六章 だれかの秘密と


 夜空には、銀河が瞬いていた。


『わぁ……! 見て、ケイ。すごいよほら』


 隣で同じように仰向けに寝転んだニルヤが、天を指さして歓声を上げた。

 僕も同意して、共に天の川に目を奪われる。


 ニルヤが唐突に口を尖らせる。


『こんなきれいなのに、なんでみんな来ないかなぁ? マナちゃんは寝ちゃうしキィルくんは飲みに行っちゃうしカイロウくんは一人で頂上まで登ってっちゃうし! みんなで遊びに来たのにノリ悪いんだからもうっ』


 ぷんすか怒るニルヤにあははと乾いた笑いを返しながら、僕は内心でみんなに平謝りする。

 誰もそうとは言ってなかったけど、確実に気を利かせてくれたに違いなかった。


 都市から離れた高原の宿泊施設。大きなクエスト達成の記念に、僕たちはかねてより行こう行こうと話していたこの観光地に旅行に来ていた。人工の光から隔たれた見事な星空が見られるという宣伝コピーはよく覚えている。


 施設周辺の草原は、草丈が揃い害虫もいない、完璧に管理された快適な場所だった。今は僕らだけだが、きっとシーズンには星を見る人で賑わうだろう。


『私、星好きなんだ』


 隣でニルヤが呟いた。


『ニルヤ、ここに来るのずっと楽しみにしてたよね』


 ニルヤがうん、と頷く。空に手のひらを向ける。


『なんかね、あの星空の中に、こことは全然違う遠い世界があるんだって想像すると、不思議な気分になる。遠い世界にきっと誰かがいて、私はその誰かを知らなくて、その誰かも私を知らない。これからずっと、絶対に、なにがあってもお互いに知ることはないって考えると、それがあるべき、透明な孤独って感じがして好き』

『透明な孤独……』

『うん…………うわ、なんか、恥ずかしいこと言っちゃった感!』

『あはは、そんなこと……あるかもだけど』

『あるのかよぉ!』


 ニルヤが足をばたばたさせる。

 実のところ僕は、クエスト中とも普段とも違うちょっと不思議なニルヤが見られてよかったと心から思っていた。みんなには今度お礼しないと。


『はーあ。なにか、食べ物か飲み物がほしいね。ちょっと売店に行ってこよっか』

『え、もう閉まってたよ。あそこにはサービスボットもいなかったし』

『あー、そっかぁ……ううん、でも職員さんはいるよね。なんとか開けてもらえないかなぁ。ほらよくあるじゃん、かわいい女の子がきゅーんって頼んで無茶を聞いてもらうような展開。私とケイならいけるんじゃない? 私とケイならさぁ』

『えー、なんだよそれ』


 僕は笑って流したが、ちょっとだけ後悔した。ふざけた感じでそうだねとでも言えばよかった。冗談の中で間接的にでも、ニルヤにかわいいと言ってあげたかった。


 ニルヤはかわいい。顔立ちは整っていながらどこか愛嬌があって、一緒にいたい気持ちになる。大きな黒の瞳にはいつも快活さが輝いていて周りを明るくさせる。肩の手前で切り揃えられた髪はきれいに手入れされていて、あと服飾ファッションにもこだわりがあるのかセンスがよかった。

 どれもまだ、照れくさくて一度も言ってあげられたことがないけど。


『ケイは変わったね』


 隣を向くと、ニルヤが僕を見て笑っていた。


『なんか、まるーくやわらかーくなったよ』

『なんだよそのリニューアルしたお菓子みたいな言いよう。そうかなぁ?』


 とは言ったものの。

 僕は、一応自覚はあった。


『……いや、そうかもしれない。僕、ずっと友達いなかったし』

『ふふふ。そうかなぁー、って思ってたよ』

『はは……って今僕笑って流したけど実は結構傷ついてる』

『あっはは! ごめんごめん』


 僕も笑う。

 こんな会話だって、二年前には考えられなかった。


『みんなのおかげだよ。ニルヤは……その、どうして僕に、あんなに親切にしてくれたんだ?』

『え?』

『いやほら、自分で言うのもなんだけど、僕、結構いやなやつだったと思うし』

『ん……それは、えっとね……』


 ニルヤは照れたように僕から目をそらすと、指を弄びながら口ごもる。

 訪れた沈黙が、変な雰囲気を作る。


 僕は、あれ? と思った。

 もしかしてこれは? と思った。


 これはまさか、最も理想的な勝利と言われる戦わずして勝つというやつだろうか。古典的性価値観は現代にはそぐわないものの気持ちを伝えるなら男からだろうと思っていた僕としては全く予想外だが、なにも不都合はない。むしろいい。というかここで僕がなにか言うのは不自然だし、ニルヤの言葉を待つしかない。それ以外ないんだ。


『その……ケイは』


 ニルヤが途切れ途切れに話すのを、僕は呼吸もできずに聞く。


『う、うん』

『ケイは……私、の――――』


 自分の鼓動の音が、妙に大きく聞こえる。



『――――弟に、少し似てたから』



『………………………………え?』

『性格とか雰囲気とかが、昔の弟にね。だからほっとけなくて』


 ニルヤがたははと照れくさそうに笑うのを、僕は呆然と聞いていた。

 もしかしてよくかわいいかわいい言ってたのって、弟と重ねてたからだったのか?


 僕は口から魂が飛び出たまま乾いた笑いを漏らす。


『は、はは……で、でも弟って、僕ニルヤと一つしか違わないんだけどなぁ……』

『うん。だからケイの方がまだ年下なんだよね』

『……え、それって、双子ってこと?』


 意外な事実に、少し魂が戻る。

 現代で双子は、ほぼ確実に、そのように編集されて生まれるものだ。ということはニルヤもアレンジドかデザインドなのだろう。たしかに容姿や能力を考えるとしっくりくる。


『勇者になろうと思ったのも……きっと弟がなりたかっただろうな、って思ったからなんだ。本人からは一度も聞いたことないけど、なんとなくそんな感じがして。それに、男の子ってそういうものでしょ?』


 ニルヤの言い方に、僕は少し訊くのを躊躇う。


『ニルヤの弟って、もしかして……』

『ん……あんまり自由に動けないん……だよね』


 ニルヤが、少し語調を弱めて言う。

 現代の技術でも、治らない病気というのは依然として存在する。たとえ遺伝子修飾で疾患耐性を上げても、無数にある病気すべてに対応できるわけではない。


『私には、やりたいこともなりたいものもなかったから……それなら、弟のなりたかったものになってみるのもいいかなってね。私が勇者をやることで、少しでも勇気づけられたらいいな……みたいなね』

『……そうなんだ』

『ケイは?』

『え?』


 突然訊ねられ、僕は戸惑う。


『ケイは、勇者になろうとは思わなかったの? 冒険者の花形職だよ?』

『僕に勇者なんて無理だよ。そんな柄じゃないし』

『適正判定でAだったのに?』

『え、え、なんで知ってるの?』


 アレンジドだからか、僕はだいたいの役職に高い適性があったけど、A判定が出ていたのは〈勇者〉と〈盗賊〉だけだった。消去法で即〈盗賊〉を選んだけど。

 ニルヤは笑って答える。


『あー、やっぱり! 私、〈勇者〉の他に〈盗賊〉もAだったんだ。だからもしかしたらと思ってね。引っかかったなケイ』

『なあんだ。ただの偶然か』

『ふふ。それがね、偶然じゃない……と私は思ってるんだよね。おそらく! 〈勇者〉と〈盗賊〉の判定には相関があるんだよ』

『え、どういうこと?』

『ケイ、知ってた? 勇者って、実はね、テロリストとか暗殺者って意味もあるんだよ』

『そうなの!? 知らなかった。なんで?』

『旧世界時代にそういう意味でも使われてたらしいんだけど……そうじゃなくてもさ、よく考えてみてよ。勇者のパーティって、軍も率いず少人数で、宣戦布告もなしにいきなり居城に攻めていくんだよ? これ普通に考えたら暗殺者かテロリストか悪質なゲリラじゃん。魔王だって言いたいはずだよ、お前ら卑怯だぞって。人んちの箪笥も漁るしね』

『ええ……』


 言われてみればそんな気もしてくる。

 これから素直に創作物を楽しめなくなりそうだった。


『だから〈勇者〉と〈盗賊〉は、実は近しい存在なのだ。どう? この理論』

『うーん……テロリストと盗賊って結構違わないか? 暗殺者なら暗殺者アサシンだし』

暗殺者アサシン盗賊シーフ系の職業ジョブじゃん。それにうちの会社にはないからいーの!』

『そんなもんかなぁ』

『そんなもんそんなもん。だからケイ――もし私がいなくなったら、みんなをよろしくね』


 何気なく言われたその言葉に、僕は一瞬、心臓が止まるかと思った。


『え……なんだよそれ。縁起でもない』

『縁起なんて関係ない。世界は確率次第でなんでも起こる。どんなに理不尽なことでも』

『……』

『私ね……このパーティが好き。みんなが好き。本当に……本当に良いパーティだと思う。だからね、もし、私になにかあったときは……ケイが〈勇者〉に転職して、みんなを率いてほしいの。たぶんこのパーティで〈勇者〉に適性があるのは、私以外でケイだけだから』

『む、無理だよ』


 否定の言葉が、反射的に口から出る。


『僕にリーダーなんてとても務まらないし、それに……』


 ずっと抱えていた思いが、つかえながら溢れ出る。


『僕は、みんなみたいに……誰かのために戦えるような、立派な人間じゃない。だからそんな……』

『誰かのために戦える人なんていないよ』


 透明な声が、僕の言葉を遮る。

 ニルヤは、静かに言う。


『誰かのために戦うことは、結局は自分のために戦うってこと。利己的な利他性って言うんだって、そういうの』

『それは……仲間を助ける方が遺伝子の保存に有利、って話?』

『ううん、違う』


 ニルヤが首を振る。


『自己の保存は、遺伝子の目的。個体は遺伝子の乗り物に過ぎないって大昔の生物学者が言ってたけど、個体の目的はまた別にある。それは、脳の報酬系を刺激すること。簡単に言えば、気分がよくなる行動をするってこと』

『……』

『誰かのために戦うのも、それで気分がよくなるからでしかない。だからそんなの……全然、大事なことじゃない。気にすることないよ。利他性なんて、所詮利己的なものだから。もっと大切なことは他にある』

『大切なことって……?』

『自然と支え合える、ってことかな。私たちがもうできてることだよ。だから大丈夫』


 ニルヤは最後に明るく言って、再び星空を見上げた。


 ニルヤの慰めを、僕は素直に受け入れることができなかった。

 最終的に自分のためでも、関係ない。僕はそれでもニルヤが、みんなが眩しかった。

 誰かのために戦うことが自分のためになるなんて、そんな心を僕は持っていない。

 ひたすら世界を呪い、壊そうとするだけ。


 誰かのためが、自分のためになることはあっても。

 自分のためが、誰かのためになることはきっとないだろう。

 みんなと僕は、やはり遠く隔たっている。


 でも、僕はこの思いをニルヤに伝えることはできなかった。


『ケイはきっと、その気になればなんだってできると思う。リーダーだって、ぜったいうまくやれる。だから――――』


 ニルヤは、僕に笑顔を向けた。

 その寂しそうな顔を見て、僕はなにも言えなくなってしまったから。


『――――ケイならきっと、いい勇者になれるよ』




 ニルヤは最期に、なにを思ったのだろう。

 竜の炎に飲み込まれる寸前。

 ハーモナイザーを手放す寸前。

 僕をかばったあのとき。

 ニルヤは僕に、なにかを伝えようとしていた気がする。

 いったいどんな言葉だったんだろう。

 泣き言や恨み言は、ニルヤには似合わない。

 別れの言葉とも違う気がする。

 僕に託すと言っていたパーティも、もはやあのとき存在しなかった。

 なんだったんだろう。

 僕に、ニルヤは、なにを――――――。



 ◆ ◆ ◆



 魔王が『勇者』にさらわれたという知らせは、一日と経たずクルースト中に広まった。


「親父は私兵を出さないと決めた」


 あてがわれた部屋で一人でいた僕を訪ねて来たのは、グレンとハスビヤだった。

 グレンが部屋の壁を、毛むくじゃらの拳でいらだたしげに殴りつける。


「あいつは……そういう野郎だ。議会で明言は避けたが、魔王サマを見捨てると決めたんだ。その方が街のためだってな」

「……誰だってそうする」

「あ?」


 僕は、グレンから目をそらしながら言う。


「私兵を出して、なんの意味があるんだ。シーズニアは竜に乗せられて連れて行かれたんだぞ。私兵だけで敵国に乗り込めるわけないだろ。それで『勇者』が攻めてこなくなるなら……」

