真夜中清掃員は心を砕く
織夜
真夜中清掃員は心を砕く
真夜中清掃員は心を砕く
多くの人が寝静まる時間も街は休まず呼吸を続けている。そのために働く人々は人知れず使命を果たしている。
「鈴木、準備いい?」
「計器正常。数値も許容範囲内。ライト点灯。準備OKです」
囲いで街の風景から切り取られたマンホールの傍にしゃがみ込んだ男が二人うなずき合った。鈴木と呼ばれた若い男がライトを抱え、マスクを確かめて身構える。
鈴木よりも年嵩の男、安藤がバールを突っ込み蓋を解錠した。
「んじゃ開けるぞ」
「うっす」
フレームと蓋に隙間ができ暗闇が這い出てくる。鈴木はライトを隙間に向ける。蓋がスライドして穴が広がる。ハシゴと底が見えるはずなのにライトの先は暗かった。鈴木の背中に冷や汗が流れる。先輩として敬う安藤の教えがよみがえる。曰く、「見えちゃいけないやつが見えたらすぐに蓋を締めろ」だ。
暗がりだと思っていたものが動いて目があった。区域内で作業をしている人間は自分たちしかいないはずなのに、穴の底からこちらを見上げる複数の視線に鼓動が凍り付いた。
「先輩しめて!」
叫ぶと同時に蓋が乱暴に閉められた。
「いた?」
蓋を閉めただけなのに息を乱している安藤は、しかし見た目は平静な顔をして鈴木の目を覗きこんだ。
「目が……あいました」
返事をする鈴木の声が震えている。
安藤はバールを回して蓋にロックを掛けその上に乗った。
「衛生保安課に連絡。特殊汚泥案件」
鈴木は作業車に走っていって緊急用の通信機に飛びついた。震える指先で操作しわずか数秒を祈りにも似た心持ちで耐える。
「はい、こちら衛生保安課」
穏やかな応答に泣きそうになった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
下水道局施設管理部内にある衛生保安課は通常の清掃員では対応できない特殊汚泥案件を担当している。
「おい新人、初出動だろ。気合い入れて、来い」
衛生保安課第一組のリーダーを務める
「正田です! 御堂先輩」
着慣れない全身スーツに四苦八苦している青年は
現場に到着して、清晴はデッキブラシを持ち、御堂は腰に小型掘削機チッパーを二本下げ、高圧洗浄機を背負った。
「衛生保安課第一組御堂です。ごくろうさまです」
「同じく正田です。現場を引き継がせてもらいます」
不安そうに立っている二人組に定型文のあいさつをする。一般清掃員の二人は御堂たちに見たことを話した。安藤・鈴木組の話しに、清晴は真剣に頷き、御堂はなにを考えているかわからない顔で対応し相打ちは清晴に任せきっている。
バールを安藤から受け取り引き継ぎが完了するとヘルメットを被りながら御堂が蓋の傍にしゃがみ込んだ。
「合流式、内径三メートル。おい、新人なにに注意する?」
バールを蓋に突き刺した清晴が視線をあげると、見上げる御堂の視線とかち合った。
「合流式は思わぬ汚泥溜まりができるので特殊汚泥が巨大化しやすいです」
「そ。あと、中は想像より狭いから立ち回り気をつけろよ。流れも速いしな。開けろ」
清々しい返事をして清晴はバールを倒し蓋をスライドさせた。
見たくないはずなのに鈴木の視線は隙間を覗いていた。狭い暗がりからソレは外を覗いていた。白く浮かび上がる眼球が動いて視線が合う間際、チッパーが突き刺さって顔面がひしゃげた。
「うそだろ……」
青白い肌とただれた唇、ライトに光る瞳までしっかりとした人間に見えた。その顔面に躊躇なくチッパーを突き刺した男と、血は飛び散らないまでも形を崩した顔に鈴木は吐き気を覚える。
ふと顔を上げた御堂が鈴木の様子に気づいて、苦笑いをした。
