38、あの時の話

『一條の街はッ! 俺が! 護るッ!!』

 勇ましい叫びと共に、勇壮な音楽が流れ出した。

 画面中央。曇天の下、黒と赤の炎模様ファイアパターンの大型バイクが走っている。

 目元まで隠れる大きなヘルメットのおかげで、ライダーの表情はわからない。だが、その日は何故か、少し焦っているように見えた。

「う、ううう、うううぅぅ、珠野さん、珠野さぁん」

「…………先輩。私、怒ってますからね」

 公立市民総合病院。六階の、美夜子の病室。

 広いベッドの上で、美夜子は追い詰められていた。

 見舞い客用の椅子に腰掛けた桜田が、人目も気にせず号泣している。

 その隣にすわった梨乃が、じっとりと美夜子を睨みつけていた。

 今日、第五部隊は休日なので、二人とも見慣れた紺の戦闘服ではなく、私服である。

 桜田は灰色のパーカーとベージュのチノパン。

 梨乃は暗めの茶色のレザージャケットに、無地の黒Tシャツ、ジーンズである。

「さ、桜田くん。何もそこまで泣かなくても…………ほら、今はもう元気だし、右手もちゃんと動くようになるってお医者さん言ってたし」

「ふっ、ぐ、うぅう」

「梨乃ちゃんも。そろそろ許してってば」

「大体なんですか、『女と猫はなかなか死なない』って。普通に死にそうになってたじゃないですか」

「ク、〈クリスタ〉の方のことわざだよ。猫には七個魂を持ってて、女性は猫九匹分の魂があるってやつ。猫と女はしぶといって」

「…………」

「ふ、藤谷さん~」

 美夜子が宥めても、桜田は男泣きを止めない。

 梨乃はむっつりと黙って長い手足を組んでいる。身長が高い分、迫力満点だ。

 一時は上半身を起こすことすらままならなかった美夜子だが、今日はベッドに腰掛けるような体勢で見舞い客の相手をしている。身体のあちこちに巻かれた包帯は、大分その面積を減らしていた。

