ウエディング・コード

星川亮司

ウェディング・コード

 教会のウエディングベルが鳴った。ブーケが舞い、女たちが群がった。

「これは私の物よ!」

 大柄の女がジャンプした。

「甘いわ、桜子!」

 小太りの女が「ドンッ!」と桜子を弾き飛ばし、ブーケを奪い取った。

「よっしゃー! 次に、結婚するのは私、松子よ!!」


 ブチッ!

 桜子は友人の結婚式のビデオを消し、ゲームのコントローラーを握った。

 ――ランスロットさんがパーティーを退会しました――

「また、婚活失敗。これはゲームよ! どうして、リアルで女が35歳って知ると、どいつもこいつも脱退しました。って、まったく、どういうこと!」

「まあ、気を落としなさんな。ボクは、ジュリアさんのこと大好きですよ」

 と、ヘッドセットから優しい少年の声がした。

「ふぁ〜、そう言ってくれるのは、マイケルくんだけよ。このオンラインゲームが現実なら、わたしはマイケルくんと結婚するのに」

「かたじけないジュリアさん(笑)。ボクも、同じ気持ちだけど、病気で、会いに行けないんだ。あっ、そろそろ、病院の消灯の時間だ。また明日☆」

 ――マイケルさんがログアウトしました――

「はぁ~、マイケルくん。ちょっとツレナイところがあるけど、元気なら私が養って一緒に住むのに」

 そう言って桜子は、ゲームをログアウトし、風呂場へ立った。


 風呂から上がり鏡の前で髪をかわかす桜子は、口元にうっすら現れたほうれい線を指でなぞり、

「最近、顔の疲れがとれないなあ……若いマイケルくんを養わなきゃだから気持ちだけでも若くなくちゃ」

 桜子は、顔に乳液を塗ってパンパンッと頬を叩いてパックをした。


 翌朝、ブラインドから朝陽が射し込む時刻に、桜子のスマホが鳴った。桜子は、夜更かししてゲームをしていたからまだ眠り足りない。目を擦りながらスマホを見ると、

 ”姫野ひめの節子せつこ

「お母さんだ」

「ゲームにばかり時間を費やしていないで現実に結婚相手を見つけなさい」

 休日の朝からの母の電話は決まってこうだ。

 1休みの日は誰か好いひととデートの予定はないのか?

 2好い男がいないならお見合いしてはどうか?

 3男に求めるものは、顔か、お金か、将来性か?

 など、母の心配はもっぱら、桜子の結婚についてのものだった。

「お母さん、心配しないで、結婚相手は自分で探すから……」

 と、言っては見たものの、結婚相手の宛などなく、

「はぁ、ゲームの世界が現実ならいいのに……」

 と、桜子は溜息をつき夜の間にアップデートを終えたゲームのコントローラーを握った。


「あれ?  今日はマイケルくん、オフラインね?!」

 ブラインドから射し込む陽射しは、やがて傾き、影が伸びてきた。

 ぐぅ〜!

「お腹空いたな〜、出前でも頼むか」

 桜子はコントローラーを置いて、スマホの出前アプリを叩いた。


 ――1時間後、桜子の傍らには、食べかけのピザが放置されていた。セットのダイエット炭酸飲料も蓋があいたままだ。

 桜子は休日の時間を誰にも会わずゲームへ費やした。

 電気も付けない薄暗い部屋に、テレビの明かりと、それに反射する桜子のメガネだけが、異常に輝いている。


 ピンポーン!

 インターフォンが鳴った。桜子は荷物を注文した心当たりはない。差出人を見ると、

 ”マイケル・フォン・ミューゼル”

「あっ、マイケルくんからだ」

 桜子は郵便物を受け取った。

 品目を確かめると、ゲームのアップデート後に対応になったVRゴーグルのようだ。

「マイケルくん、こんな高価な最新のVRゴーグルをプレゼントしてくれるだなんて、もしかしたら、お金持ちの子供だったりして♡」

 桜子は、さっそくマイケルのプレゼントを開封しようと、伸ばした手が、テープへカッターを入れようとした時ピタリと手が止まった。

「これ以上、ゲームにのめり込んだら、ホントに婚期を逃しちゃうかも……」

 桜子は、カッターを置いて、気分転換へ風呂場へ向かった。


 チャポン!

