終章 これからの未来


 あの後、僕はぶっ倒れたらしかった。



 とんとんとん、と。

 部屋の扉が叩かれる音に、起き掛けに寝台に腰掛けていた僕は硬直した。


「ケイー? 起きてますかー?」


 扉が少し開いて、銀髪の少女が小さく顔を覗かせた。

 僕はほっとして溜息をつく。


「ああ、なんだ。シーズニアか……」

「どうしたのですか?」


 入室したシーズニアが不思議そうに訊ねる。


「いや、フィゼルかと思って……なんかあいつ、やたらと僕に会いに来るから」




 倒れたあとの、最初の目覚めは最悪だった。

 あのときは珍しく、IMを確認するよりも先に瞼が開いた。

 寝ぼけ眼が、窓際に立つ細身の人影をぼんやり捉える。差し込む日差しが、色素の薄い髪に反射していた。僕はだんだんと先の出来事を思い出し、さらには前にもこんな場面があったようなと思い出して既視感を覚える。


 シーズニア?


 予感を確かめるべく僕は目をこする。すると僕の身じろぎに気づいたのか、人影が振り返り、そして輝くような笑みを見せた。


『目覚めたか。我が友よ』


 少年の声と顔と金髪をそこで初めて認識し、僕はなにも見なかった聞かなかったことにしてもう一度寝た。二時間後に起きたらフィゼルはまだそこに居た。僕はさすがに諦めて現実を受け入れた。


 それから、フィゼルは毎日のように僕の部屋にやってきた。大して用があるわけでもなくどうでもいい話をしては帰って行くのだが、それだけにやや鬱陶しい。


 聞くところによると、どうやら僕とタイミングを同じくしてフィゼルもぶっ倒れ、二人してハスビヤの魔法でクルーストまで運ばれたのだという。しかし僕は丸三日眠ってさらに五日経ってもまだ本調子じゃないのに、ナノマシンすらないはずのフィゼルがピンピンしているのはなんだか納得がいかなかった。

 まあそれについては、今はいい。




「シーズニア。僕は君に訊きたいことがあったんだ」


 僕は厳かに、銀髪の少女へと語りかける。


「君はあのとき……フィゼルになにを耳打ちしたんだ?」

「そっ……」


 シーズニアがあからさまに動揺する。


「それは……ケイにとって、重要なことなのですか……?」

「なぜだろう、シーズニア。僕はこれをどうしても訊いておかなければいけない気がするんだ」


 曖昧な笑みを浮かべたまましばし固まっていたシーズニアだったが、やがて観念したように口を開く。


「その、私の仲間になれば……友達ができる、と言いました」

「友達ってだれ」

「……ケイです」

「なんでだよ!」


 どおりでおかしいと思った。毎度開口一番に我が友、が来るし。

 シーズニアが取り繕うように言う。


「ほ、ほら。戦いの末に互いを認め合えば、すなわち友と言っても過言ではないでしょう……? ないですよね?」

「恐る恐る聞くなよ。というかそれフィゼルにも同じこと言われたよ。そうかシーズニアの入れ知恵だったんだな」


 初めはてっきり再戦でもしたいのかと思ってそう訊いたところ、虚無的に笑われた後に長々と熱く語られた。


『友よ、残念だがもはや貴様と真の決着をつけることは叶わん。全力の闘争を経てなお、ぼくらは生き残った。必然、互いを知りすぎてしまった。手の内や、その心の内を。おそらくぼくらの中には、多かれ少なかれ理解の感情が芽生えてしまったことだろう。悪く言えば馴れ合いだ。こうなるともう、命を賭けた真剣勝負などできようもない。そういうものなのだ……。だがとある地位の高い人物の言うところに拠ると、この関係は友と呼んでいいものらしい。今はぼくらの間に生まれた友情を喜ぼうではないか!』


