その8


「……それって」


 狭い調合工房に健康な少年男子が二人。分裂直後で活発な蠢きゼリーに衣服を食われてほぼ全裸だ。そんな繊維剥離剤まみれの工房へ大人の女性であるレシピの魔女を呼ぶ。そういうことだ。


「いや、そういうことか?」


 今日のツキノワさんは身体の線がわかる薄めのローブドレスを身につけていたっけ。細くて脚のラインがとてもきれいだったな。


 ほぼ全裸な僕がごにょごにょと言い淀んでいると、ほぼ全裸なガブは善は急げとばかりに大声を張り上げた。


「レシピの魔女さーん! レニがヘルプを!」


 ツキノワさんは厨房で夕食の準備をしているはずだ。僕たちがどたばたと何やら暴れていると気付いてはいるだろうけど、まさかこんな状況になっているとは知る由もない。ガブのよく通る大声が廊下に響き渡ると、すぐにぱたぱたと慌てた足音が聞こえてきた。


「どうしたの、大丈夫?」


 勢いよく扉を開け放つツキノワさん。結構な勢いで駆けてきたせいか、濃紺のロング丈ローブドレスがはらりと美味しそうに揺れた。


 ツキノワさんが見た光景は、ほぼ全裸な僕を背後から羽交い締めしようとしてるほぼ全裸なガブ。そして多数の紫色した蠢きゼリー。


「……あんたたち、裸で何やってんの」


 ツキノワさんは呆れ果てたようにぼそっとつぶやいた。


 とても気まずい空気の中、そこら中で蠢いていた紫蠢きゼリーたちが新たな餌の登場を感知したのか、やたら素早い動きで呆然とするツキノワさんのローブドレスに襲いかかった。


「えっ」


 はたして、それがガブの狙い通りだったのか。それとも悲しい事故だったのか。紫蠢きゼリーの濃厚な繊維剥離剤消化液がツキノワさんのローブドレスをあっという間に溶かして、強引に剥ぎ取り、むしゃむしゃと食い尽くしてしまった。


「わっ、こらっ、何よこいつら」


 露わになった肌を手で覆い隠し、慌てて後ろを向いた下着姿のツキノワさん。僕もガブもその後ろ姿に釘付けになってしまった。


 陶器のように滑らかな曲線を描く白い肌。そこに刻まれた古めかしい文字列と見覚えのない紋様。おそらく、僕とガブは違うものを見ていただろう。


「ふうん。ずいぶん強力な繊維剥離剤ね」


 ばちっ。ツキノワさんの頭のてっぺんで結ばれた髪がスパークして鋭く逆立った。その途端に彼女の細い身体に纏わりついていた蠢きゼリーが白煙を上げて弾け飛ぶ。


 電撃の魔法だ。攻撃的でひどく扱いが難しい魔法で、しかも呪文の詠唱なしで、うじゃうじゃいる蠢きゼリーをすべてぶっ飛ばすレベルで発動するなんて。ツキノワさん、ひょっとして、かなり怒ってる?


「これは誰の仕業? レニ・アステラ? グレートソード・ガブ? それとも二人の共犯?」


 ついに、溶けかかったツキノワさんの下着がはらりと落ちた。僕もガブも、ツキノワさんの艶かしい後ろ姿から目が離せない。僕は彼女の背中から。ガブは、たぶんツキノワさんの後ろ姿すべて。


「レニ・アステラ。この繊維剥離剤の調合は合格よ。すごい効果ね。今までにない調合方法でも開発した?」


 ツキノワさんがそっと見返り、胸の前で組んだ指先で透明な紫色した繊維剥離剤に触れた。


「グレートソード・ガブ。次にこんなことしたらあんたの髪の毛全部毟り取るからね」


 ツキノワさんはちらっとだけ鋭い視線を僕たちに突き刺して、でもすぐに扉の向こうに駆けて行ってしまった。ばたん、工房の扉は強く閉ざされて、後には気絶してぴくぴくと痙攣する蠢きゼリーだけが残された。


「おい、見たか?」


 ガブが興奮気味に言う。


「うん。見ちゃいけないもの見たかもしれない」


 僕も震える声で返した。


「いいもの見れたな。きれいだった。また見れるんなら髪の毛すべて賭けてもいい」


「うん。しっかりと目に焼き付けたよ」


 ツキノワさんのきれいな後ろ姿。その翼の痕跡のような肩甲骨から形のいいおしりにかけて、びっしりとタトゥーが彫られていた。たぶんあれは、失われた旧世界の禁戒言語だ。紋様も魔法調合術式の一種だ。いったい何のレシピが、彼女の背中に彫られているのだろうか。




 レシピの魔女いわく、あたしのハダカを見ようなんて二十年早いわ。ハダカも、タトゥーも、全部忘れなさい。そうすればもう一度見た時にあまりの美しさに感動できるでしょ。だそうで。

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レシピの魔女の禁忌のレシピ 鳥辺野九 @toribeno9

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