 桜子は長い髪が湯船に浸からないよう、頭にバスタオルをターバンのように巻いて、森の香りの入浴剤を楽しんでいる。

「ふわぁ〜、生き返るわい」

 ピロリロリン!

 ”明日、お食事でもどうですか?”

 会社の同僚、田中からの誘いだ。桜子は、通知を確認したが一瞬でスワイプした。田中は桜子をしつこく誘ってくる。アイツは金もないDラン大学出身だし将来の見込みもない。そもそも顔が平たい一族でタイプじゃない。

 桜子は、グッと缶ビールをあおった。半分隠した風呂フタに、缶ビールと干物のスルメイカ防水のスマホを置いて長風呂の構えだ。

 お笑い動画を見ながら、ヘラヘラと笑う姿は、オッサンに見えるだろう。

「それよりマイケルくんどういうつもりかしら、確かにわたしはゲームは好きだけど、子供を産むのを考えたら、そろそろ卒業して、本気で現実世界で結婚相手を探さなくちゃなんだけど……」

 そう言って、桜子はブクブクと湯船に顔を沈めた。


 ピロリロリン!

 桜子のスマホに通知が入った。

「はぁ~、また、田中か、アイツは油汚れか! まったく、しつこい」

 嫌々、通知を見た。

「やだ、マイケルくん♡」

 ”ジュリアさん、VRゴーグル使ってくれましたか? まだなら、今からオンラインしますので一緒にプレーでもどうですか?”

 すぐさま、桜子は風呂から上がり、サッと体を拭き、頭のターバンそのままに、バスローブを引っ掛け、リビングのプレゼントの箱を開封した。

 ゴーグルを取り出すと、頭のターバンを放り投げ頭に装着した。


 ザザザッ、ザザザッ!

 接触が悪いのか、一瞬、目の前の視界が、真っ黒に消えた。もしかすると、気を失ったのかもしれない。

「……ジュリアさん……」

 遠くから聞き覚えのある優しい少年の声がする。

(ジュリア……?!)

 桜子はジュリアという言葉に覚えがあるようで、思い出せない。

 桜子がゆっくり目を開けると、目の前には金髪の少年が心配そうに覗き込んでいた。

「ジュリアさん、起きて!  起きてくださいジュリアさん!!」

 一瞬目を疑った。目の前に2Dではない生身のマイケルがいる。小柄な金髪は風に揺れ、蒼い切れ長の瞳は潤んで、頬は少し赤味を帯び、口元は涼し気だ。

 白のシャツに、首周りには赤のスカーフを巻き、白いズボンは膝までの長さだ。肩から膝ぐらいまでの金の装飾を施す煌びやかなジャケットを纏う姿は、どこか小国の王子のようだ。

 桜子は、ほうけた頭で、思わず美しいマイケルへ手を伸ばして髪を指でいた。

「よかったジュリアさん気がついて!」

(私がジュリアだ!!)

 桜子は自宅でゲームをしているはずだ。しかし、桜子には背中に地面の感触もあるし、風に髪が揺れるのも分かる。何より、目の前のマイケル少年からは、なんとも言えぬ心地よい香水の香りが鼻腔をくすぐり、目と耳、口以外の触感、嗅覚の五感が揃って魅力を感じるのだ。


 ヒュン!

「なんの音?!」

 桜子は耳で追った。

 スパンッ!

 矢がマイケルの道具入れに突き立っている。

 ドドッ! 