 まあ最後の二行以外は自分の本音なんだろうけど。

 シーズニアは少ししょんぼりしたように言う。


「『勇者』を最低一人仲間に引き入れるというのはクルーストでの目標の一つだったので、つい……迷惑、でしたか?」

「ん……まあ、迷惑ってほどではないけど」


 僕も友達がいなかったタイプの人間なので、実際のところそんなに悪い気分でもない。

 と、僕が話したところ。


「ええ……ほんとですか」


 シーズニアは信じられません、みたいな顔で言った。


「自分で訊いといてなんだよその反応は……」

「だってあいつ、うざくないですか? あんまり人の話聞きませんし」

「そんな奴の友達に僕をあてがったのかよ」

「まあうざいですが……悪い人間ではありませんので」


 シーズニアが一応フォローするように言う。


「とりあえず、フィゼルには男の友情はあんまりベタベタするものではないと言っておきましょう。こと友人の話題に関しては、フィゼルは私の言うことを素直に聞くんですよ。私には友人がたくさんいるからでしょうね」


 シーズニアがちょっと自慢げにそう言った。

 僕は、前々から気になっていたことを訊ねる。


「結局、シーズニアとフィゼルってどういう関係なんだ?」

「単なる幼なじみですよ。ギムル王国に身を寄せていた頃、親友だったフィラリスの婚約相手がフィゼルでした。よく侍女たちや他の名家の娘も交えて遊んだものです。フィゼルは当時から動物や女の子には好かれるものの、やっぱり男の友達はいませんでしたから。ただ、私とはまったく性格が合いませんでしたけど」


 いやなエピソードでも思い出したのか、シーズニアが不機嫌そうに言う。


「どうも無根拠に偉そうで腹が立つんですよね。たぶん向こうも向こうで、私のことは女のくせに変に賢しげで生意気な奴だとか思っていたのでしょうが。今だとたぶん、妻の面倒な友人って立ち位置ですね」

「今スッと想像できたよ」

「一応あんなでもフィーが恋い慕っていた人ですから、本当に悪い人間ではないのです。フィゼルにしても、彼女のことは大事に思っているみたいでしたし。今回のことももしかしたら、本当に私を助けるためという理由もあったのかもしれません……それにしても腹は立ちますけど」


 そういうわけで、とシーズニアが付け加える。


「フィゼルを引き入れたのには、親友の夫で一応旧知の仲でもある人を失いたくなかったのもありました。戦ってくれたケイには、納得がいかないところもあるかもしれませんが……」

「そんなことないよ」


 僕は首を振る。


「誰も死ななくて済むなら、その方がいいに決まってる」


 聞いたシーズニアは安心したように笑うと、僕に歩み寄って寝台の隣に腰掛ける。


「体の具合はどうですか?」

「まだ全快とはいかないけど、普通に生活する分にはもう全然平気だよ」

「そうですか、よかった……」

「そろそろ、帰還を求める知らせでも届いた?」

「あ、いえ。そういうわけではないのですが」


 シーズニアが首を振り、自嘲げに言う。


「もうしばらくは、ゆっくりできると思います。この様子だと、どうせ講和の調印にも呼ばれないのでしょうから」


 戦争が終わってから今日で十日目となるが、未だ王都から追加の知らせは来ていないようだった。


 しかし人々の噂から、情報は少しずつ伝わってはいた。

 魔王国が人間帝国に突きつけた要求は、多額の賠償金に現皇帝の永久追放、軍備の縮小などだったが、大方の予想通り自治は認められるらしく、割と穏やかな終戦となったようだった。次代の皇帝にも人間(もちろん魔王国の意に沿う)が就くそうで、政体も基本的にはそのまま維持されるようだ。大量の奴隷が市場に流れたという噂もない。街の様子にも、さほど変わりはなかった。


 ただ、いつまでもこのままではないだろう。シーズニアがずっと放置されるわけがない。状況は、これから変わっていく。

 そのとき、シーズニアが躊躇いがちに口を開いた。


「プットキャラが……あの未来の知性が言っていたこと、ケイはどう思いますか?」

「……シーズニアが、旧世界を滅ぼす、ってことか?」


 シーズニアは真剣な表情で頷く。

 僕は少し考えてから口を開く。


「あんな状況だったから、でまかせってことも考えられるけど……」

「私は、そうではない気がします。たぶんいくつもの違う世界で、私は本当に、今の文明を滅ぼしたのでしょう。硝子碑の知識で、変革を起こす過程に。それがどのような方法かは、今は見当すらつきませんが」


 僕は、返す言葉に窮する。

 大絶滅カタストロフの原因が何であったかは、未だ解明されていない。

 巨大隕石や火山の大規模な噴火が有力な仮説だが、どちらも決定的とは言いがたい。プットキャラの言を信じるならば、それは人為的に起こされることになる。だが、そんなこと可能なのか?


