そして僕は声をあげて泣いた

如月しのぶ

そして僕は声をあげて泣いた

 学校からの帰り道。

 大通りから公園に沿ってわき道に入る。

 自動車の騒音が遠くなると、ぽつぽつと街灯が点き始めた。

 住宅街に向かって、とぼとぼ歩く。

 ふわっと風にほほを撫でられた後、背後からの視線を感じた。

 振り向かずにはいられない。


「あぁ、やっぱり居たのか。河相」


 そこには一人の少女が立っていた。

 間違いなく、幼馴染の河相だ。

 そして、幽霊だ。


 河相は、つい最近死んだ。

 交通事故だった。


 最近ニュースでよく耳にする、アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢者の車に、はねられたのだ。


 学校からの帰り道。

 車が行きかう大通りの、広い歩道を歩いていた。

「ねぇねぇ小森」

 三メートルほど後ろを歩いていた河相が声をかけてくる。

「なんだよ河相」

 振り返った僕の視線の先に、河相はもういなかった。

 白いものが横切った後、バンと大きな音がして、思わず身をすくめた。

 その白いものに跳ね飛ばされた河合は、公園の奥で倒れている。

 アクセルを踏み続けられて加速した車は、人間を簡単に何メートルも飛ばし、その命を奪ったのだ。


 今日もまた、事故現場を通って家へ帰る。

 そして後ろに河相が現れるのだ。


 はじめはそこに立って居るだけだった。


 ある日、僕が振り返った時に、顔を上げた河相と目が合った。

 合ってしまった。

 河相は完全に、僕が見えていることに気が付いたのだ。

 河相は悲しそうな顔をして、その場ですっと消えた。

 最初の一回だけ。


 それからも毎日姿を現す河相は、僕に向かって恨めしそうな顔をする。

 僕だけが生きていることを恨んでいるようだった。


 小学校の時、河相と僕は何度か同じクラスになった。

 席が隣になったことで、話をするようになる。

 自然と気が合い、心地いい友達として、一緒に遊ぶことが多くなった。

 家も近所で、一緒に中学生になった。

 集団登校ではなくなったので、中学からは少し離れて登校するようになったが、河相の人懐っこい笑顔は変わらなかった。


 でも今、河相は見た事がない恨めしそうな顔で僕をにらみつけて来る。

 河相はもう怨霊になったのだと思ったら、背筋に冷たいものが走った。


「うわっ」


 思わず声が出た。

 河相はそれを聞き逃さない。

 初めて一歩、こちらに踏み出してきた。

 僕は走って逃げ帰ることしかできなかった。


 河相に取りつかれた僕は、毎日河相に攻め立てられる。

 なぜ河相は僕を恨んでいるのだろう。

 あの時一緒に死ななかったからなのだろうか。


 いや、そもそもあの時河相は、何を言おうとしていたのだろう。

 何か文句でもあったのだろうか。


 河相と僕は仲が良かった。

 少なくとも僕はそう思っていた。

 だからジャレ合って、悪口のようなことを言ったりもした。

 でもそれはお互い様だ。

 だったはずだ。

 それでも何か、河相をひどく傷つけるようなことを言ったのか。

 だって、河相は、毎日、どんどんと恐ろしさを増して来る。

 どんどん追いかけて来る。

 どんどん間合いを詰めて来る。

「何か気に障ることをしたんなら謝る。ごめん、許してくれ」

 河相は無言だ。


 小学校の時、調子に乗って河相のスカートをめくったことだろうか。

 あの時はひどく怒っていた。

「何で小森は、良い子ちゃんぶってんだよ」

 ほかの男子に責められて、女子のスカートをめくることになった。

 めくらずに逃げたら、仲間外れにされる。

 でも、女子のスカートなんてめくれないと思っていた。

 女子に嫌われるよりももっと、怖いものがあったのだ。

 ふと、河相なら許してくれるのではないかと、そう思ってしまったのだ。

 それでも、ほかの男子には見えないように、そっと猫ちゃんプリントを見た。

 そんな僕に気づいた河相は、火が付いたように怒った。

 まさに激昂と言う言葉がぴったりだった。

 