 白地に赤の十文字をはためかせ漆黒の巨馬に乗った黒騎士が一騎で突っ込んで来た。

「マイケル、今日こそは逃がさないわよ!」

 女の声だ。

 桜子は慌てて飛び起きた。

「マイケルくん、あの女なに?」

「キンバリー・ウォードルフ、この世界の親が決めた許嫁いいなづけさ」

「どうして、許嫁が、襲ってくるのよ?」

「分からない。ボクにはすでに心に決めた女性ひとがいますと、縁談を断ってからボクを見つけると、ずーっとああなんだ」

 桜子は、なんだか、ショックだった。マイケルには心に決めた女性がいること。キンバリーと言う許嫁がいること。

(マイケルくんとは、長い付き合いだけど、そんな話わたしには一度も話してくれなかったな……)


 ドドドドドド! 

 剣を振り上げた騎乗のキンバリーが、砂塵を巻き上げて詰め寄る。

 胸中複雑な桜子も、今は戦闘真っ最中。心の葛藤に溺れて思案している暇はない。 桜子のアバターであるジュリアも屈強だ。気持ちを切り替えて剣を掴んだ。

「死ねい!!」

 キンバリーが剣を振り上げて突っ込んできた。

「そう簡単に殺られやしないわよ!」

 ジュリアは、渾身の力で弾き飛ばした。

 グラリ。

 馬上のキンバリーは、バランスを崩して落馬した。すぐさま、ムクリと起き上がると兜を脱いで地面に叩きつけ、ショートカットの美しい金髪を振り乱した。

 キンバリーは、美しく弧を描く眉に、長い睫毛、スっと鼻は通り、ポッテリとした口元は可愛らしい20代前半の若さ溢れる美貌の小柄な女騎士だ。


 桜子は、ゲームも出会いの場と捉えている。アバターも現実に近づけて、長い赤毛に、大きな目、高い鼻に、大きな口、女にしては背の高い175センチの高身長だ。

「おい、デカ女! お前はマイケルの何だ!」

 キンバリーが、剣を向けて激しい口調で聞いた。

「わたし?! わたしは、マイケルくんの……」

 桜子は、言葉が詰まった。出来る事なら勢いでマイケルの彼女だと声を大にして叫びたい。けれど、マイケルは長い付き合いでも一度もそれらしい態度をとったことはない。それは、まるで、姉弟の関係で保たれているように。

「ジュリアさんは、ボクの彼女だ!」

 桜子の躊躇ためらいを破って、マイケルが叫んだ。

「なんだと!? マイケル、お前にはわたしと言う許嫁がありながら、他の女に色目を使っているのか?」

「キンバリーさんには、何度も言ってるじゃないか、ボクには心に決めた人がいますと、それが、ジュリアさんだ」

 マイケルの男らしい告白を聞いた桜子は、心が大きくときめいた。「マイケルくん!」と桜子はマイケルの目を見た。

 マイケルは、桜子の視線を受け止めると「うん!」と静かに首肯した。

 二人の愛の確認作業を見たキンバリーは、眉をヒステリック吊り上げて、頭を掻き乱した。

「マイケル、私はそんなデカ女、認めない。この世界の私は愛は力尽くでも奪い取る。愛の前に立ちはだかる者がいれば、迷わず排除するのみ!」

 キンバリーは、そう言うと、まるで剣を小枝でも操るように振り回して突っ込んできた。

「ジュリアさん危ない!!」

 マイケルは、キンバリーの間に身を挺して、ジュリアを押しのけた。

「ウウウッ……」

 大きな体躯のジュリアを子供の体で押し飛ばしたマイケルは、脱臼したように肩を押さえている。

「マイケルくん!」

「大丈夫だよジュリアさん。こんなのかすり傷さ」

「でも、肩が……」

「ジュリアさんが、無事ならそれでいい」

 それを聞いたキンバリーが、鼻息荒く、剣を振り上げた。

「マイケル、私はお前を愛している。たとえ、お前の手足をこの剣で切り刻んだとしてもこの愛は変わらない」

 なんと言う執念深さだ。狂気すら感じる。

 桜子は、剣ではじき返しながら、この女とまともに戦ってはならないと感じた。

「マイケルくん、ここを脱出する方法は何かないの?」

 と、桜子はマイケルに尋ねた。

「ジュリアさん、この笛を吹いたらボクの愛馬アイバーンがやって来る。それまで、少し時間を稼いで欲しい」

 マイケルはそう言うと馬笛うまぶえを吹いた。


 ダダッダダッダダ!