「俺たち、〝見えない〟人間なんで」
左手で高圧洗浄機を構えトリガーを弾いた。高圧水流がチッパーに砕かれたモノを穴の奥に押し戻す。
「汚れが溜まって流れてきたんだな。これだから合流式はさっさと潰せっていうんだよ」
そのまま洗浄機のノズルを突っ込み這い上がってくる汚泥を底に落とす。
「むちゃでしょ先輩。合流式の下水管だけで数千キロ分ですよ」
蓋を外した清晴は仮蓋の準備をして御堂の隣に立った。
御堂は後輩のツッコミに反応せず視線を所在なさげな二人組に向ける。
「仮蓋閉めたらあとは警戒観察よろしくおねがいします。緊急事態の対応は大丈夫ですか?」
鈴木はまだマンホールを呆然とみている。御堂に返事をしたのは安藤だった。
「は、はい。あとはまかせてください。お気をつけて」
冷静な安藤に頷いた御堂はその隣の鈴木を流し見たあと、下半身をマンホールに滑り込ませた。
「俺が牽制しながら降りるからあとに続け」
清晴の返事を聞く前に御堂の頭は地上から消えた。
降りていく二人を見送って、安藤は指示された通りに仮蓋を閉めた。特殊汚泥の飛散防止と給水の接続のための設備だ。設置が終わって一息ついても鈴木はまだ青い顔で震えていた。
「むりだとおもうけど、見たことは忘れろ」
マンホールが見える位置、自分たちが乗ってきた作業車に寄りかかって安藤はぶっきらぼうに言う。鈴木は睨むように安藤を振り返った。
「先輩は平気なんですか? 人だったじゃないですか……」
鈴木は特殊汚泥を見るのは初めてだった。あれが特殊汚泥と呼ばれる汚れであることは、頭では理解している。しかし、それが生きている人間に見えて、それを躊躇なく砕ける人間がいることに生理的嫌悪を覚える。
「あいつらにはただの汚泥に見えてるんだよ。だから特殊作業員なんてやってんだ」
そういう安藤も見たモノは鈴木と同じ光景だ。ただ、慣れるか諦めるしかない、と、知っている。
「おれには絶対むりです」
「普通はそうだ」
見ている世界が違う存在に怯える二人を地上に残し、清晴と御堂は下水道管で清掃業務と書いて戦闘行為と読む業務を遂行していた。
円形管の三分の一は汚水と雨水が混じって流れ、その両岸に細い通路が設置されている。汚水の濁流から通路へゲル状の黒い物体が蠢いて這い出てくる。さらに天井、壁に貼り付いて、フルフェイスのヘルメットに全身スーツ姿の御堂、清晴に向かって飛んでくる。
「よっと! ほいっ! うりゃっ!」
飛んでくる、壁に貼り付いている、這い寄ってくる特殊汚泥を、御堂がチッパーで
的確に突き刺し砕く。小さくなっても蠢いているスライムを左手で操る高圧洗浄機で洗い流す。
清晴は御堂の後ろに控えデッキブラシで残骸を本流に掻き出していた。
「先輩ってスライム目なんでしたっけ」
ヘルメット内蔵のマイク越しの会話だ。
見えない特殊清掃員の中でも特殊汚泥の見え方は違う。間髪入れずに汚泥を砕く御堂はスライム状に見える。衛生保安課内ではそういう体質のことを「スライム目」と、言い習わしている。相方である清晴は人形やぬいぐるみの形状に見える「人形目」だ。
「あ? そうだよ。だからプルプルした物体にしか見えないんだわ。これ顔?」
そう言って御堂がチッパーを突き刺したのは、膝丈のテディベアのつぶらな目玉だった。濁流から通路に上がってくる汚泥はキャラメル色の毛並みが愛らしい。壁によじ登っているものは首元にピンク色のリボンを締めている。
「そうですね。ぬいぐるみの目玉にチッパー突き刺さってます」
「平気?」
テディベアにチッパーが押し込まれて粉砕された。
「なんともいえない気分になりますけど……たぶん」
「慣れるか、諦めるか。だめそうなら課長か事務長に相談しろよ」
