中の句 ロッソの過去

私の言葉に怒り狂い飛び付こうとしているロッソと、それを必死で抑えているビアンカのやりとりを半ば飽きながら見つめていると、ふと周りの景色が止まった様に見えている事に気づく。


風景はそのままなのに音もなく風もなく、まるで時間もない色褪せた世界に迷い込んでしまった……そんな感覚に陥り、少し不安を抱いた私は身体を縮こませる。


その様子に気づいたロッソは落ち着いてこちらを覗き込む。


「気づいたかにゃ?」


「何……?ここ……。」

戸惑いを隠せない私を見てため息をつきながらロッソは近づいてくる。


「ここは神が作った時の牢獄……。罪を犯した者を閉じ込めるためだけに作られた世界。」

先ほどまでとは全く違う声色のロッソに背筋が凍る。


私の目にはロッソが何が罪を犯した様には見えない。だがロッソの瞳はどこか物悲しげな色を写していた。


「あなた、一体何をしたの?」

私は恐る恐るロッソの犯した罪を問う。


「もう忘れちゃったにゃ。覚えているのはただここに長い間いる事と、ビアンカがここに迷い込んだ事だけにゃ……。」

そう話すロッソの声に感情はない。


明るく振る舞おうとしてるわけでも、同情を引こうとしているわけでもない。ただただ、淡々に自分の身に起きた事を話しているだけだった。


「だからロッソは自分がにゃんでここにいるのかを知りたいのにゃ。止まった時間が動いて欲しいから……。」


「ロッソ様……。」

その言葉にビアンカもどこか悲しげにロッソの名を口にする。


「だからお前もロッソに協力するにゃ!!じゃないと今すぐ食べちゃうにゃ!!」

先ほどまでの感情のない言葉から一転し、ロッソは牙を剥き出しにしてこちらを睨む。


「協力って言ったって……あなたがわからないのに、私が分かるわけないじゃない。私だってなんでここに来たのか分からないし……。」

牙を剥き出しにした所で身なりがメイド服を着た猫なので、不思議と恐怖は感じない。


だが、相手は化け猫……食べられてしまうのも嫌だし、こんな世界にいつまでもいたくはないというのが本音だ。ならばどうすれば……。


「それは大丈夫です……。」

私とロッソがくびをひねっていると、ロッソの横からビアンカが小さな声で呟く。



「ん?ビアンカ、にゃんで大丈夫にゃんだ?」


「ロッソ様、ここには人間は易々と入って来れません。きっと以前ここに来られた方は何か鍵を持っておられたのだと思います。」


「鍵……?」

ロッソはビアンカのヒントを聞いて私を見る。


鍵と言われても、私がそんな鍵を持っているわけではない。今持っているものというと、ケータイとハンカチ、財布に……図書館で借りた本だけだった。


ロッソの前で所持品を広げてみたが、やはり鍵らしき物は見つからず、私とロッソはため息をつく。

だが、ビアンカは至って冷静に私達の様子を見ていた。


「なので鍵はこの人間が持っていると思います。私が来た時は何故入って来れたのかはわかりませんでしたが……」


「そんにゃ昔のことは忘れたにゃ〜。」

ビアンカの説明に呑気な声でボケ老人の様な事を言うロッソに少し腹を立てながらも、私は以前という言葉に焦点を当てる。


以前と言う事は現代ではなく近代……。ビアンカの言葉を借りるとおよそ100年前という事になる。


ボケ猫とビアンカの時間感覚が私と一緒ならばその時代にケータイはないはずだ。だったら答えは一つしかない。


……図書館で借りた本だ。


私はその本を手に取り書いてあることを一読する。

差し障りのない文章だけが文字列として並んでいて特にこれと言った物は見つからない。


だが、その本の終わり側に一つの話が載っていた。


……神楽樹の詩。

私が目にしたその話は女神と一人の男の悲恋の物語だった。確かこの本は神名木市に伝わる物語を書いた物だったはずだ。


創作品ばかりの物だと思って途中で眠くなり、そのままこの世界に来たのに、まさかこんな所にヒントが隠されているわけがない。


「……それに、神楽樹なんて聞いた事ないしね」

私が一人で納得して本をしまいかけた瞬間、ロッソの髭がピンと反応する。


「いま、にゃんて言ったのにゃ?」

ロッソは顔を上げて私に鼻を近づけてくる。


「え、神楽樹なんて木は聞いたことないって……。」

ロッソの迫力に少し戸惑いながら自分の言った事を復唱すると、ロッソは目を大きく見開く。


「それにゃー!!」

顔の前で声を張り上げたロッソの声にびっくりして私は耳を塞ぐ。


