遠征の月

九里 睦

本文

 今月は遠征の月、八月だ。



 僕がバスに乗った瞬間、ニヤついた目線が一斉に向けられた。理由はすぐにわかった。席が、一つしか空いていない。


 僕の、彼女になった人の隣だ。


 苦笑いを浮かべる。嬉しいような、恥ずかしいような……だけど確かに重くなった足取りを進め、その席に座った。


「おはよ」

「うん、おはよ」


 窓際の席に座る彼女は、少し長めの前髪を垂らして、硬い表情をしている。


 一言挨拶を交わすと、タイミングを見計ったかのように、顧問の先生が点呼をし始めた。おそらく先生も、この状況を知っているのだろう。


 点呼を終え、発車すると、車内に喧騒が戻ってきた。男女合わせて二十六人のこの部活では、こうやって男女が同じバスに乗って遠征に向かう。ただ、特別な例外でもない限り、男子は男子で、女子は女子で数名のグループを作って座るようになっている。

 男女で座れば、それ自体が暇つぶしの種になるからだ。


 さて、特別な例外であり、暇つぶしの種でもある僕と彼女は、まるでウノかトランプのように、近くの恋バナ好き女子グループにもてあそばれることになった。


「二人の出会いはどこですか?」

「部活だろ」

「初デートはどこどこどここ?」

「帰り道。」

「「サイクリングデート!」」

「じゃー葉山先輩、もうチューはしました? ちゅー!」

「まだしてないよ」


 受け答えは基本、僕がしている。

 単純に通路側に座る僕の方が距離が近い、というのもあるけど、普段は女子内で話している分、こういう場でしかじっくり話さない、僕の方に質問が飛んでくるのだ。


「えー、あんなに熱い告白してたのにー?」

「あー、それはあんまり言わないで……」


 正直、あの告白の仕方にはすごく後悔していた。

 うちの部は男女で専用のプレハブを二分割して日々の練習に使っている。

 学年が違う僕と彼女は、「部活」という接点がなければ、そのまま疎遠になることだろう。

 だから、この夏で引退となる僕は、どうしてもこの遠征前に気持ちを伝えなければと焦っていたのだった。


 ダメならダメで、最後に燃え尽きる、それだけ。

 成功すれば……この胸の炎は報われる。


 二週間前、この日と決めた日に僕は、休憩中の彼女に「部活後、時間ある?」と言って告白する機会を作った。

 だけど今思えば、焦りすぎの考えなしだったとしか思えない。男が女子を呼び出すなんて、ホントはバレないようにするべきだったんだ……。

 彼女が少しの人数を連れてくるならまだよかったが、僕の「呼び出し」を聞いた女子全員が少しの人数を連れてくれば……このバスの状況が簡単に出来上がるのだ。


 ――彼女が硬い表情をしている、この状況が。


 彼女が俯いている理由は、考えなしの僕でも、よく考えればわかった。

 告白したのは僕だ。それも、部員のほとんどが聞いているところで。クラスのど真ん中で声高らかに付き合ってと言われれば、囃し立てる周りに流されてつい頷いてしまう、それとまったく一緒じゃないか。


 彼女はいま、別に好きでもない男と付き合ってるとして、周りに見られ、また弄られているのだ。どんどん、「やっぱり好きじゃない」じゃあ後戻りが効かないところまで乗せられ、運ばれていっている。

 胸中はどんなだろうか?

