僕が求めているのは野ウサギちゃんであって全裸でベッドに潜り込む巨乳美少女ではない
眞石ユキヒロ
第1話僕が求めているのは……
僕はヒト科のオスで高校一年生の
頬をつねってもふつうに痛いし、野ウサギちゃんの毛並みはふわふわでたまらない。ぷうぷう寝息を立てるのも愛らしいが、まんまるおめめも拝見したい。
野ウサギちゃん最高! と思うとヒト科のメスに変化する。顔立ちは非常に整っており、まつ毛が長い。艶のある黒髪が腰まで伸びている。乳房は豊かに膨らみ、腰は引き締まって無駄がない。そして全裸だ。そんなヒト科のメスが同じベッドで寝ている。目線と思考をアヒルちゃん型の時計に逸らした。
金曜、午前七時。今日もヒト科だらけの学校をやり過ごさなければならないのか。ヒト科のクラスメイトもチンパンジーになってくれれば愛せると思うのだが。
「シドーさま? ……シドーさま!」
ヒト科のメスになった野ウサギちゃんが僕の名前を呼びながら飛びついてきた。なぜこのヒト科のメス、あるいは野ウサギちゃんは僕の名前を知っているのか。一般のヒト科にドッキリを仕掛ける番組は存在するが、そんなものに応募する性質を持つ家族はいない。なにより母親は動物を見るだけで泣き出す。だからうちではペットも飼えない。
「なんなんだ君は!?」
「昔助けていただいた野ウサギですっ!」
鶴の恩返しか。野ウサギちゃんのままでいいのに。
野ウサギちゃんはたしか、僕が最初に助けた動物だったはずだ。記憶は曖昧だが、道路で見かけたような……。
「シドー様に会いたくていっぱい勉強して、人間への変化免許を取得しましたっ!」
それは大変だな。野ウサギちゃんのままでいいのに。
「人間は人間と恋愛するんですよね!?」
ヒト科にも例外はいる。野ウサギちゃんのままでいいのに。
「シドーさま、イナは魅力的でしょうか?」
イナか、唐突だな。イナはボラという魚の呼称の一つ。カラスミで有名だけれど、膨らんだ白いお腹の愛らしさにも注目してほしい。
そこが。「魅力的だ」
「嬉しいっ! イナは人間として魅力的になれたんですね!」
ヒト科のメスが全身から喜びを発して僕に頬擦りをしてきた。豊かで柔らかい膨らみに肩を挟まれる。気を取られるな! このヒト科のメスはとても重要なことを言っている。
イナがヒト科として魅力的?
「イナ、つまり魚もヒト科……ではなく人間になるのか!? ということは……」
逆もまた然りならクラスメイトを全員チンパンジーにしてふさふさの腕に顔を突っ込む。そんな思いで食いついた。
「魚? 何のことでしょうか? イナは私の名前ですよ。有名な因幡のシロウサギさんから拝借しました」
ヒト科のメス改め、ヒト科のイナがつまらない回答をする。
「なるほどわかった、残念だ。では、元々動物だった君が野ウサギちゃんに戻ることは可能なのだな?」
大切なことなのでしっかり確認しようと思った。言い終えた瞬間にヒト科のイナの、野ウサギちゃんのようにまるい目に涙の幕が張った。
「シドーさまと結ばれるために人間になったのですよ、イジワルを言わないでください……」
胸が痛い。胃が締まる感じもする。
「ご、ごめ……」
「獅童!起きてるか~!? ……って、うひゃあっ!?」
ヒト科のメスが泣き出した瞬間にもう一体、ヒト科のメスが現れた。この部屋は入口から全体を見渡せる。恐竜や一つ目モンスターが円盤に乗っかっているポスターだの、電気ネズミのぬいぐるみだの、育成ゲームのデヴァイスだのが目に入るはずだ。
それはいい。そういう趣味は隠していない。
問題は僕がベッドの上でヒト科のメス、しかも全裸に抱きつかれ泣かれている現状だ。
「こっ、ここ、こういうときは部屋に鍵かけような!」
「ち、違う! 僕は動物にしか興味がない! 知ってるだろ雛ねえ!」
幼なじみの雛ねえ。本名は
「他言はしないっ! じゃあね!」
「待って雛ねえ! 僕もなんなのかよくわかってないんだって!」
立ち上がるとまん丸の瞳を潤ませたヒト科のイナにパジャマの裾を握られた。
「シドーさま、イナを置いて行かないでください!」
うっすらとした罪悪感に襲われるが、今は雛ねえの誤解を解かないと絶対にヤバい。
「話は服を着てからにしてくれ!」
「あっ、人間は裸ではいけないのですよね! 服屋さんを教えていただけますか?」
「後でな!」
雛ねえが階段を駆け下りる音がする。追いかけて僕も階段を降りる。雛ねえは毎日のように我が家に来る。嘘をつけない雛ねえのことだ、他言はしないと言っていても、なにかの拍子に両親の前で口を滑らせることも考えられる。可及的速やかに誤解を解かないとヤバい。
急いで階段を降りる。雛ねえは玄関でしゃがんで紐履に手間取っていた。雛ねえが不器用で助かった! 素早く駆け寄るが、雛ねえは靴紐を諦めてドアノブに手を伸ばした。雛ねえに本気で逃げられたら、運動オンチの僕が追いつけるわけがない。どうする……!