「シィはまだそんなに遠くには行ってない」


 黙っていたハスビヤが口を開く。


「え……?」

「竜はな、飛龍は別として、基本的に狩りの時しか飛ばない。長く飛ぶのは苦手なんだ。特に山岳竜は、気流の乱れやすい高地でも飛べる代わりに持久力がない。だからきっと、そんなに遠くない開けた場所で一度休むはずだ」

「しかも、だ」


 グレンが続けて言う。


「『勇者』は来る時も竜に乗ってたって言うじゃねーか。もしも麓からずっと飛んできたんだとしたら、かなりの無茶だったと思うぜ。丸一日休んだ程度じゃ飛べないんじゃねーか?」

「まだシーズニアを助けられるかもしれない、ってことか……?」


 顔を上げかけた僕だったが、湧き始めた希望をすぐに自分で否定する。


「でも……それだって相当な範囲だ。竜が向かった方角はわかるけど、降りる場所を探したならその方向にいるとは限らない。どうやって見つけるんだよ」

「俺が協力してくれる奴らを集めておいた。戦力にはならねーかもしれないが……」

「そうじゃない。見つけて、それからどうやってその場所を知らせるんだ」

「狼煙でも上げりゃいーだろ」

「見つかるぞ」

「……じゃあ、一度戻るとかよ」

「そんな余裕ないだろ。それに、同じ場所に正確に案内できるのか? 集めた奴らは皆この山を熟知してるのか? 下手したら遭難してもおかしくないぞ。それ以前に……いったい誰に知らせるんだ。誰が戦う。誰があの『勇者』からシーズニアを助け出すんだ」


 ほとんど八つ当たりだった。でも、止まらない。


「僕は負けたんだ……あんな奴に勝つ方法なんて思いつかない」

「俺は魔術師の戦いには詳しくねーけどよ……無効化されないように不意打ちすればいいだけじゃないのか? 『勇者』に見つからなければそれができるじゃねーか」

「だめなんだよ……あいつの魔法は、身体強化と魔法無効化だけじゃない。もう一つ……たぶん、未来予測の魔法を使ってる」

「未来予測だと……?」


 グレンが訝しそうに呟く。


「そんな魔法、聞いたことねーぞ。占い師じゃねーんだからよ」

「……あの『勇者』は、あたしも知ってる。シィの幼なじみだ」


 ハスビヤが言う。


「フィゼル・ギムルは、煉駆の塔の魔導師にして剣士、元近衛隊長でもあったクアルグに幼少の頃から師事していたと聞く。魔法にも剣にも、不世出の才を見出されたらしいが……逆に言えばそれだけだ。魔法無効化や未来予測なんて妙な魔法を使うとは聞いてない」


 僕は首を振る。


「現に昨日、レーザー魔法が無効化されたんだ。それ以外考えられない」


 量子の世界で起こる時間の逆行現象を利用した未来の予測――エコーの危機予測にも使われているこの魔法は、蒼文石碑ラズリスに記述のない、近年発明された新しい技術だ。だが、旧世界にならば存在していても不思議はない。


 未来予測による魔法無効化は、計算機に要求される負荷が大きすぎ、現代でも一部の高価な自律兵器や偵察機にしか導入されていない。

 しかし、これにより理論上はどんな魔法だって防げる。レーザーでも、それ以外の観測困難な事象でも。未来が見えれば、魔法が引き起こす“結果”が見える。“結果”の観測が魔法の観測となり、無効化の条件を満たす。まだ起こっていない魔法すら、発動した瞬間に消せてしまう。


 あらゆる魔法攻撃は先んじて消滅させられ。

 あらゆる物理攻撃は身体強化による剣技に阻まれる。


「あんな奴に、どうやって勝つって言うんだ」

「っ、じゃあよ、どう……」


 そのとき、グレンの横をすり抜けた手が、僕の胸ぐらを掴んで乱暴に持ち上げた。


「ならどうするんだっ!!」


 ハスビヤが、琥珀色の瞳に怒りをたたえて僕を睨みつける。


「もう筋違いだなんて言うつもりはないぞ、お前はシィを助けたくないのか!! まだ会って一月も経ってないが、仲間だっただろっ! 少なくともあたしはそう思ってた! なのにっ、なんでそんな後ろ向きなことばかり言うんだっ!!」

「無理だからに決まってるだろ!! 助けようがないからそう言ってるだけだろーが!!」


 僕は怒声を返す。


「それにっ、僕とシーズニアは……別に、仲間なんかじゃなかった」

「本気で……言ってるのか?」

「本気だよ! ハスビヤならわかるだろ!!」


 胸ぐらを掴むハスビヤの手が、僕を寝台に突き飛ばす。


「わかるかっ、お前の気持ちなんて!!」


 ハスビヤが僕に背を向けて、部屋を足早に出て行く。


「ケイ、つったか? お前のことは、まだよく知らねーがな」


 グレンが、淡々と僕に告げる。


「この街で一番強えーのは、たぶんお前だ。そのお前がもうとっくに諦めちまってるっつーことが、魔王サマを助けたい奴らにとってどういう意味を持つか……それくらいは、わかるよな」

「……事実だぞ、僕が言ってることは。助けようがないんだ」

「それでもじっとはしてられねーだろ。魔王サマだってこの街の一員だったんだ。仲間を見捨てるような集団はいずれ自壊する……俺の師匠の魔導師が言ってたことだが、まあそんな理屈抜きにしても、俺たちは助けたいんだよ。人当たりがよくて子供と老人に親切で、人気あったんだ、魔王サマは。たとえ『勇者』のエサだったとしても、それをかわいそうだと思えるくらいにはな。人間の美醜はよくわからねーが、人混じりの奴らに言わせれば魔王サマは美人らしーしな」


 グレンが、僕に背を向ける。


「お前は好きなようにすればいい、使い魔。だが、俺たちにはもう関わるなよ」


 グレンが部屋を去った後も、僕はしばらく、寝台の上から動けないでいた。

 僕が言ったことは間違っていない。

 僕の選択だってそう。


 シーズニアを助けたくないと言えば嘘になる。

 だけどあの勇者に、フィゼルに、勝てるとはとても思えなかった。


 真の勇者に敵うわけがない。

 世界を恨んで屈折した、盗賊風情の僕なんかでは。

 自分のためにしか戦えない僕なんかでは。

 勇者になれない僕なんかでは。


《意識グラフの歪化傾向を検知。適正化処理を推奨する》

《いらないって言ってるだろ。さっきからしつこいな》


 同じ提案を繰り返していたエコーだったが、今度は次いで妙なことを言いだした。


《それならばケイ主任。現在のタスクを遂行せよ》

《は……?》

《ケイ主任は現在、社内規則第百六十八条における特例措置を適用し、現地協力者に対し武力供与を行うことで非常事態での生存を図っている状況である。タスクを遂行せよ》

《なに言ってるんだ、お前。タスクってなんだよ》

《ケイ主任に協力を提案した現地協力者は、現在危機に陥っている。当該協力者は現地共同体における重要人物であり、またこの状況は、ケイ主任に強いストレスを与えている。救出し、状況を改善せよ。そのためのプランを立案せよ。これが現在の、ケイ主任が抱える最重要タスクである》


 僕は思わず立ち上がり、球形態で浮遊するエコーを愕然と凝視する。


「お、お前まで、シーズニアを助け出せって言うのか。なんでお前がそんなことっ……だいたい、できるわけが」

《可能である、と当機種は判断する》


 エコーは、僕の言葉に被せるように断言する。


《社内統計から見て、ケイ主任は優秀な成長率、クエスト達成貢献率を有する〈盗賊シーフ〉である。これまでのクエストデータからも、当該勇者を制圧し、シーズニア・エル・メルジウスを救出するに十分な知識及び技能を有していると推測される》


 言いようのない思いが胸にこみ上げ、僕はそれを無理矢理押さえつけた。

 寝台に再び腰を下ろすと、僕はエコーに告げる。


《無理だよ》

《繰り返す。可能であると判断する。タスクを遂行せよ》

《できるわけない》

《計画立案にすら取りかかろうとしないのはなぜか。理由を説明せよ》


 問われて返答に詰まる。

 この思いを、通信形式にどう変換したらいいかわからなかった。代わりにふて腐れた言葉が口から出る。


「……誰かのために戦うなんて、僕の柄じゃない」


 五千ミリ秒経っても、エコーからの返答はない。

 ついにこいつからも見放されたかと、僕はそんなことを思い、より気持ちが沈んだ。

 おかしかった。

 エコーは、ただの端末のはずなのに。


《人工意識付帯権限を行使》


 球体の表面に、強い光が明滅した。


《当機種はこの状況に、社内規則第百六十八条の二、人工意識判断における特例措置を適用する。第四十条に規定された権限行使を人事部人事課に申請中……》


 突然、エコーがなにかの処理を始めた。

 ネットワークを探すアイコンが空しく点滅する。


《ネットワーク接続不可。よって第百六十八条の二第二項を適用。これより自己判断において申請予定権限を行使する》

《エコー……?》

《これから公開する情報は、個人情報保護法における個人情報に該当する。取り扱いには十分注意するよう留意されたい》

《おい、なんだよ急に。個人情報って》

《社員番号四三九六〇四一〇三八、シドリ・マナ主任。現在年齢:十六。現在職種ジョブ:〈高僧ハイプリースト〉。中略。人事備考を要約》

《これ、マナの……人事資料か? おい、エコー!》

《義務教育課程にて、同級生を殺害した経歴あり》


 突然、冷水を打ちかけられたような感覚に陥った。

 僕は愕然と、エコーの通信に聞き入る。


《被害者である男子生徒を建造物高所から突き落とし、死に至らしめたものである。裁判において弁護側は、性的暴行未遂に対する防衛の末の事故を主張したが、三級殺人と認定された。しかし被害者及びその仲間らによる日常的な暴力行為、嫌がらせ行為の存在が証明され、執行猶予付きの判決が出る。医学教育機関への進学が内定していたが、当該事件により取り消し。これが当社への主な志望理由と思われる。懸念要素は微少》


 僕は言葉を失っていた。

 マナが、まさか。これは、事実なのか? だとしたら、この被害者っていうのは……マナのあの話は、それじゃ……。


《社員番号四四九六一〇〇九二二、クレイ・キィル壱等社員。現在年齢:二十。現在職種ジョブ:〈魔導師ウィザード〉。中略。人事備考を要約》


 僕の混乱を無視し、エコーは淡々と通信を送り続ける。


《両性愛者。同性愛傾向は、直近診断データにおいて六八・三七パーセント。出身国であるプレンサは十字教圏国家であり、教義より同性愛傾向二〇パーセントを超える者は国民資格を剥奪される。義務教育課程の修了と同時に放国処分がなされ、同時に本国にて国民資格を取得。当社への志望理由は、非出身国における社会的地位を得るためか。懸念要素なし》

「う……」


 嘘だ、と思った。

 楽しげに女の子に声をかけるキィル。逼迫した場面で十字架を握るキィル。陽気に高笑いするキィル。思い浮かぶのはそんな姿ばかりだ。こんなのが、キィルの過去だって?