 マイケルの馬笛に呼応して白馬が、駆けつけてきた。

 「逃がさない!」 キンバリーが、立ち塞がる。

 ヒヒーン!

 桜子は、アイバーンの背にマイケルを押しのせ、行く手を阻むキンバリーの斬撃を二、三度弾いて隙を見てアイバーンに飛び乗り馬腹を蹴った。

「セイヤ―!!」

 アイバーンは速かった。見る見るキンバリーを引き離して、とうとう、遁走に成功した。

「ちくしょう! おぼえてやがれ!! この世界の私は絶対に諦めない!!!」

 キンバリーの負け惜しみがこだまする。

 馬上で二人きりになった桜子は、おもむろにマイケルに尋ねた。

「さっきの話はホント?」

 マイケルは、イエスともノーとも答えず、アイバーンが運んできた町を指さした。

「ここがボクの町ライプセンだよ」



 商都ライプセンは賑やかだ。大陸の都市と都市を繋ぐように海へ向かって流れるエルター川と、大陸を編み目のように巡るパルン川が交差する丘陵の上にあって、穀物、野菜、肉、魚の食料に始まり、剣に、鎧、鉄砲、最新の大砲まで揃う。

 特徴的なのは、中心の教会を囲んで、リング状に市場が広がり、商店、民家、傭兵の宿舎と、大外の城壁まで、その円が放射線状に広がっている。


 ティリティッティッティッティー♪

 ライプセンへ着いた桜子とマイケルを出迎えたのは、街にこだまするオルガンの賛美歌さんびかだ。まるで、現代の電子ピアノで、子供をあやすように鍵盤が追いかけっこするバロックの旋律だ。

