下の句 神楽姫の詩
私が目を覚ますと、そこは何もない丘だった。
さっきまであったはずの神名木……神楽樹も見当たらない。
いや、木がなくなったというわけではない。ただ、それは神楽樹よりも低く、一見若そうにも思える。
不思議に思いながら、私はその木に手を当てる。
若いながらもしっかりと根を張った力強い樹の脈絡が聞こえてくる。そんな気がしていた。
すると、丘の向こう側から一人の若者がやってくる様子が見える。だが、その姿はボロを纏い、いかにも現代ではない事を窺わせる。
その若者は樹の下まで来ると、私に気づく事はなく地面に座り込んで何かを始めた。どうやら文字を書く練習の様だった。
この時代の平民には似つかわしくない光景に戸惑いながらも、その様子をただ黙って見守る。
すると、突然辺りが曇り始める。
どんよりとした雲に包まれて彼は慌てた様に立ち上がり、来た道を帰ろうとしたその刹那……。
……ピシャっという光と共に雷がその木に直撃する。雷はその木を薙ぎ倒し、そばにいた若者まで巻き込んでしまう。
雷に打たれた若者は一瞬の落雷で命を落とす。
その光景を目の当たりにした私は見ていられずに目を逸らす。
ピクリとも動かない体が生々しく横たわり、無惨な姿を見せられて、何故私はここにいるのかがわからなくなってくる。
(……これはロッソの記憶にゃ)
ふと、気づくとロッソの声がどこからともなく聞こえてくる。
「えっ、ロッソ?どこ?ねぇ!!」
姿の見えない声の主を探して私は戸惑う。
だが、ロッソはどこにもいなかった。
(……ロッソは見えにゃいにゃ。だけど、昔の私が見えるはずだにゃ。樹のところに……)
ロッソの声を聞いて私はY字に裂けて燃え盛る樹の方に目を向ける。そこには確かに何かがあった。
煌びやかな衣を纏った天女の様な人が樹の間に倒れていたのだ。その姿を見た私は慌てて彼女の元へと走る。
このままでは危険な状況なのでなんとか降ろそうと手を引くが、私の手は彼女の手からすり抜ける。
(……無駄にゃ。これは記憶だから。でも大丈夫。すぐに目を覚ますにゃ)
ロッソの言う様に、気絶していた天女はゆっくりと目を覚まし、周りを見回すと若者に気がつく。
おぼつかない足取りで彼の元へと歩き出し、彼の元へと着くが、彼女の瞳は冷酷だった。
まるで害虫を見るかのような視線が、私はどうにも気に食わなかった。
だが彼女は何をおもったのか、おもむろに彼にちかづくと唇を重ねる。
すると彼の身体はみるみる回復し、雷に打たれた傷さえもなかったかの様に治っていた。傷が治った事を確認した天女は一枚の羽織を彼に被せて再び天へと戻っていった。
しばらくすると、雷に打たれ死んだはずの彼が目を覚ます。そして周囲を見回して足早に自宅の方へと帰っていった。
※
そして、次に気が付いたときにはその木は切り倒されていて切り株だけになっていた。
そこには先ほど見た天女が何かを待つ様に座っていた。だが、その身なりは先程とは違いみずぼらしくかった。
それから何もない日が幾日かすぎた。
彼女は雨の日も、風が強い日もただただそこを動かなかった。
するとある日、牛車を連れた一行がその樹のあったところへと現れる。その牛車がとまり、その中から凛々しい男が降りてきた。
その姿は身なりも高貴なもののように見えたが、その顔は若者の顔だった。
おそらく、天女が置いていった羽衣を売り払い官職を得たのであろう。
そして、彼はしばらく彼女の様子を見て彼女の手をとる。御者達は戸惑いをかくせないようすだったが、彼は構う事なく彼女を牛車へと乗せ去っていった。
そして事あるごとに、彼らはその切り株に来ては楽しそうに何かを語らっていた。
そんなある日、少し老けた彼が檻のついた牛車に引かれてやって来た。その姿は白装束に身を包み、まるで罪人のようだった。
いつの時代かは分からないが、どの時代も政争と言うものがあり、少しのことで死罪や流刑に処されるのは当たり前なのだろう。
当然のように天女も別の檻に入れられてやって来た。その見目麗しい姿は以前見た時と変わらない。
おそらくこれが原因なんだろうと邪推できる。
