✯9 ひざまずいて愛を誓え


 チィーッス、迷子でーす。


 いやフィジカルじゃなくてメンタルが。人生のマイーゴ的な?

 フィジカルはむしろ解放感? ていうか新天地?

 なんかスースーすんのよね、下が、あしが、脚より上が。

 風通るじゃん? ミニスカだし?

 生脚なまあし寒いじゃん? でも勝負パンツの日にタイツはかないじゃん?

 だからニーソでいい感じじゃん?

 エロいし、おなか壊れてたの絶っ対アイスのせいだし、紙きれてたの前のやつのせいだし、間違えて男子に入っちゃったから人呼べなかったし、銀ちゃん変態でも痴女じゃないし、パンツ手に持つ派だし、パンツ柔らかかったし、勝負パンツめっちゃシルクで柔らかかったし、肌触り最高だったし、ペーパーよりすっきり拭けたし、あとで女子のほう入り直して拭き直したし、だから銀ちゃん臭くないし、風上に立ってもいい匂いしかしないし、今ならますますいい匂いしちゃうんじゃねえの、北風じかになでてんのよ、じかに、あーマジでスースーするー、やばーい雑踏やばーい、風吹いたらミニスカやばーい、肌色しかなーい、バスにも乗れないっすよー、痴女じゃないっすもーん、徒歩ですよ、大股もダメですよ、小走りもダメですよ、スカート押さえたいんですよ、でもめっちゃ人目引くんですよ、内股モジモジ前のめりでちょこちょこ歩いてたらあからさまに不審者ですよ、平常心でゆっくり歩け、ゆっくりだ、ゆっくり歩いてどこへ行く、どこへ行こう、行くあてがないよ、でも帰ってお姉ちゃんたちに合わせる顔もないよ、日が沈んじゃったからひなっちも帰っちゃったかなぁ、ううぅ、股間がスースーするよぅ、不安でえも言われないよぅ、もう歩きたくないよぉ、おなかすいたよぉ、しゃがみたいよぉ〰〰……!!


 商店街のなるべく明るい道を選んでトボトボ歩く。トボトボとしか歩けない。

 最悪路地に入れば暗がりでごまかせるのかもしれなかったけれど、一応銀ちゃんは年頃の乙女だし、走って駆け抜ければいいといわれても、走る元気なんてなかったし、普段は心強いスカートの軽さを心もとなく恨めしく思いながらでも、なるべくにぎやかなところを歩いていたかったし。


 どうして今日みたいな日にこんなところでこうしているのか。

 もしかしたら罰なのかなとも思う。

 神様に一番近い夜だから、いい子のふりしてこそこそズルしていたことも、ついにとがめられてしまったのかな、とか。


 ボサノバなクリスマスソングが流れるエスニックテイストな雑貨屋の前を通りかかる。

 店頭にはあたしが服を拝借したイケメンマネキンくんがまだ立ちんぼをしていた。


 彼は赤いサンタズボンをはいたままでいたけれど、上はパーティ用の三角帽子と黄色いハイビスカスのアロハシャツに変わっている。

 半裸はあんまりだったから、開き直ってオーストラリア風にしたんだろうか。


 サンタのサの字もなくなりかけているのはわかるけど、ならもう下も海パンにはき替えてしまえばいいのに。

 そしてズボンをあたしに寄越す。名案が出てきた。


 あたしはふらふらと彼の正面に近づいていって、早速ズボンのすそに両手をかけた。

 彼は男であたしは処女だがおくさなかった、どうせツルツルだ。

 海パンはないがとなりの小さいクリスマスツリーを前に持ってきてやろう。どうだ、ふさふさになるだろう?


 襟首えりくびをつかまれる感覚がした。ちょっとズボンの魅惑にあてられて沸騰ふっとうしかけていたあたしの小さな脳ミソは、その瞬間に一気に冷めた。

 つかまれた襟首を強く引っぱられ、そのまま早足でどこかへ連れていかれる。

 たたらを踏んでスカートのすそが舞った。無言の悲鳴をあげながら手で押さえようとすると足がさらにもつれた。

 こける、こけたら全部見える、満開になる!

