第8話

 こちらに何も答えない美代子さんの姿が頭に焼き付いて離れず、僕は帰り道の最中、その光景以外の事に考えを巡らすことがついぞ無かった。


 自宅へと帰り、一人天井を眺める。明かりはつけず、美代子さんを照らした月光だけをたよりに現代と夢のまにまを漂う。

 玄関の近くには、大きな白いポリ袋が無造作に置かれ、その中はネリネの花々が混沌と詰め込まれている。


 翌朝、僕は一本の電話の着信音に目を覚ます。快眠とは言えない質であったので、電話がかかってこなくとも同じように気怠さが寝起きの頭を支配していたことだろう。

 そんな愚鈍な想像も一変。電話の主は美代子さんだった。


「朝早くごめんね。この時間しか、一人になれなくて」

「いえ、久しぶりですね」

「うん」

「怪我の方はどう?」

「カオルくん、今日の夜も病院の前まで来てね」

 彼女は僕の質問を無視してそう告げると、ガチャンと電話を切った。誰か来たのか、もしくは触れられたくなかったのか。いずれにせよ、今晩こそ寒い中、ほぼ無意味に病院の前まで散歩することに、大義名分がもたらされるのだった。


 久々に美代子さんと会う予定が出来たので、単純にも僕は心躍らせ、それが敏感な沙紀さんには隠し切れなかったのだろう、授業を終えると近寄ってきた。

「今日、何だかテンション高いね」

「そう見える?」

「今も顔が明るいし」

「沙紀さんがいい薬になったのかな?」

「ふふっ、なにそれ」

 嘘ではないにせよ、直接的要因でないという引け目を感じつつも、この少女を気づ付けまいと噓も方便の理屈を盾にそう答える。


 はやる気持ちを抑えながら、僕はまっすぐ病院へは向かわず、駅に隣接する由緒正しきデパートへと入店した。いつも以上に混雑しているのは、今日がクリスマスイブだからだろう。僕も何か良さそうなプレゼントがあればと足をのばした訳で、ここに居る人々と僕は同じ思考回路を持つ、大衆そのものなのだ。


 しかしながら、これまでまともにプレゼントなど探したことの無い僕のような男にとっては、微笑ましそうに店員や婦人方に見られるのは、居心地が悪く、ましてやほぼ同等の意味を込めた贈り物を二つ、一つは美代子さんに、もう一つは沙紀さんにと探しているため、奇妙極まりない。

 更に言えば、不貞を認めないキリスト教の行事であるクリスマスを祝おうというのだから、浅ましくさえあるだろう。


 二人の女性を、それも社会的には手を出してはいけないとされる神秘の存在を愛に任せて夜を共にしたこと自体は、当事者として引け目はそれほどない。

 それは良いことではないだろうが、僕としては、こうして何気なく贈り物を考えているこの時間こそ、何よりも禁忌的に思えるのだった。

 贈り物とは、贈られる者と贈られなかった者とが明白に露呈する。

 いかに素晴らしい小説を書こうとも、何らかの賞を取らねば、世間に出ることはないように、相手が愛する者だから何かを贈られると言うより、贈られたから愛されていると分かるのだ。


 卑近な例を挙げるとすれば、風俗に通うことは愛ではない。いかに恋愛の一表現である性交に耽ろうとも、それを愛とは言わないだろう。

 しかし、風俗嬢に代金の他にネックレスなどを渡す中年男性は、様々な思惑とともに愛もまた抱いていると言え、サービス業における客以上の思入れがあるのは言うまでもない。


 そんな屁理屈を思い浮かべているには大きな理由がある。

 沙紀さんには無難だが、手袋かマフラーのいずれかにしようと既に決めたのだが、問題は美代子さんの方だ。

 沙紀さんは、友達に貰ったと誤魔化せるが、美代子さんが旦那さんやその他、看護師にでも誰からのプレゼントかを尋ねられた場合、答えに窮してしまうだろう。

 それにしてもこのむせかえるような人だかり。例年通りなら、鎖国よろしく暖房を効かせてゆっくりしているのだが、塾講師のアルバイトといい、僕の生活は確かに変わりつつあった。


 結局、沙紀さんには毛縫いの手袋を、美代子さんにはストールを贈ることにした。大人の女性っぽいし、入院服でも使用できるのでいいだろうと思ったわけで、両方ともしっかりラッピングしてもらった。もちろん、色違いで間違うことのないように。



 僕は病院へと向かうと、丁度、美代子さんから電話がかかってきた。少し不思議に思ったのは、その番号が今朝の公衆電話からではなく、以前同様に彼女のスマホからのものだった。

「もしもし、カオルくん」

「携帯使って大丈夫なの?」

「うん……大丈夫だよ」

「今日はプレゼントを持ってきたんだ。渡しに行ってもいいかな?」

「…………嬉しい」

「それは受け取ってから言ってよ」

「今そっちに行くから」


 暗き夜の中、窓がゆっくりと開く。

 恋人の日と化したこのクリスマスに浮かれていた僕も、突如として嫌な予感がよぎる。

「待って、僕が行くから!」


「私、実は事故の検査で、病気ってことが分かったんだ」

「病気……?」



「もうすぐ私、死ぬの」

 彼女は窓際に立ち、涙ながらにそう告げる。

「だから、どうせ死ぬなら、カオルくんに見ててほしいなって。ごめんね、わがままな大人で」

「だからって、何もそんな風に」

「でも、きっとそうでもしないと、私カオルくんとの日々を思い出しちゃうから。だからお願い、目を離さないでね」

「美代子さん!」



 ―愛してる―



 僕にできるのは、彼女の望み通り、目を離さないこと、ただそれだけ。

 彼女が落ちるのと、ストールが包まれたプレゼントが落ちるのはほぼ同時だったろうか。

 僕はショックで立っていられなくなった。




 少なくともそう理解したが、現実はもっと混沌としている。

「カオルさん、やっぱり浮気してたんだ」

「さ、き、」

 この鮮血は美代子さんのものではない。

 僕は地に伏せたから視界が暗い訳ではないのを冷静に知りつつも、それを防ぐことはできなかった。



「最高のプレゼント貰っちゃった。あんな女と違って、私はずっと一緒だよ」

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冬のアプロディーテ 綾波 宗水 @Ayanami4869

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