just don't
椎人
個人的な話
社交不安を改善するために必要なのは努力よりも治療です。自力で治そうとするのも結構なことですけど、薬物療法という選択肢もありますからね。
と学校のカウンセラーさんに言われた。そうなんですね。でも鬱とか社交不安とか、そういう名前を強く意識しすぎると、僕はそれに縋ってしまうからあまり医療機関は頼りたくないんです。「〇〇は甘えじゃない」って言う人のことは正しいと思いますけど、自分はまだそれを言う時じゃないんです。自力でカバーできる範疇です、こんなの。そういう名前は、もっと大変な苦労をしてる人が使うためにあるんじゃないですか。
高校に入ってから、上手く喋れなくなった。声は出るのだけれど、人前だと頭が真っ白になってパニックになってしまう。イエスと言おうとしてノーと答えてしまうほどに狼狽し、意思疎通が上手くいかない。雑談が苦手とかそういったレベルではなく、事務的な会話ですらダメになったから、集団行動の際よく周りに迷惑をかけた。
「喋れなかった」高校時代に書いた初めての小説は、場面緘黙症の少女が主人公だった。中学までコミュニケーションに支障を来すことがなかったのに、高校で虐めが始まってから上手く言葉が出なくなった少女の話。自分が日々感じている苦痛のことを書けばいいだけなので、プロットも何も必要なかった。
でも、高校を卒業して分かったのは、僕は別に場面緘黙症ではなかったということ。心理的な問題で「喋れない」という状態が真にどういうことなのか、僕は知らなかった。ちゃんと調べてみたら、本当の場面緘黙症は、身体が動かなくなる症例もあるらしかった。言葉を発する難しさも、高校時代の僕の比じゃないのだ、きっと。
じゃあやっぱり、同級生に言われた言葉は正しかったのかもしれない。
「君はさ、喋れないんじゃなくて喋らないだけなんだよ」
僕をただの「コミュ障」と言った彼らの認識は何も間違っていなかったのかもしれない。このネットスラングは大嫌いだけれど、認めようと思う。
じゃあ結局なんで意思疎通も困難なほど「コミュ障」になってしまったのか。それは分からない。分からないけれど、もう考えても意味ないし現状を打破することの方が大事なので、僕は次の行動をとった。
ケーキ屋のバイトを始めた。百貨店の地下にあるせっまいせっまい横長の空間で、二人体制でスイーツを売る仕事。
どうぞご覧くださいませー。
おいしいケーキのお店、○○でございます。どうぞお立ち寄りくださいませー。
焼き菓子は常温で一カ月以上のお日保ちでございます。是非贈り物やお手土産に、ご利用くださいませー。
ありがとうございます。またどうぞお越しくださいませー。
二人のうち一人は必ず前を向いて、いつでも接客が出来るようにしておく必要がある。先輩はパソコンで事務作業をやる仕事があるので、それをやらないといけないのは主に僕。
こちらを見てくるお客さんの目。目。目。め。め。め。怖すぎる。
パニックになって最初の一カ月は何の役にも立っていなかっただろうし、お荷物でしかなかったと思う。真面目に働いた後いつも、「あー俺、給料泥棒だ」と思った。働き始めて五カ月の最近になってやっと、拙いながらも焦らずに一人で接客が出来るようになったという具合だ。家で何を覚えてきても店頭に立った時アワアワして忘れてしまうので、店員として最低限の水準に達するまでに物凄く時間がかかった。
でも職場の先輩たちは本当に親切な人ばかりだった。そしてその環境に恵まれて、僕は喋れるようになっていった。現在進行形で、少しずつ改善していっている。
高校三年間、元のように喋れるようになりたくて、色んな人に自分から話しかけに行った。そしてその度に言葉に詰まり、笑われるということを繰り返した。そんなに頑張ってちっとも良くならなかったのに、今、努力が侮辱されない環境に身を置いただけで、喋れるようになりたいという僕の「夢」はあっさり叶ってしまった。まだ言葉に詰まることも緊張してしまうことも沢山あるけれど、今の僕は「喋れる」。褒められはせずとも、侮辱されないということがどれだけ大事なことか身に染みて分かった。
ただの「コミュ障」だったから、経験した困難もこの程度なのだろう。僕が地獄だと思ってみていた景色は、所詮その程度のものだったということだ。カウンセラーさんが言うような治療は、もっと重い症状で苦しんでいる人が受けるべきだと思う。
カウンセラーさんが僕に言った社交不安という言葉は、社会不安障害とか不安症とか、色々呼び方が変わったり派生していってるらしいし、僕自身定義もなんだかよく分からない。分からないうちは、その名前に縋るべきじゃないと思っている。
自分の生きづらさに場面緘黙症という名前が付けば楽になれるか、なんて考えた時期があったけれど、その浅はかな考えは場面緘黙症を抱えている人に対して失礼なものだった。
名前が付いたところで、生きやすくなんてならない。
自分が「生きづらい」などと烏滸がましい。少なくとも今は、そう思うことで立っていられる。
自分の話をしない方が楽でいられることに最近気付いた。忍耐は必要だけれど、結果的に平静を保ちやすい。バイト先で「それ、お客さんには関係ないから」という魔法の呪文を覚えた。これを自分に言い聞かせるだけで、気持ちを切り替えて人と話すことができる。
目の前で笑っている人がどんな背景を抱えているのかは分からない。分からないし軽々しく「分かる」べきではないけれど、分からないなりに、相手がここに来るまでに乗り越えてきたであろう見えない努力の日々にこそ僕は敬意を払いたい。
みんな色々あるのに頑張っててすごいと思う
ここまでお読み頂きありがとうございます。
just don't 椎人 @re_re_re
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