異世界探訪助教授さん

s286

第0話ぬきつの味

「きたよオヤジさん」

 若き自然科学の使徒は、酒場の扉を叩かず開いた。背丈はさほど高くない。Mサイズのシャツが少しダボるくらいか。金髪の無精ひげは、旅から帰ったばかりなので仕方がない。

「おう! 学者先生! しばらくぶりだ」

 学者といわれて照れた。彼は助教授であり、この先も助教授のままだろう。

「へへっ、オヤジさん! 珍しいモノを手に入れたんですよ」

 そういって市場でプロが扱うトロ箱を先生はオヤジに見せた。

「ほう! こいつぁ……ぬきつじゃねぇか」

 料理人のオヤジは木箱をのぞきこんで『ぬきつ』といった。

「えぇ。帰る途中で市場によったらちょうど……」

「そいつは運がいいね、先生」

 水饅頭を想像してくれると説明が早い。ゼリーのように透明な饅頭の中に一応、五感をつかさどるといわれる梅干しサイズの核が入っている生き物だ。

「大学からお金を貰って辺境を旅しているんだから地元に戻ってもつい市場は見ちゃうんだよね何せ自然科学は、足を使ってなんぼの学問なんで」

「ヘェ! ある意味、若ェうちにしかできねぇ商売だ。んで、コイツの代金なんだがツケで帳消し……てェ、ワケにはいかねェか。そうだな、酒代とぬきつ料理を二品用意するぜ。いいかね先生?」

 若き自然科学の学者は、オヤジのこの手の誘いに首を横に振ったことがない。 だからオヤジも言いながらすでに酒を用意している。

「是非もないです。それでお願いします」

 ニヤッと笑うオヤジが、木箱からぬきつの一匹を取り出すとわが身の危険を感じたか? ぬきつはワニに擬態をはじめた。

「改めて見るとすごいですね。第二背びれまでそっくりだ」

 手のひらサイズのワニ。地方によってはフカともいう海棲生物にぬきつは、キレイに擬態をした。

「身の危険を感じるとコイツは自分じゃねェ何かに化けるんだわ。だけど元々が小さいし特に色がつくわけじゃあねぇ。遠目に『ヤバイのがきた』って思わせたいんだろうと兄弟子が言ってたよ」

