にはまだ上海なんて町はなかったんだから、あの詩人の李白がこんな家に住んでいたわけないじゃない」


 説明板を見てみた。

 もちろん中国語だが、漢字だけ拾っても何とか意味は分かる。

 それによると、李白という人は中華人民共和国成立前にここに住んでいた共産党の諜報員で、国民党軍に見つかって処刑されたのだそうだ。共産党政権が成立してからは、英雄としてたたえられているようだった。

 彼がここに住んだのは一九四五年の秋からとある。


 「一九四五年って終戦の年の昭和二十年か。つまり、私らがここを追い出された直後に、入れ替わりに入って来たんだね」


 八重子がつぶやいた。

 特に入場料は不要で自由に入れるようなので、中に入ってみることにした。

 結構多くの見学者がいた。

 八重子は展示品よりも、とにかく家の内部に感嘆の声を上げていた。八重子が住んでいた家とは家が違っても、この辺りは同じ作りの家が長屋のようにくっついて並んでいる。


 「ああ、たしかにこんなだったねえ」


 この家も、内部は八重子の家とほぼ同じような感じだった。


 「ここはこの李白という人が住む前は誰の家だったかねえ」


 間違いなく日本人が住んでいたはずだが、さすがにそこまでは八重子は思い出せずにいた。


 しばらくしてから、二人は外に出た。


 「もうお昼だから、どっかでご飯食べよう」


 嶺子が優しく、八重子の震える肩に手を置いた。

 

 二人はこの路地の入口のところにあったレストランに入った。メニューには写真があったので、それを頼りに八重子の片言の上海語で何とか注文した。


 それから八重子は、虹口公園に行ってみたいと言った。ここから歩いてすぐだ。かつては虹口公園といったり新公園と言ったりしていたが、今は入口の門柱には別の公園の名が掲げられていた。文字が達筆でよく読めないが、やっと「魯迅公園」と書かれていることが分かった。その下に横書きの小さな字で「原虹口公園」とある。「原」とは「旧」とか「元」とかいう意味らしい。 

 中は人でいっぱいだ。観光客も多く、その群れは公園の右手の方にある魯迅記念館へと吸い込まれていく。奥には魯迅の墓もあるという。


 「昔はここにそんな有名な人のお墓なんかなかった」


 歩きながら八重子がつぶやいた。

 観光地は往々にして地元の人はあまり行かないものだがここはそうではなく、広場の方はむしろ上海市民が多くたむろしていた。広場のあちこちに集まって楽器を合奏したり、将棋を指したり、丸くなって運動をしていたりで、ものすごい喧騒だった。北四川路には若者が多かったが、ここではむしろお年寄りや家族連れが多い。

 そんな人ごみの中を歩きながら、八重子は昔の面影を探そうとしたが無駄だった。

 ここは、実は八重子がまことからプロポーズされた場所なのである。だが、その場所が特定できない。たしか池のそばのベンチと記憶していたが、雰囲気が変わりすぎている。あの頃はイギリス式の庭園だったけれど、今はどう見ても普通の中国の公園だ。

 広場を抜けて少し歩くと、池は確かにあった。池のそばまで来ると少しは市民の喧騒から逃れられるが、何しろこの公園全体を見おろすように、池の左側の遠くにはデーンと巨大な建造物が横たわっている。競技場か何かのようだ。


 「あれはサッカースタジアムだって」


 嶺子に説明されて、八重子は目を細めてそのスタンドの上の屋根を見上げた。

 何とか池のそばのベンチに、二人は座った。


 「あんなものができてしまって。何から何まで変わったね。六十年もたちゃ変わって当然か」


 「東京や横浜と変わらなくなったね」


 「横浜だって、六十年前とは変わったろう。六十年前の横浜しか知らん人が今の横浜を見たら、そりゃ驚くだろう」


 「ただね」


 嶺子も池の表面を見ながら言った。


 「横浜は六十年かけてだんだんと今の横浜になっていったけど、上海はそうではないね。実は私、二十年くらい前に着物学院のショーを北京でやって、その帰りに上海にも来たけど」


