星座と神話

杜松の実

カストルとポルックス

 全知全能の神・大神ゼウスと人間の間に双子の兄弟が生まれた。兄の名をカストル、弟の名をポルックスと名付けた。二人は人間の戦士として戦い、末には英雄と称されるほどの武勇を手にした。しかし、ある戦場で二人は窮地に陥り、兄カストルは討たれる。弟のポルックスもまたひどく傷ついたが、死には至らなかった。それもその筈である。ポルックスはゼウスの血を濃く引き、神の子の力を宿していたため不死身であったのだ。カストルはそうではなかった。カストルはただの人の子であり、武勇を持ち得ていても、不死身ではなかったのだ。ポルックスは自分だけが死なない事実に、初めて己が神の子であることを悟った。

 兄を追って死ぬこともできないポルックスは悲しみ、己の命と交換に兄を蘇らしてくれ、と望むようになった。ゼウスはそんなポルックスの優しさと悲しみに心を打たれ、兄弟を共に天へと上げた。

 それが、今真上に掛かっている「ふたご座」である。

 ポルックスは金色に輝く一等星、カストルはその隣に並ぶ二等星の白い粒だ。


 この神話を初めて部活の先輩から聞かされた時は、何も考えず納得していたが(何も考えていないため何に納得したかも定かでない)、いざ自分のプラネタリウム解説の原稿に盛り込んだ時、違和を感じた。

 神の子が明るく一等星、人の子は暗く二等星なのは良い。当時のギリシャ人の観念に従えば、神は上等で、また荘厳に金に輝く様は神の子ポルックスに相応ふさわしい、とは納得できる。

 また、ゼウスが天界に二人を上げる所も、いやポルックスの願いはカストルを生き返らせることだろ、とツッコミたくもなったが、よく考えれば、天界に上がるということはおそらく至上の栄誉であるから、まあ納得できる。確かにそれならただ生き返らして二人で暮らすより、永遠に離れることのない天の方が良い。

 違和感は、ゼウスが二人を天に上げた理由だ。ポルックスの優しさ?これ優しさか?確かに兄弟の死は、想像はできないが胸が張り裂けるような痛みを覚えるものなのだろう。一時的には、自分より兄を助けてくれろ、と願う気持ちもあり得るのかも知れない。でもそれって、優しさからじゃなくて自分の悲しみからの逃避行ではないのか。命を投げ打って救われた兄の身になればたまったものでもないだろう。

 弟に死なれて救われるだけでも重いのに、それもただの命ではない。神の子の命だ。人間の子が背負うにはあまりに荷が重くはないか。

 凡百の人の子である私から云わせれば、神の子として生まれた以上、何かしらの天命を背負っているわけで、それを達成せずに人の子を生かそうと死なれては困る。世界を救ってからにして欲しい(ポルックスの天命が世界を救うことだったかは知らないが、神の子であるならきっとその筈だ)。


 そんな事を考えて先輩に聞かせると、先輩は始終ニヤつきながら、時々声さえ上げて笑って頷いていた。

「お前も変なこと考えるなあ。こんなんただの神話だろ?」

 先輩は、先輩の先輩がプラネタリウム解説で語っていた話を聞かせてくれた。観客はこの話を聞いて静まり返っていたらしい。無論プラネタリウムの鑑賞時には静かであるのは当たり前であるが、ここで静まったのは音ではなく心だったと言う。客の心が冷めて行くのが、補助としてドームに入っていた先輩には分かった。書いてもらったアンケートの中には、「途中で付いていけなくなった。」と書かれていた。


 星の輝く色と、その星の燃える温度にはある関係がある。赤や黄色に見えるものは温度が低く、反対に白や青白く輝くものは熱い。そして熱ければ熱い程、その星の実際の明るさは、明るいのだという。実際の明るさとは、説明しにくいが見かけの明るさではないということだ。

 例えば、目の前にある豆電球と遠くはなれたLED、この時あなたから見て眩しいと感じるのは、豆電球だ。これが見かけの明るさ。見かけの明るさでは豆電球の方が、LEDよりも明るいが、皆さんご存じの通りLEDは豆電球なんかよりもずっと明るい。これが実際の明るさ。わかって頂けただろうか。

 より抽象的に云えば、光源の持つ明るさとその光源と観測者の距離に依存するのが、「見かけの明るさ」。距離に関係なく、つまり同じ距離から見ての明るさが、「実際の明るさ」と考えて貰えば良い。

