黒の影

 台の上に置いたマグカップに温かいココアを入れる。そしてすぐそばにある角砂糖とハチミツの袋を手に取る。

 それを大きく傾けて並々と注ぎ込んで、木の匙でグルグルとココアを混ぜていると、やわらかい白と、どろりとした黄色が温かな茶色の中に消えた。


「よしっと。」


 ニッと頬を持ち上げてからマグカップを左手に持ち、空いた右手で携帯を探す。携帯を開きながらリビングに移動していく。初任給で買ってからお気に入りの、大きなスッポリと包み込むような温かみのある椅子に座った。


 「あ、あった。」


 目的の画像を見つけて、こぼれた笑みごとココアを口に入れる。


 「ほんっと、素直じゃないんだから…」


 無機質な画面に似つかわしくない、とても温かい、お互いへの感情表現が不得手な私達にとって奇跡みたいな時間を閉じ込めた写真。

 カイの家で鍋パした次の日の、レオの家でのこと。

 幸いにも翌日は午前中のみの出勤だったから、お昼から二人でゆっくりとした。レオの好きな映画を見たり、私の好きなゲームをしたり、料理をしたり。

 朝起きたら何であいつの家にいたかは…まぁ大体想像つくけれど…。

 二人で精一杯作った料理を食べている様子に今日何度も見ているのに頬が緩む。

 いつの日か、毎日この写真みたいなことを出来るのかなとぼんやりと不確定だけど温かくて心地良い心を抱いて、残ったココアを全て飲み干す。

 お代わりを注ごうと立って意識もせずに窓を見る。

 朝方よりも大分強くなった雪に一抹の不安を抱きながらも、気の迷いだと言い聞かせてキッチンに行く。

 少しぬるくなったココアを温めなおそうと火をつける。


 チリンと呼び鈴が鳴った。


 「あれ…?」


 人が訪れるような時間じゃないような気がして時計を確認してみると、短針は11を指している。

 何か緊急の事態でもあったかと言われるとそれを知らせる鐘の音も聞こえない。雪も鐘の音をかき消すほどまでは強くはない。

 首を傾げながらも待たせてはいけないと、スリッパをパタパタ鳴らしながら玄関に向かう。


 「お待たせしましたー誰ですk…」


 扉を開けた瞬間、そこに現れた人影に驚いて言葉が止まった。喉につっかえた何かを頑張って飲み込んで、来訪者の名を呼んだ。


 「ハル…⁉」


 扉の先に確信が持てない程に様子がおかしいハルがいた。

 いつも周りの空気を明るくする優しい笑顔も雰囲気も何もかもが無い。そこそこ大きめな身長もあいまって、どこにいても大抵は容易に見つけられるほど放っている存在感も皆無だ。なにより、朝焼けを思わせる紫の瞳には一切の光がともっていない。


 「ハル、だよね?」


 「セイカ姉さん…。」


 ぼうっとした生気のない顔をゆらりと上げ、どこかすがるような眼で私を見てくる。


 「どうしたの…?」


 「ああ…。」


 「とりあえず、入って。」


 「ああ…。」


 微妙に噛み合っていない気がするけれど細かいことを気にしている場合ではない。

 雪の積もったハルの頭を軽くかき混ぜて水気をたっぷり含んだ髪を覗かせる。いつもでさえ銀髪に近い金髪がさらに色味を失って白髪のようになっている。

 行くよ、と促しても全く動かないので腕をつかんで引っ張るとようやく歩き出した。その腕は凍っているかのように冷たい。少し触った私でさえ指先に移って冷たいのだから、ハル本人は痛いと感じるほどまでに寒いはずだ。

 もしかしたら、その感覚さえ無いのかもしれない。

 よく見るとハルは部屋着のような軽装でコートすら着ていない。

 椅子に無理やり座らせて火にかけっぱなしだったココアを二人分注ぐ。新しい方を押し付け自分の分はローテーブルに置く。そして角砂糖とハチミツの袋とタオルを何枚か持ってくる。袋は同じくローテーブルに置き、タオルをハルに被せるように渡す。変わらずぼうっとした目で座るハルの様子を見る限り、自分一人で相手出来る気がしない。


 「ハル、ちょっと待ってて。」


 「ああ…。」


 (…もう…)


 廊下に出て携帯を取り出す。

 メールにするか迷ったが、気付かない方が多そうで手間だが電話をすることに決めた。寝てるのを起こしたら申し訳ないが…まあそこは許してもらおう。

 誰に電話するか頭の中でリストアップしながら一人目が出てくるのを待った。

 幸いにもほんの数コールですぐに応じてきた。


 「あ、もしもし。いきなりごめんね。あのさ、今から私の家来てもらいたいんだけど…。」


 最後の一人に電話をかけ終え、ココアをマグカップの半分くらい飲み終えたころだろうか。呼び鈴が鳴って一人目が到着した。


 「遅れてごめんね。」


 「全然遅れてないって。こちらこそ遅くにごめんね。」


 「ううん、大丈夫だよ。」


 色味の多い金髪と夏の海を思わせる鮮やかな青の目の少年、カイが現れた。


 「院長先生のとこまで行ってたら遅くなっちゃったんだけど…。」


 「だから、私は一人でも大丈夫だったのに。」


 カイに隠れて見えていなかったが後ろから院長先生が出て来た。雪と同化している灰色の腰まで伸ばした髪にかすかに赤みを帯びた銀色の瞳を持った彼女はもうかなりの年なはずなのに若々しい。本当にいくつなんだろ。


 「院長先生。来てくれてありがとうございます。」


 「大丈夫よ。今は皆偉い子たちだからもう寝てるし。」


 「うっ………。」


 かなり耳の痛い話に目をそむけ二人がコートを脱ぐのを手伝っているとカイが口を開いた。

 

 「ところでレオ兄さんは?」


 「まだみたい。『昨日遅かったんだから寝させろ。』って怒ってたしなぁ…。」


 「なんか想像できる。」


 (まぁ…本気で怒ってる感じはなかったし。ちゃんと来てくれるからいっか。)


 そんなことを考えて思考の海に沈んでいると、鈴の音が響いた。

 すぐに扉を開くと、思い描いていた通りの姿がいた。栗色の髪がぴょんっといくつか跳ねているのを見れて何だか嬉しい。それを気取られないように早口で言葉を放った。


 「遅い、先生を待たせないでよ。」


 「あのなあ、いつもお前が…いいや。今はハルのことだ。」


 「うん。」


 レオは手早くコートを脱ぎ、慣れた足取りでリビングに向かって歩く。

 レオの後ろから改めて見るハルは痛々しくて見ている方が辛い。

 目を背ける代わりにキッチンへ行って三人分のココアを持ってくる。それを各々座った前に置き自分のところに座る。


 数秒の間沈黙が空間を覆うが、院長先生がそれを破った。


 「ハル、私の事分かる?」


 「院長先生…?」


 院長先生はそっと胸をなでおろすといつものようにやわらかな声色で話しかける。


 「そうよ。私以外にもカイとレオ、それとセイカもいるわ。ここはセイカの家だからね。」


 「ああ…。」


 空ろな瞳を左右に動かして私達と目をあわせると、先程までと同じだが少し心のこもった声が返ってきた。


 「皆、ハルのこと心配しているのよ。何かあったの?教えてくれない…?」


 言い終わるのをたっぷりと待ちながらハルはゆっくりと首を縦に振る。そしてすがるような声で話を始めた。



 「あのね、俺…」






「ノアに会ったんだ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラッククリスマス 藤宮架夜 @fujimiya_kaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