わたしの歌 終
* まつり *
ラブちゃん、まだなの?
約束の時間、とっくに過ぎてるよ。
そろそろ、お客さんも変に思い始めるよ。
「皆、弟子の歌はどうだった?」
お客さんは最高に温まっている。
ちょっとした言葉にも大きな声でリアクションをくれる。
「上手だった? ありがと。嬉しい。じゃあ、あちきも師匠として、気合入れて歌わないとだよね」
会場に集まったたくさんの人達と話をしている。
まさに夢見た瞬間だ。それなのに、ちっとも楽しくない。
……楽しく、ない?
心の中で呟いた直後、違和感を覚えた。
おかしいよ。なんで、そんな風に思うの?
元々これは存在しなかったはずの時間だ。
今の瞬間を迎えるまでに、色々な人に助けられた。
どうして自分は「待つだけ」などと考えたのだろう?
これまで、そんなに簡単なことが一度でもあっただろうか?
……情熱と、伝えたい言葉と、ひとかけらの勇気。
強く印象に残っている言葉を思い出す。
情熱は、ある。この瞬間を夢見た思いの強さなら、誰にも負けない。
伝えたい言葉もある。これまでの人生を全部詰め込んだ物語を用意した。
後は、ひとかけらの勇気があれば、それで良い。
……勇気は、ある?
自分の心に問いかける。愚問だった。確認するまでもない。
夢見たステージには、あと一歩だけ届かない。だけど、それでも、この歌を届けることはできる。
じゃあ、歌おう。楽しく。元気に。
皆を笑顔にするために。理想の自分になるために。
「聞いてください」
* 恵 *
『聞いてください』
少し長いMCの後、まつりちゃんが言った。
恵は関係者席に座ったまま、何か嫌な予感を覚えながら、次の言葉に集中する。
『実は、システムトラブルが起きちゃったみたいです』
その瞬間、恵は立ち上がった。今すぐ愛のところに戻って一緒に復旧作業をするためだ。
「……っ、なに?」
手を摑まれた。
恵は苛立ちを覚えながら鈴木さんを睨み付ける。
「座って」
「なんで」
嫌な予感が止まらない。
だって、さっきまでシステム障害が起きる気配なんて無かった。
誰かが人為的にやった?
誰が? 鈴木さん、最近は愛と険悪だったけど……まさか?
「制御室には佐藤さんが居る。だから山田さんが行く必要は無い」
「……どういうこと?」
「逆に聞くけど、君は彼女を信じられないのかな?」
恵は色々な気持ちをグッと飲み込んで、席に座った。
「信じるに、決まってる」
「そうか。奇遇だね。ボクもだよ」
短い会話の後、会場がざわついていることに気が付いた。
まつりちゃんは何も言わない。やがて会場が静かになったところで、彼女は口を開いた。
『あちきの友達が、今、復旧作業をしています』
愛のことだ。恵には分かる。まつりちゃんは、愛を信じてる。
『あちきは皆に声を届けることができます。だから、歌を届けたいと思います』
会場は彼女の話を静かに聞いていた。
その静寂にそっと言葉を添えるようにして、彼女は言った。
『タイトルは、わたしの歌』
息を吸い込むような音がした。
その歌声を聞いた瞬間、恵の不安は消え去った。
『ねぇ、聞かせて。幼い頃に見た夢を』
とても静かな歌い出しだった。
そして気が付けば、会場中から歌声以外の音が消えていた。
『ねぇ、教えて。どうしてそれを諦めたの』
綺麗で優しい高音がそっと耳をなでる。
恵には、この歌声を適切に表現できるような語彙が無い。
『わたしの話をしようか。わたしの大切なストーリーを。今歌うよ』
ただただ、うっとりした。
どこまでも届くような力強い歌声に心を摑まれた。
そして彼女は、その歌のタイトル通り、自分自身の物語を歌い始めた。
『
始まりはそうキラキラステージ。
かわいい衣装を見て一目惚れ。あぁ、気持ちが止まらない。
始めのうちは信じられたのさ。
いつかきっと叶うってことを。あぁ、世界は残酷。
神様わたしはあなたが嫌いです。あなたもわたしが嫌いなのだろう。
努力で叶えばどれだけ楽だろう。時間があるなら無限にやるのに。
夢を見るためには、資格が必要なんだね。
スタートラインが遠すぎてさ。手を伸ばしても離れていくばかり。
理想と今の自分を見比べてさ。子供みたいに泣きわめいてばかり。
大人はみんな噓つきだ。未来は無限なんでもできるって。
子供はいつか思い知るのさ。生まれた瞬間には、もう、全部……全部、決まってたみたいだ。
それでもわたしは、理想を、追いかけたよ』
* 愛 *
歌が聞こえた。
言葉のひとつひとつを大切にする素敵な歌声だった。
プログラムは未だ完成していない。激しいタイピングによって指先の感覚は消え、前腕にある筋肉が焼けるような熱を放っている。瞬きを忘れた目は乾き、次から次へと涙が溢れ出る。私はそれを拭わずに指先を動かし続けた。だって、こんな歌を聞かされたら、止まれるわけがない。
ほんの数日前、話をした。
私は問いかけた。夢を追いかけるって、どんな感じ?