「バター牧師、お身体が回復されたんですね」

 とマイケルが言った。

「バター牧師?」

「うん、バター牧師。この街で一番の牧師様だよ。現在いま大陸を二分して激しい戦いをしている宗教戦争の新教徒派の代表なんだ」

「ふ〜ん、まるで、マイケルくんこの世界に生きている見たい」


 聖ツーイン教会は、バター牧師の賛美歌オルガンと、ソプラノとテノールの歌声の子供たちからなるツーイン教会少年合唱団が組織されている。

「あっ、マイケル様だ」

 と、少年合唱団の子供が声を上げた。

 その声を聞いたバター牧師は、オルガンを奏でながら、

「お帰りマイケル!」

 と、気さくに片手を上げて挨拶した。

「お父様、只今、戻りました」

「お父様?!」

 桜子はマイケルの言葉に目を丸くした。

「マイケルや、その方は誰だい?」

「はい、お父様。この女性は騎士ジュリア様、手傷を負ったボクを助けてくれました」

「そうかい、それならば、傷の手当が済んだら、今夜、ジュリア様を招いてお礼の夕食をご馳走せねばなるまいな」


 その夜、バター牧師の主催でジュリアを囲む祝宴が開かれた。

 広間の長方形の長いテーブルの頭に、バター牧師、右にマイケル、向かいにジュリア。その先へつづく席には、少年合唱団の子供たちが並んで座る。

 バター牧師は、パンをちぎって、コーンスープへ浸して、口へ放り込みながら尋ねた。

「ジュリアさんは冒険者かね?」

「はい、現実の世界では、テレホンアポインターをしています」

「ほう、それは結構なお仕事で、だから声が落ち着いてらっしゃるのか」

 マイケルが桜子の言葉を次足す。

「お父様、ボクはジュリアさんの声を初めて聴いた時、お父様の奏でる賛美歌のような癒しの音楽が頭に広がったんだ」

「ほう、そんな事があったのか」

「だから、お父様……」

 と、マイケルが次の言葉を言いかけた時、バター牧師は、その言葉を掻き消すように言葉を被せた。

「マイケルや、現在の新教徒派と古い教皇派の戦争の最中さなかにあっては、このライプセンを守るため、力のある騎士団長のキンバリー殿との結婚は覆せんぞ」

「お父様……」

 マイケルは、バター牧師に呆気あっけなく釘を刺されて、ガックリと項垂うなだれてしまった。

 さすがに、これはマイケルに悪いと思ったのか、バター牧師は、桜子に、

「ジュリアさんや、今夜は、マイケルを救ってくれたお礼に二人で仲良くこの街を楽しんで行きなされ。きっと、現実世界では味わえない発見がありますぞ」


 夕食を済ませた桜子は、鎧を脱ぎ、バター牧師に借りた純白のドレスのネグリジェに着替え、2階屋のベランダへ出て風に当たっている。

「はぁ〜あ、どうして、現実だけじゃなく、ゲームの世界でも上手く行かないんだろう」

 ザザザザッ!

 桜子のベランダに届くオリーブの木が揺れた。

「なんだろう?」と、桜子が覗き込むと、

「ジュリアさん!」と、オリーブの木を登って来たマイケルが、ニタッとイタズラっ子ぽい笑顔を見せて、懐から林檎りんごの実を取り出した。

「ホイッ!」

 マイケルが、桜子に林檎を放り投げた。

 危うく落としそうになったが、桜子はなんとか林檎を掴み「ありがとう」と応じた。

 マイケルは、ヒョイッと、桜子のベランダに飛び降りて、もう一つ林檎を取り出して、服でゴシゴシと実を拭いてサクッとかじった。

「甘あ〜い。ほら、ジュリアさんも食べてみな」

 桜子も、マイケルの真似をして、端無はしたなくはあるが、ネグリジェで林檎を磨いて齧った。

「美味し〜い」

「だろう、ライプセンの林檎は糖度が高くて甘いんだ」

「ホント、こんなに新鮮で甘い林檎は現実世界でも食べた事ない」

「でしょう」

「それよりマイケルくん、 肩?」

 マイケルは、肩をグルグル回して、

「だって、ゲームの世界だもの一瞬で治るから平気、平気」

 と、笑顔を見せた。

 桜子は、マイケルとのかけがえのない幸せな時間がこのまま止まればいいのにと思った。だが、一方で、マイケルには、この世界では、街を守る為に許嫁が居り、自分とは結ばれない運命にあるのだと悲しくなった。

(もう、私、ログアウトしなきゃ……)


 黒雲が空へ伸びて来た。

 ゴロゴロ……ドカン!

 雷鳴が轟き、頭上を黒い影が通過した。

 ヒューン!

 黒い影は、火を吹いた。

「ドラゴンだ! 教皇派が攻めて来たぞ!」

 ドラゴンは、方向を変え、桜子へ向かって飛んできた。

「デカ女と一緒か、マイケル!」

「キンバリーさんどうして!」

 マイケルがそう叫んだ時、ドラゴンが炎を吐いて火の壁を作り、桜子とマイケルを引き裂いた。

 嫌がるマイケルを、キンバリーは、無理矢理に肩に抱えた。

「マイケルは貰って行く。さらばだデカ女よ」

 とキンバリーは、高笑いに去っていった。


 翌日、ライプセンの街は、キンバリーの裏切りと、教皇派の夜襲で陥落した。

 聖ツーイン教会の屋根は、天井剥き出しに吹晒ふきさらしの風が入り込み、壊されたオルガンの鍵盤を叩く。

 聖なる天使の集う教会は破壊され北風が瓦礫を打ちつける。

 ライプセンをまとめていたバター牧師も連行され、新教徒派の教育を受けて育った少年合唱団の少年たちは教皇派の再教育施設に入れられた。

 そして、マイケルが、桜子に何かを伝えようと忍んで登ってきたオリーブの木は切り倒され、占領軍に蹂躙じゅうりんされた。

「終わった……」


 桜子はVRゴーグルを外した。ライプセンでの悲劇の幕切れは辛いものだったが、所詮、ゲームの話だと当事者意識のない冷めた自分がいる。

 桜子の人生はいつもこうだ。大事なところで大事な男が攫われる。それは、高校、大学、社会人になってもそうだった。

 桜子がいいなと思った男は、決まって、押しの強い女に奪われる。

 若い頃は、怒り狂い、取り戻そうと努力を重ねた事もあったが、いつの間にか「またか……」と争う事さえ面倒くさくなった。

「私はいつも受け身で、自分から何がなんでも奪い取る情熱がないんだ……」

 気づいたら桜子の頬が濡れていた。


 ブーブーブー♪

 スマホが鳴った。

 友達の松子からのメールだ。

 ”今度、結婚することになりました。是非、私の結婚式にブライドメイドとしてご参加下さい”