 狂乱の極みの中であたしはなにかにぶつかって、あわや転ぶという寸前で立ち止まれた。


 大勢の人が、みんなこちらに背を向けて立ち止まっている。二十人くらい。

 道沿いに列を作って、なにかを待ってるみたいだった。

 列の先頭は、青い電飾で飾られたひときわ明るいお店の前にある。店頭にはテーブルが出されていて、そのむこうから赤い服の売り子さんたちが笑顔であいさつをしている。


「DNAに人のはいてるものを脱がせたがる習性が刻み込まれているとしか思えない。どこかの狩猟採集民族にそういう慣習があったら絶対にその血族だ。どういう象徴的意図がある? 他人の下半身を覆うものを奪取してそのあとは――」

「なにうにゃうにゃいってるの、ひなっち?」

「僕はまだこちら側だ」


 キャソック姿の少年は列の先頭を見据えたままそういった。

 その横顔はちょっぴり苦い。


懺悔ざんげ室のあちら側に座るには、まだ修行が足らなさすぎた。そんなつもりはなかったが、無責任だったんだ。その点については謝りたい」

「あ、うん、ごめん……」

「……」


 なんとなくこっちが先に謝ってしまい、彼に渋い顔で押し黙られる。


 あたしは変にどぎまぎしてしまって、ごまかすように列の先頭へまた目をやった。

 売り子のお姉さんたちがテーブルの上に四角い箱を積みあげている。「間もなく販売開始でぇす!」とヘソチラサンタの黄色い声がここまで届く。


「……ケーキ?」

「『聖夜限定ポーラー・エクスプレス北極丸かじり恵方ロール・黄金のしんばん』、予約受付なしの、当日のみ店頭販売だそうだ」

「待て待て待て、今年の恵方は北極点なの? 真北目指して走り出したら泣いてもせても止まらないし降りられないナイトメアビフォアなの?」

「現物を見てないからなんともいえない。だが、とにかくあれで主と父母への面目を立たせる」

「あ。あぁー、なるほ……」


 門限。

 ひなっちは、日が沈んだらご両親のために家へ帰らなくちゃいけなかったはずだ。

 自分自身でそう何度も念を押していたのだから、暗くなってから売り始めるケーキなんてずっと眼中になかっただろう。べつの用事で街に残って今までうろついていた。

 なんの用事だろう。あたしは訊けない。


「……立つのかな?」

「さあな。失笑を買うだけかもしれないな」


 遅くなると連絡は入れたが――。

 ひなっちがそう付け足してくれたことで、少しだけ気分が楽になるあたしがいた。あれだけこれだけ振り回しておきながら、現金なことに。


 街灯のむこうの空には星ひとつ見えない。

 間を持たせることばも浮かばない。

 彼のとなりにいることがむしろ不安だった。

 あたしはいつもこんなに弱気だっただろうか。内股が寂しいから?


「い、いやぁー、帰る家があるって結構いいことだよねーって、うぇぇぇぇぇ……」


 スクランブル虚脱! おうぇ、吐きそ。

 踏んだ、なんか踏んだよ、地雷?

