新年あけましておめでとうございまする。
どうも、星川です。
元旦の夕方、ビックリしましたね。能登半島沖を震源とする北陸大地震。まさに、正月モードの日本の頬ずらを張り飛ばすような出来事ですね。
私は、元旦の朝7時に起きまして、寅年以来、正月と年末お参りしている聖徳太子ゆかりの空海の真言宗の寺 朝護孫子寺へお参りしました。
朝護孫子寺は、拙作でも、登場する信貴山城の左近とカケルの天敵 松永久秀の居城が同山にあります。
私は、メンタルの病があって健康管理を徹底しておりますが、睡眠を削るような無理はできません。
それでも、脚本家の師匠の教えを受け、物書きの道に入ったからには、何かしら自分の信念のようなものを物語の形を借りて、世に発表できたらと思い小説家になろうで連載しております。
拙作、「戦国オタクの心身転生シンギュラリティ」連載開始したのが、2018年4月1日で、更新最新話が2023年12月31日と5年。述べ文字数およそ69万字。現在、第四章 長篠の戦編を鋭意執筆中でございます。
まあ、宣伝はこのくらいにして話を戻します。
元旦の朝、朝護孫子寺に行きました。私は、メンタルの病気をしたのもある種の運の悪さだと思っております。そこで、本物の星川さん、平成元年の直木賞作家「小伝抄」の 星川清司が若い頃結核で苦しみ世に出るのが遅れた折、自分にできる仕事は物書きしかないと決意された。その時、大事なのは運だ。
「よし、寅年生まれは運が強いと聞く、ならば、オレは今日から生まれ変わろう」
と、生年を偽った。
そう、星川清司さんは、運を得るために生まれ年の公表を変えたために、後になって分かるんですが、最高齢の直木賞受賞作家になるんです。
と、前振りはこの辺として、私もどうやら運がもう一つだ。そこで、寅年から、開運、金運の毘沙門天王を祀る朝護孫子寺へ通うようになりました。
朝護孫子寺へ通ってからというもの、私は運が良くなりました。まだまだ、上昇過程ですが、健康が安定し、知識欲が高まり、金運も上がって参りました。
まさに、毘沙門天王の御利益でございます。
で、元旦の朝護孫子寺のお参りですが、沢山のお堂と院がございます。
私は、中でも千手院にご縁があるようです。本堂には、戒壇と申しまして、本堂の地下に、真っ暗闇の回廊めぐりがございます。ちょうど、その日、私は初めて戒壇に挑戦しました。
戒壇には明かりがない。自分の手足すら見えない。両手を広げようやく触れる回廊を、視覚を使わず巡る。
暗闇を手の感覚と、すり足で、足元を確かめながら進む。1分ほどの直線も一寸先が見えないと不安でたまらない。それが、手の届かない、曲道に差し掛かる。手が届かないから、右に進んでいいのか左へ進んでいいのかわからない。分かるのは片側の壁に両手をついて、その先を進むしかない。
過度を曲がると、また、まっすぐな道に入った。両手の届く道だ。それでも不安は消えない。
(明かりがない世界はこんなにも不安なのか)
このまっすぐな道は長い。行けども行けども先は見えない。
(俺は、ホンマにここから出られるのだろうか、そんな、不安が募る)
それでも、進むと、ポッ明かりが見えた。
小さな灯りの元に仏さまが微笑んでいる。
暗闇に見つけた灯りとは不安を消し去る仏の光明だったのか。
残りの暗闇の道はもう怖くはない。不安もない。なにか仏が心の支えとなり、勇気となり、歩めるようになった。
そうして、出口に辿り着いた。
戒壇から出た私は、生まれ変わったような気持ちになった。
そんな、心持の帰りに、先団の北陸大地震である。
きっと、北陸の人々も不安で仕方ないだろう。平和な暮らしが足元から崩れ去ったのだ。その辛労を慮れば言葉にできない。
だが、戒壇を終えた私には一つだけ言えることがある。目の前が真っ暗になっても進むのです。視覚が奪われても、嗅覚、聴力、味覚、触覚、使える五感をつかって不安を抱えつつも進むのです。きっと、その先に、光明が見えます。そこまでたどり着くのです――。
私は、不安にくれる日本の元旦に、朝護孫子寺で暗闇を歩く心を教えていただきました。
こんな、とるに足らないお話ですが、何かのお役に立てればと思い、新年のあいさつ代わりにしたためさせていただきました。
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と、いうところで、新年のあいさつを兼ねましたあとがきエッセーはこの辺で、また来週!
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