横に振り抜いて汚泥を落とす。返すチッパーで壁に貼り付く汚泥を剥がした。リボンをした首元が引き裂かれ綿が飛び出す。
「そこは先輩に相談なんじゃないんですか?」
課長も事務長も好感の持てる人物だがまずは身近な人間に相談したい清晴は布と綿になった残骸をデッキブラシで掃く。
「あんま得意じゃねぇんだわ」
「正直す――ぎ……」
頼りがいを演出することもない先輩へのツッコミが途切れた。清晴の耳が、泣き声に似た音を拾う。
「御堂先輩、なにかきこえませんでしたか?」
「なにかってなに?」
振り返る御堂の足下に球体関節の白い手が濁流から伸びた。
「先輩足下!」
清晴の叫びに御堂が反応する前に足は掴まれた。
「うおっ!?」
振り下ろされたデッキブラシが細い腕を折り砕く。
「さがるぞ新人!」
本流から汚水を垂れ流して黒い塊が通路に這い上がってくる。
「なにに見える?」
「腹が膨れてるマネキンです。妊婦みたいな」
球体関節のマネキンは天井すれすれの背丈をした臨月の妊婦体型をしている。
「まだなにか聞こえるか?」
「かすかに。泣き声かなって感じです」
二人と同じ通路に立ったマネキンは二の腕を延長させ掴みかかってきた。御堂は対岸の通路に飛び、清晴は大きく後ろに飛び退く。
「たぶんな、その声俺には聞こえないやつだわ」
「えっ!?」
重要なことを噂話より気軽に発した御堂に、しかし清晴は冷静にツッコミを入れていられる状況ではなかった。
通路にバウンドした手が清晴に襲いかかる。デッキブラシを振って弾くも天井でもう一度バウンドし清晴の背後の通路でさらに軌道をかえ背後から足をつかむ。体を捩りデッキブラシで叩くがえぐれただけだ。
マネキンの手は本体の方へ獲物を引き寄せようとしたが体重を支えられなくなったって濁流に清晴を落とした。
「新人!」
マネキン以外にも湧いてくる特殊汚泥を洗浄機で洗い流しながら御堂が叫ぶ。
濁流からワイヤーが飛び出して天井に貼り付いた。ワイヤーに清晴が釣り上げられた。
「全身スーツとか動きづらいっておもってましたけど、これがなかったら精神的に死んでました」
視界を遮る汚水を拭い落として装備に感心してみせる後輩に御堂は顔を顰めた。
「新人のくせに余裕じゃねぇか」
清晴は御堂と同じ通路に着地する。
抉れた手が濁流に突っ込まれた。汚泥を吸い上げて再生する。両手が同時に伸びて二人に襲いかかる。
「おわっしょぉぉ!?」
紙一重で避けてた清晴が壁に貼り付いた腕をブラシで叩き折る。
微かだった泣き声が音量を上げた。
御堂は伸びた腕を避けた挙げ句、その上を走って顔面に迫る。腕と天井の隙間を猫背が起用に走る。背後を清晴に折られた腕が追ってきたが背中の装備に触れられる寸前、前方に踏み切って避ける。
腕同士が激突して汚泥が飛び散った。
「どっせいっ!」
踏み切った勢いで顔面にチッパーを突き立てるが入りきらない。思わず舌打ちが漏れた。
抜いて開いた穴に高圧洗浄機の銃口を突っ込みトリガーを引く。砕けた分と表皮が薄く剥がれた程度の効果しかない。表皮の下から水が外に逃げてしまう。
『おぎゃああああっ』
水圧を利用しとりついていた顔面から離脱し着地と同時に踏み込んでスライムのド真ん中を狙う。清晴から見たら腹だった。
「先輩待って!」
もちろん間に合わない。
『オギャアアアアアアアアアアアッ!!』
脳に直接叩き込まれた爆音に、清晴は思わずヘルメットの上から耳を押さえた。意味はないが条件反射だ。
「んだこれ!?」
腹の中から汚泥が飛び出して膨らむ。
「おい新人! 一旦退却!」
御堂が叫んで振り向くが清晴は頭を抱えてうずくまっている。
「清晴!」