小鞠まつりは言った。二度とやりたくない。
当時はごまかすような笑いまじりの声だった。
この歌声からは、本音が伝わってくる。
どれだけ憧れたのか。どれだけ絶望したのか。
そして、どんな気持ちで夢を追いかけたのか。
私は、何を悩んでいたのだろう?
夢中になれることが見つけられないなんて、彼がステージに立つことに比べたら些細なことだ。
だから私は諦めない。
だってまだベストじゃない。私は約束を果たせていない。
小鞠まつりを最高のアイドルにする。彼を大勢のファンの前に立たせる。
そのために私は、神様になってやる。
「もっと早く。もっと。もっと。もっと。もっと!」
頭の中ではプログラムが完成している。これ以上の最適化は望めない。
一秒あたり一回でも多く入力したいのに、痛みが動きを鈍らせる。徐々に遅くなっている。
そんな私を鼓舞するかのように、歌声が聞こえ続けた。
タイムリミットは、この歌が終わるまでだ。
『ねぇ、どうにか。普通の日々を手に入れたよ』
私は咄嗟に唇を嚙んだ。だけど決して手は止めない。
『ねぇ、どうして。身体が上手に動かないよ」
なんて、なんて切ない声で歌うのだろう。
こんな風に思うのは、私がその物語の一端を知っているせいかもしれない。ほんの一言二言の歌声で感情がグチャグチャになる。それと同じくらいに、肘から先の激痛に耐える力を貰える。
『
憧れていたキラキラステージ。
新しい技術を着て乗り込む。あぁ、やり遂げたんだよ。
だけどほんの少しズレてる。
夢見た理想とは違うよ。あぁ、わたしは欲張り。
神様になって迎えに行くから。あなたの言葉が胸に残ってた。
だけれどその時勇気が出なくて。わたしは逃げて膝を抱えた。
それでも君が、背中を押してくれたから』
小鞠まつりは声を張り上げた。
今日一番どころじゃない。私はこんなにも力強い歌声を聞いたことがない。
彼女は大きく息を吸い込む。
微かに嗚咽が混じるような音がした。
『今を変えること怯えていたよ。生まれ変わるとか綺麗ごとばかり。
新しい世界を目にするために。変わることは捨てることだから』
その歌詞が聞こえるのと同時にプログラムが完成した。
まだ終わりじゃない。ミスがあるかもしれない。これだけ大量のソースコードを一気に書いたのだ。普通は動かない。チェックする必要がある。それなのに、目の前がぼやけて何も見えない。
変わることは捨てること。
だってそれは、私が彼女から聞いて、ずっと胸に残っていた言葉だ。
強引に目元を拭ってディスプレイを睨み付ける。
しかし後から後から涙が溢れて止まらない。プログラムが、何ひとつ読めない。
『
勇気を出して踏み出しても。理想へ至る保証は無いって。
だけど決めたもう前を向いた。そしたら目の前には、ほら、全部……全部、そこにあったみたいだ。
こうしてわたしは、理想に、辿り着いたよ』
いけない。歌が終わる。
泣いてる場合じゃない。
「佐藤さん、今じゃないですか?」
水瀬さんが、いつの間にか隣に立っていた。
「実行するなら、今だと思いますよ」
「……いや、その前に、確認しないと」
「動きますよ」
「……え?」
「水瀬は感動しています。だからほら、早く実行してください。お願いします」
噓を言っているようには思えない。
そして余計なことを考えたせいか、視野が狭くなっていたことに気が付いた。
目視でチェックする必要なんて無い。
とりあえず実行すれば、どちらにせよ、コンピュータが答えてくれる。
「ありがとう」
私はプログラムを書いていたエディタを保存して、それを実行するコマンドを入力した。
アニメや映画のように大量のログが出ることは無い。そこまで作り込む余裕なんて無かった。
プログラムは、とても地味なのだ。
特に、正しく動作した時には、何ひとつメッセージなんて出てこない。
「……動いてる、よね?」
思わず不安が口に出た。その瞬間、誰かの叫び声が聞こえた。
どこか聞き覚えのある男性の声が、小鞠まつりの名前を叫んでいた。
その声に続いて大歓声が起こる。
これは、どちらの歓声なのだろうか。歌に対する歓声か、それとも……
「監視プログラム」