「シドーさま! 服屋さんを教えていただけませんか!?」
背後から全裸のヒト科が駆け寄ってくる。これはチャンスだ! 常識的な雛ねえは全裸のヒト科がいるならドアを開けないだろう。予想通り、俺の背後から現れた全裸のヒト科を見て固まった。
なんかごめん、雛ねえ。何が起こっているのかは、僕にもよくわかってないんだけど。
「ですからイナはシドーさまと恋人になるべく、人間になったのです!」
「頭がこんがらがるね……」
キッチンテーブルでイナと対座する雛ねえが額を抑える。ヒト科のイナは雛ねえに貰った白のショルダーフリルブラウスとオーバーチェックのキュロットを着ている。雛ねえ曰く買ったはいいが、いざ人に見せる段階になったら恥ずかしくなって結局一度も着なかったものらしい。
「親父とお袋にどう説明すりゃいいんだろ」
二限から出ることに決めた学校のこともだけれど、それ以上にヒト科のイナのことだ。この感じだと確実に僕の日常を侵食するだろう。なにせ第一声がシドーさま、だ。
「一応聞いておくけど、イナちゃんは住むところはあるのかな?」
隣で悩んでいるだけの僕を置いて、雛ねえは教師志望らしく的確な質問をヒト科のイナに投げた。
「ございません。人間になったらまずお金を稼いで住むところを探すとは教わりました!」
何も考えていなさそうな満面の笑みを浮かべて、ヒト科のイナがハキハキと答える。
「そっか、そりゃテキトーだね……」
雛ねえが眉間にシワを寄せたままカフェオレを飲み干した。
「ですので! 家賃がいらないという公園で暮らしながら働こうと思います!」
野ウサギちゃんのようなまるい瞳にキラキラの星をちりばめて、ヒト科のイナが宣言する。胃がキュッと締まった感覚がした。苦しい。
「働くって……イナちゃんはどんなことができるのかな?」
再び雛ねえが冷静な質問を浴びせる。ヒト科が好むドラマの面接官みたいだ。あくまでクールな雛ねえに、イナは迷いなくこう答えた。
「できることはわかりませんがシドーさまを真似て、困っている動物さんたちを助けたいですっ!」
絶対にダメだこれは。野放しにしてはいけない。
そもそも僕に会うために人間になってここまで来たと本人が言っていた。元は僕が助けた野ウサギちゃんなんだ。教えてもいない僕の名前を呼んだということは、おそらくそれは事実なのだろう。そう考えた方がつじつまが合うことが多いし。
「僕が働く」
雛ねえが空のコーヒーカップを落とす。ガシャンと音がして、ヒト科のイナが両手で耳を塞ぐ。
僕はというとヒト科のイナに野ウサギちゃんのお耳が生えるとかないのかなと考える程度には平常心を取り戻しつつあった。
「こ、高校中退はお勧めできないな」
雛ねえが眉間にシワを寄せて腕を組んで、いかにも大人らしい発言をする。目の前でコーヒーカップが回り続けているのに冷静だな。そっちはヒト科のイナが立ち上がり手を伸ばしてソーサーに置いたことにより一件落着したが。
「違うよ雛ねえ。バイトしてヒト科……イナを養おうって話だ」
「つまり……プロポーズかな?」
雛ねえ、別に冷静じゃないな。顔が真っ赤になったし腕を掴んでる指が震えてる。
「ま、まだ早いですよ……。お付き合いからにしましょう?」
ヒト科のイナは頬をうっすら染めて俯いた。指を組んだかと思えば解いてパタパタと頬を叩いて、何を考えているのかよくわからない。
「何のことかわからないけど、イナが野ウサギちゃんだから面倒見るって話だからな!」
僕はむず痒くなって席を立った。あと十分で一限が終わるし、そろそろ学校に向かわないとまずい。
「学校に連れて行くから野ウサギちゃんに戻ってくれ!」
「あの、人間から元の姿に戻るのはそんなに簡単にできることではありませんよ」
どういうこった説明しろ。
イナ曰く、人間への変化免許を得た動物は自分の意思で動物に戻ることは不可能らしい。しかしそれが幸いしてイナを我が家に泊めることには成功した。イナが家事の手伝いを申し出たこともプラスに作用したと思う。
そして翌朝も同じベッドで迎える羽目になった。ウサギは
それはいい。いや良くない。僕は床で寝ていたはずだ。なぜベッドの上にいる?