 ていうかダイナマイト、たぶん自分で置いといたやつ。


「……そうだな。僕には心身ともに健康な両親がいる。これは幸運なことだ」

「さ、さぃばんちょ、はなし、広げないで。減刑、求め、ぅぐ……」

「おまえもだ」

「……はへ?」


 キャソック少年は、高いカーラーにつくぐらい顎を引いて溜め息、に見せかけた深呼吸をしているみたいだった。

 振り向いたあたしと目を合わせようともせず、すげない顔のまま耳を赤くしているのは、単に寒いからだろうか。


「……聖夜の晩餐は、家族で楽しむのが恒例だ。四人そろうまでは、だれも食事に手をつけない」

「う、うん……うん? ひなっち、ひとりっ子、じゃなかったっけ?」

「……母さんは、にぎやかな方が好きなんだ。うちは小さいからほかにシスターはいないし、ふたりめを持つ余裕もなかったから、本当は寂しがってる」

「えぇ、えぇと、守雛くん? 意味が、よく、わからな……」

ぎん

「はい?」

「母さんの手料理が食べたいか? 聖夜特製の」

「あ、ぅ……」


 あー、わかった、わかりましたよ、はい。

 わかっちゃったけど、わかっちゃっただけになんにもいえない。


 なんなんだろう。顔が熱い。急に背中がじっとりする。ちょっと吐きそう。


 そりゃあひなっちのママンの手料理っていったら超おいしいの知ってるし、教会の家の聖誕祭せいたんさい限定メニューなんてとりあえず豪華そうな上にそうそうお目にかかれそうにないし、ご相伴しょうばんに預かれると聞いて興奮しないわけがなかったのだけれど、あたしにはガチガチに固まったまま、ようやくうつむくみたいに小さく頷くのが関の山だった。「食べたい」ってひとこと声に出すのが、力ずくでしゃっくりを止めるよりもしんどかった。

 人前でいきなり歌わされる方がまだ上手く呼吸を取り戻せそうな気さえした。


 首肯しゅこうが見えたか不安になって、目だけ上へ向けて確認しようとしたけど、その前に彼が「よかった」とつぶやくのを聞いて、急いで身を隠すみたいにまた小さくなる。


 それでもいたたまれなくなって、自分でもわけがわからないうちに彼の片腕に両手でしがみついていた。

 驚いて震える肩に額をぐっと押しつけてみる。彼よりも心臓が熱い。


「ひなぁ……」キャソックの袖に顔をうずめたままうめく。

 涙声なのかくぐもっているだけなのか、自分でももう判断がつかない。


「神様っているのぉ?」

「な、なんだ突然?」


 彼は慌てた様子でも、あたしを振り払うことはしてこなかった。


「神様にさぁ、裏切られたって思ったこと、一度くらいあるよね?」

「……なんて答えてほしいんだ?」

「わからぁん……!」


 鼻をすすりながら、本当にわからないと思う。これじゃひなっちは酔っ払いに絡まれているのと変わりない。

 神様を信じているかいないかでいったら、あたしはいつでもどっちつかずな人間だったし。


「――いけにえは、砕かれた魂、悔いた心……主はそれをさげすまれません」


 ひなっちは、ひと呼吸置いたのちにそういった。


「僕が信じるのは、ゆるしのせきだ。人の身で多くを赦すのは難しいからな。悔いず前を向き直せ、そこにいつも喜びはある、なんて、普通に人からいわれても、本当につらい人は刃向かうだろう。何様のつもりだと」


 王様、殿様、地主様……僕は、神様だと答えられるようになりたい。

 思いつめたようにそうくくった彼は、誇らしげでもなければ、ぜんとした投げやりでもいなかった。照れてもいなければ、けだるそうでもなかった。

 少しだけ力むみたいにして、ぜんとしていた。


「でも、それじゃ見合ってないって、聞いたよ?」あたしは声の震えをなだめながらいってみる。


「人間はすでに、神様から恩恵を受けすぎているって。一人一人が赦しを得るなんて、宇宙中を探しても、そんな恵まれてる生き物はいないんだよ。だから赦しを得ていいのは、悪魔の支配に耐えられる者だけに絞らないと、公平じゃないって……」