 一等星、二等星、という等級は星の明るさを意味しており、数が若い程明るい。これは地球とその星の距離が関係してくる「見かけの明るさ」だ。

 そして先ほど説明した、星の色による明るさの判定は、距離に関係しない「実際の明るさ」だった。

 さて、ここからようやくカストルとポルックスの話に戻る。カストルは白い二等星、ポルックスは金に輝く一等星。より強く輝くから、ポルックスは神の子で、カストルは人の子、という明確な差があった。たが、「実際の明るさ」は色から見るに、カストルの方が上である。カストルの方がより熱く、より明るく燃えている星なのだ。そして、我々地球から観測すれば、ポルックスよりも遠くに在る。


 お分かり頂けたであろう。これをプラネの解説で披露したのだ。それも相手は小学生。多少なりとも天文に興味のある児童たちではあったが、これには閉口しても何も不思議でない。文字にしてこうして読めば、まだ理解して頂けたと思っているが、これを滔々とうとうと語られては、音は正に右から左といった様子で、皆の心が静まったのだ。

 しかし、私にとっては大変面白い話であった。そしてこの最新の科学(色から温度や明るさの考察は、もはや最新とは呼べないが)を盛り込んだ新たな神話を作ってみた。

 ぜひ聴いて行って欲しい。基本的には元の神話に寄り添って作ってある。


 全知全能の神・大神ゼウスと人間の元に、双子の兄弟、兄・カストル、弟・ポルックスは生を受けた。ポルックスは生まれながらに神の子であり、それを周りの者たちも認知していた。人々はポルックスを神として崇め、また人として親しみを持っていた。ポルックスもまたそれらの期待を胸に抱き、神の子として先導に立って動いた。それが自身の天命だと受け入れていたのだ。

 兄のカストルは神の血を引いていなかった。何をしても人並であり、そしてまた人より劣っていることも無かった。しかし、弟と比べると、仕方ないとは言え見劣りしてしまう。

 双子の兄弟は戦士として国のために戦った。ポルックスは世間の前では神の子として、決して狼狽えることも、負けることも許されていなかった。常に堂々としていなければならない重圧に、時折兄の前でだけは弱味を見せた。兄もまた、境遇を憂うことなく、弟を妬むこともなく、陰ながら支え続けた。最前線に立つポルックスの恐怖を、隣に並んで共に戦うことで、受け止め続けた。ポルックスと異なり不死でないカストルの恐怖はポルックス以上であったことだろう。

 そうして不死のポルックスと並び立って前線で戦う内、カストルの剣の腕前は天下一となった。しかし、世間の者は誰一人としてそのことを知る者はいない。戦果は全て神の子・ポルックスがもたらしてくれた、と考えていたのだ。

 ポルックスにとって、カストルこそが、自分の何歩も前を行く、真のヒーローであった。

 そんな折、周りを取り囲む各国が、互いに期を合わせて攻め込んできた。二人は、特に戦場の大きい東西へと別れて戦った。別れて戦うのは、それが初めてのことであった。

 ポルックスは兄と離れて戦うことに不安を感じ、二人だけの夜、涙を流した。カストルはより激しい戦場である東へ行くことを告げ、ポルックスに西で戦うようにと促した。

 ポルックスの元へ兄の討ち死にが知らされたのは、劣勢で押し込まれている時であった。カストルは戦には勝ったものの、矢傷から毒が回り死んだと言う。

 ポルックスは悲しみのあまり、己の体を犠牲に、切り付けられ血が流れることもためらわず敵の軍へと突っ込んでいった。泣きながら振るう剣に、敵は次々倒れて行く。戦場には傷だらけとなり、枯れ果てた赤い目をしたポルックスだけが残った。ポルックスはどれほど傷ついても決して死ぬことは無かった。

 それは肉体としての不死であった。心は人の子であり、カストルの弟であった。そしてその心は、ここで死んだのだ。

 ポルックスは死骸となった心で父に願う。兄を蘇らせて欲しい、ではない。兄が蘇った所でいつかはまた、同じ様に兄だけが先に逝くことは、自分が神の子である限り、変わらぬ事実であったからだ。ポルックスが願ったのは、自身も人として死にたい、であった。

 そんな運命を創ったゼウスもまた、息子の悲劇に悲しんだ。そして申し訳ないと思った。今度こそ二人が永遠に袂を分かつことがないようにと、星座として双子を天界へと上げた。

 それが今輝いて見える「ふたご座」です。


 どうでしょうか。神の子としてフューチャーされて見かけ上明るく振る舞うポルックスと、その陰で、実はその先を行く、つまりより遠くに存在するカストル。上手く表現できていると思いませんか。

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