甘苦い林檎酒

「せーのっ!」


「「「かんぱーい!!!」」」


 三人のピッタリと揃った声が部屋中に響く。

 それと同時にグラスのぶつかる甲高い音が鳴り、ごくごくと飲み干す。

 俺がぷふぁ、と気の抜けた声を上げていると、ぶはぁー!っと何とも豪快なセイカ姉さんの声にかき消される。きっかり十秒と経ってその雄叫びを止めると、流れるように瓶に手を伸ばしてお代わりを注ぐ。これをもう一度繰り返した後、ようやく落ち着いたのか軽く座りなおして別の方向を向いた。俺もセイカ姉さんの目線の先に目を向ける。


 俺達三人が入っても余裕のある新しい部屋の中で、二人の目を一身に集めるの人物とは。宝物を持つかのようにおそるそるとグラスを胸に握りしめている金髪の少年、カイだ。


 今日はカイの引っ越し手伝いと引っ越し祝い、そして初の飲酒を見守るための鍋パをカイの新居で行っている。

 ちなみに料理は全て俺がやった。祝われる側のカイはともかくセイカ姉さんはお酒を買ってきただけですごく自慢げに座って、何も手伝ってくれなかった。


 (まあ、このお酒そこそこの値段するらしいし美味しいから今回は見逃すか)


 空っぽになっていたグラスにお酒を新しく注ぎながら納得する。

 せめてもの反抗心として自慢げにふんぞり返っている姿をカメラに収めておいた。後で起こることを考えてニヤッと笑う。


 (それにしても…)


 視線をカイからセイカ姉さんに移し胸中でそっとため息を吐く。


 (出来上がるの早すぎるだろ…)


 一番分かりやすこととしては、バランス能力が皆無になる。

 常にふらふらとしているから、周りとしてはいつ倒れるか気が気でない。後、常に目の焦点が合わなくなる。


 いつもより酔うのが早い気がするのは俺の気のせいだろう。


 セイカ姉さんは年下に優しいというか面倒見がいいのが長所だが、一方でどうでもいいことにまで首を突っ込んでくる短所も持ち合わせてくる。

 首を突っ込んで得た情報を元に、悪戯というかちょっかいをしてくる癖は治ってくれることを俺も含めた年下一同が望んでいる。子供の恋愛事情にやたらと興味深いお母さんのような面倒くささがある。俺達にはお母さんなんていないから実際のところは分からないが聞いた話通りなら同じはずだ。


 再びカイに目を向けるとまだグラスを見て生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。その様子は、窓から雪を掴もうとしているセイカ姉さんが見たら、勢いよく押し倒して抱きしめそうなくらいに可愛らしい。まだ成人したという雰囲気が無くまだまだ少年のように感じる。

 お酒を初めて見て緊張しているのは伝わってきたが、俺は最初の時は普通に飲んで特に悪酔いもせずに本当に普通に終わったから、怖がっている理由がよく分からなくて首を傾げる。


 (あいつは、どうだったかな)


 ボーッと虚空を見つめながら、頭から記憶を引っ張り出す。

 たしかお酒に弱すぎて、ほんの一口飲んだだけですぐに寝ていたはずだ。それでも怖がってはいなかったな、と思い出したのをきっかけに、ゆるやかではあるが鮮明にあいつとの記憶が再生され始めた。

 胸がチクリとした時、全て振り払うように頭をブンブンと左右に振る。

 そして持ちっぱなしにしていたお酒を、口を湿らせるだけの少量を含んでグラスを机に置く。


 椅子から立ち上がって、未だに雪を掴もうと遊んでいるセイカ姉さんの姿を撮る。窓に近づいてセイカ姉さんをむりやり引きはがして座らせる。

 お酒を飲むと力が強くなるタイプの人がいるが、セイカ姉さんはまさしくそのタイプで、左手に持っているグラスを取ろうとしても中々とれない。その上に空いている右手でばしばしと叩いてきて痛い。