水瀬さんの声を聞いてハッとした。
監視対象となるスマメガをひとつかふたつに絞れば、直ぐに動作確認できる。
私は直ぐに監視プログラムを実行した。
ログを見る。
思わず頬が緩む。
そして、わるだくみを実行した。
言葉は要らない。事前の打ち合わせ通り、こっそり用意した仕掛けを動かして、本来歌う予定だった曲の音楽を流す。それだけで伝わるはずだ。
「間に合ったよ」
呟いて、ディスプレイのひとつを見る。そこには会場の様子が映し出されており、きちんと仕掛けが作動していることが分かった。
「後は、任せたよ」
私は一度大きく息を吸って、音楽を流した。
『いっくよ~!』
その瞬間、心から嬉しそうな主役の声が聞こえた。
直ぐに応じる声があった。大歓声だ。まさに、最高の瞬間だ。
彼の目には、きっと大勢の人々が映っている。
全部で四万人。クルリと身体を一回転させても人が見えない角度なんて無い。
彼は、何を思うだろうか?
どんな気持ちで次の歌声を響かせるのだろうか?
「いいなぁ」
私の口から出たのは、そんな言葉だった。
小鞠まつりが用意したのは、ファンとの掛け合いを楽しめる曲だ。
その際、アバターの動きは事前に用意したシナリオを使用している。
ライブは制御室からでも分かる程に盛り上がっている。小鞠まつりが反応を求める度、仮想世界で聞き慣れた野太い声が響き渡った。
『ありがと~!』
歌の合間に、彼女は感謝の言葉を告げた。
その様子をディスプレイ越しに見ながら、私は、この瞬間に相応しくないことを考えてしまう。
システムトラブルがあった。
小鞠まつりは復旧作業の間に歌を披露した。
その歌が終わると同時にシステムが復旧した。
あまりにドラマチックだ。一部の人は演出だと思うかもしれない。もしくは、小鞠まつりの物語として、記憶に刻むかもしれない。
どちらにせよ、そこに私の存在は無い。
もちろん誇らしい。すごいことをした。
きっと他の誰にも真似できない偉業を成し遂げた。
だけど、この功績を知る人は、ほとんどいない。
大多数の人々にとっては、なんかエラーが起きて、なんか直ったくらいの認識になるだろう。
べつに褒められたいわけではない。
噓だ。超絶ちやほやされたい。私はちっぽけな人間なんだ。
「佐藤さん、見てきたらどうですか?」
「いいの?」
「もちろんです。あとは水瀬に任せてください」
「……ありがと!」
私は動作確認のために用意していたスマメガを握り締め、制御室を出た。
久々にエンジニアらしいことをしたような気がする。
だけど、ここからは一人のファンだ。
もちろんただのファンではない。このライブを作り上げたものとして、ファンの中でも序列が高いはずだ。
「……なんだそれ」
私は矮小な発想に対して自虐的な笑みを浮かべ、会場へ向かって全力で走った。
* 川辺 *
「どういう、ことだ?」
川辺は、あんぐりと口を開けていた。
「まーて待て。アプリは落ちたまま。障害は起きてる。なんでスマメガだけが復活した?」
川辺は「不幸な事故」の全貌を知っている。
スマメガの機能回復は有り得ない。しかし、事実として、彼の目には小鞠まつりの姿が見えている。その結果、会場は大盛り上がり。これでは「わるだくみ」がドラマの演出にしかなっていない。
なぜ、なぜ、どうやって。
理由を考えていると、ちょうど手に持っていたタブレットが震えた。水瀬からの着信である。
『川辺さん! 佐藤さんは本物ですよ!』
「待て待て水瀬くん、どういうことだ?」
『作ったんですよ!』
「作ったぁ?」
『そうです! ダウンしたコンピュータの代わりに、会場中のスマメガを使うプログラムを!』
「はぁぁぁ⁉︎」
川辺は絶叫した。
ありえない。技術的に可能かどうか以前に、障害が発生してから十分も経っていない。
(……事前に用意していた? いや、それなら水瀬がここまで興奮するわけがない)
「水瀬くん。もう一度確認する。佐藤は、今この場で、そのプログラムを作ったのか?」
『その通りです! 天才、いや、まるで神様ですよ! 信じられない!』
川辺は言葉が出なかった。