「人間の体は床で寝るには適さないと伺っておりますっ!」
運んだのか、お前が。
愛らしくも整った顔立ちと、雛ねえから貰ったパジャマを着ているとはいえ凹凸のはっきりした立体的なスタイルを持つヒト科と同じベッドというのは……。改めて現状を認識すると胸がむずむずする。このヒト科を僕が養う。決心を再確認すると喉に何かが詰まるような……。
呼吸器系の疾患か?
「本日はイナとシドーさまの初めてのバイト探しですね!」
イナが至近距離で野ウサギちゃんのような丸いキラキラの目を細めて、笑顔を見せた。
「あああああああああ!!」
動揺が口から漏れる。なんだ、なんなんだ、この気持ちは。
「シドーさま、ダニにでも刺されましたか!?」
僕はベッドを飛び出し、音速で階段を駆け降りた。あのままベッドにいたら気が狂っていたに違いない。母親と雛ねえに叱られたがそれどころじゃない。
なんなんだこの症状は、気が狂う病気なんて知らないぞ。
「そ、そういう病気、よくあるじゃん? 大丈夫、治んないけど害はないやつだから」
なぜだか恥ずかしくて、雛ねえに遠回しに聞いて得た回答がそれだった。なんで赤面しながら笑って言うんだよ。
言いようのないモヤを胸に抱えながら、近所の案内ついでにイナとバイト情報誌を回収して周り、部屋に戻って片っ端から読み漁る。
これまではアニマルシェルターのボランティアだけだったが、これからはイナの面倒も見ないといけない。緊張する。責任は重大だ。ページをめくる手だけが素速く動き、肝心の内容が頭に入らない。
「
僕が間抜けなことをしている間に、イナが最高のバイトを発見した。
「動物さん園、つまり動物園だな? 場所は!? 高校生可って書いてあるか!?」
「高校生可です! 場所は、ええと……」
向かい合ったイナがペラペラのバイト情報誌を渡してくる。僕は勢い余ってバイト情報誌を摘むイナの手を掴んでしまった。べファレンのように白く、ゴマフアザラシのようにすべすべだ。野ウサギらしく低い体温に触れたというのに、僕の体温は急激に上昇する。
「シドーさま? お顔が引きつっていますが、そんなに遠い場所でしたか?」
急いで手を引っ込めると眉尻を下げたイナが見つめてきた。目を逸らすように下を向いて、イナが見つけたバイト先を確認する。
「……二駅向こうだな。交通費も出るし問題ないぞ。まあ僕は定期も年間フリーパスも持っているけどな!」
「さすがシドーさまです! きっとそこでも動物さんを助けていらっしゃるのでしょうね!」
イナはおそらく満面の笑みなのだろう。僕だっていい感じのバイトが見つかったのは嬉しい。けれどイナの笑みを見たら僕の胸のモヤモヤは増すに違いない。こんな状態でイナと毎日毎晩過ごせるのか、僕は?
