第43話 それぞれの夜。

「ただいまー、ミリィー」


「ミリィちゃんただいまあ」


「マイカ様、アカリ様、おかえりなさいませなのです!」



 一日の仕事を終えてうちに居候しているアカリと共に帰宅すると、ミリィが元気よく出迎えてくれる。


 まずマイカに抱きついてくるミリィを抱き留めてその頭をうりうりと撫で、子どもっぽく「えへへへ」と笑う彼女に笑顔を返した。



「ミリィちゃん、私もお」


「はーい、アカリ様ー!」



 ミリィは今度は手を広げてそう言うアカリに飛びつく。アカリがマイカたちの家で暮らすようになってからの、いつもの帰宅時の平和な光景だ。



「ご飯もできてるのです! 今日はデビルヴァイパーの肉とクレーベルで採れた野菜でシチューを作ったのです!」



 自慢げなミリィに手を引かれて家に入り、防寒具を脱ぐ。



 冬の間は魔物狩りはほぼ完全に休みなので、リオは毎日ゴーレムを使って森を切り開き、アカリも自身のゴーレム「ゴーちゃん」でそれを補助しながらゴーレムの扱いを学んでいる。


 マイカはリオの従士たちと共にそれに付いていき、森から魔物が接近していないか「探知」で探るだけ。とはいえ今ではクレーベル付近まで魔物が来ることなんて滅多になく、ほとんどただ2人を眺めているだけの仕事ともいえない仕事をこなしていた。



「お2人とも、今日はお仕事はどうでしたか?」


「いつもと同じよ。リオとアカリが頑張って、私は周りを『探知』で見張ってただけ」



 食卓を囲みながら聞いてくるミリィに、マイカは苦笑しながらそう答えてシチューを口に運ぶ。



 開拓初期に初めてデビルヴァイパーの肉を口にしたときは「ヘビ肉を食べてしまった」と衝撃を受けたが、今ではそのクセのない味わいにハマっている。ホーンドボアやグレートボア、オークの肉よりも淡泊な感じが好きだった。



「リオくんってすごいねえ。私のゴーちゃんとリオくんのゴーレムたちじゃ動き方の効率が全然違ったもん。ゴーレム操作のコツも教え方が上手だよねえ」



 ゴーレムに意識下で指示を出すにもちょっとしたコツがあるそうで、リオのゴーレムはアカリのものよりも明らかに機敏に動き、木の伐採にも手馴れた様子を見せていた。1年半の経験の差は大きいらしい。