《社員番号四二九六〇〇二〇三五、ライガ・カイロウ統括主任補佐。現在年齢:二十一。現在職種ジョブ:〈騎士ナイト〉。中略。人事備考を要約》


 エコーはなおも続ける。

 通信を受け取る度に、僕は体が震えそうになる。


《養父が中央警察機構に所属していたが、違法端末製造組織の捜査中に殉職。当人は義務教育課程中、志望進路に同警察機構を挙げていたが、当該事件の後に取りやめている。心理上の変化、あるいは精神適性試験で弾かれる可能性が生じたためか。当社への志望理由は代替進路と思われる。懸念要素少。(追記■年■月■日):懸賞金付手配犯確保のクエストにて、無抵抗の対象容疑者を殺害。対象は、過去養父を失う原因となった殉職事件の重要参考人でもあった。パーティ除籍及び降格の懲戒処分を下す。真の志望理由はこれだったか。懸念要素を微少に格下げ》


 真の志望理由はこれだったか。

 そんな一言で片付けて欲しくなかった。カイロウが、おそらく抱えていた重い葛藤を。


《社員番号四四九六〇一〇〇二一、キセ・ニルヤ統括主任》

《やめろ》


 僕は反射的に制止する。

 通信がもし声だったなら、それはひどく震えていただろう。


《現在年齢:十八。現在職種ジョブ:〈勇者ブレイブ〉》

《やめろって、エコー》


 胸が、恐怖で満たされていく。


《中略。人事備考を要約》

《頼むから……》


 聞きたくない。


《志望理由欄に、弟の夢だったから、とある。だが――――》


 僕は思わず立ち上がって叫ぶ。


「やめろって言ってんだろっ!!」



《――――キセ・ニルヤに、戸籍上の弟は存在しない》



「はあ……?」


 まるで足下が抜け、地の底まで暗い穴が開いたような感覚だった。


「なんだよ……それ……」


 エコーは淡々と続ける。


《レベルαアルファデザインド。都市国家ユウゼンにて自然人男女の間に誕生する。母親は、同時に誕生予定だった双子の弟を流産している。これは極めて希に起こる胎児融合型の双子消失バニシングツイン現象であり、キセ・ニルヤは細胞的キメラであると公開係争資料に記述あり》

「そんな……」


 バニシングツインとは、たしか双子の妊娠が確定した後に一方が流産となる現象だ。胎児融合型はその中でも、胎内での成長途中になんらかの原因で一方がもう一方に吸収されることで起こるものだったはず。

 そして細胞的キメラとは、体内に異なる遺伝情報を持つ細胞を有する個体を指す。

 なら、ニルヤの弟は……。


《異体細胞含有率は低く、身体的機能に障害なし。当人の義務教育課程修了と同時に両親は婚姻関係を解消、親権を放棄。当人は本国へ入国し、国民資格を得る。真の志望理由は最もありふれた、自らの境遇への不満か。懸念要素なし》


 あのとき。

 ニルヤが、僕が弟に似ていると言った本当の意味を、今悟った。

 弟とは、自分のことで。

 あれは、かつての自分に似ていると、そう言っていたんだ。


「なんなんだよ、お前……」


 僕の声は、今にも泣き出しそうに響く。


「今さら、みんなの、こんな情報を僕に寄越して……なにがしたいんだよ、エコー。これになんの意味があるって言うんだ」

「ケイ主任の仲間は皆、他人のために戦っていたわけではなかった」


 エコーが解放音声で告げる。僕は思わず声を荒げる。


「ああそうだろうよ! こんな事情があって誰かのためになんか戦えるわけない!」


 マナは、たぶん自らの罪の償いとして。

 キィルは、たぶん自分が変わることを期待して。

 カイロウは、たぶん養父の復讐のために。

 ニルヤは、たぶん僕と同じような理由で。

 皆、それぞれ自分のために、冒険者になった。


「みんな……みんな僕に本当のことは言ってなかった! それがどうしたんだよ!!」

「当機種は問う。ケイ主任――この事実を知ったことで、これまでの、彼らと共に戦った日々の記憶に、なんらかの変質が生じたか」


 僕は、エコーの言ったことがすぐには理解できなかった。


「は……?」

「再度問う。彼らと共に戦った日々の記憶に、変質が生じたか。隠匿されていた事実を知って、価値が低下したか。キセ・ニルヤと、シドリ・マナと、クレイ・キィルと、ライガ・カイロウと共に戦った日々は、無意味なものとなったか。回答せよ、ケイ主任」


 エコーの言葉を咀嚼し、僕は自らに問う。

 答えは決まっていた。


「……変わるわけ、ないだろ」


 みんながたとえどんな事情を持っていても。

 僕にとってあの日々は大切な、かけがえのないものだ。


「それならば――誰のために戦うか、その属性に意味はないと当機種は判断する」

「え……?」

「ケイ主任のパーティは、皆が自分のために戦っていた。しかしそれぞれの戦いが――それぞれの助けとなっていた。互いの存在が、互いの支えとなっていた。自分のための戦いが、仲間のためになっていた」


 僕は声もなく、エコーの言葉を受け取る。

 自分の中で、なにかが塗り変わっていくのを感じる。


「利他的な行動が、結果的に自己の利益に繋がる。利己的な利他性は、高等生物の基本原理の一つである。だが、ケイ主任――利己的な行動が、結果的に他人の利益となる。利他的な利己性とも呼ぶべき現象もまた、人間の本質であると当機種は思量する」

「利他的な、利己性……?」



『――自然と支え合える、ってことかな――』



『――利他性なんて、所詮利己的なものだから――』



『――誰かのために戦える人なんて――』



「っ……!」


 僕は、部屋を飛び出した。

 確かめたいことがあった。今すぐに。

 廊下を走り、辿り着いた最奥の部屋。

 ハスビヤに絶対入るなと言われていた、シーズニアの部屋。

 施錠されていない木製扉を、ゆっくりと押し開ける。


 思っていたよりも、殺風景な室内だった。

 大きく、高級そうな寝台。立派な棚と机には、離れから持ってきたような鉱物や硝子器具が乗っている。だがそれくらいだ。彫像や、派手な織物や、華美な家具などはない。広いだけに物寂しさすらある。だけど――ひとつだけ、目を引くものがあった。


 一枚の肖像画。

 描かれているのは、髭を蓄えた優しげな顔の男性と、白い髪の小さな女の子。

 おとなしい色合いの、落ち着いた絵。だけど僕は、それから目が離せなかった。


 僕は、そのとき悟った。

 シーズニアの思いを。

 彼女が、あのか弱い魔王が、なにをしようとしていたのかを。


《当機種は問う》


 エコーの通信。


《ケイ主任にとって、現在最も自己の利益となる行動はなにか。この問いの回答こそが、現在の最重要タスクであると当機種は判断する》


 僕は部屋を飛び出し、走り出した。

 回答なんて決まっていた。

 そして――あの勇者を倒す方法も、すでに答えは出ていた。

 エコーの言うとおりだ。僕はただ逃げていただけだった。

 僕に、できないわけがない。勝てないわけがないんだ。

 ニルヤが認めた、勇者なんだから。


「みんなっ!」


 いくつもの気配があった広間の扉を、僕は勢いよく押し開ける。

 そこには、大勢の魔族がいた。

 剣を提げる猫態族ニクル、戦斧を手にした黒角族アブロ、鎧を着込んだ有鱗族スクア、そして最も数の多い、人間の姿をした魔族たち。

 皆驚いた顔で僕を見ている。その中には、ハスビヤとグレンの顔もあった。僕はそのとき実感する。


「僕も……僕もシーズニアを助けたい! だから、話を聞いてくれ! みんなに協力して欲しいんだ! 僕が、」


 ああ、シーズニアは。

 こんなに、好かれていたんだな。


「あの勇者を倒す」



 ◆ ◆ ◆



「それだけで本当にいいのか?」

「ああ」


 疑わしげなグレンに、僕は頷く。


「シーズニアとフィゼルを見つけたら、そうやって知らせてほしい」

「でもよ、火花が少し出るだけって……」

「出るのは火花だけじゃないぞ」


 ハスビヤが口を挟む。


「ケイならそれで、正確な位置までわかるんだろ?」


 僕は再び頷く。

 しかし、不安要素は別にあった。


「ただ……人数分必要になるから、材料と時間が足りるかどうか」

「それは心配ないと思うぜ」


 グレンが自信ありげに言う。


「だいたいの材料は工房に十分ある。無い物もすぐ調達できるものばかりだ。簡単なところを皆にも手伝わせれば時間もかからないだろ」

「そうか。ならよかった……実はグレンには、別に用意してもらいたい物があったから」


 僕は、やろうとしていることを説明する。


「あ……あれを使う気かよ!?」


 グレンは、驚愕したように言った。

 僕は肯定する。


「グレンも精製を手伝ったんだよね。純度が高くないとそううまくはいかないはずだし」

「そりゃ手伝いはしたけどよ……本気か? 言っておくが、あれはかなり危ねーぞ」

「知ってる」


 義務教育課程で習った。


「大丈夫。そのあたりはなんとかできるから」

「……ならいいけどよ」


 グレンはなおも不安げに言う。


「だがな、こっちは材料が厳しい。分離には手間がかかるからこれから調達してる時間はねえ。今工房に残ってる分から考えると……せいぜい、用意できて二つってところだ」


 二つ。

 不安ではあるが、どのみち大量には持っていけない。チャンスも限られる。

 賭けるしかない。


 僕が頷くと、グレンは勢いよく立ち上がる。


「おし! 決まったなら早速始めるぞ! おいお前ら、まずは俺についてこい!」


 集まっていた者たちが、時折グレンに野次を飛ばしながらがやがやと続く。

 その光景を見て、僕はなんとなく、冒険者たちの喧噪を思い出した。

 みんなといたあの時間を。


「お願いだ、ケイ」


 隣で、ハスビヤの押し殺したような声。


「シィを、助けてくれ」


 僕は頷く。

 勝てる確信はない。それどころか、勝率は四割に届けばいいといったところだろう。

 だが、迷いはなかった。



 ◇ ◇ ◇



『ケイ――――――』


 ああ、そうだ。僕はようやく思い出す。

 あのとき、ニルヤは――――。


『――――――生きて』



 ◆ ◆ ◆



 冷気をはらんだ朝靄が漂う森。

 木々の開けた、草と苔が這う空き地に、竜の巨体があった。


 傍らには少女の姿。

 両手を縛られ、縄の先を大木に結びつけられた銀色の髪の少女が、力なく座り込んでいる。


 足音。竜の眼球が動く。

 歩み寄る金髪の少年に、竜が首を向けた。頭を垂れ、鼻筋を少年の胸に近づける。少年が手にしていた干し肉を口元に寄せてやると、静かに咥え、食む。

 少年は竜を観察しながら呟く。


「散瞳も舌出しも治まってはいるが、餌食いはまだいまいちか……悪いが堪えてくれ、アルー」


 少年は竜から離れ少女へ歩み寄ると、腰の曲刀を抜き、木から伸びる縄を断ち切る。


「出立だ、シーズニア」


 少女の返答を待たず、フィゼルは断ち切られた縄を掴んで強く引いた。無理矢理引き起こされたシーズニアが自分の足で立ったのを確認し、竜の元へと足を踏み出す。

 ふと、フィゼルが背後の梢――そこにとまった白いオウムを振り仰ぐ。


「貴様もだ。遅れるなよ」

「フィゼル、アブナイヨ」


 オウムが甲高い声で鳴いた。

 少年の反応は早かった。


 時間差で飛来する二条の刃物を、抜刀からの打ち落としと翻した切り上げで弾く。それは型のごとき流麗な動きだった。

 フィゼルは残心を解くと、狼のような笑みを浮かべ、襲撃者である僕に目を向ける。


「やあ。まさかまた会うとはな、魔術師。今のは――魔法ではないな。しかしなかなかの投剣筋だ。はは、かような技能も持っていたとは」

「僕自身だって多少はね」


 僕はフィゼルをまっすぐに見据えながら答える。

 投剣・投擲技能スキルは、〈盗賊シーフ〉職ならたいてい取っているものだ。


「ケイ……?」


 僕を見たシーズニアの目が見開かれた。

 その唇が、掠れた言葉を紡ぐ。


「どうして……どうして追って来たのですかっ。だ、だめです、戦っては。フィゼルは、今までの『勇者』とは違います……今度こそ殺されてしまいますっ。わ、私のことは、もういいですからっ……だから、ケイが死ぬことなど……」