 さらには「うー!!!」とか「あー!!!」とか言葉になっていない声をあげて暴れているため、いつものお姉さんから幼女へと、それも2、3歳のように雰囲気が変わっている。


 (それにしても、本当に取れないな)


 もう少し力を入れたら奪えるかもしれないが、その勢いでお酒がこぼれてしまいそうだ。


 (…仕方ない)


 決心を決めて、グラスを掴んでいた右手を腕に移動させ、グラスを傾けさせる。同時に口元をグラスのふちに近づけた。


―ごくり。


 喉仏が大きく動いて音が鳴った。

 戸惑って力も抜けたセイカ姉さんから空っぽになったグラスを抜き去る。

 セイカ姉さんから離れたところにグラスを置くと、ようやく状況が飲み込めたのか「あーーーー!!!!」とさっきまでの数十倍はある声で暴れ始めた。両手で殴ってくるが、酔ってフワフワとしているからか「ポカポカ」という擬音語が適切な叩き方だ。それでも腕一点にだけ狙ってくるので数秒も叩かれているとじんわりと痛みが伝わってくる。

 いつもよりもわずかに下にある頭を押して離れさせると、諦めたのかまだ開けていない瓶とグラスを取って大人しく飲み始めた。

 その様子を確認し、カイの様子を伺いみる。


 グラスは両手の中に収まったままだったが、握りしめる状態から力が緩んで軽く持つ程度に変わっていた。ひそかに心の中で安堵のため息をついてセイカ姉さんの奇行を笑いながら見ているカイに声をかける。


 「カイ、大丈夫か?」


 俺の声に気付いてちょっと驚いたようにこちらを見て答えてくる。


 「うん、大丈夫。」

 「飲める?俺が飲もうか?」

 「だぁーいじょうぶだって。飲めなかったら、ハル兄さんお願い」

 「うん、わかった」


 気持ちを固めたらしく笑顔でグラスを持ち上げる。

 そして夕焼けを閉じ込めたような泡の混ざる液体を口に注いだ。ゴクンとカイが飲み干してからしばらくの間、誰も口を開かなかった。

 その静寂を破ったのは、朗らかに笑うカイだった。


 「これ、美味しい…!お代わり貰ってもいい?」

 「もちろん、セイカ姉さんのおごりなんだから気にしないで飲みな。」

 「はーい」


 可笑しさの混じった笑顔で返事をする様子から、まだ現時点で酔ってはいないらしいと読み取る。どうやらセイカ姉さんやあいつのようにお酒に弱いわけではないらしい。

 一杯飲み干すごとに「おいしい~」といつもより幼さが増した顔と声色で言って、五杯、十杯と飲み進めていく。


 (これは、思った以上に強いな…)


 ゴクゴクと驚愕のペースで飲み進めていく。

 そしてカイが一本を全てを飲み干したころ、セイカ姉さんがドンっと大きな音を立てて机に倒れた。


 「こ、これって…寝たの…?」

 「それが違うんだよなぁ…」

 (今日はやっぱりずいぶんと早いな…)

確認するように尋ねてくるカイに諦めのため息をつきながら答えると、混乱していることが顔を見るだけで分かった。説明をしなくてはいけないとは分かっているが、これに関しては見てもらってからも方が早いと結論付けて黙る。決して説明が面倒な訳ではないと弁解しておく。


 「え、どういうこと?」


 混乱が脳内に収まりきらなくなって放たれた言葉が終わったその瞬間、セイカ姉さんがガバッと勢いよく起き上がってきて叫んだ。


 「あああああああああああああーーーーーーーーーーーー!!!!」

 「ふえっ⁉」


セイカ姉さんの強烈な叫び声にもカイが可愛い反応をしたのにもにこりとしたまま反応せずに黙る。


 「あああああああああああああーーーーーーーーーーーー!!!!」

 「ね、ねぇハル兄さん、これどういう状態?」


 向かい側に座っていたカイがわざわざ移動してきて俺の肩を大きく揺らす。


 (もういいかな)