 松子のメールを見た桜子の心に何か熱いものが込み上げて来た。それは、フツフツ煮えたぎる情熱。

「このままじゃ終われない。私はマイケルくんを取り戻さなきゃ!」

 桜子は、そう言うと再びVRゴーグルを装着しオンラインゲームの世界へ飛び込んだ



 桜子はライプセンの町で、マイケルを連れ去ったキンバリーのいる根城アジトを聞き歩いた。教皇派の都は国都ベルウッドにると言う。ライプセンから歩けば三日、馬なら一日。

 桜子には、マイケルの残した愛馬アイバーンがある。これなら、スグに旅立てる。


 翌日、桜子はベルウッドへ入った。ベルウッドは、教皇派の東側と、新教徒派の西側の勢力が対峙し、町の中央を壁で隔てている。幸いライプセンは、ベルウッドよりも東にある。この壁を越える必要はない。ただ、マイケルを取り戻しても、教皇派に陥落させられたライプセンへは戻れない。逃げるならこの壁の向こうだ。

 桜子は、脱出経路の確保にも用意周到だ。昔のオンライン仲間へ一生のお願いと頼み込み脱出の梯子はしごの手配を取り付けた。

 後は、マイケルの居場所だが……。

「おい! みんな聞いてくれ、あの鉄の女キンバリー様が子供ガキとご結婚されるってよ。盛大に町の聖ソセージ教会でマガリン神父しんぷ御自おんみずから結婚式を取り仕切るそうだ」

