第6話 蒼の世界へ
意識がぼんやりと浮かび上がる。
息を吸い込むと土と草と水の匂い。顔の周りにじんわりと水滴を作るくらい、湿った空気。
そして顔面には土の感触。目の前は、地面だった。
起き上がろうとすると頭が回るようなめまいがした。
何が起こったか分からないまま顔を挙げる。
湿った空気は目に見えるくらい僕の周りを付きまとう。加湿器から飛び出す水蒸気のようだ。
ふと、線香のような緑の香りと共に目の前に頭蓋骨が現れた。サッカーボールよりも大きな鳥の頭蓋骨。
頭骨の目の中は真黒な闇。
何も言えずに硬直してると、その骨はゆっくり大きく口を開けた。鋭い嘴から、煙のようなものが吐き出された。
「起きたかい、少年。」
目の前の、大きな鳥のような頭蓋骨から、言葉が放たれた。
それはくぐもっているが、ハスキーな男の人の声。
古い喫茶店でコーヒーを入れているマスターのような、静かで渋い声。
紫と白のアジサイの花模様が入った着物の上に、大きな鳥の頭蓋骨が乗っかっている。
その鳥の頭蓋骨にはヤギのような曲がりくねった角が生えていた。
いかにも面妖で奇怪である。
僕の心臓が肋骨の内側で鈍く暴れる。
その妖怪みたいなものが煙管を優雅にふかし、こちらを見る。煙管を持つ手は、人間の手だった。
大きく、皺のある使い込まれた手だ。
「なんだ、これ。」夢か。頬に張り付く湿気も匂いもとても現実のように感じるが。
「失礼だね。夢じゃないよ。」鳥頭は僕の思っていることが分かるように、用意していた言葉を述べた。
僕は上半身を起こしながら、その目の前の化け物からゆっくりと顔を背けた。
これは夢だ。幻覚だ。
状況を思い出そう。
僕はランニングに出かけようとして化け物に追いかけられている夏希を見つけ、助けようと追いかけていたら、廃墟にたどり着いた。そして、あの変な沼のような所に落ちて…。
鳥頭は僕を見ながら煙管をふかしている。
表情など読み取れないはずなのに、彼の静かで柔らかな声は、不思議と信用していい気がした。
思い切って聞いてみる。
「ここ、どこですか?」
聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずこれが最優先だ。
先ほどから、あたりは水蒸気のような濃い霧で真っ白なので何も見えない。
「ここは君たちが住む場所とは別世界だよ。」
「…」
いや、住所を聞きたかった。
「住所はないよ。」ないのか。
「君、空から落ちてきたんだよ。」
鳥妖怪が上を指さす。
「空から?」
上を見てギョッとする。僕の知っている空ではない。
空は、水面のように光を反射し、雲一つない。不思議な感覚だ。小さい頃の水族館の水中を散歩できるトンネルにいるかのような、そんな感覚だ。
「俺、死んだんですか?」
「君は死んではいない。元の世界に帰れるよ。」
ほっとした。まさかこんな霧だらけの何もない所でただひたすらに彷徨わなければいけないのかと思ってしまった。
「帰り方は夏希と言う少女が知ってるよ。」
「夏希⁉」思わず声が上ずる。
「知り合いかい?」
骸骨がずいっとこちらに近づく。少し怖くて引いてしまう。
よく見ると、所々がひび割れていたり、茶色く汚れている。
「彼女を追いかけていたら、ここへ落ちたんです。彼女も今こっちの世界に迷い込んだかもしれない。夏希は無事なんですか?」
「ああ、夏希ならこの川の先をずっと行ったところにいるよ。安否は直接本人に聞きたまえ。」
彼は煙管をふかしながら、ゆっくりと前を指をさす。
川?
霧が深く指の挿す方向何も見えないのだ。
彼は、少し笑ったように見えた。それは嘴の口角が少し上がっているからかもしれない。
「もうすぐ、霧が晴れるよ。」
合図したかのように、ゆっくりと霧が移動する。
僕はその景色を生涯忘れることは出来ないだろう。
それは、あまりにも、清く、美しく、儚い、夢のような光景だった。
その景色を見てその美しさに言葉が出なかった。
京都や江戸時代の舞台で出てきそうな木造建築が隙間なく並び、その間を蒼く淡く光る透明な水路が流れている。
水路の周りの植物がホタルのように光り、水路全体がぼんやりと浮かび上がる。
木造の建物の屋根の端にはいくつもの小さい金魚鉢のようなものが等間隔でぶら下がっており、中は青緑色に優しく光っている。
紫陽花のような植物が、壁を這い、花をぼんやりと光らせ、生垣はその光を受け、テラテラと光っている。
建物と建物の間を縫うように入り組んだ水路は、1つの川に集まっていた。その川の上にかかっている橋に、僕は立っていた。
僕は、きっとどこかでこの景色を見たことがあるのかもしれない。
この景色を、この世界を望んでいた気がする。
蒼く、静かなこの世界を。
蒼の世界 水無月ひよ子 @peperom
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