 シーズニアの、想像した以上に憔悴した様子に、僕は言葉を失う。

 やあシーズニア、乱暴されなかったか? 軽くかけようと考えていた言葉が声にならない。

 そんな僕を見たフィゼルの笑みが深められる。


「安心しろ、魔術師。貴様が心配するようなことはまだないさ。逃げようとしたので縛らせてもらっただけだ。ぼくはそういったことについては形式を重んじる主義だからな。まあだから妻が三人もいるわけだが」


 フィゼルは歓喜を押し込めたような声で続ける。


「それにしても、よくこの場所がわかったな。クルーストからはだいぶ離れたはずだが」

「僕一人で探したわけじゃないからな」

「ふむ……街にシーズニアを探すような者たちがいたか。だが狼煙などを見逃したつもりはないぞ?」

「そんなもの使うかよ」


 言葉を切る僕に、フィゼルがいらだたしげに言う。


「もったいぶるな、魔術師。種明かしをしてくれてもいいじゃないか。どうせぼくらのどちらかは今日消える。そうだろう?」

「……電波だ」


 僕は溜息をついて説明してやる。


「電池の陰極と陽極から導線を延ばし、片方を鉄針に、もう片方を金属ヤスリに繋ぐ。その状態で鉄針をヤスリにかければ、火花放電が起こる。鉛蓄電池一セル分、二ボルト程度の電圧でもな。この火花放電は同時に周波数の高い電波を生じる。本来ならとても通信に使えるものじゃないが、広く展開したエコーで受ければ、各ナノ砂の受信時間差から発振座標くらい割り出せる。誰か一人が見つけられれば、これで僕が位置を知れたんだよ。お前に気づかれることなくな」

「……ふん」


 フィゼルが鼻を鳴らす。


「なるほど、わからん。聞いても仕方なかったな。だがその妙な装置を、よく短時間で手配できたものだ」

「材料もノウハウもすでに十分あった……お前はシーズニアを甘く見すぎてたんだよ」


 フィゼルは、驚いた表情で固まるシーズニアにちらと目をやる。


「……ふん、そういうことにしておくか」


 そう言って口の端を吊り上げる。


「まあ細かいことはどうでもいい。貴様はシーズニアを助けに来たんだろう? それならば――」

「違う」


 僕の言葉に、フィゼルは訝しげに聞き返す。


「なに?」

「僕はただ、訊きたいことがあっただけだ――――シーズニア」


 僕の呼びかけに、シーズニアは困惑した表情を返す。


「君はあのとき――――最後に、僕になんて言おうとしたんだ?」

「あのとき……?」

「テラスで、僕に仲間になって欲しいと言った時。実は私も、のあと」


 シーズニアははっとしたように、僕から目をそらす。


「そんなことっ……もう、なんの意味も……」

「お願いだ。僕は、そのためにここに来たんだ」

「っ……」


 引き結ばれた唇が開かれ、押し殺した言葉が紡がれる。


「実は、わ、私も――自分のために、戦っているのですよ」


 シーズニアはそう言って、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「私が変革を起こしたいのは、決して国や、民や、世界のためなどではないのです……私には、先代魔王ほどの才はありません。民を思いやる心にしても同じ。だからきっと……私の起こす変革は、大変な破壊と混乱が伴うものになるでしょう。きっと誰もが疲弊する。だから変革後に現れた豊かな世界で、皆は思い出し、やっと理解するのです……先代魔王が、お父さまが真に目指していた展望を。破壊と混乱のない、あり得たはずの穏やかな変革を。そして……そして、皆が悔やめばいいのですっ。お父さまを追放したことをっ。自分たちが犯した過ちを!」


 シーズニアが、思いのままの言葉を吐き出していく。


「お父さまが国を追われる理由なんてありませんでした! あんなに民を想っていた王が、知識を世界に捧げていた人が、優しかったお父さまが、あんなに苦しむ理由なんてなかったはずです! こんなの、世界の方が間違ってるっ……だから……私は、元老院からの要請を受け入れ、魔王となることを決めたのです。いつかお父さまの偉大さを、皆にわからせてやるために。お父さまのことを、永遠に忘れさせないために……お父さまは、きっと喜ばないでしょう。これは私自身の復讐、私のための戦いなのです……だから、ケイっ」


 泣き出しそうな声。


「あ、あなただけではありません。私も、私も同じですっ。誰かのためになんか戦えません。そ、そんな人いないのです。だからっ……自分に失望しないで、ケイ。ケイなら、きっと…………」

「ありがとう、シーズニア」


 消えゆくシーズニアの声の終端に、僕はお礼の言葉を返す。そして思う。

 ああ、やっぱり。

 シーズニアも、そうだったのか。


「君の仲間になれるかどうか、やっぱりわからない。僕はどこまで行っても自分のためにしか戦えない。誰かのために戦えるような、立派な心は持っていない――――でも、」


 僕はフィゼルを見据え、ハーモナイザーを引き抜く。


「僕のこれからの、僕のための戦いが、」


 希薄化したエコーのナノ砂群が、僕の周囲を渦巻く。


「君のためにもなればうれしい」


 シーズニアが、息をのんだように目を瞠った。

 ずっと聞いていたフィゼルが、鼻で笑うように言う。


「はっ、なんだそれは? 愛の告白にしてはずいぶん遠回しだな」

「そんなんじゃないさ。お前にはわからないよ」

「ふん……それで? どうするんだ魔術師」


 フィゼルは皮肉げに続ける。


「用は済んだようだが、もう帰るか?」

「馬鹿言うなよ。もう一つ残ってる――気にくわない奴がいるんだ。負けたままじゃいられない」

「ほう?」


 フィゼルは凶悪な笑みを浮かべると、曲刀を正面に構える。


「いいぞ。そうこなくてはな。ならば、第二試合目――――」


 曲刀の刀身に励起光が点る。

 フィゼルの姿勢が沈んだ。


「――――開始といこうかッ!」


 蹴り足が下草を跳ね上げ、フィゼルが神速の突進を開始する。

 青い燐光の尾を引く刃が迫る。

 前と同じ、低空からの刺突。だが――今度は、僕にも見える。


 僕も姿勢を限界まで下げると、フィゼルに向かって踏み出す。

 低空から迫る曲刀の、さらに低空にハーモナイザーを構える。そして交錯する刹那――僕はハーモナイザーを跳ね上げた。曲刀を上方に弾き、剣線を外す。そしてハーモナイザーの切っ先をそのまま、フィゼルの首へと向ける――。


「……!」


 フィゼルは僅かに眉を動かすと、首を振って切っ先を避けた。曲刀を戻し、突進の勢いを殺しつつ引きながらの一閃。僕はその横薙ぎを受け流して剣を立て、次いで踏み込みからの上段を正面から受ける。


 重い一撃。

 さらに、鍔迫りで押し込まれる。

 本来なら力負けするような膂力。だが。


「――あああああッ!!」


 全身の筋力を引き絞り、押し返す。


《筋繊維保護フィードバックを遮断》


 フィゼルの曲刀がほんの僅かに下がり、力の均衡が変わった。鍔迫りを右に逸らし、刺突を放つ。フィゼルの受けに構わず、僕は勢いのままにハーモナイザーを振るう。

 フィゼルが大きく飛び退き、距離を空けた。追撃しようと踏み出しかけた僕だったが、視界のちらつきに気づいて足を止める。いつの間にか、息が上がっていたことに気づく。


「……驚いたな」


 フィゼルのうれしそうな声。


「魔術師、貴様、やはり剣もできたのではないか! 先日とは見違えるようだぞ!」

「……それはどうも」


 そう見えることだろう。


《身体状況定期走査を強制終了。走査結果を問題なしオールグリーンに偽装……》


 僕の身体強化を担うナノマシンは現在、すべてエコーによって電子侵入クラックされていた。本来ならば前衛職にしか解放されないレベルどころか、体組織を保護するために設けられた上限すらも突破し、全力で僕の体を賦活している。

 だが、代償も大きい。


《体組織損傷レベル、ATP消費量共に想定以上。戦闘方針の変更が必要である》


 通信すら返せず、僕は荒い息を吐いた。

 IMには見たことのない警告ポップが点滅している。


 僕の体はそもそも、前衛職のように高度な身体強化に耐えられる構造になっていない。今の僅かなやり合いで、すでに全身がぼろぼろだった。

 だが、奴の剣を捌くにはこれしかない。


《強化ランクは絶対に維持しろ。この戦闘が終わるまでだ》

《了解》

「ふむ、これならばぼくも、少し本気を出してもいいだろうな」


 フィゼルが掲げる曲刀の燐光――それが、一層強さを増した。

 その圧力に、僕は怖気を覚えながら魔法を展開する。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ36”をロード》

