エピローグ:比翼の烏が行く先は

 思えば濃密な三日間だった。

 朝起きて、大学に行って。友達とわいわい騒いで、帰宅する。単調、だけどそれなりに刺激的な毎日。これからも変わらず続いていくのだと、あの頃の僕は信じ込んでいた。

 神様になるなんて想像さえしていない、単純で能天気な過去の自分が、遥か昔のことのよう。

 ……名残惜しくないと言えば、少しだけ嘘になるかな。

 後悔はしていない。元に戻れるギリギリの一線は、大切なものを手に入れるために踏み越えた。それが吉と出るか凶と出るかは……もうじき、嫌でも分かることになるだろう。

 さっきみたいに、僕たちは並んで腰を降ろした。

 肩と肩とが触れ合わない絶妙な距離感。黒羽の方からは詰めて来なかったので、代わりに僕が身体を寄せていく。

 互いの素肌が重なるも、僕も黒羽もそのことには言及しない。

 沈黙を破ったのは、黒羽からだった。


「――話すことなんて、あるのか」


 そっぽを向き、素っ気ない態度で訊いてくる。


「あー……それわざと言ってる? じゃなかったら僕、結構傷付くよ」


 意地悪かなと思いつつ僕が答えれば、黒羽は「えっ」と慌てた様子を見せてから、


「……すまない。わざとだ」


 そう囁く。それから間が空いて「勘がいいな」と付け加えられた。ありがと、と苦笑いを返しておく。ほんと、正直なくせに素直じゃない。

 少し迷って、真っ正面から切り込むことにした。


「……ところでさ、僕は今、君の答えがまだ変わってないのかを知りたいんだけど」


 身体を固くする黒羽。耳まで赤く染め上げて俯き、一言も声を発しようとしない。


「昨日とは色々と状況も違う。だから今度は別の言葉を聞かせてくれる、って期待してもいい?」


 そこで黒羽は僕から見られていることに気付いて、翼で顔をパッと隠した。けれどそれでも距離を取ったりはしないあたり、本心が滲み出ているようでとてつもなくいじらしい。


「……強情だな」

「君に言われる筋はない」

「種族が違うだろう。汝は人間だ」

「さっきまではね。今は半分、化け物さ。君に近付いた」

「住んでる場所も別だし」

「しょっちゅうこっちに来てたのはどこの誰だっけ」

「じゅ、寿命とか、ほら」

「マヤ様がそうだったみたいに、普通の人間よりはずっと長生き出来るんじゃない?」


 往生際の悪い言い訳をことごとく叩き潰していくと、やがて黒羽は唸り声を上げるようになった。目だけを出して僕を見て、地面を見て、また僕を見る。

 ようやく翼を広げたかと思えば、唐突に勢いよく立ち上がって、「ああもう!」とやけくそ気味に声を荒げた。


「――言っとくが私は重たいぞ! 汝が私を嫌いになっても手放してやらんからな! 後悔するな!」


 刺々しい口調で大胆な宣言。噛みついてやったつもりなのだろうが、僕にとってはくすぐったい甘噛みでしかなかった。

 しかしそんな風に言われると、こちらとしてもお返しをしたくなる。


「軽いよ?」


 黒羽を抱き上げて耳元で囁く。彼女の顔がますます真っ赤になった。


「そ、そういう意味じゃないっ! いいから降ろせぇ!」


 やっぱりだ。口説かれることに慣れていないからか、黒羽はとっても押しに弱い。こうして僕が何かをすると、すーぐこんな感じになって慌てふためく。でもって下手くそな照れ隠し。

 いつもの凜々しさを知っている分、タジタジな様子が凶悪なまでに可愛い。


「冗談だって冗談。ほら降ろしたよ、これで満足?」

「……っ、汝、ちょっと調子に乗りすぎだぞ」

「そうかな? 君がしたことをそのまま返しただけなんだけど……まあいいや。そんなことより、交渉が成立したからにはもう一つ確かめておかなくちゃね」


 僕の言葉に黒羽が眉をひそめる。

 漆黒の翼へ指を滑り込ませながら続けた。


「僕はひとまず家に戻ろうと思うんだ。黒羽はどうする?」


 着いてきて、と抱き締めて懇願出来ないあたり、やっぱり僕は僕だなって感じである。まあでも、僕としてはこういう言い方の方が好みだ。あまり強制はしたくない。

 黒羽の気持ちを直接聞きたい、という本音もあったりするのだが、それについてはここだけの秘密だ。

 今度は余所を向かせないように、両手を頬のラインに沿って這わせれば、黒羽はギュッと目を瞑った。


「…………に、……たい」

「え? ごめんよく聞こえなかった」


 訊き返す。黒羽がキッとこちらを睨んだ。


「一緒に行きたい、と言ったんだ! ちゃんと一度で聞き取れっ!」


 上擦った声でそう叫んで、翼をせわしなく羽ばたかせる様は、地団駄を踏む子供のように見えなくもない。

 君の声が小さいからでしょ、というのは、流石に可哀想なので言わないことにした。


「ありがと。それじゃ、帰ろっか」


 首を傾けて促せば、今度の黒羽は素直に頷いた。それから翼を人間の腕に変え、躊躇いがちに、けれどどこかそわそわした雰囲気を纏って、僕の手を優しく握りしめる。

 数秒空けて彼女の方から・・・・・・、慎重に指を絡めてきた。


「……その、楓」

「ん?」

「助けに来てくれて、ありがとう。嬉しかった」


 うっわ、ずるい。

 そんな儚げな声、出すなんて。今以上に守ってあげたくなるじゃんか。


「――なんてな」


 黒羽がニヤッと笑った。


「感謝しているのは本当だが、さっきの声はわざと作ってみた。私ばかりがやられっぱなしでは気に食わないからな。少しはときめけ」


 ……はあん、なるほど?

 最初に逢ったときとは立場が逆になった。そう思っていたけど違ったらしい。彼女に完勝出来るのはまだずっと先のことになりそうだ。

 ときめきました。これから何度も使うであろう台詞を呟くと、黒羽は満足げに鼻を鳴らした。



 声に出すまでもなくタイミングを合わせ、二人して並んで歩き出す。

 出来れば後ろにいて欲しかったりするけど、多分、僕たちは今みたいな関係が一番良いのだろう。

 夕日に照らされ、茜色に輝く空の中。

 ――カァ、と。

 どこかで、烏が鳴いたような気がした。

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願わくは比翼の烏となりて どくだみ @nigayomogi235

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