「なるほど」

 オヤジは、壷からひしゃくで酢をくむと雑にぬきつにターッとかけまわした。

「こいつは刃を入れると中身が流れ出ちまうからな。酢で〆てやるんだ」

 酢を浴びたぬきつは、少しの間、身もだえして元の饅頭の形に戻った。

 オヤジはすばやく、ぬきつの身体に包丁を薄く当てると、ブドウの薄皮のように剥いて薄く切り分けた。

「あれ? 真ん中の部分は?」

 オヤジは、梅干しサイズの核を指で取り分け皿に載せたぬきつの薄切りに刻んだ香草を散らした。

「種か? そこは食えなくはないが食わないのが約束だ。ヘイおまち」

 無精ひげをしごきながら思い出す。言われてみれば、ぬきつを初めて地方で食べた時もそんなことを言われた。そして、薄くきることでぬきつの身は透明度をましていた。

「いただきまーす」

 懐からスティックと呼ばれる二本の棒を取り出す。

「相変わらず妙ちきりんな棒っきれで先生はつまむね」

「あはは、コイツは銀製のスティックで身体に悪いものに触れると変色するといわれています。旅をするには良い道具なんですよ」

「なるほどねぇ」

 薄造りに香草をはさんで口に運ぶ。酢〆のぬきつは、フニフニと歯茎を刺激する食感で最後に食べたときのぬきつ料理より断然、おいしい。

「……酢で〆るとこんな味になるんだ」

 ニヤニヤしながらオヤジは言う。

「あぁ? 口に物を残したまましゃべってないで出した酒と合わせてみろ」

 学者が言われるままに鉄器の杯を傾けと……。

「こ、これは……アルコールが強い」

 思わず杯を覗き込むが、驚いた学者の表情が映るばかりだ。

「へっへっへぇ。俺のとっておきさ。あうだろ?」

 この酒はブドウ酒ではない。だけど香りからしてこの酒の原料はブドウに他ならない。学者は首を捻って杯を見つめる。

「酒をつくる時にな、ハチミツを混ぜると普通のブドウ酒より強めのができるらしいぜ。蔵元で教えてもらったのはソコまでだがね」

 改めて杯を口へと運ぶ。喉元を過ぎても口の中には心地よい酸味と甘みが残っているようだった。

「こいつは美味い」

 約束の二品目にとりかかるオヤジが言う。

「鍋にしてもいいんだが、ぬきつ本来の味を楽しむなら……っと」

 手入れの行き届いた鉄製の串を三本ほどぬきつに打ち込むと擬態が始まった。

「えっ?」

 そのぬきつは、なんと上半身は美女で下半身は魚という伝説上の生き物に化けたのだ。人はそれを人魚と呼ぶ。

「塩をちょいと振りかけてっと」

 串から逃れようとするぬきつを押さえたて、それをかまどの火にかざす。

「このぬきつ、その形のままで保存を……」

 学者の懇願にも似た言葉にオヤジがニヤリと笑って言った。

「先生、慌てすぎだぜ。コイツは姿焼きだ」

 親父の手元を見れば、串を打たれた人魚がそのままの形で炙られていた。


「で、これを土産にしてもらったと」

 白髪の混じった老教授は、大学から与えられたマホガニーの執務机、その真ん中に置かれた皿の上のぬきつの姿焼きをまじまじとみつめて問うた。

 机をはさんで直立する金髪の助教授は、得意げに答えた。

「店の料理人は熱いうちに食べろといって聞かなかったんですが教授にご覧に入れなければ喉を通りません」

 この時点で助教授は、収穫の多くなかった今回の辺境調査はの最後の最後でちょっと面白い情報を拾ったと上機嫌なのだ。そして言葉を続ける。

「自然科学は事象のある場所に出向いて自分の目で見ることから始まる……教授の授業で何度も聞きましたからね」」

 教授はぬきつを手に取り顔を近づけ仔細に眺めはじめた。すると香ばしく焼けたそれに唾を飲み込む。

「食べていいかね?」

「えっ! 標本とかに……ああッ!」

 教授は、止める間もなくかじりつく。

 伝説の生き物、人外種族である人魚の形をしたぬきつはどんな味がしたのだろう? 酢〆は食べたが、姿焼きは食べていないわけだ。

「僕の姿焼きが……」

「何を言ってるんだ。土産であるなら食べる権利は当然、僕にあるじゃないですか。料理であるなら当然、食べます」

 色白で細身、正直に書くとお爺さんの割には食いしん坊らしい。

「それにしたって士族の姉弟である教授が、手づかみで食べますかね」

 精一杯の抗議として、もっともなことを助教授が言う。

「何を言いますか。士族にも貧乏なものはいくらもいます。僕なんて三男でしたしね。若い頃は庶民に混ざって市場で腹を満たしたものです。そして辺境には蒸かした米を器用に指先だけで食べる村にもお邪魔したこともありますよ」

 教授は、指を舐めながらしれっと言い返す。

「でも人魚に化けたんですよ? 保存方法を探してみようとは思わなかったんですか?」

 まぁ、食べ物の恨みもあろうが『見たことにあるものに化ける』という特性を持つ海の生き物が人魚に化けたのだ。自然科学を極めんとする者ならば、普通はもっとこう……と食下がってみた。

「そうですね……定説とされる歴史では、まず古代に人外種族が世界から去りました。そして人外種族に対抗してきた魔法がうまく伝承されずに衰退してきましたね。魔術はあってもそれは伝承できない一代雑種。「法」と呼ばれるものは失われて体系は失われてしまいました」