清晴が我に返って顔を上げると、汚泥は膨らみ続けて下水管を埋め尽くすところだった。
「動けるなら退くぞ!」
「は、はい!」
膨れすぎた汚泥は濁流に流され壁に引っかかり蠢くだけで前に後ろにも進めていない。
ギリギリ視認できる位置までじりじりと後退する。対岸にいる清晴を招き寄せ御堂はその顔を覗き込んだ。
「せ、先輩?」
清晴は声を詰まらせる。まだ指導を受ける先輩がどんな風に自分を心配するのかわかっていなかった。
「どっか打ったか? スーツ破損したか?」
「だ、大丈夫です。一回落ちただけでスーツも体も無事です」
「ならなんだ。見たか? 聞いたか?」
一瞬でも戦闘不能になった後輩を、御堂は本気で心配していた。
「……赤ちゃんの、泣き声が……」
それを聞いた御堂はため息をつく。呆れているようにも聞こえた。合わされていた視線が逸れる。
「……お前、この仕事向いてねぇわ」
「え……」
御堂はちらりと清晴を見て、顎で下水管に詰まる特殊汚泥を指した。
「あれは特殊汚泥。洗い落とせばキレイになるただの汚れだよ。人によって見え方は変わるが、声は発しない。少なくとも、俺が知ってる特殊清掃員で声が聞こえる奴はお前だけだ」
新人の特殊清掃員としての適性を見極めるのも指導役の勤めだ。その御堂が眉をひそめて首を横に振る。
「そうかもしれないですけど、たしかに聞こえたんです。それに元は人間の――」
心だ。人が否応なく抱え捨てたいと願う負の心が下水道に流れ込み固まって具現化したもの。それが特殊汚泥の正体だ。
「そうだよ。俺たちの心だよ。だから普通の奴らには人間に見える。なんで特殊清掃員が〝見えない〟奴らで構成されてるかわかるか?」
「人を砕くという心理的負荷を軽減するため。です」
入社試験でも研修でも何度もであった文言を淀みなく口にする。
「そう。ただでさえお前は人間よりに見える人形目なのに声まで聞こえちまったらそのうち病むぞ?」
生き物に近いモノほど、実在物に近いモノほど特殊清掃員の心理的負荷は重いと考えられている。動くゲル状物体に見える御堂より、可愛らしい人形やマネキンに見え、さらに人間に似た声を聞くともなればそれを砕かなければいけない清晴の負荷は計り知れない。しかし、清晴はそれを理由に「向いていない」と、言われることに理不尽を覚える。
「それはそうかもしれないですけど、オレたちには汚泥に見えるかもしれないけど、結局元が人の心だっていうの変わらないじゃないですか。見えるかどうかなんて関係ないですよ」
清晴は自分がどんな目をしていようとも、相手の本質が変わらないのであれば心理的負荷は変わらないのだと考えている。そんな清晴を御堂は真っ向からはたき落とす。
「じゃあ、お前、叫び声あげる人間の顔面ブラシで擦るの? チッパー突き立てるの? それって人としてどうなの?」
的確に顔面を狙ってチッパーを突き刺す御堂のことを「鬼畜だな」と、思っていた清晴はぐうの音も出なかった。
「生きてる俺たちにとったら見えてるものが大事なんだよ。さらに聞こえるってなったら目も当てられないだろ。まぁ、中には人間に見えるけど続けられる奴はいるけどな。汚れたものは掃除しなきゃ汚れっぱなし。だから俺たちみたいな〝見えない〟清掃員が仕事してるわけ」
もがき続けていた特殊汚泥が形を整えて奥から這ってきた。
「あれは俺がどうにかするから、外でて応援要請してこい」
特殊汚泥に向き合って自分を背後に押しやる御堂の腕を清晴は掴んだ。
「やります! オレ、特殊清掃員ですからっ」
スーツの上から指が食い込む。御堂は自分の腕と後輩の目を交互に見た。
「病んだってたいした金支払われねぇぞ」
