2.
「もう歩きたくないぞ。疲れたぞ」
歩き始めて間もなく、ビルカの口からは不平不満が漏れ出した。
言葉にしたところで状況は改善されず、ビルカは怒りを、前方を歩く男に怒りをぶつける。怒りをぶつけるだけでは飽き足らず、その辺に転がっている小石や木くずを投げつけた。
生え際だけが黒い白髪頭に、少し大きめの石が直撃する。
男は立ち止まり、振り返った。フィンチ眼鏡の奥の鋭い眼差しがビルカを睨みつけた。
「だって、ヴァールは歩くのが速いから、ついて行くと疲れるぞ」
「ついてくる必要はない」
「だって! 悪いやつがまた来るかもしれないから、村にいたら迷惑かかるぞ」
「それでも俺についてくる必要はないだろ」
「一人じゃ山を下りられないぞ」
「村のやつに案内を頼めばいい」
「ヴァールがいいのだ!」
「……それなら黙って歩け」
「えー」
ヴァールはより冷たい視線を投げた。ビルカはびくっと身を縮め、口を両手で隠した。もう文句は言わない、というアピールだろう。
ヴァールは何も言わずにまた歩き出した。
速度は緩めず。
ビルカは跳ねるように後に続く。
村のためにと旅立ちを決めたビルカ。しかし理由はそれだけではなかった。
たくさんのものを見て、たくさんのことを感じて、いつかそれを『私』に教えてやるのだという。その言葉の意味を深く考えているかどうかは知らないが、それがビルカの夢となった。
ビルカは夢を叶えるために山を下りる決意をした。
ヴァールは村にいられなくなって、山を下りることにした。
それは、誰かに責められたということではなく、ただ自分をヴァール=ハイムヴェーだと認識したら、ゆっくりすぎる村の生活は逆に窮屈に感じたのだ。もうこの時間の中では生きていけないのだ。
幸い撃たれた傷は浅かった。完治はしていないがもう動けるし、これくらい現実の痛みを感じながらの方が、余計なことを考えずに済む。
だからヴァールは村を出る。
行き先はまだ決めていない。
しかしビルカとともに旅をするような約束はした覚えがないのだが。
「いいか。たまたま同じタイミングで山を下りるというだけだからな」
ビルカに念を押すと、満面の笑みが返ってきた。
「一緒だな!」
「だから、たまたまだ。麓の街までだ」
「街まで一緒なのだな!」
ますます嬉しそうな顔を見せる。
「街に行ったら何をする?」
「まず宿を探すだろうな。それから」
「ワタシはどうする?」
「宿を探して、これからのことを考えるんだろうな」
「そうか。ワタシもヴァールも宿を探すのだな。一緒だな!」
「そういうことじゃ…………」
一から説明しようとしたが、ビルカの笑顔を見ていたらどっと疲れが襲い、言い返す気力が奪われてしまった。
「……宿を探すところまでだからな」
「宿も一緒か? 部屋も一緒か?」
「部屋は別だ」
「そうか。べつか。それにしても腹が減ったな!どうして村で食べてこなかったのだ? ごちそうを用意してくれると言っていたぞ」
二人がそれぞれ村を出る決意をしたと察知した村人が旅立ちの儀式とやらを執り行うと言っていたが、ヴァールはそれから逃げるように、一足早く立ち去った。
「お前は残れば良かっただろ」
「それじゃあ、ヴァールと一緒に歩けないだろ。ワタシは一緒がいいぞ! ヴァールと一緒がいいぞ! で、ずっと一緒に歩けるのか? いや、一緒に歩くなら、ちょっとヴァールは速すぎるぞ。疲れるぞ。ヴァール! もっとゆっくりゆっくり歩くのだ!」
話は振り出しに戻ってしまった。
麓の街にたどり着くまで、そこで宿を見つけるまで、こんなやりとりを延々と繰り返さなければいけないのだろうかと、ヴァールは肩を落とす。
これだけ苦労をかけられるのだから、何か見返りがあってもいいはずだ。
ヴァールは振り返りビルカを見た。
文句を言ったり笑顔になったり、ヴァールが立ち止まったのに気づいて大きく手を振ったり。
ビルカを見ながらヴァールは思う。
ともに歩くことで、彼女と同じように世界を見る術を得られるというのなら、少しは我慢をしてみよう。黒も赤も何もかも、全ての花びらを受け入れられるようになるのなら、ともに歩くのも悪くない。
ただし麓の街の宿屋までだ。その先は――
「もう少し歩いたら休憩にする」
ヴァールは声を張り上げた。
「よし! ごはんか!」
「それはまだだ」
「まだか! でも休憩だな。よし、頑張るぞ!」
ビルカはそう言って駆け出しヴァールを追い抜く。ヴァールはビルカの背中を見送って、ひとり空を見上げた。
記憶をめぐる、彼と少女の物語 葛生 雪人 @kuzuyuki
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