 帰り道、とぼとぼ歩く僕に河相が声をかけてきた。

 意外だった。

 もう二度と口をきいてくれないと思っていた。

「ほかの女の子のスカートもめくってるの」

 僕は仲間外れにされるのが怖くて、河相のスカートをめくったことを正直に話した。

「へたれっ」

 一言そう言うと、笑いながら走って行った。

 そんな事があったのもこの道だった。


 やっぱり本当は、許せなかったのだろうか。


 あぁそうだ、ドラマやマンガでよくあるシーンのような事もあった。

 河相と仲が良い事を、ほかの男子に茶化された。

「結婚、結婚」

 しつこく絡まれて耐えられなくなった。

「結婚なんかするかよ、こんなヤツ」

 そう言って、僕は泣きながら走って帰った。

 いじめられたから泣いたのではない。

 河相に八つ当たりした自分が情けなかったのだ。

 ガードパイプに座って泣いていると、河相が遅れてやってきた。

 何も言わずに僕の背中をポンポンと叩いて、そのまま帰って行った。

 そんな事が有ったのもこの道だった。


 やっぱりあの事が許せなかったのだろうか。


 そうしているうちにも、怨霊河相の恐ろしさは増していく。

 今にも地獄へ引きずり込まれそうだった。

 いや、僕に自殺をしろと迫っているのだろうか。

 僕の事が本当に嫌いだったのだろうか。


 中学に入ってからも、河相との事を冷やかされた。

 さすがに中学にもなれば、それがやっかみや、嫉妬から出るものだと知っている。

「小森おまえ、河相のこと好きだろ」

「あぁ、好きだよ」

 同じ学年に、カップルと呼ばれる男女がちらほらと出だした頃だった。

 でも、そういうつもりで言ったのではない。

 昔なじみの仲良しと言う好きだった。

 そういうつもりで言ったのだ。

 いちいちそんな事は声に出して説明はしなかった。

 冷やかし男子に、餌をくれてやる必要はない。

 そんな日の帰り道だった。

 少し後ろを歩いていた河相が言ったのだ。

「小森なんかきらぁーいっ」

 あっけにとられていた僕を、足早に追い抜いて帰って行った。

 そんな事が有ったのもこの道だった。


 僕は本当に嫌われていたのだろうか。

 

