いたい過去

 「ただいま。」


 少しずつ、少しばかりとはいえ、暖かくなっていく雪に背を向けて入った暗闇に対して俺は決まりの言葉を言う。


―     ―


 何も返ってこない声と優しさに何故か苛立って舌を噛む。


 コートを脱ぎながらリビングに向かう。照明をつける気になれずに暗闇の中でソファにどっぷりと座る。クッションに後頭部を沈めて天井を見上げる。瞬きを一度してから充分すぎるほどに長く息をはいた。


 仕事は、カイがまだ三ヶ月なのに仕事を覚えてしっかりと働いてくれている。そのおかげで去年よりよっぽど楽だ。気候も、凍えるほどの季節はもうとっくに過ぎている。


 疲れてはいるが、心地良い疲労感で毎日ぐっすりと眠れるくらいだ。

 帰ってきてご飯を食べてお風呂に入ってそのまま寝る。

 これを苦痛に感じない程には今日だっていつも通り疲れている。


 それなのに何故か体が動こうとしない。

 目を天井から落として手前にある棚に動かす。


 ―中には、同じ食器がそれぞれ二つずつ。―


 「っ…はぁ……!」


 瞬間、心臓が大きく上下した。

 抑えきれない痛い吐息が溢れ出す。少しして息を整えてソファから立ち上がり寝室へ向かう。


 (夕食は…)


 一食ぐらい抜かしても問題は無いと納得させて、無意識にドアからむかって右側の方のベットに横たわる。

 そのベットは一人用とはどうしても考えられない、もう一人横に入るとちょうどいいくらいの大きさだ。自分で考えておきながら胸が苦しくなって布団に顔をうずめる。


 二つずつある食器、大きさの合わないベッド。


 帰ってきたときにおかえりと言ってくれる人、おかえりと声をかける相手、ずっと一緒にいて一年とはいえ二人きりで暮らしていた大切な幼馴染。


 この家には、あいつの痕跡が多すぎる。


 普段は平気でも、少しでも心が緩むと考えてしまう。


 (何で、いなくなったんだよ…)


 息が少し辛くなって布団から顔だけ出す。

 視線の先には、ぽっかりと空いた一人分の空間。それを見ているのが怖くて目を強く閉じる。

 真っ黒な世界でいくつもの言葉が浮かんでは消えて再び浮かんでくる。


 (どこにいるんだよ)


 (死んでないよな)


 (死んでたら、地獄まで行って殴り飛ばしてやる)


 (このまま一生会えないのか?)


 (いやだ)


 (会いたい)


 (会って全部話してほしい)


 (何があったんだよ)


 (一緒に、ずっといいサンタでいようなって約束したじゃんか)


 (嘘つき)


 (皆心配してるんだからな)


 (なぁ、戻ってこいよ)


 (帰って来いよ)


 (なぁ…!)


 俺、さ。


 「さみしいよ…ノア」


 こぼれた言葉に合わせて、一つ二つと紺碧の夜空の中に流れ星が落ちていった。

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