 と町のお調子者が吹聴ふれ歩いている。

「作戦は決まった!」


 桜子はすぐさまソセージ教会へ紛れ込んだ。列席者として参加し、指輪交換の時に「ちょっと、待った!」とマイケルを奪い去る算段だ。作戦の成功には協力者がいる。

「あっ、あれはバター牧師様?!」

 教会の祭壇で結婚式のリハーサルを取り仕切るバター牧師がいた。

 桜子は、近づいて声を掛けた。

「バター牧師、無事で良かった」

 桜子が、そう声を掛けるとバター牧師は、ピクリと左の眉を上げたが、しっかり、桜子の話を聞き協力を承認してくれた。

 後は、結婚式を待つだけ……。


 教会の鐘が鳴った。結婚式の開始の合図だ。

 教皇派の貴族の参列者に混じって、桜子も陣取る。

 祭壇には、法衣を纏ったバター牧師。

「新郎ここへ」

 呼び入れられたのは反抗出来ないように猿轡さるぐつわを噛ませられ、手を縛られたマイケルだ。

 続いて、呼び入れられたのは純白のドレス姿のキンバリー。

 式は進み、計画の指輪の交換だ。

 桜子は、バター牧師との打ち合わせ通りに「ちょっと、待った!」と立ち上がり、誓の言葉を言う間も与えずマイケルの手を取り逃げた。

「衛兵、新教徒派の賊はあそこじゃ、それ、引っ捕らえよ!」

「え?! バター牧師じゃない?!」

 桜子は、一瞬で悟った。自分がバター牧師だと信じた相手は瓜二つの別の誰か。

「私が、あの弟のバターと双子であったのが幸いしたわい」

 新教徒派のバター牧師と、教皇派のマガリン神父は双子だったのだ。

 桜子は逃げた。脱出経路のベルウッドの壁に架けられた梯子を目指して、

「なんてこと……」

 桜子が計画していた梯子は燃えていた。協力を願ったマガリン神父の手配により燃やされていた。

 桜子とマイケルは、抵抗むなしく、追いかけてきた衛兵に捕まった。

 そして、手足に枷を嵌められた桜子の眼前で、強制的にマイケルとキンバリーは結婚した――。


 ――ジュリアさんがログアウトしました――

 桜子が絶望感に打ちひしがれて、ゴーグルを外し現実に帰ると、松子からメールが届いた。

 ”遂に結婚しました。ゲームの中でだけどね☆  途中、ジュリアって嫌な女が結婚式の妨害に現れた時はどうなっちゃうんだろうと思ったけど、教会の神父さまのお計らいで無事式を上げました。次は、子供が生まれたら連絡します。桜子、あんたも早く幸せ見つけなよ”


「松子ーーーーーーー!!  キンバリーはお前だったのか!!!」

 ゲームの世界で大好きなマイケルを奪われ、キンバリーに強奪、結婚、出し抜かれた桜子だったが、相手が身近な友人、松子だったと知ると、消えかかっていた心の炎が再びフツフツと燃え上がって来た。

「ならば!」

 桜子は、スマホをとり、マイケルから届いたVRゴーグルの入っていた箱の宛先を確認した。


 翌日、重い雨だった。

 桜子は会社を休んで、マイケルの住所を尋ねた。

 マイケルの住所は、山の中の湖畔にあった。

 ”帝ヶ原みかどがはら老人ホーム”

 桜子は、迷わずロビーに入ると「どなたへの御面会ですか?」フロントマンに行く手を遮られた。

(ええっと、マイケルくんの本名なんだったっけ……)

「あの〜、あの〜、ゲームを一日中してる男性居らっしゃらないですか?」

「ああ、財前ざいぜん英彦ひでひこ先生のことですか?」

「そうそう、私は財前先生に会いに来ました」

(マイケルくんって医者だったんだ……)

 桜子は、この機会を逃したら、次にマイケルに会うチャンスはないだろうと思い切って、フロントマンに話を合わせた。

 フロントマンは、まずい顔して、

「かしこまりましたご案内します」

 と応じた。

 マイケルこと、財前英彦の部屋は、広大な帝ヶ原老人ホームの一番奥にあった。

 扉を開けると、そこは湖畔を望む壁一面ガラス張りのただっ広い病室であった。

 壁ガラスの横に透明なカーテンで隔離されたベッドが一つある。桜子は恐る恐る近づいてカーテンを開けた。

 中には、人工呼吸器を付けられて目だけギョロっと、視点で文字を操り音声変換する老人が横たわっていた。

「来たんだねジュリアさん」

「あなたがマイケルくん?!」

「驚かせてごめん。でも、最後の一刻ひとときはジュリアさん君と過ごしたかったんだ」

「最後の一刻?」

「そう、ボクは、もうすぐ死ぬ。その前に、君に贈りたい物があるんだ」

 そう言って財前老人は、ベッドの横の棚を探るよう促した。

 桜子が棚を探すと、マリッジリングケースがあった。

「これ?!」

「ボクは、運命の人を探して生きてきた。そして、ようやく巡り逢えた。ジュリアさん結婚して欲しい――」


 桜子は財前老人を看取った。しかし、あんなに情熱を傾け愛したマイケルこと財前老人の死は別物のように感じた。帝ヶ原みかどがはら老人ホームを出ると、降り続いた雨が上がっていた。


 ピロリロリン!

 桜子のスマホが鳴った。

 ”桜子さん、友人の開いたトルコ料理屋があるんですが、そこのシシカバブーが最高なんです。一緒にどうですか? 田中誠一”

「まったく、田中さんは油汚れのようにしつこいなぁ。でも、まあ、一回だけ行ってみるか」

 雲の切れ間の晴れ間から一条いちじょうの光が差し込んでいた。


 人生において、男と女の結婚は、最大のテーマであろう。運命の人は誰か、人は、様々な理由や覚悟で世界中から選び出す。桜子はこの先、どんな運命を選ぶのだろうか。筆者は桜子の明るい未来を願って筆を置く――。

 



 ー了ー
















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ウエディング・コード 星川亮司 @ryoji_hoshikawa

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