 金髪の助教授は『アレ?』っとなった。当然だ、教授は誰もが知っている歴史を語りだしたのだから当然だ。

「で……でしたら歴史をもくつがえす発見ということには……」

「ふむ。君は少し性急です。人魚を追跡するならば、ぬきつが何処から来たのかを知る必要があるとは思いませんか?」

「……あ」

 ぬきつに限らず海や川の生き物に関して、詳しくはわかってはいのだ。

「ぬきつという海棲生物の生態は正直、あまりわかっていませんね。それをアレコレ推論するのは学問ではなくて夢想だと思うのです」

 教授にそこまで言われて金髪の若者は、うっすらと先が見えた。その証拠に

教授の言葉が追い討ちをかける。

「魚によっては一度は川をくだって数年後に同じ川を遡上するのがいます」

 ここまで言われるとさすがに得心せざるを得ない。

「まず、ぬきつの出所がわからなければ調べようもない……なるほど」

 老教授は、何故か指で唇にをしきりに触っている。

「ではこうしましょう……」

 そう言いながら教授は立ち上がり、薄い外套に袖を通し始めた。

「へ? どちらへ」

「君は僕が、ぬきつ一匹で満足できると思いますか? 行きましょう。自然科学の使徒としても、この目で見て食べて検証するためにもその店へ」

 人魚の謎に迫れるかわからないが、少なくとも若き助教授に姿焼きを食べるリターンマッチは確約されたようだ。

「お、お供しますッ」


「なんだよ? ぬきつを買い占めるって」

「オヤジさん、そうは言ってない」

「てやんでぇ! 先生の師匠だって言うから開店前の俺の店に入れてんだぜ」

「ご主人失礼をした。学問のためにひとつお願いする」

「あん? なんだって?」

 オヤジの剣幕、その勢いがそがれる。

「僕も教授として自然科学学会の末席にいるのでね、昔からアチコチを旅し、教鞭を執っていたから地方に子弟も多い。そこから集めたぬきつをおろすと約束しましよう」

「……えッ?」

 オヤジが目を丸くする。

 教授はそこで破顔した。

「何より久しぶりに満足いくまで食べたいのだ。ご主人の料理で」

 子供のように笑って言う教授にオヤジが、照れた。

「なんだよ……教授先生にそうまで言われたら断れねぇじゃん」

 教授は、懐から銀貨の入った皮袋を取り出す。

「値付けはまかせる。 その箱にある半分を順次、料理して欲しい」

 袋の中身を確認もせず、親父は調理に入った。

「あいよ! もちろん呑んで行くんだろ?」

 外套を脱ぎながら教授は断言した。

「当然だ。あの姿焼きを食べて酒を欲しない奴はおらん」

「まずは先生に出した酢〆とブドウ酒を……」

 料理が出るまでに出された酒に教授と弟子の助教授は舌鼓をうつ。

「ほう……これは強い酒だ。ハチミツの糖度を利用してアルコールを強くしたのだと思われるがこんなにも芳醇な香りで強い酒に仕上がるのか」

「その為のハチミツ……酒に必要なのは酵母かと思っていました」

 時折、杯に口をつけながら教授は授業めいて話す。。

「サル酒しかり、酒は人類における偶然の発見だ。その飲み物を再現するために昔の人は散々に悩まされたことだろう。これは僕の勝手な想像だが……」

 そんな話をしていると先ほどの酢〆が出てきた。同じようにオヤジは姿焼きにとりかかる。今度は串を打った二匹が、古い軍船に化けた。

「見たまえ。ぬきつは海底に沈んだ昔の船にも化けてみせる……それは、彼らが色々なものに海底でみかけるものにも興味を示しているとは思わないか?」

 そう示唆しながら教授は、酢〆の最後の一枚を口に運ぶ。

 金髪の助教授は、恨めしそうに横目で眺めながら言葉を継ぐ……が。

「でも、あの人魚は……」

「ヘイおまち」

「……これは」

 オヤジの出した姿焼きは軍船の形ではなく一つはマンボウにもう一つはクジラの形になって焼かれていた。

「焦らしたんですよ」

「と、いうと?」

「へへっ、観念するまで遠火で炙ってやったんです。普段はそんな殺生なことはしませんがね」

「君は、良い店を紹介してくれたな」

「えッ?」

「ご主人は僕が若かった頃にはなかった料理を出してくれた。そして、ぬきつには複数の生物を見分ける能力があると僕たちは知れただろ?」

「なるほど」

 教授は、クジラにかぶりつき、残ったマンボウに若者が箸をつけた。

 先ほどは食べそこねた姿焼き、こういう味なのかと納得する。

「さらにマンボウやクジラが近海にいたら大変だ。恐らくタンポポの綿毛のように海原を渡ってきたのではないだろうか? つまり、ぬきつの生息地は近海に限らなくなったとおもうんだ」