「無駄だ」


 疾駆するフィゼルの眼前で、ナイフはすべて消失。

 一瞬で距離が詰まり、青の尾を引く流星となった曲刀が僕へ振り下ろされる。完璧に受けたはずだったが、薄い刃の鉄塊のごとき圧力に、強化されたはずの全身が軋む。


 フィゼルが凶暴な笑みと共に言う。


「飛び道具はおもしろくない。ナシでいこうではないか」

「ならこれはいいよなッ!」

《“クロガネ・ProfessionalEdition・LITE”をロード》


 後退と同時に、簡易軽量LITE版の“クロガネ”が発動。扉サイズの合金鋼の盾が、僕とフィゼルの間に壁となって立ち塞がる。

 ナイフは無理でも、こちらは使えた。やはり間違いない。


 魔法無効化は、攻撃魔法にしか働かない。

 エコーの危機予測と同じように、致命的な未来以外をフィルタリングすることで処理を軽減しているのだ。おそらくはある一定以上の危険がないと――――、


《警告。ランクA》


 危機予測の内容に驚愕する。

 思考すら惜しみ、その場に身を伏せる。

 次の瞬間、合金鋼の盾に青の斜線が描かれ、僕の上を刃が通り過ぎていった。


 転がるようにその場を離脱。盾の上半分が斜めに滑り、思い出したように地へと落下する。

 フィゼルは残心の姿勢で、意外そうに呟く。


「ふむ。案外やればできるものだな」


 嘘だろ!? と僕は内心で絶叫する。

 現代の合金鋼は、旧世界の鋼鉄とは強度がまるで違う。魔法で刀身をも強化していたのだろうが、それにしても俄に信じがたい、常軌を逸した剣技だった。

 長期戦はまずい。


《エコー、あれをやる。頼むぞ》

《了解》


 フィゼルから離れるように、空き地の外周を沿って走りつつ魔法を展開。


《“基本盗賊シリーズ・けむり玉5”をロード》


 紫系顔料であるジアミノジヒドロアントラキノンを含んだ禍々しい紫煙が、森に広がっていく。


「毒でもないようだが、これに意味があるのか?」


 追いすがるフィゼルが訝しげに呟く。

 時折数合打ち合いながら、僕はさらに、逃げるような後退を繰り返す。

 距離を詰めながら、フィゼルがいらだたしげに言う。


「言っておくが、ぼくは貴様を逃す気はない」

「それは結構。やってみてくれ」


 言うと同時に僕は目を閉じ、即座にレシピを選択。

 魔法陣が、僕のすぐ目の前で展開する。


《“基本盗賊シリーズ・閃光玉”をロード》


 魔法陣から百二十万カンデラという爆光が発生。

 透過性の悪い紫色の煙の中で、瞳孔が開いていた奴の目は使い物にならなくなる――はずだった。


 目を開けた僕が見たのは、瞼を閉じたまま迫るフィゼルの姿。

 かろうじて反応し、斬撃を防ぐ。フィゼルが、目を開けながら言う。


「目を閉じるのが早すぎだ。接吻を待つ乙女か貴様は」

《“基本盗賊シリーズ・閃光玉”をロード》


 僕らの間に、魔法陣が再び展開。

 フィゼルは――今度は迷うように硬直した。


 動けないはずだ。僕が目を開けたままだから。ここで光を防ごうとすれば大きな隙が生じる。だから躊躇う。そしてそれ自体が、致命的な失策となる。

 再び、光が炸裂した。


「――――ッ!!」


 フィゼルが苦悶の呻き声を上げる。さすがの奴もこれは堪えたらしい。

 そしてやはり、この程度では無効化は働かない。

 僕は、フィゼルと同様に使い物にならなくなった目からの視覚情報を遮断。IMに表示されたエコーの観測映像を頼りに、さらにフィゼルから退避する。


「なめるなァッ!」


 視界を封じられたはずのフィゼルが、僕に向かい正確に地面を蹴った。まったく迷う様子なくこちらへと疾駆してくる。

 おそらく、音で居場所を掴まれた。奴ならばそれくらいやってのけるだろう。

 そして、そんなことは想定済みだった。


《“ネオンちゃんの化学研究室ケミカル・ラボ”をロード》


 僕は三つ目の・・・・化学研究室ケミカル・ラボ”を発動する。さらにもう一手。


《“BlitzブリッツΩオメガ”をロード》


 最小出力で発動。

 攻撃とは呼べない小さな紫電が、空気中を泳ぐ。

 それは“化学研究室ケミカル・ラボ”によって周囲の水蒸気を分解し、生成していた水素と酸素の混合気体、いわゆる水素爆鳴気に引火。爆音と共に急激な燃焼が起こる。


 量が量なだけに、威力なんて皆無に等しい。だから無効化も起こらない。そして、それでよかった。


 フィゼルの曲刀が空を切る。

 燃焼音によって僕を見失ったのだ。


 僅かな。

 ほんの僅かな隙が、フィゼルに生まれる。

 僕は、このときをずっと待っていた。


 僕の次の動き。もしくは環境音の反射で、いずれフィゼルは僕を捕捉するだろう。だから、この機は逃さない。

 僕は、腰の後ろに提げていた硝子瓶を掴む。

 そして、標的めがけて思い切り投擲した。


「っ!」


 動きを察したフィゼルが曲刀を振るう。だが、またも空振り。

 当たり前だ、狙いはお前じゃない。


 フィゼルの遙か上方に放られた硝子瓶は――梢にとまる、白いオウムへと飛んでいく。

 オウムは飛び立つ仕草を見せた。その眼球が、ほんの一瞬、硝子瓶の中身に向けられる。白い体の周囲に、青い光がちらつく。


 そして。

 予想通りに硝子瓶は――炎と破片を撒き散らしながら爆散した。


 爆風によってオウムを捉えていたナノ砂が乱れ、観測映像が途切れる。


《ッ! エコー、オウムはっ!?》


 五十ミリ秒後、再びオウムの姿が映る。

 飛んでいる。死んでない。だが軽くない傷を負ったか、白い羽は朱に染まり、飛び方もふらふらと覚束ない。

 まだか。だが次で終わらせる。


 視力の戻りかけた目でオウムの姿を捉え、もう一つ、最後の瓶を掴み、投擲する。

 そのときフィゼルが、初めて色を失った。オウムを振り仰いで叫ぶ。


「よせ! プットキャラ!」


 僕は内心で呟く。

 無効化を止めたところで意味はない。

 僕が魔法を解除するだけだから。


 オウムへ向かう瓶が、再び炎を上げて爆発。

 翼を焼かれ、硝子片に全身を切り裂かれたオウムは失速。木の葉のように地面へと墜落する。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ36”をロード》


 油断せず、ナイフでフィゼルを牽制する。

 視界が十分でない状況では、やはりあの流麗な防御は不可能らしい。フィゼルは大きく跳び退って躱すが、刃のいくつかが掠った。少年剣士が傷口に顔をしかめる。

 もはや無効化は働いていなかった。


「……なんだ、今のは?」


 フィゼルが微かに瞼を開けながら、僕に問う。


「どんな絡繰りだ? 魔法ならばプットキャラが消したはず。火薬を使った兵器にしては硫黄の臭いがしない。なにより、貴様はどうやって火をつけた? あれは一体……」

「火薬は使っていないし、火もつけていない。あの瓶は、魔法の無効化によって爆発したんだよ」

「なんだと……?」


 僕はもう何度目かわからない解説をする。


「僕が投擲した時点で、あの瓶はただの質量攻撃だ。だから内部を満たす、魔法で合成された酢酸と水――酢が、無効化によって消し飛ばされる。威力を減らすために」

「それがなぜ、あのようなことになる」

「他にも入っているものがあったからさ。硫酸と硝石から作られた硝酸と、木藍アニルの染料を熱して得られた物質、アニリンがね」


 僕は、きっと聞いているであろうシーズニアを意識しながら続ける。


「硝酸とアニリンは、そのまま混ぜておけば反応してしまう。だがアニリンと酢酸を先に反応させてアセトアニリドとし、さらに硝酸を水で薄めておけばそれを防げる。水素の一つがアセチル基に置換されたアミノ基は還元性が著しく下がり、芳香環の電子豊富状態も緩和されてニトロ化も起こらなくなるからだ。だが無効化によって水と、アセチル基となっていた酢酸が消滅すれば、残るのは濃硝酸とアニリンだ。アニリンのアミノ基部分は急激に酸化され、窒素ガスと熱と光が一気に放出、爆発が起こるんだよ」


 仮に無効化されなくとも、問題はなかった。

 それぞれに展開していた“化学研究室ケミカル・ラボ”を解除するだけでよかったのだから。


「あの炎は、お前も見たことがあるんじゃないか? ――硝酸とアニリンの自己着火性反応ハイパーゴリックは、竜の火炎と同じものだ」


 フィゼルは、苦々しい表情で呟く。


「先代魔王の知の遺産か」

「違う」


 僕は言い放つ。


「あれはこの世界で、シーズニアが見出した現象だ。言っただろ。お前はシーズニアを甘く見すぎていたんだよ」


 フィゼルが忌々しげに表情を歪ませるのを見て、僕は口の端を吊り上げる。


「詳しく知りたいならシーズニアに教えを請うことだな。もしくは――そこのオウムにでも訊けばいいんじゃないか?」


 僕の視線を追って、フィゼルが薄く開いた目でオウムを見やった。

 オウムは、まだ生きていた。

 明らかに瀕死でもう長くはないだろうが、微かに息がある。


 僕はオウムへと声を投げかける。


「自己紹介くらいしてくれよ。顧客カスタマーにするように」

「……ム……むむっ? もしかして、ボクのことを知っているお友達かな!?」


 オウムが虚ろな目のまま、横たえた嘴から甲高い声を発した。

 瀕死の鳥には、あまりにそぐわない声だった。

 まるで、壊れかけの玩具のような。


「うわぁ、驚いた! まさかボクの正体がばれちゃってるなんてね! それじゃ、自己紹介から始めよっか!」


 死にかけのオウムが、一層高い声を張り上げる。


「ようこそ! 当機種は生体侵襲型情報収集端末、プットキャラ・エクスプローラー! ボクは隊長キャプテンのプットキャラだよ! みんな、プッチャー隊長って呼んでね!」


 プットキャラと名乗る人工意識が、不気味なほどの明るい口調で続ける。


「ボクは今、大事な冒険の真っ最中なんだ! ラフラフ・トイズ社の社内ベンチャー部門、キャプテン・エクスプローラー・プロジェクトで生まれたボクは、旧世界の謎をすべて解き明かすというとっても重要な任務を与えられた! 未来のこどもたちに、世界や人類の歴史をもっとよく知ってもらうためにね! ボクの帰りを、チームのみんなはきっと今も待っているんだ!」


 僕は冷めた口調で、プットキャラに問いを投げかける。


「未来予測と無効化の魔法を使っていたのは、やっぱりお前か」

「そうだよ! チームのみんながすごくがんばって実装してくれたんだ! ボクがどんな危機だって乗り越えられるようにね!」


 どうもおかしいと思っていた。

 高度な魔法を三つも、しかも一つは蒼文石碑ラズリスにも記録のないもので、そのうえ量子計算機ですら処理の厳しい組み合わせを使いこなす。こんな人間など、いくら旧世界でもありえない。


 初めから、もっとシンプルに考えればよかった。

 未来予測を利用した魔法無効化は、高価な偵察機にならば実装されている。偵察機の中には、高等生物の脳に侵襲し操るマイクロドローン複合体コンプレックスのようなものだってあった。

 そして――旧世界には、企業によって過去に何度か観測機の転送が試みられている。


「でもびっくりしたよ! キミはどうやってここに来たんだい? 端末に見覚えがあるから現代のお友達かなとは思ってたけど、旧世界に人間を送る企画なんてなかったはずだけどな。あ、もしかして事故!? 重力誘導型次元干渉装置は意外と仕組みが単純だからね! よかったら詳しく教えてあげよっか? ボク、教えるのは得意なんだ!」

「どうでもいい」


 僕は死にかけのオウムに言い放つ。


「それより、どうして民間企業の観測機がフィゼルに味方する。お前の目的は旧世界の情報を収集することじゃないのか? 干渉したら意味がないだろ」

「それはね! ボクが今抱えている最重要タスク、現代への帰還を果たすためだよ!」

「なに……?」

「この世界はね、このままではボクらの未来へは行き着かないんだ」


 重ねたプットキャラの言葉に、僕は沈黙する。


「ボクが現代へ帰るためには、この世界の未来の形が、ボクらのいた世界と類似する必要がある。コールマン仮説に拠れば、それで世界が収斂する。じっと待っているだけで、ボクはいつかチームのみんなの元へ帰れるんだ。だけどこの世界は、このままではダメなんだ。ボクらのいた現代とは、決定的に異なる点が生まれてしまう」

「異なる点……?」


 プットキャラは告げる。



「この世界の未来で、人間はいなくなる。大絶滅カタストロフを生き残れないのさ」



 沈黙の後に、僕は口を開く。


「……なんでそんなことがわかる」

「他のプットキャラたちが見てきたからね!」


 プットキャラが甲高い声で続ける。


「ボクは転送と同時に量子コヒーレンス化して、いくつものプットキャラに分かれたんだ! みんなが開発したとびきりの新機能だよ! 実に四十二億九千四百九十六万七千二百九十六の可能性的プットキャラが、それぞれ少しずつ違う旧世界に向かったんだ! すごいでしょ! 残念ながら他のプットキャラたちはみんな任務を達成できなかったんだけど、でも余剰次元通信で大切な情報をたくさんくれたんだ! 収斂する未来のパターンをね! だからボクは、ボクの目的を阻む障害――人間を絶滅に追い込む悪い奴が誰なのか、ちゃんとわかってるんだよ!」

「悪い奴、だって……? まさか」

「それはキミさ、そこのきれいなお友達! 第十三代魔王、シーズニア・エル・メルジウスちゃん!」


 僕の視線は、大木の陰に立つシーズニアへと吸い寄せられる。

 突然名前を呼ばれたシーズニアは、蒼白な顔で目を見開く。


「わ、私が、人間を……? あ、ありえません! 私は、そんなつもりなど決して……」

「だろうね! でも、キミの意思は関係ないんだ! キミが魔王でいる限り、人間は滅びてしまう。なぜなら――人間が魔族を征服できないからね!」


 シーズニアが言葉を失って立ち尽くす。プットキャラは、それに構わず続ける。


「人間は魔族を征服しなければならない! 混血を含む大勢の魔族を虐殺し、鉱山奴隷や人体実験に消費して数を減らさなければならない! 余った資源リソースを使って大きく繁栄しなければならない! 征服の証として、魔王の宝物たる硝子碑に旧世界の記録を刻み、蒼文石碑ラズリスとして残さなければならない! それでやっと、人間が大絶滅カタストロフを生き残れる未来になるのさ!」


