雪待ちの人

野森ちえこ

とん汁と雪と三人の時間

 今日は午後から雪になると、お天気お姉さんもお兄さんもおじさんも、みんな口をそろえていっていた。しかし予報はあくまで予報である。

 研ぎ澄まされた冷気が肌を突き刺してくる一月のおわり。確かに空は朝からずっと厚い雲におおわれていたが、そこまでだった。

 大学近くのファミレスで、申しわけ程度に追加注文しつつ雪待ちをすること数時間。降りそうで降らない曇り空のまま、ようやく腰をあげた現在の時刻は夜の八時すぎである。


「よし。じゃあ、おれの部屋で合宿するか。うん。そうしよう。それがいい」


 雲の切れ目からうっすら顔をのぞかせた月に宣言するかのごとく、ツカサは空に向かっておおきく首肯しゅこうすると、すたすたと歩きだした。反対されるなんてちらとも想像していない背中である。


 これはどうしたものか。

 おれはともかくアオイは女だ。


 たいした特徴もなく、別れたつぎの瞬間には顔を忘れられるようなおれ、仲尾なかおつむぐと、男にしてはかわいらしい面差しの天野あまのつかさ。そして、化粧っけもなく、いっけん地味な印象のあおい日向ひなた。みなおなじ大学の一年生である。

 そんな三人がなぜ雪待ちをしていた――いや、しているのかといえば、いわゆる自主映画というやつを撮っているからだ。


 枠は破壊するもの。

 ジャンルは飛び越えるもの。


 そんなふうに思っているかどうかは知らないが、必要とあらばどんなものでもとりいれるし、いらないと判断すればバッサリ切り捨てる。とにかく自由な、作家兼監督のツカサと、少女も老婆も、天使も悪魔も、どんな役でも変幻自在に演じられるアオイ。

 ふたりの辞書に『妥協』という文字はない。

 ちなみにおれは、ツカサやアオイのような飛び抜けた才能などなにも持ちあわせていない。しいていうなら、趣味で写真を撮っているくらいだ。それがなんの因果か――まあ、ツカサと高校が一緒だったというだけなのだが、とにかく、今はカメラマンとして行動を共にしている。


 ツカサにしろアオイにしろ、創作のことしか考えていないような人間だし、どうひっくり返っても間違いなんて起こりようがないような気もするのだけど。それでも、おれとツカサが男で、アオイが女であることに変わりはないわけで、さすがにちょっとまずいのではないかと、そう思ったのだ。思ったのだが、とうのアオイに異を唱える気配はない。戸惑うようすもなく、あたりまえのようにツカサのあとをついていく。

 うん、まあ、そうだよなとも思う。ツカサだし。アオイだからな、と。

 それでも、いちおうは聞いてみた。男ふたりに女がひとり。おなじ部屋に泊まっていいのかと。

 アオイは一瞬きょとんとして、それからまえを歩くツカサと、となりにいるおれを交互に見ると、合点したようにちいさく笑った。


「平気だよ。ツカサは撮影のことしか考えてないし、ツムは『そういうことは好きな子としかしちゃいけません』てタイプでしょ」


 否定はしないが――なんだろう。素直によろこべないというか、なんというか。

 まあ予想どおりといえば予想どおりの答えではあった。


「それに、今回は雪がないとはじまらないし」


 そうなのだ。今日一番の目的がそこにある――というか、そこにしかないわけで、だからいくら常識人ぶってみても、強く反対する気にはなれないのである。

 もしこの数日で撮れなければ、雪を求めて遠征することになるだろう。


 しかし、おれたちはまだ学生だ。

 バイトと撮影と大学。アオイが入っている演劇サークルのメンバーも、スタッフだったりキャストだったり、その都度いろいろと協力してくれているものの、時間と資金のやりくりには、いつも四苦八苦している。遠征となればなおさらだ。近場で撮れるならそれに越したことはないのである。