 カイに顔を向け説明を始める。


 「セイカ姉さんは酔うと、精神が幼児になるんだけど、その後もう一段階あって…」


 そこまで言って少し待っていると、入れ違うようにカイが口を開く。


 「それが、この状態ってこと…?」

 「正解。」


 呆然としているカイを横目に、今カイが考えていることを想像して笑いをこぼす。とりあえず瓶とグラスを持ってきて注ぎ渡して座らせる。


 「大丈夫、これ、対処法は簡単だから」


 携帯を取り出してある人に連絡する。

 今日は休みだから自宅で読書でもしてるだろう。すぐに返信くるかと考えている間に返信がきた。


 『すぐ行く。』

 『ありがとうございます』


 携帯を閉まい座ってお酒を飲みなおして、数分くらいセイカ姉さんの叫び声をBGMに二人で話す。


 呼び鈴の音がかすかに聞こえてドアに向かう。

 カイが追い付いたのに合わせてドアを開くと、この場の誰よりも背の高い茶髪の人が現れた。


 「レオ兄さん?」


 カイが驚いて問いかける。


 「カイ…年上の人には先輩と呼びなさ、今日はいいか」


 何度目か分からない程の混乱を迎えたカイを放って、コートを脱ぎながら俺に愚痴を吐く。


 「またセイカのせいか…ちゃんと教えとけって毎日言ってるのに…」

 「まぁセイカ姉さんだから」

 「それもそうか…」


 レオ先輩…レオ兄さんは仕事と休みの日をしっかりと分けているから、今日みたいな休日には先輩と呼ぶ必要もないし敬語を使う必要もない。

 むしろ昔通りにレオ兄さんと呼んで話すと、テンションが上がっていることを知っている。


 「レオ兄さんとセイカ姉さん、毎日連絡とってるんだね」

 「…!別にいいだろ…」


 本当にこの二人はお互いに素直じゃないと思う。

 連絡をとってるどころか、毎日何時間も通話していることをセイカ姉さんから散々聞いていた。頬を朱に染めるレオ兄さんをにこやかに見ながらも急かすように話しかける。


 「それで、セイカ姉さんだけど」

 「あ、ああ。案内頼む」

 「うん、こっち」


 言い終わるのを待たずに歩き始める。

 後ろからついてくるカイもようやくレオ兄さんを呼んだ意味を理解したのか小さく幾度か頷いている。


 「あああああああああああああーーーーーーーーー!!!」


 「おい、セイカ。」


 大声を出したわけでもないのに、セイカ姉さんの名前を呼んで目を合わせただけで、長く続いた叫び声がピタリと止まった。


 「レ…オ…?」


 静寂だからこそ聞こえた微かな声で、信じられないと言わんばかりに視線の先にいる人の名前を呼ぶ。

 しっかりと言い終わるのを待ってからレオ兄さんは大きなため息を吐いて一気にしゃべりだす。


 「お前なぁ、いい加減その癖直せって。出来ないならお酒飲むな、ってことも言っただろうが。何度言ったら分かるんだよ」

 「ううぅ…」


 怒っている、というより呆れが多いように思える。


 「毎回毎回迷惑してる皆、特にハルの身にもなれって」

 「うううぅっ…」


 いつの間にかセイカ姉さんの目には、大粒の涙が溜まって溢れ出していた。もう毎回のことなのにハル兄さんは焦ってセイカ姉さんに近寄る。


 「…あの、その、ごめんって…」

 「うううう…」


 涙の止まらないセイカ姉さんが膝から崩れ落ちる。それに合わせてレオ兄さんもしゃがみ、抱きしめるようにセイカ姉さんの背中をさする。


 「悪かったって…だから、泣き止めって…」

 「ちが…ち…ちが…から…」


 レオ兄さんの胸の中で、泣くのを止めようとしても止まらない涙に息を詰まらせている。呂律の回っていない声で必死に「違うから」と言おうとしているのだろう。

 そんなセイカ姉さんの背中を優しく落ち着かせるようにさすって、しっかりと話せるようになるまで待っている。


 暖炉の暖かさだけではなくいつの間にか部屋がほんわかとした温かさで満ちていた。泣きじゃくるセイカ姉さんとそれをなだめるレオ兄さんの二人がこの空気の大元であることは誰の目にも一目瞭然だろう。