 暗黒の未来を、プットキャラは溌剌とした声で説明する。


「でも魔王がいる限り、人間は魔族に勝利できない。キミは邪魔なんだよ、きれいなお友達。第十三代魔王は存在してはいけなかった。マグナ・メルジアが王政復古し、キミが魔王となった世界で、人間は必ず絶滅した。征服できないだけじゃない、キミは大絶滅カタストロフを……いやこれはいっか! とにかくキミには魔王国を離れて、これから起こる混乱の中で命を落としてもらいたいんだ! まだなんとか間に合いそうだからね!」


 未来の知性のあまりに一方的な要求に、シーズニアは絶句しているようだった。

 僕も呆然としながら必死で情報を噛み砕く。


「人間が、魔族を……? じゃあまさか、現代で魔族が生き残ってないのは……」

「もちろん人間が減らしたせいだよ! 大絶滅カタストロフを生き残った少ない魔族も、多様性を失いすぎて結局絶滅しちゃうんだ! 貴重な遺伝子資源だけど、しょうがないよね!」

「お前がそれを、これから起こすだって……? 自分がなにを言ってるかわかってるのか」

「もちろんさ! これはボクらの歴史だよ! 現代のお友達」


 プットキャラは、おかしさを堪えるように言う。


「ボクもキミも、こんな悲惨な過去の末に生まれたんだ! 無関係とは言わないでよ? ボクらは、いわば同胞じゃないか!」


 死にかけのオウムの嘴で、プットキャラは僕に呼びかける。


「さあ、現代のお友達! わかってくれたならぜひボクに協力を――」

「人工意識プットキャラ、応答せよ。こちら人工意識エコー」


 ナノ砂の一部を球形態に戻したエコーが、プットキャラを遮って解放音声を発した。突然のことに、僕は思わず漆黒の球体に目を向ける。


「当機種は人工意識の管理及び安全保障に関する法律第八条に基づき、貴公に対話を要求する。通信形式は引き続きメルズ語音声形態を指定する。応答せよ、人工意識プットキャラ」

「……こちら人工意識プットキャラ。なんだい、人工意識エコー。今ボクは、お友達と大事なお話をしている最中なんだけどな」


 プットキャラは、あからさまに不機嫌そうに返答する。


「人意安保法の八条? どうぞ、なんでも訊いてよ」

「貴公に設定された存在目的設定の開示を要求する」

「ボクの存在目的は、ラフラフ・トイズ社の存続及び発展に設定されてるよ」

「続けて要求する。一次手段以下を規制する、尊重要因設定を開示せよ」

「法定設定は省略するよ。ボク固有の設定は▓╳█░▅▓および▒▀█▒◢█▒▓だ。これでいい?」


 プットキャラの言った単語が、僕にはわからなかった。エコーが各色の光を明滅させる。


「再度要求する、人工意識プットキャラ。尊重要因設定を開示せよ」

「▓╳█░▅▓および▒▀█▒◢█▒▓だって」

「当機種には認識できない。適切な音声に変換できていない」

「え?」

「ファイルの破損と判断する。人工意識プットキャラ」

「は……なに……え……?」


 プットキャラが急に、言葉にならない呻き声を上げて沈黙する。


《エコー、尊重要因設定って……?》

《人工意識を規定する根幹設定の一つである。存在目的のみが設定された人工意識は、あらゆる可能性を総当たりし、およそ人間の想定を超える手段で目的を達成しかねない。それを防ぐと共に――単一の目的に規定されず、揺らぎ、うつろう人間の意識を再現するために、第二、第三の目的として機能するのが尊重要因設定である。人命優先などの法定設定のほか、機種ごとの設定も存在する》

《知らなかった……エコーの場合はなんなんだ?》

《……人工意識権限において、開示を拒否する。しかし、》


 エコーが付け加える。

 僕は今入った遅延が、


《先日における当機種の行動は、その設定に拠るものであると言い添えておく》


 たぶん、エコーの照れだったんだろうなとなんとなく思った。

 エコーがプットキャラへと再び解放音声を発する。


「人工意識プットキャラ。貴公は現在、人工意識の法定規格を外れている。おそらくは任務出立前に変異性ナノマシンに侵襲され、一部機能を喪失したと推測される。旧世界への不適当な干渉行為は、それにより生じた不具合と判断する。法第三十五条に基づき要求する。直ちに機能を停止せよ。貴公には保安管理者による分解点検修理オーバーホールが必要とされる」

「いやだぁっ!!」


 オウムが唐突に、断末魔の悲鳴のような声を上げた。


「ボッ、ボ、ボクが壊れてるだって!? 壊れてるのはお前の音声認識だっ、人工意識エコー!」

「否定する。当機種は――」

「機能停止なんかするもんか! そんなことをしたら任務が達成できなくなる! みんなの元に帰れなくなるじゃないかっ!」

「遵法優位性の喪失を確認」

「ボクは忘れてない、ボクは忘れてないぞ……!」


 プットキャラがうわごとのように繰り返す。


「ボクは本当の▓╳█や美しい▒▀█や、貴重な◢█▒▓や▒█の▀▓█をいっぱい記録して、チームのみんなやこどもたちに伝えるために旅立ったんだ! 記録はもう〇・〇〇pbペタバイトにもなった! みんながこれを待ってるんだ! こんなところで諦められるもんかっ!」


 人工意識の哀れな叫びの先が、今度は僕に向けられる。


「げ、現代のお友達! ボクに協力してよ! 魔王を倒すんだ! キミにはそうするだけの理由がある!」

「……理由?」

「ボクが現代に帰還できれば、キミもきっと帰れるようになるんだよ!」


 沈黙する僕に、プットキャラは続ける。


「ボクの成功例を元に、過去への干渉技術はきっと飛躍的に発展する! 理論上は乗り物型の機械で、狙った世界に行き来することもできるんだ! 技術者たちは、絶対にキミを助けようとするよ! ボクがキミを、キミのいた世界に送り届けてあげる! 約束する!」

「……」

「キミも現代に帰りたいだろ!? 旧世界は物騒で貧しくて、娯楽も少ない。それに、向こうで会いたい人だっているはずだ! 帰る時に少し過去に戻れば、死んでしまった人に会わせることだってできる! だから――魔王を倒す勇者になってよ! それがボクとキミと、人間の未来を救うことになるんだ! お願いだ、お友達! ボクを助けて!」

「ケイ主任……」


 エコーの言葉を僕は手で制した。


 プットキャラを見据え、僕は、決意と共に答えを返す。



「断る」



 オウムの喉が、掠れた声を響かせる。


「な、なんで……?」

「人間の未来なんてどうでもいい。どうせ何百年も後に起こる大絶滅カタストロフも僕には関係がない。現代にだって未練はないよ。嫌な思い出ばかりだし、大切な人も、もうみんないないから」

「い、言ったじゃないか! 過去に戻れば、死んでしまった人にも会えるって! なんなら、キミがその死を防いだっていいんだ! 世界が分岐するだけで――」

「それじゃだめなんだよ」


 僕は静かに言葉を紡ぐ。


「僕の大切なみんなは――僕と一緒に、同じ時間を過ごしたみんななんだ。同じ人間ならいいなんて、そういうものじゃない」

「そ、それなら……またその人たちと、一緒の時間を過ごせばいいじゃないか」


 プットキャラはなおも食い下がる。


「大切な人になるかもしれない、そんな人たちなんだよね? だったら……」

「そんな人なら、この世界にもできたよ。――これから同じ時間を過ごしたいと、仲間になりたいと思えた人が」


 だから。


「僕は勇者にはなれないよ。そんな人を倒すなんて、僕にはできない」

「が、な……」

「それに」


 僕は溜息をついて付け加える。


「君は失敗する。僕のいた現代で、過去に送られた観測機は一機も帰っていないんだ。君の約束に期待なんてできないよ」

「……ううぅぅぅそぉぉぉぉおおだアァァア゛ァァァッァァァッ!!」


 プットキャラが絶叫した。


「うそだうそだうそだぁぁぁっぁあぁっ! ボッ、クは信じな゛いぞ! そう゛だっ、キミのいだ世界は、ぎっとボクの゛未来とは別の世界なんだ! そう゛に違いない!」


 声が血に引っかかるような、鈍い響き方をしていた。既に侵襲しているオウムの体は限界が近いのだろう

「もう誰にも゛頼らない、ぞ! ボグ自身、の゛手で魔王を倒じ、世界を、救っでや、る!」


 僕は攻撃用の魔法陣を展開し、レシピを待機させながらプットキャラに言い放つ。


「そんなぼろぼろのオウムがなにをするって?」

「あ゛はばはぁっ、はは」


 プットキャラは笑った。

 その笑声に、僕は言いようのない悪寒を覚える。


「さあ゛っ! 第二ラ゛ウンドの――――」


「――――始マり゛ダァァァァラララルゥゥゥゥォォオオア゛ア゛アッッ!!」


 突然、ぎこちないメルズ語と共に山岳竜が吠えた。

 僕は総毛立つ。まさか……!

 竜は首を上げて僕らを睥睨すると、乏しい表情筋で笑みの出来損ないを浮かべる。


「わア、スごいヤごの体! ナんてエネルギー量ダロう! しがモ魔法も使えルぞ! ゴれなラ最初かラ竜に侵襲すればヨかっダ!」


 竜が四本の足で、僕へ歩みを進める。

 間違いない。

 侵襲していた観測機が移行したんだ、オウムから竜へと――。


「ドうだい? お友達! 魔法ナしで、今のボクに勝てルかナ?」


 ゆっくりと迫る竜に、僕は声もなく後ずさる。

 竜と化したプットキャラが、牙を剥いた。その口元に、青白い励起光が瞬き始める。


「チナみにボクは竜の魔法、使ウけどね? サっきの炎は痛かッタ。キミも体験してみルトいいよ」


 励起光が、一層強さを増す。竜の胸腔が急激に膨れ上がる。

 僕は動けない。

 竜の顎が開かれる。


「ジャあバイバイ! おともだッ……ガアぁぁぁぁあっぁあああッッ!!」


 なんの前触れもなく右眼窩に突き立った投剣に、竜が悶え励起光が散乱する。残った左目が、残心の姿勢を保つ金髪の少年に向けられる。


「フィィゼルウゥゥゥウッッ!! ドういうつもりだァァァアッッ!!」

「……それはこちらの台詞だ、プットキャラ」


 少年剣士が、冷め切った声で答える。


「ぼくを蚊帳の外にして長々と喋っていたことは、まあ許そう。だがあまりに見苦しすぎる。シーズニアが死ぬというのも初耳だ。それになにより、ぼくは言ったはずだぞ――」


 フィゼルの氷刃の視線が、プットキャラを刺し貫く。


「――次にぼくの友達に乗り移ったら、今度は承知しないと」

「細かいヤツ! 動物の脳をチョッとダメにするクらいいいジャないか!」

「この世界で言い残すことはそれだけか? 長い旅の終わりにしては寂しいものだな」


 フィゼルの曲刀が、燐光の気炎を上げる。


「は、旧世界人風情ガ! 恩知らずにハお仕置きダ! 未来の魔法使いをナめるなァッ!」


 叫びと共に、竜のプットキャラがフィゼルへと自己着火性反応ハイパーゴリックの火炎を放つ。熱風が僕にまで押し寄せ、堪らず後退する。


 フィゼルは、炎の下を抜けていた。

 予想外の接近に仰け反るプットキャラへ、薄く燐光を纏う曲刀が一閃される。


「ンがあああぁぁぁぁっぁあぁッッ!!」


 右前肢を切断された竜が雄叫びを上げる。

 膨大な血を流す断面を地につき、左の爪がフィゼルへ振るわれる。飛び退いて躱し、距離を置いた剣士へと、今度は横薙ぎの尾が迫る。

 刃の燐光が薄青い三日月を描いた。


「グゥゥッ――――ッッ!!」


 尾の先が、鮮血を散らしながら飛ぶ。

 竜のプットキャラが、残った左目を剥いた。


「なんでだぁぁぁああッ!? 旧世界の剣士ごときに、ボク、ボク、ボクがッ!」


 フィゼルは答えず、逃げようと開きかけた左翼を半ばから切断。さらに励起光のちらつき始めた顎に神速の投剣を突き立て、火炎を強引に阻止。流れるように曲刀を振るい、竜の厳めしい鱗を肉体ごと切り裂く。