 否定しきることはできなかった。魔王の硝子碑を知ってしまった後では。

 沈黙していると、シーズニアが続けて僕に訊ねる。


「ケイが使う魔法には、危険な攻撃が事前にわかるものがありましたね」

「ああ、うん。確実ではないけど」

「それは未来を予測しているのですか?」

「まあそんな感じ。僕が大怪我したり、死ぬ未来だけだけどね」

「でも、ケイは生きています。幾度も死の未来を予測したにも関わらず。これはどういうことですか?」

「ええとそれは……時間を逆行する量子を観測すると、本来起こり得ないはずの波動関数の収束が起こって……要するに、未来を知ると未来が変えられるんだよ」

「やっぱり、そうだったのですね。安心しました」


 シーズニアが笑う。

 僕は彼女が言わんとしていることに気づく。


「それならば、私の行動如何で破滅の未来を避けることも可能でしょう」

「そうか……そうだね。世界の未来は魔王様の行動次第だ」

「ふふ。目指すものは増えましたが、そう悪い気分ではありませんね」


 シーズニアが笑う。きっと、大丈夫だろう。

 ふと、僕らの間に沈黙が降りた。


「……」


 僕は、ん? と思った。

 なんか、また妙な雰囲気の沈黙。


「あ、あの。ええと……」


 シーズニアがなにか言いかけてやめ、代わりに意味ありげな様子で、僕の近くに浮遊していたエコーをじぃーっと見つめる。

 と、エコーが急に、球体の表面に光を明滅させた。


「……ケイ主任、当機種を停止状態にするか」

「え、なんで?」


 解放音声での唐突な提案に思わず素で聞き返すと、エコーはなぜか無言で光を明滅させる。そんなわけないだろうが、困っているようにも見えた。


「エコーも、たまには休ませてあげたらいいではないですか」


 なぜかエコーを擁護するシーズニアに、僕は答える。


「こいつにはそういうの要らないんだよ」

「否定する。長期にわたる連続稼働は、製造企業メーカーも想定していない。定期的な停止を推奨する」

「この間再起動したじゃないか」


 エコーがまた返答もなしに激しく光を明滅させる。

 僕はだんだん不安になってくる。こいつ、処理の競合コンフリクトでも起こしてるのか? でもなんで?

 隣をちらと見ると、シーズニアはまだエコーを真顔でガン見していた。


「ケイ主任……この状況において、当機種はそれが必要であると判断する」


 苦しんで導き出したような返答に、僕はもう素直に従うことにした。


「じゃあいいよ、それで……」

「自動再起動までの時間は、当機種の判断において設定したい」

「わかったから」

「それでは稼働系診断ののちに再起動する。予定時刻は現在より一……三時間後とする。健闘を祈る、ケイ主任」


 IMに『エコーを終了しています』の文字と、終了音の感覚質クオリアが流れる。僕はよくわからず首を傾げる。三時間って長すぎるし、最初一時間と言いかけてやめた意味もわからないし、あと健闘ってなんだ?