「な、何、急に!!驚くじゃない!!」


「神楽にゃ、神楽!!」

何かを思い出して何故か小躍りを始めるロッソの奇行に目が点になる。


「だから、何がよ?」


「この木の名前にゃ!!神楽樹だにゃ!!神楽はロッソの名前にゃ!!」

ロッソの言葉にますます訳がわからなくなる。


「あなたはロッソでしょ?何を言ってるの?」

私がロッソの名前を確認すると、ロッソは小躍りをやめる。そして、真剣な目でこちらを見てくる。


「違うにゃ。ロッソは昔神楽と呼ばれていたにゃ。だけど、みんなが私の名前を忘れちゃったのにゃ。だからロッソも自分の名前を忘れちゃったにゃ」


少し寂しそうな表情を浮かべながら、名前の事を口にするロッソに少し同情してしまう。だが……。


「なんでロッソなのよ?前は日本名だったのに。」


「私と一緒に来た人間が名前をなくしたロッソ様にロッソって名前をつけたのです」


「ただ外国語がかっこよかっただけにゃ!!このメイド服みたいに情熱的にゃ赤が好きにゃ!!」

ビアンカの説明に呼応し、ロッソはチリンと鈴のついたメイド服を揺らして自分の名前の由来を得意げに話す。


そんな相手に同情した私が愚かだった。

目の前にいる相手はただのミーハーなだけだった。


「はぁ……、なんか急にバカらしくなってきたわ」


「にゃにおー?」

頭を抱えて呆れ果てる私の言葉に怒り心頭のロッソではあったが、ビアンカに肩を叩かれて冷静になる。


「ロッソ様、鍵が見つかったのですから目的を果たしてあげにゃいと、この人間が可哀想ですよ……」


「そ、そうだにゃ……」

と言って、ロッソは地面に置いてあった本をうつ伏せになり、慣れない手つきで読み始める。


「あ、ちょっと、図書館の本なんだから爪で傷つけないでよ!!」

私は借りた本が傷つかないか心配になり、ロッソに注意を促す。


「わかってるにゃー。この爪は人の血に飢えてるだけで、他のものは傷つけにゃいにゃ!!」

と言いながら尻尾をゆっくりと揺らしながら本を読み続ける。


その様子を見て心を撫で下ろしながら、私とビアンカはロッソが本を読み終わるのをただ待った。

猫が本を読めるのか疑問には思ったが、そんなのは目の前にしゃべる猫がいるんだ、気にしても仕方がない。


そんな事を考えていると、ふとビアンカが目についた。


「……ビアンカ、ずっと助けてくれてありがとね」

ここに来てビアンカはなんだかんだで私をロッソの魔の手?猫の手から守ってくれてくれいるのだ。


「いえ、礼には及びません。私はあなたに早く帰っていただきたいだけですから」

小さな声で淡々と本音を口にするビアンカだったが、尻尾を見るとピンとまっすぐ立っていた。


……わかりやすい。


ビアンカの口とは裏腹な感情表現にほっとする。

だけど、ビアンカが小声で話した、「あなたはあの方と同じ匂いがする」という言葉に私は気づかなかった。


ロッソが本を読み終わるのを待つ。


「にゃー!!!」

うたた寝しそうになりながらしばらく待っていると突然ロッソが声を上げる。


「ど、どうしたの?」

ロッソの声に驚いた私は飛び起きて声の方を見る。


するとロッソは何故か泣いていて、「思い出した……」と、ぽそりとつぶやく。


「何を思い出したの?ねぇ?」

私が戸惑っているのもお構いなしに、ロッソはビアンカに「例のものを!!」と呟く。


すると、待っていましたと言わんばかりにビアンカは「はい」と言って何かを持って立っていた。


「何、それ?」

ビアンカが持つそれを見ると、どうやらシルバートレイにワインとワイングラスが載っていた。


それをビアンカに渡されるがまま受け取り、そのグラスに並々と赤い液体が注がれる。


「ねぇ、何これ?ねえってば!!」


「早く飲むにゃ!!」

注ぎ込まれた液体を見て戸惑う私を無視するかの様に飲む様に促されるロッソに不安は増大する。


さっきまで人の血に飢えているとか、人を食うとか不穏な事を言う化け猫だ。心を許しては命取りだ。


だが顔を寄せてくるロッソの迫力に負けて、私はままよ!!と思いつつもその液体を口にする。


その液体やどこで手に入れたか、ただの赤ワインだった。だが、アルコールを一気に口にしたせいで私は急に酔いが回り始める。


……あの洋風かぶれのミーハー化け猫!!

私は怒りを覚えながらも揺れる意識の中で眠ってしまった。

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