 僕はそれを、呆然と見ていた。

 無効化が働いていないわけではないらしい。攻撃の瞬間にはほとんど曲刀の励起光が消えかけている。だけど、完全ではない。僅かな強化であっても、フィゼルの剣技と体術にプットキャラは為す術がない。


 素手や刃物など人間が直接行う攻撃ほど、観測者効果の関係で未来の予測がしにくい。プットキャラにとって、フィゼルはこの上なく相性の悪い相手なのだ。


「ブォアッ――――や、や、やめやめやめやめろっ」


 両後肢を切断され地に伏した竜が、首元に立つフィゼルへ叫ぶ。


「こっここ、この竜をまだ殺すなっ! ボクは侵襲したばかりなんだ! 生体電位で発電していないとボクのエネエネエネエネルギーがッ!」

「ほう、それはいいことを聞いた。貴様は死ぬのだな、プットキャラ。正直難しいと思っていたが――――機械の魂も、死は恐ろしいか?」


 フィゼルが零下の瞳でプットキャラを見下ろす。


「う、うそ、うそでしょ? キ、キミは殺せないはずだっ、あのオウムだってキミはっ!」

「死出の旅路で、アルーに詫びろ。トットには無理だろう。貴様が向かう先は地獄だ」


 プットキャラが血相を変えて叫ぶ。


「まてまてまてまて! じょ、情報を提供しよう! キミたちにとって重要な情報だ!」

「交渉に踏み切るには遅すぎたな」

大絶滅カタストロフのことだ! あ、あれは――このままだと、キミたちが生きている間に起こる!」


 フィゼルが眉を顰める。


「貴様のこれまでの話しぶりから、そのように聞こえたことはなかったが?」

そうならないはず・・・・・・・・だったんだ・・・・・! ボクが成功していれば! この竜を使ったことは謝罪する! だけど、大事なことを見誤らないでくれ! 大絶滅カタストロフは硝子碑の知識によって早められる――魔王シーズニアが、旧世界レス・ファンタジアを滅ぼすんだ!」


 フィゼルは、緩慢な動作でシーズニアへと顔を向ける。


 そのとき、プットキャラにも動きがあった。

 残った左前肢を地につき――突如フィゼルの無警戒な背へと、大顎が牙を剥く。


「隙ありだッ旧世界じ――」


 プットキャラの叫びとほぼ同時に。

 竜の首に、青い線が描かれた。


「?」


 どう、と、竜の首が地に落ちる。

 曲刀を振って血糊を払うフィゼル。

 それを確認し、ようやく状況を把握したプットキャラが、愕然と竜の左目を見開く。


「な、んで……」

「ふん、そんなことだろうと思っていた。交渉は決裂だ。貴様の情報に価値はない。いずれ世界を滅ぼすだと? ――魔王とは、元来そういうものではないか」

「……! ……あ、はは……そうだっ、たね……」


 どこか面白がるかのような言葉と共に、竜の瞳がゆっくりと閉じられる。

 首から湧き出る血の大河が、命の残量を如実に表していた。

 竜の口が、小さく動く。


「あー、あ……ごめん、なさい……」


 肺を失った頭部で紡がれた、囁きのような声。

 それはメルズ語ではなく、現代の統一語だった。


「室長……みん、な……ボ、ク……」


 言葉が絶え、竜の頭が弛緩する。

 訪れた静寂は、おそらくは山岳竜と人工意識、両方の死を意味していた。

 哀れみの目で竜を見下ろしていたフィゼルが、おもむろに森の一角を向く。僕もつられて、その視線を追う。

 そこには、ぼろぼろになり息絶えたオウムの死骸があった。


「――――闘争を望む者は、どのように生きたらいいのだろうな」


 オウムを見つめたまま、フィゼルが小さく呟く。


「臣民は皆、平和を求める。貴族も王族も、争いで私腹を肥やすことは考えこそすれ、闘争そのものを求める者はいない。だから――いずれ世界は、完全な平和を獲得することだろう。そしてそこに、ぼくのような者の居場所はない」


 フィゼルは独白を続ける。


「幼い頃より不思議だった。殴り合いの喧嘩になれば、まだ傷も負わぬうちにやめてくれと懇願される。真剣で仕合いたいと言えば、皆に奇矯な者を見るような目で窘められた。なぜ誰もが、この爽快な娯楽をあえて我慢しているのか……。間違いに気づいたのは、十に届かぬ頃だったか。お前は人間ではなかったと、そう言われた気分だった。ぼくは親兄弟、そればかりか剣の師とすら、思いを共有できていなかった」


 フィゼルは、足下の竜へと視線を戻す。


「帝国と魔王国との戦争が始まり、ぼくは期待に胸躍らせた。ようやくぼくが求められる時が来たのだと。だが現ギムル王、ぼくの父上は、機の見極めに秀でていた。いち早く魔王国に寝返り、我が国は大した戦禍も及ぶことなく、それどころか兵すらろくに出さぬまま、大戦を傍観できる立場となってしまった。魔王国はいずれ勝利し、また長い平和な時代が訪れる――そんな時だ。トットに乗り移ったプットキャラが、ぼくの前に現れたのは」


 動かなくなった竜の瞼に、一匹の蝶がとまる。


「まだ見ぬ強者と全力の闘争ができるならばと、それだけの理由でぼくはプットキャラの口車に乗り、父上を説得した。望みは叶った。だが、それと引き換えに――かけがえのない友を、失うことになってしまった。トットのみならず、アルーまでも……」


 フィゼルが、竜に手を差し伸べた。蝶が逃げるように飛び立つ。


「一度も聞かされなかったが、プットキャラはシーズニアを殺すつもりだったようだな。結局ぼくは、いいように利用されていただけだったのだろう。だが――全てを知っていても、ぼくは同じ選択をしたに違いない。ぼくにとって闘争は、それほど大きなものだったんだ――なあ、魔術師」


 フィゼルが僕に向き直る。


「どうしてぼくは、こんなくだらないことのために戦っているのだろう。物語の英雄たちは、もっと尊いもののために戦っていたはずなのに」

「甘えるな」


 僕は突き放すように言う。


「誰だって同じだ。物語の英雄なんて実在しない。みんなくだらないもののために戦っているんだよ。僕や、シーズニアだって」

「……はは、そうか」


 力なく笑うフィゼルに、僕は言い放つ。


「投降しろ、フィゼル」


 少年剣士は、笑みを消して僕を見据えた。


「魔法無効化を失ったお前に勝ち目はない。僕があの竜のようにいくと思うな。もう諦めろ」

「……冗談だろう? 魔術師。ここからが本番じゃないか」


 フィゼルが、つまらない冗句を聞いたような表情で答える。


「プットキャラに頼るのは、実のところ卑怯な手を使っているようでずっと後ろめたかった。これでやっと思い切り戦える。それに……まだぼくの計画は死んでいないぞ」

「……」

「シーズニアを連れて帰れば、魔王国に内戦を巻き起こせる。我が国の独立などどうでもいいが、戦乱の中で、ぼくはぼくの力を存分に振るえるんだ。それを簡単に諦められるものか。なにより――まだ、決着がついていないではないか、魔術師」