彼は技術に精通しているから、佐藤がどれだけの偉業を成し遂げたのか、正しく理解できた。
『川辺さんの完敗ですね』
「うるさい!」
川辺は負け惜しみを言って通話を切った。
「きーくん、やっぱり余計なことしたでしょ」
その直後、いつの間にか隣に立っていた中野が言った。
「やーめーてーよ。これはビビパレのライブだぞ? 邪魔するメリットなんてない」
「全部、聞こえてたからね?」
「やーだーな。復旧に感動しただけだよ」
「トト全部って言ったよ? なんで余計なことするのかな?」
川辺は察した。
全部とは、過去の会話も含めての話だ。
彼の頭に様々な言い訳が思い浮かぶ。
止めなかった彼女を同罪にする方法。しらばっくれる方法。あるいは──
「ドラマチックになっただろう?」
結局、彼は開き直ることを選択した。
平たく言えば、全てライブを盛り上げるための演出だったという主張である。
「トト素直に負けを認められないのが一番ダサいと思う」
「だー、もう、分かったよ。俺達の負け。完封負けだよチクショウ!」
「は? べつにトトは負けてないし」
その言葉とは裏腹に、彼女の目元は赤くなっていた。
「……そうだな。俺の一人負けだな」
「後でちゃんと謝りなよ。焼き土下座だからね」
「普通の土下座で許して⁉」
川辺は悲鳴をあげた後、唇を尖らせながらライブに目を向ける。
そして内心で考えた。今回、どうして自分は負けたのか。
相手が佐藤愛だった。どれだけ考えても、それ以外の答えは出なかった。
* 愛 *
会場は異様な熱気に包まれていた。
大勢のファンが立ち上がって手を振り回している。
一瞬、なんだこいつらと思ってしまったけれど、スマメガを起動したら理由が分かった。その手には、サイリウムやファングッズが握られている。
「……全然ステージが見えない」
私はスタッフ用の特等席があることを思い出したけれど、なんだか移動が億劫で、手近な壁に背中を預けた。ここは座席の一番後ろに位置する。ならば腕を組み、ドヤ顔をするしかない。
まさに後方腕組彼氏面。否、私がこのライブを作りました面である。
「あっちは、どんな顔してるのかな」
ここからはファンの背中しか見えない。
多分、ステージが見えたとしても、小鞠まつりが見えるだけで、夕張さんの顔は見えない。
だから私は目を閉じて、想像することにした。
最高に幸せそうな歌声と、ファンの歓声を聞きながら、頭の中で思い浮かべ……。
やっぱり我慢できなくて目を開けた。
背伸びしたり、ジャンプしたりして、どうにかステージが見えないかと試みる。
「見えろ! 見せて! お願いします!」
その願いが通じたのだろうか。
一瞬だけ、中央のサブステージで歌っている小鞠まつりの姿がハッキリと見えた。
「こんな風に、見えるんだ」
今日ここに集まった四万人は、まるで本物のように錯覚しているかもしれない。
だけど、あれはバーチャルの存在だ。特に、今回の映像は完全な作り物だ。
他のバーチャルアイドルは人間の動きを反映していた。
しかし、あの小鞠まつりは事前に用意したモーションデータを再生している。
私が一番、あれを作り物だと理解している。
それなのに、どうしてだろう。
彼女が私を見て微笑んだような気がした。
次はあなたの番だよと、そう言われたような気がした。
【あとがき】
以上、第2章でした!
この作品があなたの心に何かを残せたのならとっても嬉しいです。
ではでは。またね(๑˃̵ᴗ˂̵)!
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【今後の更新予定日】
2025年春頃
【書籍リンク】
小説
https://pashbooks.jp/series/oneope/
コミカライズ
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/9784391159509/
え、社内システム全てワンオペしている私を解雇ですか? 下城米雪 @MuraGaro
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