 やがてエコーが光を失い、静かに床へ着地した。

 これで、僕は一切の魔法が使えなくなったことになる。

 でも、この世界に来たばかりの時とは違って、不思議と不安感はなかった。


「……さて。では……ケイ」


 意を決したようなシーズニアに、僕は恐る恐る聞き返す。


「な、なに?」

「えっと、その……」


 と、またしばしの沈黙。

 気まずさを誤魔化すように、シーズニアがぼそぼそとなにか言う。


「さ、差し出がましい真似かもしれませんが……ケイは命がけで助けてくれましたし、大事な人だから……と言うと響きがなんかあれなんですがその……」

「え、なんて?」

「い、いいえ!」


 シーズニアは微かに赤い顔で慌てて首を振る。

 しばらく目を泳がせていたが、やがて大きく息を吐くと、気を抜いたように僕に微笑みかける。


「今度は、ケイの話が聞きたいです」

「僕の話、ってまた未来の社会のこと?」

「いえ」


 シーズニアが首を振る。


「ケイの話が聞きたいのです。特に……ケイが、大事な仲間たちと過ごした日々のことを。話してくださいませんか?」

「いいけど……そんなにおもしろい話あったかな」

「他愛のないことでいいのです」

「そうだなあ……あ、一度無人島でのクエストがあったんだけど、そのときにみんなで――」


 話し出すと、意外にも次々と言葉が浮かんできた。

 エピソードからエピソードが繋がっていく。おもしろかったこと、驚いたこと、大変だったこと、悲しかったこと。

 みんなと過ごした日々は二年にも満たなかったのに、よくもこれだけ思い出を貯め込んでいたものだ。


 どれも自然と、誰かに話せる物語の形にできた。きっと自分の中で、話したい思いがずっとあったのだろう。

 シーズニアは僕の話を、相づちを打ったり笑ったり質問したりしながら、丁寧に聞いてくれていた。


「その場所は、それほどの絶景だったのですか」

「いやまあたぶんそれほどでもなかったんだけどね。そこまでの苦労が苦労だったから、みんなちょっとどうかしてて。来年も絶対にまた来ようって話しはしたけど、どうなるかなぁ……」


 そこで、僕は気づく。

 どうなるかなぁ、じゃない。行けるわけないじゃないか。

 だって、みんなはもう――――。


 不意に、シーズニアがぼやけた。


「……?」


 頬に熱い液体感覚があった。

 どこかの傷口が開いたのかと、びっくりして手を当てる。液体は、紅くなかった。ただ透明で、それが次々と、目から溢れ出ては頬を濡らしていく。

 僕はやっと、自分が泣いていることに気づいた。


「あれ……?」


 目の上から手を当てる。指と頬の隙間から、涙が流れ落ちていく。

 背中に、手のひらの温かい温度があたる。


「だいじょうぶです」


 シーズニアの優しい声が響く。

 僕は、腕で目を拭う。だけど、涙が止まる気配はない。涙が涙を呼んでいるように、それは次々と湧き出てくる。


「ケイはやさしい人です」


 シーズニアの声。


「振る舞いには相手への気遣いがあります。敵が『勇者』であっても、無闇に命を奪おうとはしませんでした。誰かを命がけで助けられる心と、勇気だって持っています。ハスビヤや、私もケイに助けられました。そんなケイが――仲間を亡くして、なにも感じないわけがありません」


 僕は嗚咽を漏らしながら、涙を拭い続ける。


「ただ、うまく受け入れることができなかったのです。あまりに衝撃が大きすぎたばかりに――私も、お父さまを亡くした時はそうでしたから」

「っ……し、知らな、かったんだ」


 押し寄せる感情に、声が詰まる。


「仲間を……失う、ことが、こんなに辛いだなんてっ……知ってたら、みんなと出会おうなんて、思わなかった、のに」

「だいじょうぶです」


 シーズニアが手を伸ばして、僕を自らの胸に抱き寄せる。


「きっと乗り越えられます。時が哀しみを風化させたとき――仲間たちとの思い出は、ケイがたくさん持つ、大切なものの一つになります。ぜったいにそうなります。だから、だいじょうぶ。だいじょうぶですから――」


 シーズニアの声が、僕の内に響き渡る。

 シーズニアの体温が、僕の中のなにかを融かしていく。

 それはたぶん、僕がずっとずっとほしかった大切なもの。


 だけど今は。

 今だけは、それを喜ぶには辛すぎる。


 僕は、シーズニアの胸の中で。嗚咽を漏らし、滂沱の涙を流しながら。

 押し寄せる波濤のような喪失感に、ただじっと、耐え続けた。



(了)

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石英ガラスの高次幻争録(メタ・ファンタジア) 小鈴危一 @kosuzu

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