 というわけで、雪が降っていてほしい場面のために雪待ちをしていたのだけども。


 雲が薄くなってきているように見えるのは気のせいだろうか。なんか、さっきより月の姿がくっきりしてきているような。


「うーん、雪乞いでもしてみるか?」


 どうやら、ツカサの目にも晴れつつある空が映っているらしい。


「雪乞い……」


 アオイは夜空を見あげながら小首をかしげる。


「って、どうやるの?」

「知らん」


 即答である。いいだしっぺなのに。


 しばらくのあいだ、右に左に首をかしげていたアオイだったが、やがて、手袋に包まれている手を空に向かってすっと差しだした。


 そして――


「ゆ〜〜」


 重々しく、


「き〜〜」


 なにやら珍妙な節をつけて、


「た〜〜も〜〜」


 唄うように唱えあげる。


「れええぇ〜〜」


 冗談半分なのにやたら迫力があるあたり、やはりアオイである。

 振り返ったツカサは、すでにカメラをまわしていたおれを見てうれしそうに笑った。


「さすがツム」


 もはや条件反射のようなものである。ツカサがつかうのは、『よーいスタート』で撮ったものだけではない。


「つぎは呪術師の話にしようか。巫女さんとかでもいいな」


 ツカサはすでに次回作を考えだしているらしい。

 そのまえに雪でしょうと笑うアオイはもう普段の地味なアオイだ。


 もしかしたら、おれがこのふたりのあいだに立っていられるのは、今だけかもしれない。ふとそんなことを思う。

 こいつらはきっと、そう遠くない未来、世界に出ていく。それだけの能力と器を持っている。このまま埋もれるようなことはありえない。あってはいけない。

 なんて、らしくもなく感傷的な気分になっていると、空に視線を向けたツカサが「おっ」と、驚いたような声を発した。

 月がまた、厚い雲の向こうに姿を隠していく。


「すごいな、アオイ。雪乞い効果だ」


 こういうとき、本気で感心できるのがツカサである。

 しかしアオイは不満げに口をとがらせた。


「どうせなら、わっさわさ降ってくればいいのにー」


 雪こい雪降れと、アオイはやはり珍妙な節つきで唱えだす。


「きっとこれ、今夜中には降るぞ」


 ツカサの声には確信がこもっていた。おれもそんな気がする。


「シナリオは夜バージョンだな」


 ほとんど無意識に出たおれの言葉に、ツカサが「だなー」とうなずく。


 今回は合成やつくりものではない、本物の雪がほしいのだといって、ツカサは朝昼バージョンと夕方バージョン、そして夜バージョンと、三パターンのシナリオを用意していた。大筋は変わらないけれど、降雪シーンの時間帯によって、前後のつながりがすこしずつ変わってくる。


 アオイは、くるりくるりと、おかしな振りまでつけはじめた。そんな彼女を見ながら、次回作の構想でも練っているのか、ツカサはなにやらブツブツとつぶやいている。


 カメラ越しに見るふたりは、すぐそこにいるのにどこか遠くて、感傷に絡みつかれた気分はなかなか回復しない。

 想像するより、おれがふたりと一緒にいられる時間は短いのかもしれないとか。

 たとえそうだとしても、今のこの瞬間がなかったことになるわけじゃないのだし、それで十分じゃないか――とか。

 いや、ほんと、どうした、おれ。


「とん汁くいたい」


 ツカサのとうとつな発言に、アオイの雪乞いが止まる。


「なにいきなり」

「寒い日の撮影って、とん汁のイメージないか?」

「あ、なんかわかる。ドラマのメイキングとかでたまに食べてるよね」

「だろ?」


 ふたりとも、話しながら期待のこもった目でおれを見るのはやめてくれ。


「わーったよ。つくればいいんだろ、つくれば」


 ツカサはつくってつくれないことはないのだけど、たいていは『食べられないことはない』という微妙なものができあがる。

 そして、アオイの料理センスにいたっては壊滅的だった。

 なにしろ、市販のルーをつかえばそうそう失敗することはないと思われるカレーで、おれは花畑を見ることになったし、ツカサは死んだばあちゃんが見えたらしい。

 アオイに料理をさせてはいけない。それが、本人も含めた、おれたち三人の共通認識である。


「やったね」

「さすがツム」

「ツカサはとりあえず『さすが』っていっとけばいいと思ってねえか」

「……んなことナイヨー。えーと、とりあえずスーパーで買いものだな!」


 話のそらしかたがヘタくそすぎである。

 思わず笑ってしまって、そうしたら、なんだか感傷にひたっているのがバカらしくなった。


 しつこいようだが、おれたちはまだ学生だ。

 才能があろうがなかろうが、いずれ卒業して、それぞれの道をそれぞれに歩むことになる。

 それだけのことなのだ。

 どうしたって時間は流れていく。人間もまた、おなじ場所にずっと立ち止まっていることなどできないのだから。

 とにかく、まずはとん汁……じゃなくて、雪である。


 雪ゆきとん汁――と、やはりなにかおかしなフレーズがまざりだしたが、唄うように、踊るように、アオイの雪乞いがふたたびはじまった。



     (了)



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