切り株の元に連れてこられた彼らは切り株の前に座り、死すべき時を待っていた。
そして縄を解かれた彼が何か一言、人に呟いて何かを持ってこさせる。筆と何かの紙だった。
そこに彼は何かを書いて読み上げる。
だが、彼女はどこか取り乱しており、その歌をおそらく聞いていなかったのだろう。
だが、刑が執行される。
彼が彼女を見て一笑し、執行人により首を落とされ果てる姿を私は見る事はできなかった。
だが、彼女は彼の最期を一度たりとも目を離す事なく見て意気消沈する。
そして先程男を切った凶刃が、今まさに彼女に向けられそうになった。
その瞬間、あたりは突然雷鳴を轟かす。
その雷鳴は辺りにいた執行人達を次々と薙ぎ払い、最後に残ったのは彼女ただ一人となった。
すると天からいく人かの天上人が現れる。
その姿はまさにこの世のものとはいえないほどの煌びやかさを見せる。
そして、天上人たちは意気消沈した彼女を縛る縄を解き、腕を引く。おそらく天界へと連れ戻そうとしているのだろう。
だが彼女はその手を振り解くと、骸に変わり果てた彼に寄り添い離れなかった。
その様子に困った天上人達は足元に残った札を拾い上げて、一つの問いを彼女に投げかける。
『この男が最期に読んだ詩を覚えているか?』
『いいえ、聞き取れませんでした。』
『ならば、かの者が最期に読みそうな歌の答えを読め。そこまでの思いがあるなら読めるはずだ……』
意気消沈した彼女の様子から、おそらく聞き取れなかったであろう事は想像に容易く、天上人の意地の悪さのようなものが見てとれた。
だが、それも仕方のない事だ。
彼女の慌てようには天上人達も手を焼いていたようだったのだ。
だが、彼女は『わかりました……。』と言ってしばらく思案をしてその返歌を読み始める。
「かんなきの このけうちゅうに うまれもゆ
去し思ひも さりとて変わらず」
その返歌を聞いた天上人達はその歌に感銘を受けたのか、それぞれに涙を流す。
『わかった。ならば彼と共にいるが良い……。人と天上人は相いれぬ存在。その咎を一身に受けると言うのなら、時と言う名の牢獄で彼と共に過ごすといい……』
一人の天上人がそう言うと、手を振り上げる。
すると彼の身体は光の粒と化し、地面へと消えていく。そして、彼女も身体を徐々に小さくして猫の姿となった。その身体はロッソの姿にそっくりだった。
『神楽姫よ。神を泣かせたその思いと共に永遠に眠れ……』
そう言って、天上人達はそれぞれに天界へ帰っていく。
そして、一人残されたロッソ……いや、神楽姫は猫になり身体を伸ばした後に元々あった切り株に飛び乗って身体を丸めて眠り始めた。その丸めた身体の真ん中の隙間には小さな木の芽が生えていた。
季節は春の季節だった……。
※
私は風の音で目を覚ます。
さぁさぁと、木漏れ日が優しく照らす木陰で私はどうやら眠っていたようだった。
だが不思議な夢を見たものだ。
喋る化け猫に神話のような物語。
夢にしてはリアルすぎるし、現実にしたら荒唐無稽なものだが、どことなく優しい気持ちになれた……そんな夢だった。
私はうたた寝で固まった身体を軽くほぐすと、開いていたページに目をやる。
『神楽木の 散りゆく花と 様見れば
過ぎし思ひぞ かんなぎのうた』(作者不明)
と書かれた和歌が目に入る。
夢の中で名前も知らぬ彼が最期に詠んだ歌だった。
その歌を見て、私はふと神名木と呼ばれた桜を見上げる。
来年もまた……桜が花を咲かせるんだろうな。
そんな事を思いながら、私は立ち上がりズボンについた砂を払う。
すると、ズボンからチリンという音を立てて鈴が落ちた。夢の中でロッソがつけていた鈴だった。
私はその鈴を拾うと、大事に栞の紐に結びつけた。
そして胸元に本を大切に持ったその瞬間、強く風が吹いて鈴が大きく音を立てる。
それはロッソが勢いよく駆け抜けていった……。
そんな気がしていた。
神楽樹の和歌〜不思議な猫と恋の和歌〜 黒瀬 カナン(旧黒瀬 元幸 改名) @320shiguma
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