どんなに金を積まれても健全な精神には変えられない。「構わない」と、視線で訴えた清晴は掴む手の力を緩めないで特殊汚泥を見つめた。
奥から這い出てくる特殊汚泥は目が開いてない赤黒い肌の赤ん坊の姿をしていた。通路から手を滑らせながら、泣きながらハイハイしてくる。球体関節があることで辛うじてソフビ人形に見える。
「オレの目も耳も悪いことばっかじゃないとおもうんですよ。元が人なら、弱点だって人と同じってことがあるかもしれないじゃないですか」
デッキブラシを握りしめる後輩の姿に御堂は諦めのため息をついた。
「オレにはヘソの緒から汚泥を吸い上げているようにみえます」
両岸の通路に四肢を着く赤ん坊は腹からヘソの緒を垂らしている。先は濁流に潜り込みナニカを吸い上げているかのように脈動している。
「あー……あの垂れてる細い触手みたいなやつ?」
御堂の目にはヘソの緒には見えない。しかし諦めない、めげない、やる気を上げている後輩の姿に、ヘソの緒を切る作戦を立てた。
「規則上、お前にはまだチッパー持たせることできねぇんだけど」
「先輩が落とした奴の回収とかなら問題なんいんじゃないですか?」
「お前、天才だな」
『おぎゃああああっ!』
赤ん坊はムチムチの右手を振り上げる。御堂の横をすり抜けて清晴が飛び出した。
「おっもっ」
腕をデッキブラシで受ける。衝撃に負けて膝を着いた。
「おっと手が滑ったあああああっ!」
戦闘時にはわりと饒舌になる御堂がわざとらしく叫んでチッパーを投げた。ヘソの緒の根元に突き刺さる。
『ギャアアアアアアアアアッ!!』
赤ん坊が天井に後頭部を擦りつけて暴れる。御堂が高圧水流を顎下に当てて頭を天井に縫い付けた。腹が見える。
「いけっ!」
「了解!」
清晴は通路から飛んで濁流の上でむき出しになった腹に着地した。振りかぶったデッキブラシでチッパーを叩き込む。
『アアアアアアアッ!!』
赤ん坊の身を捩る振動で清晴が足を滑らせる。ヘソの緒にぶら下がって振り回される。
「おわわわわわっ!? なにこれ固い!?」
チッパーが根元に突き刺さったまま、清晴の体をぶら下げてもヘソの緒は千切れない。
「魔法の出番か……」
御堂は腰のベルトから試験管大のプラスチック容器を抜いた。中を満たすケミカルな色の液体は特殊汚泥用溶解剤だ。高圧洗浄機の弾倉にセットする。
「おい新人、また落ちるかも知れないから覚悟しとけよ!」
「正田ですってば! できれば落ちたくないです!」
水流が止まった隙で赤ん坊が御堂に手を伸ばす。体を反らして避けてチッパーを突き刺した。すぐに抜いて穴に銃口を突っ込みトリガーを引く。
『オオオオオギイイイイイイイイッ!!』
腕が内側から溶け出した。
赤ん坊の体勢が崩れて壁に肩から激突する。ヘソの位置が上がった。清晴がチッパーにとりつく。
御堂が後頭部を蹴りつけ背中に飛び乗った。
「もういっちょ!」
背中にチッパーを突き刺してさらに引き裂く。
『ギャアアアアアアアアアッ!』
裂け目に銃口を突っ込んで溶解剤入りの高圧水流を注ぐ。
下半身が崩れ始める。
「おちったくっないっ!」
清晴は体を振ってヘソの緒握ったまま通路に飛んだ。内側が脆くなった体からヘソの緒がもげ、勢いで清晴の体が投げ出され無事通路に辿り着く。が、崩れた下半身が濁流に落下して汚水を頭からかぶることになった。
「だいなし!」
「どんどん砕け新人! さっさと終わらせるぞ!」
崩れ出す背中から溶け出してない塊を足場に御堂が通路に戻ってくる。転がる頭にチッパーを突き立てた。攻撃を通さなかった体が簡単に崩れた。
「脆いな。実体があったのか?」
崩れた頭の反対側からスライムを四散させて姿を現す清晴の手を見て御堂は顔を顰めた。その手にはもがれても形を保っているヘソの緒がある。