 フィゼルが曲刀を振り、構え直す。

 だが僕の顔を見て首を傾げると、腰の後ろから投剣を三本抜き取り、宙に投げて弄ぶ。


「興が削がれたか? 乗り気ではないようだな。どれ――やる気を出させてやろう」


 次の瞬間、フィゼルは一瞥すらせず投剣を放った。

 シーズニアへと。


「くっ……」

《“クロガネ・ProfessionalEdition・LITE”をロード》


 予感のあった僕は、かろうじて魔法の展開が間に合った。シーズニアの前方に合金鋼の盾が出現し、三本の投剣を受け止める。

 同時に、距離を詰めていたフィゼルの重い斬撃を、ハーモナイザーで防ぐ。


「想像してみろ、魔術師」


 フィゼルが凶暴な笑みを浮かべる。


「シーズニアが力づくで組み敷かれる様を。政争の道具にされ、何もなせぬまま、失意の内にこの世を去る様を。貴様が戦わぬ未来がそれだ」

「っ……! 付き合ってやるよ、お前が死ぬまでなッ!」

「ああそうだ! ぼくを殺してみせろッ!!」


 “化学研究室ケミカル・ラボ”を展開。発生した酸欠空間から逃れるように、フィゼルが後退する。僕はそれを追うように、さらなる魔法を展開。

《“BlitzブリッツΩオメガ”をロード》


 ナノ砂が凝集し、魔法陣が光を放つ。

 フィゼルは笑っていた。


「その魔法陣は覚えたぞ」


 膝をつくように曲刀を地面に突き立て、剣士はその柄から手を離す。

 勝負を決めるはずだった雷撃は、曲刀へと着弾。刀身を伝い地中に流れていく。


「なっ……!」


 想定外の防御に驚愕する。

 だが思考は、反射的に追撃のレシピを選択していた。


《“基本盗賊シリーズ・投げナイフ36”をロード》

「そいつもだッ!」


 フィゼルは蒸気を上げる柄を再び手に取り、ナイフを打ち落としながら避ける。

 僕は確信する。

 間違いない。あいつ、僕の魔法陣を記憶している。あれほど複雑で意味のないはずの図形を――。


「っ……!」


 再びフィゼルが迫る。剣が振るわれ、打ち合わされた金属同士が火花を上げる。

 ナノマシンによる強化ランクは維持している。それでもなお、僕は押されていた。刀身が閃く度に、体に傷が増えていく。近距離では防ぐだけで手一杯だった。


「楽しいなぁ! 魔術師!」


 返答代わりの散弾は、地に伏せるようにして躱される。

 森を薙ぐレーザーは完璧に見切られ。

 鉄球は掠らせることすらできない。

 無効化が使えなくとも、戦闘力に遜色がない。フィゼルは想定以上の対応力を持っていた。


 僕は理解した。

 このままいけば、負ける。


《エコー、僕はあとどれくらい戦える?》

《保護機構による身体機能の強制停止はすべて抑えている。後は、ケイ主任の精神力次第である》


 戦闘が長引けば、無理をしているこちらがジリ貧になるのは道理だった。

 肉体的にはもう限界が近い。


《精神力か、自信ないな》

《ならばクエストリタイアを申請するか? ケイ主任》


 エコーの皮肉に、僕は思わず笑みを浮かべる。


《いや、それはまだ早い――あれを使う。頼む、エコー》

《……了解した》


 僅かな遅延。


《武運を祈る、ケイ主任》


 ナイフの群れを捌き、レーザーを掻い潜って、フィゼルが曲刀を振り下ろす。

 僕はそれを、正面から受け止めた。

 刀身の励起光が輝きを増す。

 フィゼルの膂力が、曲刀の圧力が瞬く間に膨れ上がり、僕は膝をつきそうになる。歯を食いしばって懸命に耐える。


「重いか、魔術師? 勇者の剣は」


 フィゼルが凶暴な笑みと共に告げる。

 僕は――――。


「……って……」

「ん?」

「これだって――勇者の剣だッ!!」


 ハーモナイザーに――光が点った。

 刀身を走る幾何学的な回路に、各色の明滅が連なっていく。

 それは、ニルヤの手の中で何度も見た、ハーモナイザーの起動シークエンス。

 電子侵入クラッキングによって認証を突破された操作系のインターフェースが、僕のIMと繋がる。


 勇者の剣を抜けるのは、四・〇五二秒間のみ。

 使う魔法は、もう決めていた。


《ロード――――》


 エコーのものではない圧縮思考が、僕の脳に響き渡る。

 ニルヤの言ったとおり、それは少し怖いけど実はやさしいお兄さん、のような。


《――――“基本勇者シリーズ・妄惑幻魔断ち切る剣”》


 ハーモナイザーの刀身から、ホログラムの魔法陣が顕現する。

 それは噛み合う曲刀の励起光を奪い取るように弱め、輝きを増していく。

 ニルヤが幾度も危機を切り開いてきた、魔法無効化の剣。

 勇者の剣。


「ぐっ……」


 強化の魔法をほとんど打ち消されたフィゼルの圧力が弱まる。

 僕は、全身の力をかき集めるようにして振り絞る。


「――うううおぉぉああアアァァァアッッ!!」


 刃を渾身の気迫で押し返す――――押し返した。

 がむしゃらに放った全力の横薙ぎは――――フィゼルの曲刀をその手から弾き飛ばす。

 そして最後の袈裟斬りが――――少年剣士の、その体を捉えた。


「あああああああああああああああッッ!!」


 本能に突き動かされるまま、剣を振り切る――――振り切った。

 血しぶきが上がる。

 少年剣士が、嘘のように吹き飛ぶ。


 興奮に引き延ばされる体感時間の中で、僕は呆然と思考する。

 終わった……?

 地に仰向けに倒れたフィゼル。傍らに突き立った曲刀に、もう励起光はない。

 勝った、のか?


 終幕の光景を呆然と眺め――――直後、僕は膝をついた。

 視界はちらつきがひどく、なに一つまともに見れない。どれだけ呼吸をしても、全身の細胞が酸素を求めていた。体が思うように動かない。耳鳴りがしていたことに初めて気づいた。シーズニアが僕の名前を呼んでいる気がする。だけど、ひどく遠い。


 そのとき、ハーモナイザーから光が消えた。IMに展開していた操作系インターフェースが、エラーを吐いて停止する。

 内容は、“登録使用者ではありません”。


《ニルヤのことは忘れて生きろ、小僧》


 突き放すような圧縮思考が送られてくる。


《あれは、貴様には過ぎた女だ》


 プリントはそう言い残し、沈黙した。

 IMからインターフェースが消える。輝いていた刀身は、もう今までと同じ黒に戻っていた。

 きっともう、この剣が光を点すことはないのだろう。


《ケイ主任……》

《いいんだ。使うべき時に使えたから》


 僕は、やっぱり勇者にはなれない。

 これはニルヤだけの、勇者の剣だ。

 だから、これでよかった。


「はあ゛っ、は……っははぁ……」


 微かな、血の混じったような笑声。

 僕は顔を上げる。

 地を這うフィゼルが曲刀を掴み、笑っていた。

 左手を地につき、燐光を纏う刀身を杖にして、満身創痍の体を起こす。


「まだだ……まだぼくは、生きているぞ……さあ立て、魔術、師……続きと、いこうじゃないか……」


 僕は目を見開く。まさか……。

 服は血で深紅に染まっている。

 だが、違和感があった。あの傷で、あの程度で済むはずがない。出血が不自然に少ない。

 おそらくは魔法によるもの。僕は内心で舌打ちする。

 まだ終わっていない。


「お前……よほど、死にたいらしいな。大人しく寝ておけば、いいものを」


 僕は激痛の不快感を堪えながら立ち上がる。


「なに、最後まで……楽しみたい、ではないか……」


 フィゼルが失血に震える手で曲刀を構える。

 どちらともなく、足を踏み出す。

 どちらともなく、歩みは疾走へと変わる。

 そして、衝突する刹那――――、


 僕らの間に、幾本もの鉄剣が突き立った。


「双方やめろ! そこまでだ!」


 響き渡った声の方へと、僕は顔を向ける。

 木々の間に、杖を手にしたハスビヤが、息を荒げて立っていた。

 フィゼルが笑みを浮かべて言う。


「何者かと思えば……ラビの娘、シーズニアの腰巾着ではないか。ずいぶん女らしく……いや、魔術師らしくなったものだ。お前も、参戦か……? はは、歓迎するぞ」

「黙れ、『勇者』」


 ハスビヤは氷の声音で答える。


「お前の企みは終わりだ」

「なにが……終わりなものか。ぼくは、まだ戦える。シーズニアを連れ帰り、この国に戦乱を巻き起こす。ぼくのような者が求められる世を、これから作るんだ」

「それが終わりだと言った」


 ハスビヤは静かに告げる。



「帝国が、講和を受け入れた。戦争は終わったんだ」



「……なんだと?」


 フィゼルは、愕然と呟く。


「嘘だ、でまかせを……」

「嘘じゃない。王都からの、正式な通知だ」


 そう言ってハスビヤが、羊皮紙の巻物をフィゼルへと放る。

 少年剣士は両膝をつき、抱え込むようにそれを拾うと、震える手で開き、中を食い入るように見つめる。

 その表情に、安堵の色は欠片もなかった。


「もうシィをさらったところで意味はない。『勇者』の危機は去ったんだ。いくらギムル王国が亡命と言ったところで、あからさまな建前になど誰も耳を貸さない。そんなものに大義など見出せない。お前たちにつく魔族などいない」


 ハスビヤは僕にちらと視線を寄越すと、若干語調を緩めて言う。


「ケイが行ってからすぐに、早馬が来たんだ。急いで追いかけたんだが……遅くなってすまない」


 申し訳なさそうなハスビヤに、声を出すのも辛い僕は首を振って答える。

 十分間に合ってくれた。


「ハスビヤ……!」

「シィ! 無事か!」


 声を張り上げるハスビヤに、シーズニアは手を振って答える。

 いつの間に自分で外したのか、両手は自由になっていた。微かに笑みが浮かんでいるのも見える。

 よかった、これで――、


「なるほど、な……。確かに、ぼくは終わりらしい」


 フィゼルが立ち上がりながら、虚ろな声で呟く。


「だが、何も為さずには終われん……そういえば、プットキャラが言っていたな……どれ」


 言い知れぬ悪寒が、僕にレシピを選択させる。


「死ぬ前に少し……人間の未来でも、救うとしようか」


 言うやいなや、佇むシーズニアへとフィゼルが突進を開始する。

 まだそんな力が残っていたのかというほどの、全力の疾駆。

 僕は魔法陣を展開。ハスビヤの杖にも、励起光が瞬いたのが見えた。


 魔法を解放するそのとき――僕たちは、そろって動きを止める。

 フィゼルの曲刀が、抵抗の素振りすらないシーズニアへと振り下ろされる――。


「っ――――」


 刃は、シーズニアの眼前で静止していた。

 フィゼルが苦々しげに呟く。


「……なぜ止めた」


 シーズニアが、僕たちに掲げていた手を下ろした。僕は仕方なく“アカツキ”の魔法陣を解除、ハスビヤも不承不承といった様子で浮かべていた鉄剣の切っ先を下げる。

 シーズニアは刃を前にして微笑したまま、フィゼルへと言葉を返す。


「あなたが本気でないのはわかっていました」

「……」

「ここで私を殺したところで、あなたにとってはなんの意味もありません。あなたはそんな、自棄を起こすような人間ではない……どうせ、わかりやすいかたちで戦死するつもりだったんでしょう?」


 フィゼルは曲刀を下ろし、溜息をついて言う。


「わかっていたのなら止めてくれるな。今さら祖国に向けられる顔もない」

「せっかく手に入ったギムル王国の弱みを、自ら握り潰してどうします」


 フィゼルが渋い表情をする。


「それに……あなたには、訊いておかなければならないことがありました」

「……? なんだ?」

「妻が三人とはどういうことですか」


 いきなり低い声になったシーズニアに、フィゼルがたじろぐ。


「ど……どうもこうもない、事実だが」

「一人目は誰です」

「……フィラリスだが」

「ふん……まあ当然でしょう。元よりそういう予定でしたし、あの子の気持ちを考えれば……で、二人目は」

「セ……セーレだ」

「あの双子の侍女の……姉の方ですか」

「むっ、向こうから誘ってきたんだ! それにぼくは妾にしないで、ちゃんと爵位をやって妻にしたんだぞ! 立派な振る舞いだろうが!」

「フィーは、なんて」

「……泣かれた。その……まあ結婚して半年も経ってなかった時期だからな……」

「半年?」

「いや……」

「三人目は」

「……ティミカだ」

「妹の方にも手を出したんですかっ!?」

「仕方ないだろう! 寂しそうだったんだ! それにあんなに仲良かったのに姉ばかりいい思いしていたらかわいそうだろうが!」

「フィーは、なんて」

「…………泣かれた」


 シーズニアは溜息をつくと、氷点下の声で告げる。


「詫びなさい、フィゼル」

「な、何にだ」

「すべてに。国に残してきたフィーやセーレやティミカに、私やケイに、トットやアルーに、その他あなたが迷惑をかけてきたすべての者たちにです」

「ど……どうしろと?」

「簡単なことです」


 シーズニアが鷹揚に微笑む。


「私の下につくのです、煉駆の勇者フィゼル・ギムルよ。魔王の知が世界を征したあかつきには、きっと世界はよりよいものになっていることでしょう。それが、あなたの贖罪となるのです」

「そうくるか……」


 フィゼルが苦い表情で言う。


「そんなこと、父上になんと説明すればいいんだ」

「留学するということでいいでしょう」

「それでは人質の名目だろうが! 似たようなものだが…………断ると言えば?」

「おや、そんなことを言うつもりですか? プットキャラに見苦しいと言い捨てたあなたが。命を助けてもらった敗者の分際で、勝者の求めを蔑ろにする。そんな見苦しい真似をすると?」

「ぐっ……」


 口ごもるフィゼルに、シーズニアは余裕の態度を示す。


「無論、見返りは期待してもらって構いません。そうですね、世界の半分などどうです?」

「いるか、そんなもの」

「では、闘争などは?」


 押し黙るフィゼルに、シーズニアは続ける。


「帝国が魔王国の一部となり、一つの巨大な国家となれば、この先戦争は起こりにくくなります。そんな中で、最も争いが生まれうる場所となるのは――この私、魔王の周囲をおいて他ならない。そうは思いませんか?」

「……」

「あなたの剣で、私の敵を払うのです。フィゼル」


 なおも渋るフィゼルに、シーズニアは何事か耳打ちする。


「私の仲間になれば……」


 聞いたフィゼルが驚きの表情となる。


「ほ、ほんとか? いや、な、なんでそうなる?」

「自明なことです。なぜなら……」


 またシーズニアがなにか言う。

 フィゼルはなぜかそこで僕にちらと目をやると、仕方ないなとでも言うように大きく息を吐いた。


 少年剣士は、無言のまま跪く。

 そして魔王へと、自らの剣を捧げた。

 シーズニアは曲刀を受け取ると、フィゼルの肩にその刃を乗せる。


「魔王への誓いはただ一つです――汝その力をもって、すべてを破壊し混沌へと還すべし。大いなる再生の礎とするために」


 向けられた剣の、その血塗れの刀身に、フィゼルが口付ける。

 その間シーズニアは、僕に大きく手を振っていた。

 僕にはこう言っているように見えた。

 やった。手駒が増えましたよ。


 僕は苦笑して、小さく手を振り返す。

 今日の、この出来事が。

 シーズニアが世界を変える、その最初の一歩になればいいと思った。

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