早速、応募の電話をかけて二人で履歴書を書く。イナの苗字は僕と同じ烏菟沼にした。
「シドー様と同じ苗字、嬉しいです……」
履歴書のコピーを大切に抱きしめて、イナが僕に微笑む。瞬間、僕の心臓が一際強く脈打って、思わず胸を押さえた。
僕が知らないだけで、雛ねえや両親もこんな症状を抱えているのか? ヒト科の病気についてもそれなりに勉強してはいるが、こんなに特徴的な症状の病気は記憶にない。
なんなんだよ、知るのが怖いよ。
イナと一緒に寝るのを断ったり泣かれたり結局一緒に寝たりしているうちにバイトに採用された。イナはバイト初日に動物園の人気者になり、イナと動物と客の撮影を僕が引き受けることも多々あった。そしてそれに毎回胃が締まり、胸がモヤついた。
動物と客だけの撮影なら、ヒト科が動物に関心を抱いた証拠と感じて嬉しいのに。雛ねえは僕が抱いた感情を普通のことだと言うが、僕は病院に行くことも考えている。
「あの、シドーさまもイナと一緒にお写真を撮りませんか!」
バイト開始から二週間ほど経った、人の少ない平日の夕方。記念撮影に使用しているポラロイドカメラを両手で持って、頬を紅潮させたイナが言う。
「宣伝用としてチケット売り場にイナと動物さんの写った写真を飾りたいと、偉い方が仰っていたので……」
イナと写真。おそらくイナと密着する。その記録が写真として永遠に残ることになる。だけでなく、その写真がチケット売り場に飾られ、有象無象のヒト科の目にさらされる……。
「だだだ………だめ、だだだ……」
「ならイナは他の方と写真を撮ります! シドーさま、撮影をお願いできますか?」
他の方? イナ一人のシフトの時にでも、仲のよい相手ができたのか?
そんな想像をしたら胸がかっと熱くなって、何処かへ行こうとするイナの後ろ手を掴んで力任せに引き寄せてしまった。
「僕と撮ってからにしてくれ!」
バランスを崩したイナが僕の胸に倒れ込む。イナを抱きとめた瞬間にシャッター音が鳴った。
「や、約束通り撮ったよイナちゃん! ……ごめん、獅童! イナちゃんがどうしても獅童と一緒の写真が欲しいって言うから断りきれなくて! 大丈夫、これは動物園には提出しないって約束だから! それに二人もいい感じだし、姉的存在として後押しした方がいいかなって思って!」
構えたスマホを下ろして、顔を真っ赤にして目をぐるぐると回し、せわしなく喋る雛ねえが近づいてくる。雛ねえの状態はとにかく、イナと雛ねえの間に妙な約束が成立していたことだけは理解できた。
「ヒナノ様、ありがとう、ございます……」
イナは僕の腕の中で大人しくなっている。不可抗力とはいえ自分から抱きしめてしまった。心拍数が急上昇する。腕を解いて後ずさる。その程度では柔らかい感触は消えない。
思考を切り替えようとするが、イナを抱きしめたという事実に塗りつぶされていく。揺れる髪からほんのりと甘い匂いがした。細い腰が折れないか、他の誰かにこうされないか心配になった。
「シドーさま、怒っていますか?」
困り顔のイナが僕を覗き込む。怒っているのか、僕の顔は。わからない。
「ごめんなさい! どうしてもシドーさまと一緒に映っ……!」
甘い香りがする。雛ねえの短い叫びが聞こえた。
「し、シドーさま、どうしてイナを抱きしめるのですか!?」
僕は無意識にもう一度イナを抱きしめていた。
イナの豊満な胸が僕の平たい腹に当たる。髪に顔を埋める。モヤモヤしたものが全て消えて、イナだけに集中できる。もう自分を誤魔化せない。
「……僕が最初に助けたからだ」
言葉にするだけで胸が高鳴る。呼吸は荒くなるし、目の奥が痛くなる。
身体に異変が生じる度、野ウサギのイナに初めて出会ったときの記憶の輪郭が浮かび上がってくる。
「わかりません、答えになっていません……」
「動物が、好きだからだ……」
母の手。道路。抱きしめたなにか。無表情の大人。何か恐ろしいものが見えたような気がして、声が震えた。
「イナは人間になれていませんか?」
長い睫毛に縁取られたまるい瞳が僕を見上げる。その瞳が記憶の中の野ウサギちゃんと重なって、イナを助けた時の記憶が明確になる。最後にイナを見たのは夕方だった。イナを抱く腕が震えるが、もう絶対に離さない。
「ヒト科……人間であるかより、イナであることが重要、なんだ」
蘇った記憶を順番通りに並び替える。
母と手を繋いで散歩していた。道路横で見つけた足を骨折している野ウサギを飼い主に返した。飼い主の目は笑っていなかった。数日後に母と手を繋いで同じ道を散歩した。そこで見たのは自分が助けた野ウサギの轢死した姿だった。
その目は開いていたけれど何も映していなかった。
「僕が君を守りたいからだ」
今、イナの目には僕が映り込んでいる。
それが僕がイナに執着する理由だった。
僕が求めているのは野ウサギちゃんであって全裸でベッドに潜り込む巨乳美少女ではない 眞石ユキヒロ @YukichiAwaji
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