「……なんの話をしているんだ?」

「コンスタンティン」

「あのガブリエルはダメだ。目からがほとばしってる」

「でもキアヌにぶん殴られるティルダ・スウィントンってちょっと面白いよね」

「僕はサムサッカーの方が好きだ」

「十七歳の女友だちは衝撃体験?」

わいな話なら怒るぞ?」


 怒ったりダメ出ししたり、するくせに、それでも最後は赦してしまうのだろうか。

 自分の望みをおとしめるものさえ、そうして受け入れてしまうのだろうか。

 途方もなく矛盾してる。裁くことからの逃避だといわれてもなにもできない。

 あたしだったら葛藤の果てに自滅しそうだ。自分を信じ切れずに、敗北をきっする。

 お守りでもないと、やってられない。


「馬鹿みたいだよ。べつにひなっちが全部赦すことないのに」

「赦すのは主だ」

「そうでした」

「馬鹿なのは認めるよ。間抜けなひなぼうにはちょうどいい」

「んふふ、ちょっとすねた」

「うるさい」


 気丈な面持ちがようやく崩れたから、あたしも少しほっとして頬が緩む。

 ペースを乱された彼は気恥ずかしそうにそっぽを向く。


 けど、それがひなっちの信仰。

 ただ赦すことを赦されたかった。

 身を削ってでも赦すことをしたいんじゃなくて、赦すことで守れる心を持ちたかったんだ。


 決して裏切られることのない望み。

 バッドエンドの一歩手前まで寄り添ってくれるもの。


 こんなあたしでさえも、彼のそばでなら赦されるのだろうか。

 正直まだわからない。こうして腕にすがりついて彼の体温をむさぼっている今も、心の裏側は冷え切ったままだ。

 あたし自身があたしを赦せないうちはなにも変わらないのもわかってる。

 けれど、今のあたしの止まらない顔のにやけが、とても自然なものであることも真実。


「でっへへ~、まっひにゃーん」

「こ、こら、ぶらさがろうとするなっ、ついでに妙なあだ名を増やすんじゃない! ほら、そろそろ列も動くから離れろ」

「やぁん、銀ちゃんパンツはいてないせいで寂しんだもーん」

「あんまりふざけない方がいい。僕はその手の冗談が一番嫌いって知ってるよね?」

「うわぁお、久々のエンゼルスマイルで威圧感マキシマムっ。でも嘘ついてないんだー。うり」


 華麗にお返しの笑みを送りながらさっと体を離したあたしは、彼にだけ見えるように一瞬スカートの端を持ちあげてみせた。

 注視してたわけでなくても視界には収まってしまったらしく、「ギャアアアア!!」と絶叫したひなっちは大胆なバックステップで背中から植え込みに飛び込んでいった。さらに勢い余って植え込みを突き抜け、そうタイル三枚分くらい転がっていく。


「ぎゃははははは! なにそれひなっち! スタントマンになれそう!」

「ぎん、か……きッ、さま……!」

「なぁにぃー? よく聞こえなぁーい」


 喜色きしょく満面といった感じでからかってあげる。

 タイミングよく限定ケーキの販売が始まって、列はあたしたちを外したまま進み始めた。

 今さら戻っても割り込みにしか見えない。つくづくひなっちは、神様に見放されている。


「ひなっちぃー!」


 あたしは行列とは反対向きに歩き始めながら、まだようやく膝を立てたばかりの彼に向かって手を振って叫んだ。「お母様のだけじゃなくて、あたしへのプレゼントも買ってぇ!」


「ああ、買ってやる!」

 顔を真っ赤にした彼が怒鳴り返してくる。「おまえの膝丈より長い、だっぼだぼのドロワーズをだ! ついでに頭をまるめて尼僧にして母さんに突き出す! 覚悟しろッ、無神論者め!」

「きゃーこわーい、改宗されちゃうー!」


 いたずら好きのブギーマンみたいに口を大きく開けて笑いながら、彼に背を向けて走り出す。笑いすぎて出た涙が冬の風に巻かれて、頬を雪がでてくみたいに感じた。

 街灯の明かりが全部にじんで、そこに風花かざはなの幻想が見える。

 星のない夜空がきっと、そのむこうから街を見おろしている。


 こんなあたしなんかまでそこで見てくれているのなら、神様、どうかこのいっときをお赦しください。

 どうか今このとき、最も伝えるべき素直な気持ちを伝えずにいることを、お赦しください。


 いつか必ず、大切な人すべてにそれを伝えます。


 だから今しばらくは、どうか目を閉じて。


 涙を流すだけの時間をください。

 鼓動が乱れるだけの時間をください。


 このいっときを、あたしは存分に悔いています。




The Next to Last Supper with the 'Lucy Diamond Dawson,'

 "You're only a scarlet orphan if he let you be."

  ‐fin.



訳:これはまだ、天使とかこむ最後の晩餐のひとつ前。

「たとえサンタの服を着たとして、あなたは子どもでいることを赦されるでしょう」


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ルーシー・ダイヤモンド・ドーソンと晩餐を ヨドミバチ @Yodom_8

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