 教授は顎をしごきながら思索にふける。

「……なるほど」

「先生方、話は弾んではいるようだが静かだねぇ」

 そんな風に声をかけながらオヤジが三品目を、自慢の鍋を出してきた。羊の肉と葉物野菜、真ん中には刻んだ何かを詰めたぬきつが見える。

「まぁ、食べてくださいよ先生方。おっと! 忘れてた」

 オヤジは慌てて裏口へ行くと黒いエールを出してきた。

「ふむ……黒いな」

「……ですね」

オヤジは、笑っていう

「焦がしたパンを砕いてエールの原液に入れたそうで。試してみてください」

 口に含むと柔らかなシュワシュワの泡が喉を刺激し、鼻腔からは麦の豊かな香りの隅っこに不思議と香ばしさが抜けていく。

「えッ!」

「ご主人……これは新しいですな」

「わかりますかね! まだ他の客にゃ出したことのない試供品ですぁ」

 若き学者は、悔しい気持ちが膨らみすぎて思わず問うた。

「オヤジさん! アナタいくつ『とっておき』があるんですか」

「おーいおい先生、コッチが出してやろうと思ってたのに先生が姿焼きを抱えて走って行っちまったんじゃねぇか」

 そう言われると言葉もない

「ううっ、でもそれは説明を……」

 オヤジは笑って取り合わない。

「さぁさぁ! 鍋も喰っとくれ」

 二人は鍋に目を落とすが、やはり詰め物をしたぬきつが気になる

「おっと! 先生方、ぬきつは最後に食べてくれよ」

 鍋は余熱をもってグツグツと音を立てている。教授はスティックの他にレンゲと呼ばれる木製のスプーンを取り出してだし汁を取り皿によそう。

「こんなこともあろうかとレンゲは二匙持ってきた。使いたまえ」

 教授から差し渡されたレンゲで汁をすくい、野菜と肉をスティックで口に運ぶと香辛料で下味のついた肉は野菜と共に泣けるほどに熱くて美味。そして味の奥にはまだ食していないぬきつの詰め物の味がする。

 口の中が焼ける。そこで黒エールをグビリと呑めばさわやかな酸味と発砲する液体が口の中を洗い流してくれた。

「と、とまんない」

「同感だよ。君」

 二人の食べっぷりにオヤジは、笑顔する。料理人冥利に尽きるとばかりに。

 ゆっくりした食事に日がかげる。町の職工たちが仕事を終えて一人、また一人と酒場に訪れはじめた。

 二人は、最後に残った鍋のぬきつを割って互いの皿に取り分けようとした。

「こ。これは……」

「なるほど。最後に食べろとはこういうことか」

 教授は感嘆をもって褒め称えたが若者は驚くばかりだ。なぜなら、ぬきつはは元の三倍にも膨れているのだから。

「君は海の魚と川の魚の違いを知っているかね?」

「えっ?といいますと?」

「川と海はつながっているだろう? しかし、川の魚を海へ運んで放してみるといい。たちまち細って死んでしまう。逆に海の魚を川に放すとフグのようになって死ぬのですよ」

 教授の言葉に若者はポカーンとしたままだ。

「じゃ、じゃあこれは……」

 教授が胸を張る。

「薄いスープの中に海に棲むといわれるぬきつを入れるとぬきつの身体の中にダシが吸われるんだね。確か北の蛮族の料理が基本だろう」

 若き学者は説明を聞き終えて震える・

「ではこの旨みたっぷりのスープが……ぬきつに」

「当然だよ君。ご主人!」

「わかってまさぁ!」

 味足しのための卵が二つ、二人の前にタンッと置かれた……。


「さて、食欲も満たされたので種明かしといこう。文献にもない僕の推論なのだが……」

 若き学者は、思わずツバを飲む。

「時にご主人、ぬきつの核の部分はどうしていますかな?」

 教授に問われてオヤジは小鉢を出してきた。

「このとおり、コイツは取り除いてますよ。食べられないわけじゃないんですがこの部分は食べるものじゃないって言われているんです。店が終わったら桟橋まで行って海に還しますわ」

「なるほど、ありがとう。僕の予想が間違っていなければ『ぬきつ』とは『タネ抜きつ』が訛ったものではないかと思うんだ。『つ』の部分はさらに踏み込むけれど港町や漁港に使われる地名の『つ』で海産物を示している……と」

「へえぇぇ……先生ってぇのは色んなことを考えているんですなぁ」

 気づけば助教授の若者が呆けた顔をしているので教授は水を向けてみる。

「そういえば君、人魚の件は納得したのかね?」

「教授……壁の絵、みてください」

 弟子の指差す方向には立派に額装された人魚の絵が飾られていた。

「あぁ、そいつは数日前に旅の絵師が酒代の代わりにね……」

 若者は絵師のサインに見覚えがないが、世界を旅してイマジネーションの刺激に任せて筆を乗せているのだろう。何故なら砂漠を背景に人魚が微笑む絵は、姿焼きの人魚と寸分変らないのだから。

「オヤジさん知ってたなら言ってよぉ」

 オヤジは笑って切り返してきた。

「だから、先生が走って行っちまったんじゃねぇか」

「……うっ」

「それにしても絵画に擬態するのではなくて絵の中のモチーフを立体に捕らえて再現するとは……想像していたよりも知能が高そうだね」

「感情もあるかもしれないと?」

 教授は顎をしごいて少しだけ考える。

「そこまでわからないが、四足動物程度の……そうだなタヌキやキツネ程度には知恵が回るのかもしれない」

 オヤジが思わず膝を打つ

「だからですかい」

「何がだね? ご主人」

「学者先生は、化かされたってことですよ」

 民間伝承ではタヌキとキツネは人を化かすという。理由はわからない。ぬきつの擬態だって同じだ。危険を感じているのかいないのかは、人が想像したことだ。自然科学は、足を使ってそれを調べるしかない。

 得意顔のオヤジを前に二人は、思わず噴出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界探訪助教授さん s286 @s286

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