結末を探して

ミドリ

第1話


     1


 眼前に広がる海原の上を、一艘の船が東へ滑っていた。陽を照り返す帆は磨き抜かれた大理石の白さで、港からでもその眩しさが際立つ。アルドは思わず目を細めた。


「おーい! 行くぞ!」

「おお!」


 活気のある声に振り向けば、そこは桟橋。

 漁師たちが先ほど到着した大型船の積み荷を降ろしている最中だ。甲板にいる男が木箱を滑らせ、下に構えた男たちはそれを運び出す。検品所に運ばれた荷物が大きな山を作り上げ、検品が終われば、今度は山が削れていく。砂の城が波にさらわれていく様に似ていた。


 港町リンデは大陸間交易の窓口として名高い。毎日なんらかの船が出入りするこの街において、動き回る人々は日常風景だ。


「相変わらずのせわしなさだな」


 アルドは船が停泊するための系柱けいちゅうに腰掛けている。漁師たちの作業を眺め始めて、かれこれ十分が経とうとしていた。

 こんなにのんびりするのは、いったいいつぶりだったか。




 ──たまには休憩も大事じゃないかしら?


 エイミにそう進言されたのは昨日の夜だった。その日の冒険を終え、リンデの酒場で食事を摂っているとき。真面目な顔をした彼女に言われたのだ。


「武器も整備が必要でしょう? それを使う私たちだって、無尽蔵にパワーを持っているわけじゃない。一度しっかりと休息の時間を取った方がいいわよ」


 アルドたちの旅は一筋縄ではいかず、その過程で立ちはだかる敵も段々と手強くなっている。ここのところ特に戦い通しの日が続いていた。ほとんど休む暇なく新天地へ踏み込むこともしばしばある。たしかに、ここらで腰を落ち着けるのも大事かもしれない。

 アルドは二つ返事で了承した。




 ヘルパーロボット、リィカはエルジオンへ定期メンテナンスとやらに出掛けているし、見た目がカエルの侍、サイラスはミグランス王国の鍛冶屋を見学しに行った。その他の仲間たちもそれぞれあるべき場所へ向かい、所用を済ませているようだ。


 アルドは再集合場所のリンデに一人残っている。

 というわけで、正真正銘、久しぶりの穏やかな昼下がりだった。


 やるべきことがすっぱりとなくなって、アルドはむしろ落ち着かない。武器の素振りをしてみたり、釣りをしてみたり……。様々な暇つぶしの果てに、人々の作業を眺めるに至った。


「あの……」

「ん?」


 幸運なことにと言うべきか、背後から声をかけられた。

 少し距離を置いて見知らぬ女性が立っている。


 アルドよりわずかに年下だろうか。やや白髪まじりの、長い黒髪。手足は花の細さで、肩の線も丸い。透けてしまいそうに薄い色素。目元にはどこか切実な憂いが浮かぶ。総じて、どこか儚げな雰囲気の女性。


「俺のことか」

「はい。この辺りでは見かけない格好ですけど、旅の方ですか?」

「そうだけど、それがどうかしたのか?」

「おとぎ話を、ご存じないですか」

 と唐突に女性は言う。


 意味を理解しかねて首を傾げれば、彼女は続けた。


「あるおとぎ話を探しているんです。幼いころにわたしの母親が聞かせてくれた、小さな女の子が主人公のおとぎ話で──」

「いやいや。それってお母さんに聞けば答えがわかるんじゃ?」


 そう言うと女性はうつむいた。目元の影がいっそう暗くなる。

 アルドは考えナシに言葉を吐いてしまったことを後悔した。


 もう聞くことができない。

 その可能性にようやく思い当たったのだった。


「えっと、あんたのお母さんは」

「はい。二ヵ月前に病で亡くなりました」

「……ごめん」

「いいんです。出会ったばかりなんですから」


 女性は取り繕うように口端を緩めた。

 せめてもの贖罪にアルドは話の続きを促す。


「なんでおとぎ話を?」

「母が残してくれたモノを残さず取っておきたいと思いまして。今更こんなことをしても、なんの償いにもなりませんが」

「償いって?」

「ええ。母の傍にいながら、何もできなかったわたしの償い」

「……」


 一抹の違和感が去来した。


 病で亡くなったのなら誰にも責任はないはずだ。それを何もできなかったからと言って償うなど、あまりにも重くはないだろうか。いったいだれが許してくれると言うのだろう。


 いくつか疑問はあったが、否定するだけの言葉も持ち合わせていなかった。もしかしたら何か家系的な事情があったのかもしれない。


 思考を切り替え、アルドは女性への協力を申し出た。


「それで、そのおとぎ話はなんてタイトルなんだ?」

「実はわからないんです。本当に小さいころに聞かせてもらった話なので」

「どういう結末だったかとかは?」

「それも……ごめんなさい。わたし、話の途中に毎回寝てしまって」

「そっか。じゃあほかに何か情報はないか?」


 女性は眉根を寄せ、口元に手を寄せた。

 かすかな記憶の糸を手繰り寄せているのが見て取れた。


「小さな女の子……たしか、ミェルという名前の女の子が、遠くの地に花を探しに行く話……だったような。ミェルの母親は発作を患っていて──」


 そこまでは、思い出せるんですが。

 女性はため息をついた。これ以上思い出せない、と表情が告げる。


「そのおとぎ話って、この辺りでは有名なものなのか?」

「うーん、どうでしょう? 少なくとも、リンデの街にこの話を知っている人はいなかったです」

「そうか……」


 おとぎ話は、人から人へ、人から本へ、本から人へ、形を変えて語り継がれる。

 しかし、リンデに知っている人がいないとはどういうわけだろう?


 アルドは停泊している船の列を盗み見た。小型のスループ船から始まり、漁業用の後方型帆船カッター、果ては大型の縦帆船スクーナーまで。人の多い少ないこそあれ、行き先も目的もバラバラな船が多種多様に並ぶ。これらのいくつかは大陸の外と繋がっているはずだ。

 リンデは、いうなればミグレイナ大陸の交易拠点であり、情報の交差点。そこに住む人々が知らないおとぎ話など……。


 アルドも幼いころバルオキーの村長におとぎ話を聞かせてもらったが、似たような話を聞いた記憶はない。これはどうにも探すのが大変そうだ。


「……無理な話をして、すいません」


 女性は申し訳なさそうに眉根を寄せる。その表情に、アルドは我に返る。


「あ、ああ、いいよ。こうやって知り合ったのも何かの縁だし。思い当たるところを回ってみるからさ。何かわかったらまた来るよ」

「ありがとうございます……! どうか、よろしくお願いします」


 女性は恭しく頭を下げた。

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