その9 終息?

『黒猫』に居た人間は、誰も110番しなかった。

 そりゃそうだろう。

 下手をすれば痛くもない腹(本当は痛くて仕方がないんだが)を探られて、自分たちが手錠ワッパを掛けられて留置場送りになることは目に見えているんだからな。

 俺は前もって連絡して置いた通りの場所にやって来たジョージのワンボックスカーに純子を押し込んだ。

”それじゃ拉致みたいなもんじゃないか”だって?

 人聞きの悪いことをいうなよ。

 俺は依頼人に雇われてこうしてるに過ぎん。 

 異議があるなら、契約書を見せてやるぜ。

 まあ、それはともかく・・・・

 ジョージは気を利かせてくれ、毛布とバスタオル、それに女性用の下着とワンピースまで用意してくれていた。

 俺は助手席から、

『風邪でもひかれちゃ敵わんからな。頭を拭いてそいつに着替えてくれ。ご心配なく、俺達はこう見えても紳士だ。据え膳を喰わずにいるくらいの修業だって出来てるよ』

 震えていた彼女は俺の言葉に安心したのか、狭い車内で身をくねらせながら身体を拭き、着替えを済ませた。

 ジョージのハンドルさばきは、いつもながら見事なものだ。

 彼女が着替えを済ませ、俺が渡してやったポットのコーヒーを飲んで人心地ついた頃には、都内に入っていた。

 

 時刻は午前六時、日は既に昇り始めている。

 ドライブインで簡単な朝食を済ませ、そのまま純子の母親の入院している病院に直行した。

 病院の正面玄関の車寄せには、純子の兄である石倉武が待っていた。

 助手席を降り、俺がスライドドアを開けてやる。

『純子さんを連れてきました。』

 俺に促され、純子が降りてくる。

 彼女はどこか焦点の定まらない目をしている。久しぶりに会ったというのに、まるで赤の他人を見るような目線で、兄を眺めた。

『ご苦労様でした』

 武は俺に言って、内ポケットから小切手を取り出して手渡した。

『確かに』

 金額を確認し、俺は代わりに彼女の脱いだものの入った紙袋を渡す。


 その時、ふいに空気を切り裂く音がした。

 武が妹の頬を張ったのである。

 だが、彼女はそうされてもまだ何も分かっていないような感じで、頬を押えて兄を凝視みつめていた。 

『心配かけやがって・・・・』彼の目に涙が溢れている。

 そこまで来て、うっすらと彼女の目に涙が溢れた。

 彼はもう一度俺に頭を下げ、妹の肩を抱き、そのまま病院の中へと入っていった。


『出してくれ』助手席に乗り込むと、俺はジョージに声をかける。

 朝焼けの中、ワンボックスカーはロータリーを回り、元来た正門の方へと向かって走り出した。

 

 さあ、話はこれで終わりだ。

 彼女はどうなったかって?

 どうもなりはせんさ。

 依頼人が律義にも報告してくれたところによれば、母親に会った瞬間、彼女は壊れた人形みたいにその手を握り、泣きじゃくっていたという。

 その後、武氏は彼女を同じ病院の精神科に入院させたそうだ。

 恐らく退院は来年にならないと無理だろうという事だった。


 まあ、それも仕方なかろう。

 どっちにしろ、俺には関係のないことだ。

                                  終わり

*)この物語はフィクションであり、登場人物その他全ては作者の想像の産物であります。

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黒いオルゴール 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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