 「ああ、そんなこと言ってたね」


 「うん、で、あの頃、つまり二十年前の上海の町は租界時代とほとんど変わっていなかったのよ。この虹口だって、住んでいるのはみんな中国人だけど、建物は租界時代のまんまだって説明された。だから、おばあちゃんが上海の変わりように驚くのもわかる気がするの」


 「だったらその時に、連れてきてほしかった」


 「あの時はだってまだ師範会には入っていなかったし、ただの着物モデルとして連れてこられただけだからおばあちゃんも一緒っていうのは無理だったわよ」


 「そうか」


 「それでね、二十年前の上海は六十年前と変わっていなかった。つまりこの二十年で、横浜の六十年分の変化をしたってことよね、上海は」


 「そうなるね」


 八重子は言葉を切った。しばらく池を見つめた後、八重子を見た。


 「この公園は、あんたのパパと来たことがあってね」


 さすがにプロポーズの場所だったとは、気恥ずかしくて自分の娘には言えなかった。


 「でも、亜細亜路の家に引っ越してからはもう戦争中だったから、この公園は日本軍に接収された。だから、一般の人は入れんかったんよ。大勢の人が入ったっていうと、毎年十二月八日の大詔奉戴日には式典があって、ここに集まった三万人くらいの人で『海ゆかば』を斉唱して、万歳三唱して、そして海軍陸戦隊の兵隊さんたちが装甲車とともに列をなして、軍艦マーチが流れる中を海軍旗を先頭にこの公園から北四川路へと行進ばしよったと」


 「ちょっとおばあちゃん」


 嶺子は少し慌てていた。


 「そういう話は大きな声でしない方がいいよ、どこに日本語がわかる人がいないとも限らないし」


 「でもなあ、ひとの国で日本の兵隊さんたちがあんな行進して……。まさしく日本による侵略戦争だったってことだね。もうあんなことは繰り返したらいけん。戦争ば知らん人たちに、いくら平和でなくてはいけんって言っても、生まれた時からずっと平和という心地よいお湯の中にとっぷり使っている今の若者に、平和の有り難さを説くのは至難のわざたいね」


 「そうね。しかも、戦争を知らない若い世代っていうけど、今はもう若くない世代でさえ戦争を知らない。私はぎりぎり戦中派だけど、私の二歳下はもう戦後生まれってことになる。その人たちがもう来年は還暦でしょ」


 「そっか……。昔、『戦争を知らない子供たち』なんて歌が流行ったけれど、今じゃあ『戦争を知らないお年寄り』の時代か」


 八重子は笑った。その笑いには多分に苦笑が混じっていた。そして続けた。


 「でも、戦争の怖さを十二分に体験している今の私くらいの年寄りたちが、のどもと通れば熱さを忘れかけている時にだんだんと世代が交代する時期じゃけん、今こそ戦争の怖さを十分に理解してしっかり目ば開けて日本を、そして世界を平和に導かねばいけんな」


 池の水面みなもに一羽の水鳥が滑って、二人のそばまで来た。八重子の目は見るともなくその鳥を見ていた。


 

         ※    ※    ※



 八重子が主のもとに召されたのはその約十年後の平成二十五年二月十二日で、九十一歳であった。

 天寿を全うしての、仏教的言い方ではあるが大往生だった。もし上海に行っていなかったら原爆でやられていたであろうから、上海に行っていたお蔭でここまで生きてこられたと言う人もいる。だが、生前の八重子はそういう言い方には激怒した。

 あの原爆で苦しみながら亡くなり、今の平和のいしずえとなってくださった多くの人に対して、そのような言い方は不遜だというのだ。

 だが、その八重子自身、引揚から原子野でのサバイバル生活といばらの道を歩み、上京してまた苦労を重ねて二人の子供を育て上げたのである。

 その安らかな枕元に嶺子はまことの写真をそっと置き、その写真に語りかけた。


 「パパ、長いこと待たせたね。ママはもうこんなおばあちゃんになっちゃったけど、天国のパパのところに行ったよ」


 そう言う嶺子ももうすぐ古希であった。


(上海の三木パウロ  おわり)   

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上海の三木パウロ~共同租界にて~ John B. Rabitan @Rabitan

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