その7
今回のレシピ、繊維剥離剤は綿織物職人からの依頼品。溶剤で繊維の表面を剥離させ滑らかにして綿そのものの手触りを良くしたり、高濃度の原液のまま使用して繊維を溶かして綿織物の衣服を修復したり。レシピの魔女いわく、今回も大口のご注文毎度ありがとうございます。
で、紫色した蠢きゼリー。僕が生み出してしまった新種の蠢きゼリーは高濃度の繊維剥離剤をたっぷり吸収した奴で、赤蠢きゼリーの性質を持ったまま繊維を溶かす消化液を分泌するという厄介な能力を持った魔法生物である。
そんな危ない薬品を分泌する危険な奴に、僕は完熟赤レモンを与えてしまったわけで。
赤蠢きゼリーに赤レモン果汁を加えると、そう、巨大化する。通常ならメロンくらいの大きさなのに、人間を襲って食おうとするほど巨大化するのだ。
さて、繊維剥離剤を飲み込んで衣服を溶かし食う紫蠢きゼリーが巨大化するとどうなるか。
僕の予想では分泌物である繊維剥離剤も大量ゲットでき、依頼の25セット分もあっさり調合完了。ミッションコンプリートで無事お仕事終了。僕はたった一日数時間の仕事でたんまりお小遣いも獲得できて。
そうなるはずだった。
僕の唯一の誤算は、巨大紫蠢きゼリーからどうやって大量の繊維剥離剤を搾り取るか、その方法をまったく考えていなかったことだ。
「おいおいおい、これは、これで、いいのか? いいんだな?」
水槽から溢れんばかりにむくむくと巨大化し続ける紫蠢きゼリー。ガブが一歩二歩と後ずさり、わけのわからないことを口走りながら背中の大剣を抜いた。
「まだだ。まだまだ。もっと大きくなる。もっと巨大化してから消化液を絞ってくれ」
せめてこいつの体積が25倍に巨大化するまで。そうすれば25セット一括納品だ。
僕も安全圏まで後退して雇い主として傭兵に指示を出した。と言っても、そんなに広くない調合工房。巨大化した蠢きゼリーの前ではもはや安全圏なんてどこにもないんだけど。
「……どうやって?」
ガブが肉食獣を前にした小動物のような目で僕を見た。
「……どうって、こう、ぎゅうって」
思わず僕の声も震える。
むくむく、めきめき、べきべき。蠢きゼリーはついに水槽を飲み込み、作業台を歪ませ、工房の床を軋ませるまでに巨大化した。
「これを?」
「これを」
僕とガブはそいつを見上げた。
丸々とつぶらな視覚器官でそいつは僕とガブを見下ろした。急激に巨大化してがっつりお腹が減ったのか、ぶるん、大きく震えて繊維剥離剤のよだれを垂らして。
「無理だー!」
「無理かー!」
僕とガブは同時に叫んだ。
「いいか、レニ。動くんじゃねえぞ」
ガブの声に静かな熱が帯びる。湧き上がる情動を抑えきれないようだ。
「そっとだよ。ガブ、そっとだからな」
僕は小声でささやくように返した。もうガブに身を任せるしかない。せめて、痛くないように。
「任せろ」
吐息交じりの声すら熱く、僕の背後にいて様子が見えないのにガブの熱い手が迫っているのがわかる。
結果から言うと、僕の空気を圧縮して押し出す魔法とガブの大剣のセンスある剣技で巨大紫蠢きゼリーは簡単に撃退できた。撃退? 違うか。刺激できた、と言い直そうか。
赤蠢きゼリーが分裂繁殖間近の太った奴だったせいか、紫蠢きゼリーは僕の魔法とガブの大剣の刺激で一気に分裂し、ものすごい数の普通サイズ紫蠢きゼリーに繁殖してしまったのだ。
狭い工房をびっしりと埋め尽くす紫蠢きゼリー群。透明な紫色の繊維剥離剤を撒き散らし、右へ左へ、上へ下へと蠢きまくる。
このサイズなら全然脅威じゃない。僕の細腕でも消化液を搾り取れる。ただ、数が多い。多過ぎる。
僕とガブは紫蠢きゼリーに衣服を食われながら、一匹一匹潰しては絞り、絞っては潰し、繊維剥離剤を抽出した。ほぼ全裸で。
鍛えられたほぼほぼ全裸姿のガブが言う。
「いいか、レニ。動くなよ」
野生的に鍛え抜かれ、歴戦の勇者の剣のように引き締まった腕がほぼほぼ全裸な僕の背中に触れる。熱い。熱いよ、ガブ。蠢きゼリーが僕の背中に張り付いた服のかけらをちゅうちゅう吸っている。
「……思ったんだが、レニ」
「……何?」
この期に及んで何だよ、ガブ。
「レシピの魔女さんも呼ばないか? 俺らと一緒に、な」
とても悪そうな顔してガブは言った。
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