 また、その具体的なコツについて、惜しみなくアカリにも知識を伝授している。



「リオは頭もいいし努力家だからね。これまでもちょっとした気づきを試したりして少しずつ習熟してたから」


「そっかあ。すごいねえ」


「あれだけのゴーレムを最大限に活かせるのも本人の努力があってこそよね。あたしに同じギフトがあってもあそこまで上手くは使いこなせなかったと思うわ」


「……マイカ様は今日もリオ様のお話をいっぱいしてるですねえ」


「やっぱり好きな男の子のことはたくさん話したくなっちゃうよねえ」



 まるで自分のことのようにリオを自慢するマイカに、ミリィとアカリが生暖かい微笑みを向けた。



「なっ、わ、悪かったわね……」



 照れて不貞腐れたように目を逸らすマイカに、「構わないのですよお」「私たちでよければ聞くよお?」と2人が追い打ちをかける。



 そう、マイカはリオが好きだ。


 いつ頃からはっきり意識したかは覚えていない。


 この世界に来た当初から同僚として長く接し、仕事では毎日顔を合わせ、ときには魔物から守ってもらい。


 そんな日々を重ねているうちに、気づけば彼のことを好きだと思うようになっていた。



 だけど本人には言えない。彼とカノンの仲睦まじさを思うと、自分が出る幕なんてないから。



 だから、本人には絶対に気づかれないように、一緒にいるときも一瞬の隙も見せないようにしていた。ミリィには話していたし、アカリには何故か早々に気づかれてしまったが。



 職場恋愛に失敗して死にたがっていた頃と変わらないな、と地球にいた頃のことをふり返りながら思う。



「この世界は一夫多妻も一妻多夫も自由なのです。リオ様はお金持ちで貴族なんだから、マイカ様が第二夫人になることも簡単にできるのです」



 パンを頬張りながらミリィが当たり前のように言う。



「そうだけど……そうだけどお。あたしじゃカノンには敵わないわよ」



 自分はリオが好きだが、カノンみたいに人生の全てを捧げたいと言い切れるかは分からない。彼女と比べたら、自分の感情はまだ「淡い好意」の範疇だろう。


 そんな半端な状態で好きだなどと口にできるわけがない。



「そこに関してはむしろカノンちゃんが珍しいのです。普通はあんなに覚悟を決められないのです。お金と多少の好意が揃えば結婚の材料としてはそれで十分なのです」



 モゴモゴとパンを口に詰め込んで器用に喋りながら、男女の結婚の真理を突くミリィ。一体どこでそんな難しい言い回しを覚えてきたのか。



「結婚……結婚かあ」



 第二夫人としてリオを支える自分、第一夫人のカノンと協力してリオに尽くす自分を想像してみる。



「ああ~、マイカちゃん顔赤いよお? どんな妄想してたのお?」


「えっ! なっ! べ、別に何も妄想なんてっ」



 指摘されて気づくが、確かに言い逃れできないほど顔が赤いのが分かる。熱い。



「……リオとカノンの仲の良さを考えたら、好きなんて言えないわよ。少なくとも今は」


「じゃあ、いつかは伝えたいってことだよねえ?」


「その日に向けて今から少しずつ距離を縮めた方がいいのです。作戦を練るのです」



 女子3人暮らしの夜はこうして更けていく。


――――――――――――――――――――


「……ふう」



 夕食も済ませ、後は寝るだけとなった夜。フィリップ・ルフェーブルは温かいお茶を口にして息をついた。



 最近の彼は忙しい。



 以前は領の困窮を止めてただ現状維持をするために奔走していたので、その頃と比べれば、右肩上がりで発展していく領のために忙しく立ち回るのは幸せなことだと思う。


 それでも、忙しいものは忙しいし、何より疲れる。肉体的にも精神的にも疲労は溜まる。自分は年を取ったというほどではないが、まだ若々しいと言えるほどでもないのだから。



 フィリップが生まれる遥か前、もう70年も昔、ルフェーブル子爵領は亜竜という災厄に見舞われて大きな被害を被った。


 経済的なダメージも含めれば領が取り潰されてもおかしくないほどの損害だったが、自分が生まれる前に死んでしまった祖父、そして今は隠居の身である父セドリックの尽力によってそれは防がれた。



 そして自分の代になり、来訪者の召喚があったことでルフェーブル領は変わった。


 日に日に人口は増え、開墾も進み、治安も経済も大きな改善を見せている。来訪者のおかげで大きな成功を遂げている代表的な領のひとつとして、王国内でも名前が知られているという。


 自身も「ルフェーブル領中興の祖」などと呼ばれ始めているらしいが、そのほとんどはこの領に迎えた2人の来訪者と、北西部へ開拓に入った勇気ある者たちの力だろう。


 自分が無能であるつもりはないが、領主貴族として特別優れているとは思えない。自分にできるのは、この領で新たに生まれた利益を守り、活用し、北西部で走り回ってくれる部下や民たちのためにも領の経済的地盤を固めていくことだけだ。



 そう考えているからこそフィリップ・ルフェーブルは日々奔走している。



 おまけに娘のアリソンは間もなく10歳を迎えようとしており、継嗣である息子パトリックも冬が明けたら留学を終えて王都から帰ってくる。


 子どもたちの貴族としての将来のためにも色々と動かなければならない。春からはますます忙しくなるだろう。



 そんな立場にいる彼にとって、祖父の代から受け継がれてきた趣味である物語本を読み耽り、お茶を片手に静かな時間を過ごす夜は貴重な息抜きのひと時だった。



 気がつけばうつらうつらと頭を揺らし始める。


 と、その肩にそっと手が置かれてフィリップは目を覚ました。



「あなた、そろそろお休みになられたら?」


「……ああ、そうだな。すまないモニカ」



 本を棚に戻し、灯りの魔法具を消すと、フィリップは妻と寝室に移った。


――――――――――――――――――――


「ほら、また俺の勝ちだ」


「あーっ! ひでえッスよエッカートさん!」


「ばあか、賭けにひでえもクソもあるかよ!」



 夜のクレーベルにはまだ遊べる場所が少ない。酒場も毎日通うような場所ではないし、残念ながら娼館はまだクレーベルにはない。


 なので、エッカートとヴィクトルとイヴァンは暇をつぶすために、自分たちの宿舎――実質はただの一軒家だが――でよくカードを使った賭けに興じる。


 リオ・アサカ名誉士爵の従士となった今では金には困っていないし、賭けるのは酒や煙草などのただの嗜好品。どれも大したものではない。それなのに、一番若いイヴァンは勝負のたびにやたらと大げさに一喜一憂する。