 神経が繋がるかどうかわからないと言われていた右手は、少しずつ動かせるようになっている。

「いいですよ、桜田くん。藤岡さん。その調子です。どんどん続けてください」

 テーブルの上に書類を広げ、なにやら書き物をしていた藤谷がにこにこと言う。

 その言葉で、ここに自分の味方はいないのだと、美夜子は思い知った。

「あれ? もしかして、藤谷さんも怒ってます?」

「怒ってなんていませんよ。ただ、僕は、今日はケイトさんの代わりに来ましたので」

 藤谷ふじたにさとる守護兵団ガーディアン第五部隊の副隊長だ。

 年齢は三十歳。中肉中背で、いつも笑っているかのような糸目が柔和な印象を与えている。

 物腰柔らかで、自分より年下の隊員たちにも丁寧な態度を崩さない。

 ケイトとは守護兵団ガーディアンに入隊する前からの付き合いで、幼なじみなのだという。

 身につけているのは、目に優しい色合いの灰色のスーツ。これから守護兵団ガーディアン本部に出勤すると言われても違和感のない格好だ。

「ケイトさんから色々伝言を頼まれていましたが、美夜子さんには年上から伝えるよりは年下から伝えた方が効果的だと思いまして」

「え、これ、ケイトさんも込みなんですか」

「そうですよ。今日の仕事が終わったら顔を見せに行くと言ってましたから、覚悟しておいてくださいね」

 険しい顔をしたケイトのことを想像してしまった。

 美人は怒るととても怖い。

 美夜子は、呻き声を上げてベッドに倒れ込んだ。

「珠野さん!?」

「先輩、大丈夫ですか?」

「あー、大丈夫大丈夫。ちょっと後のこと想像してギャーってなっただけ。元気だよ~」

 椅子から腰を浮かしかけた年下二人に向かって、ぱたぱたと左手を振る。

 桜田はナースコールの方をちらちらと見ている。

 梨乃の手が伸びて、美夜子の首筋に押し当てられた。脈と熱を測っているようだ。

「大丈夫ですか? ほんとに、ほんとに大丈夫ですか?」

「脈は…………平気。でも、少し熱っぽいですね」

「大丈夫だよ。梨乃ちゃん、手、冷たいね」

「冷え性なんですよ」

 モニタの中で、サラマンダーと大型災厄獣が死闘を繰り広げていた。

 激しい雨が降っている。炎をまとった大剣と、大型災厄獣の分厚い鉤爪が、何度も激しく打ち合わされていた。

 BGMは、いつもの激しく勇壮なものではなく、しっとりと悲しげなものに変わっている。

 あの雨の中、地下駐車場の跡地で死にかけていたのが、ずいぶん昔のことのように思える。

「ケイトさん··········大変でしたよね」

 英雄ヒーローサラマンダーが大型災厄獣との戦闘を開始した時、守護兵団ガーディアン本部は巡回中の第五部隊と第三部隊に、その場で待機するようにと指示をしたらしい。

 特に第五部隊には、美夜子の救出に向かうことを、固く禁じたそうだ。

 しかし、ケイトはそれをあっさりと無視した。

 始末書だったら何枚でも書いてやる。諮問委員会に掛けようが解任だろうが好きにすれば良い。何があろうと美夜子は絶対に連れて帰る。

 そう本部に啖呵を切って、さっさと戦闘車両に乗り込んでしまったそうだ。

 そのまま一人で出発しかけたところに、高崎と森村が慌てて飛び乗ったらしい。

「ええ、大変でしたよ。本当は僕が行くつもりだったのに、『藤谷くん、後はよろしく!』でケイトさんは飛び出しちゃいますし。梨乃さんと朔間さんと中山さんは知らないうちにスタートダッシュきめてましたし」