「それこっちによこせ」
首を傾げた清晴は左手で握ったヘソの緒の根元を見てしまった。
「うっ」
「スーツの中で吐くなよ」
「先輩これ……オレだけが見える奴ですか?」
ヘソの緒の根元に汚泥をこびりつかせた固まりがある。胎児に見えた。
「俺にも見えるよ」
最後の希望が砕かれた。
御堂が何でもないことのように言って胎児から伸びる汚泥を砕いて洗い流した。
「保存容器だせ」
特殊汚泥には核になる実体が存在している場合がある。今回のように人間そのものであることが多い。そういう時のために携帯している保存容器を清晴が装備から取り出す。警察に提出するためだ。もしもっと大きいものが流れていたら通報案件だった。カプセル錠剤のような容器に閉じ込めカバーをする。
核を失った特殊汚泥が細かく分裂し動きを鈍らせている。
「とりあえず清掃続ける。最終確認で特殊汚泥が確認できなければあとは一般清掃員に引き渡す」
「りょ、了解です」
清晴は明らかに落ち込んでいた。御堂はため息を飲み込み業務を続けた。
御堂のあとに続き、顔を曇らせながらも清晴は業務を遂行していた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「そういうことですので、特殊汚泥案件はこれで終了となります。引き継ぎますのでよろしくおねがいします」
「ごくろうさまです。ありがとうございました」
地上に帰ってきた御堂、清晴は元の清掃員へと業務を引き継いだ。本部に連絡を入れ現場作業は終了だ。荷台で濡れたスーツから作業着に着替える。終始二人は無言だった。
御堂はさっさと着替えて運転席に乗り込んだ。本来なら本部、現場間の運転は新人の役目だった。暗い顔の清晴を思い出して聞こえないように舌打ちを零す。
「名前からしてだめだろ……」
清く晴れる。似合わない名前だ。もっとキレイな仕事すればいいのに、と、失礼千万なことを考える。
「あれ?」
運転席の窓外に首を傾げる清晴の顔があった。御堂はしかめっ面で助手席を指し示す。
「もどるぞー」
助手席に後輩が収まったのを認めてサイドブレーキを解除する。
「おねがいします」
走り出してしばらく無言が続いた。車が赤信号で止まった時、清晴が口を開いた。
「オレ、続けますよ」
助手席からハッキリと聞こえた。
御堂は思わず顔を振り向ける。清晴はまっすぐ前を向いたままだった。
「だって、キレイになるんでしょ? 誰だってあるじゃないですか、人が嫌になったり自分が嫌になったりなにもかも嫌になって世界爆発しろって思ったり。みんな好きでそんな想いしたいわけじゃないし、好き好んで汚したいわけじゃない。それ、キレイにできるなら、オレ、続けますよ、この仕事」
きれい事だと御堂は思った。
「人を呪いたくて呪ってる奴もいるし、そこまで世の中キレイじゃねぇぞ」
それを言える清晴がうらやましいとも思った。
「そこはまだよくわかんないです。でも、キレイじゃないから、キレイにする仕事が必要なんでしょ?」
青信号に変わる寸前に見せた笑顔は、その名前にふさわしいものだった。
「お前、向いてねぇよ」
御堂は噛み殺していた分のため息を吐き出して車を発進させた。
「苦労しますね。先輩。よろしくおねがいします」
明るく言ってのけた後輩に聞こえるように舌打ちを響かせる。
「言ってろ……」
そうして二人は次の現場に向かっていく。
【Fin】
真夜中清掃員は心を砕く 織夜 @ori_beru_ya
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