 その河相の憎しみが、今こうやって僕に向けられているのだろうか。


 日に日に河相のすごみは増してくる。

 不意を突いてくることもある。

 ホラー映画で見たようなシーンが、毎日繰り返される。


 あの日、河相は何を言おうとしたのだろう。


「小森、何やらしい顔でにやけているのよ」

「やらしい顔なんかして無いだろ」

 その日河相は、何かと突っかかって来た。

 始まりは朝、僕の下駄箱に下級生の女の子からのラブレターが入っていた事からだった。

 今時ラブレターが入っていた。

 何度もその手紙を読み返す。

 そのたびに河相が突っかかって来る。

 だが僕は嬉しくてその手紙を読み返していたのではない。

 その手紙の文字が、女子のモノと言う気がしなかったのだ。

 それどころか、どこかで見覚えがある。

 それを思い出そうとしているのに、河相が邪魔をする。

『昼休みプールの横で待ってます』

 それを見てようやく気が付いた。

「坂田、昼休みにプールの横へ行けばいいのか」

 それはクラスの坂田と言う男子の悪戯だったのだ。

 河相も反応した。

「坂田、あたしの小森に変なコトしないでよね」

 河相は女子の友達も当然多い。

 それからと言うもの、女子達の坂田への風当たりはきついものとなった。


 その後の河相はなんか様子が変だった。

 何か妙にソワソワしたり、僕への態度が冷たかったりした。

 目が合ってもすぐにそっぽを向いてしまう。

 先生からの伝言を伝えた時も、横を向いていた。


 本当に、僕の事を嫌いになってしまったのだろうか。

 あの日河相は、それを言おうとしていたのだろうか。


 そんな事を考えながらいつもの場所に来ていた。

 そのことに気が付いた瞬間、胸元に見上げてくる河相の顔が現れた。

 驚いて後ろに転倒した。

 地面に着いた手に激痛が走る。

 何かで手の平をざっくりと切っていた。

 血がぽたぽたと落ちる。

「ごっ、ごめんなさい」

 そこには、心配そうにのぞき込む河相の顔があった。

 それは、生きていたころの河相、そのものだった。

「僕の事を恨んでいるのなら、そう言ってくれ」

「恨んでいるんじゃないの。ただ、私が見えるのは小森だけなの」

「また僕をからかっているのか」

「違うの。車にはねられて、私は今ここの地縛霊なんだって。霊として567回人を怖がらせたら、お地蔵さまが助けてくれるの」

 そう言う彼女の肩には、マスコットのような小さいお地蔵さまが載っている。

 僕は心配した。

 物語では事情を話すのは禁忌。

 すべてが無効になる。

 ところが河相が言うには、出来たばかりの制度なので、ルールにはいろんな抜け落ちが有って、人に話してはいけないと言う決まりは無いらしい。

 そもそも、地縛霊が人に事情を話す。

 聞いてもらえること自体が、想定外なのだそうだ。

 また、同じ人を何度も怖がらせてはいけないと言う決まりも無いらしい。

「どっかの国の、何とかキャンペーンみたいだね」

 河相の人懐っこい笑顔があふれる。

「なんか、人々の仏教離れで、荒れ寺が増えている事とかが、あの世で問題になっているんだって」

「はぁ~」

「で、昔は妖怪のミイラとかを作って信仰心を集めてたんだけど、今はレントゲンとかですぐバレるじゃない」

「それに代わる方法がこれかぁー。そのために僕がこんな目にあっていたのか」

「ごめんね」

「いや、良い。やろう、最後まで。どうせ芝居じゃだめだっていう決まりもないんだろ」

「うん、まだない」


 それからと言うもの、僕は河相を見るたびに派手に驚いて見せた。

「もうやめよう。私のために小森が変な目で見られるよ」

「それは大丈夫。僕と河相が仲良かったことをみんな知っているから、どちらかと言えば同情的にみられているからさ」

「いいの」

「いいの、いいの。最近では噂が広まって心霊スポットとして有名になりそうなんだ。見える人が来るかもしれないよ」

 そして肝試しに来る人を次々とおどかしていった。

 河相が居ると思っているだけの人を、僕がおどかしてもカウントが入った。


 小学生のころ、二人でアイデアを出し合って悪戯して回っていた日々がよみがえる。

 恋心が芽生える前の、無邪気で楽しい時間が帰ってきたようだった。

 どんなにずるい方法を考えても、河相の肩のお地蔵さまは、いつもニコニコとほほ笑んでいた。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。

 とうとう567回目がやって来たのだ。


 僕は飲み物をたくさん飲んで待った。

 最後は河相のおどかしで、派手に漏らしてやろうと思ったのだ。

 でも漏らさなかった。

 最後の河相の恨めしやは、最高に可愛かったのだから。

「ちぇっ、今から派手に漏らしてやろうと思ったのに、せっかくの地縛霊最後なんだからさっ」

「そんな事までしなくていいよ」

 くすくす笑う河相の目に、光るものを見た気がした。

 それは、河相を包み込もうとする、お地蔵様の後光だったのかもしれない。

「ねえねえ小森」

 そういった河相は、光に包まれ、まっすぐ上へと昇って行き、最後の言葉が僕の胸に響いた。


「だいすき」

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そして僕は声をあげて泣いた 如月しのぶ @shinobukisaragi

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