「··········。梨乃ちゃん?」

 梨乃は気まずそうに目を逸らした。

「通信の内容から、美夜子先輩の救出を禁じられたことがわかったので··········せめて私だけでも行かなきゃと思ったんです。そこを朔間に見つかりまして」

 ────闘士バトラー狙撃手スナイパーの二人一組が基本でしょ。一人で行っちゃ駄目だよ。

 朔間は梨乃をそう諭した。だが、美夜子の元に行くことを反対はしなかったという。

 中山は「一人ぐらいおまけの狙撃手スナイパーがついて行っても良いだろ?」と笑っていた。

「美夜子先輩の個人記録、朔間が塗り替えましたからね。一日の討伐数、十三匹」

「え、嘘。朔間は何匹?」

「十五匹です。狙撃手スナイパー二人と組んでの記録だから、正式なものじゃないって本人は言ってますけどね」

 目の前に現れる小型災厄獣を片っ端から討伐している間に、梨乃たちはケイトの戦闘車両に追いつかれた。

 てっきり引き止めに来たのかと思ったら、これから美夜子の救出に向かうと言う。

「救出組も色々ありましたけど、居残り組も色々あったんですよ。ねえ、桜田くん」

 何とか泣き止んだ桜田が、大きく頷いた。

「僕も行こうとしたんですけど、伊山さんに見つかって、思いっきりぶん殴られました。気持ちはわかるけど、今のお前じゃ足でまといだって」

 そういう伊山は、病院に行けという周囲の言葉を断固拒否したらしい。

 美夜子の無事を確認するまでは街には戻らない。そう言い張ったそうだ。

「いつもは優しい藤谷さんが、ずーっと怒鳴ってましたし」

「おや、そうでしたっけ」

「そうですよぅ。本部に向かっても怒鳴ってたし、伊山さんの襟首つかんで怒鳴ってたじゃないですか。今足でまといなのは怪我人のお前だ! って」

「うわあ、それは·········見たいような、見たくないような」

「とっても怖かったんですよぅ」

『守り────抜いたッ!』

 画面の中で、サラマンダーが吠える。

 炎をまとった大剣が、大型災厄獣をばっさりと斬り捨てたところだった。

 地響きと共に、大型災厄の身体が沈み込む。その姿を、肩で大きく息をしたサラマンダーがじっと見つめていた。

 息絶えた大型災厄獣のすぐ近くで、サラマンダーが大剣を空に向かって突き上げる。

 灰色の雲が途切れ、その隙間から僅かに澄み渡った青空が顔を覗かせた。

 一筋の光が、まるでスポットライトのようにサラマンダーを照らし出す。

『我らが英雄ヒーローサラマンダーの活躍により、一條の街の平和は守られた』

 テレビに流されるCMでは、大型災厄獣を一條の街から引き離すために囮になった闘士バトラーのことや、その闘士バトラーを救うために奔走した人々のことは語られない。

 一條の街の住人には、英雄ヒーローの、華麗な活躍だけが紹介される。

『君も守護兵ガードマンになって、英雄ヒーローを目指そう! 訓練生募集中!』

 いつもの閉めの台詞が、妙に白々しく聞こえていた。

「それは失礼しました。本部の偉い人たちが予想以上に石頭ばっかりで、つい頭に血が昇ってしまったんです」

 隊長であるケイトが美夜子救出に向かってしまったため、守護兵団ガーディアン本部の非難の矛先は、全て副隊長である藤谷に向けられたのだという。

 たかが闘士バトラー一人のために、何人の命を危険に晒すつもりなのか。

 ましてや、妾腹とはいえ一條家の令嬢であるケイトを死地に向かわせるなどありえない。今すぐ呼び戻せ、と。

「それに、僕は間違ったことは言っていませんよ。我が身を犠牲にして囮になってくれた闘士バトラーを見捨てるなんて、第五部隊の士気、いや守護兵団ガーディアン全体の士気の低下を招きます」

「わあ、藤谷さん格好良い」

 藤谷は得意げに胸を張った。

「そうでしょうそうでしょう。今、ケイトさんと一緒になって、守護兵団ガーディアン本部の態度について問い詰めているところなんですよ」

「藤谷さんが問い詰めているんですか? 逆じゃなくて?」

 藤谷が美夜子の病室でまで書類仕事に追われていたり、ケイトが休日にも関わらず守護兵団ガーディアン本部に出勤する羽目になっているのは、本部の命令に背いたことによるペナルティだとばかり思っていたのだが。

 テーブルの上に広げた書類を綺麗にまとめて、藤谷は穏やかに言った。

「ええ。問い詰めてるのは僕たちの方です。この書類も、そのためのものですよ」

「わ、わあ~。藤谷さん、格好良い~」

「あ、あのあのあの、副隊長! 僕にお手伝いできることあったら、何でもしますから!」

「美夜子先輩、ほんとに起きてて大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」

 美夜子は天井を仰ぎ、桜田はきらきらとした目を藤谷に向けていた。

 書類をまとめた藤谷は、クリアファイルに入れたそれを鞄にしまっている。

 心配そうな表情をした梨乃が、毛布を美夜子の肩まで引き上げていた。

 ────トントン。

 そこに、小さなノックの音がする。

「美夜子、来たわよ~」

 やや疲れた顔をしたケイトが、病室の中へ入ってきた。

 白いブラウスに、紺色のスラックス。片手には、『さくらママのクッキー』のロゴが入った紙袋を下げている。

 モデルのような美貌を持つ第五部隊の隊長は、今日も変わらず美しい。

「ケイトさん! 待ってました!」

 一條の街の中心街、公立市民総合病院の病室にて。

 たくさんの仲間に囲まれた美夜子は、ベッドの上で歓声をあげていた。

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キルケニーキャットと災厄獣 三谷一葉 @iciyo

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