「にしてもよお、去年にも増してこの冬は暇だなあ。なまじ従士になって金が余るようになったから余計にクレーベルが退屈に感じるぜ」


「ここも早くシエールくらい遊べる場所が増えてほしいッスよねえ」



 自分たちの仕えるアサカ閣下は定期的に連休をくれるし、今ではクレーベルとシエール間を乗合馬車の定期便が走っているので、休みの日には娯楽を求めてシエールまで足を運んでいる。


 とはいえ、それも月に1、2回程度の話。普段のクレーベルでの日常は、ここの領都ケレンや東隣の領都ヴェルヒハイムをも知る彼らにとっては刺激が足りない。



「まずは娼館、あと賭博場、それから娼館、芝居小屋なんかもあればなあ……あと娼館」


「お前は娼館ばっかりじゃねえか」


「俺は若い男ですよ? 金もあるんだから、女遊びしたいに決まってるじゃないですか!」


「そうかよお……俺は嫁が欲しいな」


「ああ……」


「なんで憐れんだ目で見やがる!」



 あくまで遊びの話をしていたところで、いい年の独身上司から「嫁が欲しい」という生々しい悩みを聞かされて同情を向けるイヴァン。



「お前は若えからいいがよ。俺たちにとってはけっこう切実なことなんだよ。なあヴィクトル?」


「……悪いがエッカートさん、俺はまだあんたほどは悩んでねえ」


「んなっ!?」



 まだ20代後半のヴィクトルからすれば、30代も半ばに差しかかっているエッカートと同じ枠に入れられるのはさすがに納得がいかない。



「ちぇっ……はあ、俺は結婚できるんかなあ」


「俺たち、出会いがないッスもんね」


「おまけに定住してる身でもねえからなあ。こんな俺に付いて来てくれる女なんて……」


「クレーベルの酒場で働いてるアマンダちゃんはどうなんスか? エッカートさんのお気に入りの」


「ばあか、ただの客の俺を本気で相手してくれるわけねえだろ」


「でもエッカートさんは従士ッスよ? あっちからしたら玉の輿じゃないッスか」


「……まあ、確かにそうだけどよお」



 イヴァンの「玉の輿」というのはやや言い過ぎだが、従士の家に嫁げるのは普通の平民としては成功の部類に入る。



「ちっと本気で口説いてみるか」


「エッカートさんの背中を押してあげたんスから、賭けで負けたのは免除ってことで……」


「ばあか、それとこれとは別だよ」



 男同士だからこその明け透けな会話を(主にエッカートとイヴァンを中心に)交わしながら、独身従士たちの夜は過ぎていく。


――――――――――――――――――――


「ご主人様、お茶をどうぞ」


「ああ、ありがとうカノン」



 夕食も入浴も済ませた後、自宅のソファで読書に耽っていたリオの前のテーブルにお茶を置いたカノンは、自身もカップを持って彼の隣に座る。


 カノンと並んで静かな時間を過ごす。リオにとって楽しみのひとつだ。



(……今年もあと1週間か。早かったなあ)



 手探りの開拓をくり広げ、キュクロプスとの死闘という緊迫の出来事もあった去年と比べると、リオの来訪者としての2年目は平和だった。


 自身の叙爵式、カノンとの結婚式、さらに新たな来訪者との出会いという大きなイベントはあったが、命の危機を感じたりする場面はなかった。


 クレーベルも順調に発展し、日に日に活気づいて住みやすくなっていく。



 全てが順調だと思う。



「……ご主人様」



 読書もそこそこに感慨に浸っていると、カノンが肩に頭を乗せてきた。


 そこに自分も頭を重ねる。しばらくそうして過ごす。



 幸せだ、とリオは思う。



 自分はもとの世界では弱かった、その結果、自分から不遇な人生に陥った。


 この世界に来た初日、もとの世界の家族に胸を張れるような人生を送ろうと誓った。


 今の自分は、その誓いをしっかり果たせていると思う。来訪者としても、貴族としても、一個人としても。



「……好きだよ、カノン」



 何となくそう伝えたくなって、リオは呟いた。

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魔力があるならゴーレムに注げばいいじゃないか。 エノキスルメ @urotanshi

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