 そんな二人を見ていたカイが、ぽつりと一言をこの不可思議な空気の中にとかした。


 「セイカ姉さん、あんなに寂しがってたもんね」


 カイが言っていることが頭に映像として思い出され、俺はクスリと笑いながら返事をした。


 「そうだな」

 「全然隠せてなかったよね」

 「いっつも泣いてたもんな」

 「そうそう」


 ハル兄さんはセイカ姉さんの一つ上。

 だからサンタになって独り立ちするのも当然ハル兄さんの方が一年早かった。セイカ姉さんが孤児院の最年長となっていた一年間、毎朝枕にすすり泣いた跡が染み付いていた。

 レオ兄さんも意地をはっていたのかは知らないがセイカ姉さんにだけは全く姿を現さなかった。そのくせに、とても遠回しにセイカ姉さんの様子を週一のペースで聞いてきていた。そんなに気になるなら自分で会いに行けばいいのに、と何度ため息をついたことか分からない。


 本当にお互いに面倒な性格をしている。


 二人でその当時の話を思い出して話していると、いつのまにか泣き声が聞こえなくなっていた。


 (ようやく終わったか)


 セイカ姉さんがレオ兄さんに抱き着くように寝ている姿を視界に入れる。

 レオ兄さんは背中にあった右手をセイカ姉さんの頬に持ってきて優しく撫でながら文句を言う。


 「全く…面倒な奴…」


 顔は角度的に全く見えない代わりに耳が真っ赤に染まっている。自然にカイと顔を合わせて忍び笑いをする。

 どうにかセイカ姉さんをおぶって立ち上がり玄関に向かおうとするレオ兄さんに気付いて少しあわてて追う。


 「ちゃんと例のモノ、送っておきますね」


 そうレオ兄さんに声をかけると、今度こそはっきりと見える顔が首元まで発熱したように赤かった。


 「…ああ」


 消え入るような声で答えてそのままこちらを見ずに家を出た。その姿を確認してすぐに携帯を取り出す。


 「例のモノって何?」

 「これだよ」


 レオ兄さん宛てに送った画像を見せた瞬間、きょとんとしていた顔が一気に笑いに変わった。


 「なるほど、たしかにレオ兄さん喜ぶね」

 「セイカ姉さんあんまりレオ兄さんと飲まないらしいから特に、な?」

 「あったまいい!」


 可愛らしいからかいが混じった称賛を同じく笑って受け止める。


 「例のモノ」。

 それはセイカ姉さんの写真だ。

 酔っぱらって精神が幼児と化している状態なんかは、行動だけみれば可愛いのだ。いつも酔っぱらったセイカ姉さんの引き取りをしてくれるお礼に俺は撮りためた写真を送っている。

 そもそも、セイカ姉さんが酔った時くらいにしか会わないのだから、二人きりになる機会を作ってあげているのだから感謝されたいくらいだ。

 仕事も部署が違うから中々一緒にならないのも意地を張り続けている原因かもしれないが、当事者ではない俺には全く分からない。

 まぁここ最近は毎日電話しているらしいから進歩した方ではある。

 どちらにせよ、これは二人の問題だから俺らにこれ以上お膳立て出来ることは無い。そう結論付けてリビングに戻る。


 「改めて飲む?」

 「うん」


 片付けをしようかと少し迷ったが、まだまだ温かさの残る料理や数本は残ってるお酒を見て、二人共鍋パーティーを再開することを即座に決めた。


 次の日、やたらと機嫌のいいセイカ姉さんを横目に頭がほんの少しだけチクリと痛んだ。

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