 その一文字に閉じた口の奥では、二週間前に頷いたことを後悔しているのかもしれない。


 そう考えると、この遠征が憂鬱でしかなかった。

 窓から覗くアスファルトの陽炎が、ゆらゆらと揺れている。胸の炎が陰りを見せた。



 遠征先に着いてからは、がむしゃらに練習した。雑念を頭から追い出すために集中した。


「お前、彼女が見てるからって張り切りすぎ」


 笑いながら言われた。


 言われたから、また頭の中に入ってきた。


 追い出すために、またがむしゃらになった。


「少し飛ばし過ぎじゃないか葉山」


 顧問の先生にも言われた。


「熱中症になるぞ。少し休め」

「……はい」


 体育館のステージに腰掛ける。

 ふぅーと長い息を吐いて、身体を落ち着ける。スポーツドリンクを飲む。彼女はプレー中、前髪を留めている。白いおでこが見える。


 ……いつのまにか、彼女を目で追っていた。


 キラキラした表情。

 僕の隣に座っていた時とは、まったく違う顔。活き活きとしている。



 その日僕は、熱中症になった。



 バスの席順は、グループ内での交代はあれど、「行きと同じ」という不文律とまでは言わないが、そういう風潮がうちの部活にはある。グループを飛び出ての席替えだと、お互いのグループ全員の承認が取りにくいからだった。僕がこの部活にいた間はなかったけど、それで喧嘩になったこともあるらしい。


 だから僕と彼女は、宿泊施設に向かうバスの中でも隣どうしだ。

 ただ、いまは僕が窓側に座っている。


 僕は窓の方を向いて、寝たふりをしていた。

 どんな顔をして彼女と話したらいいかわからなくなっていた。

 いつもそうだ。

 僕は一つのことに集中すると、周りが見えなくなって、いつも失敗する。


 このままだと、別れるのも時間の問題かな……。

 いやむしろ、彼女のためにはその方がいいのかもしれない。その方が、彼女の顔を曇らせなくて済むのだとしたら……。


 寝息に似せたため息を吐く。


 胸の奥の灯が、影を伴って大きく揺れた。


「葉山先輩寝てるね」

「うん。今日、熱中症になってたみたいだから……」


 彼女と、その友達の、行きしに僕を質問攻めにしていた子の声が聞こえる。

 盗み聞きするつもりはなかったけど、彼女の声にどうしても耳が傾いてしまう。


「心配?」

「うん」

「じゃあ首元、触ってみたら?」

「えっ?」

「熱かったら大変だよ。これは医療行為であって、恥ずかしいこととかじゃないから、ほら!」

「そうだよね、わかったよ……」


 首元に、少し冷たい手が触れた。

 首から背骨まで、ピンと貼りそうになるけど、なんとか堪えた。


「ちょっとぴくってした。可愛い……」

「温度は? 熱い?」

「ううん、大丈夫だと思うよ」

「よかったね」

「うん、よかった」


 そのまま、彼女は僕の頭を控えめに撫で始めた。


「あー、いちゃつき始めたー」

「いいじゃん、彼氏なんだし。今日くらいだし」

「でた、魅惑の遠征マジック。……でもはっちゃんはそれこそ付き合ってるんだし、普段もそうしてあげるべきだと思うな」

「普段は……ちょっとまだ緊張しちゃうからムリ」

「でも葉山先輩のことは好きなんでしょ?」

「うん。空回りすることも多いみたいだけど、一生懸命に優しいところ好き」

「一生懸命に優しい、なんかいいね。ごちそうさま。でも葉山先輩、はっちゃんが緊張して固まってる時、ちょっと悲しそうな顔してるよ?」

「え、ホント?」

「うん、そう言う顔の時、はっちゃんの方見ないようにしてるみたいだけど」

「そっかー……。じゃあ、早く手くらい繋げるようにならないと!」

「はっ、がんばれー!」

「おー!」


 聞きながら、情けないことに僕は、嗚咽を堪えていた。

 僕が最初考えていた彼女の――葉月の、僕に対する想いが僕の勘違いで、また「空回り」していたこと。葉月が僕のそんなダメなところを「優しい」と言ってくれたこと、好きと言ってくれたこと。

 嬉しくて、堪らなくて、涙が溢れていた。


 ふと、僕の頭を撫でていた葉月の手が、僕の目元に触れた。

 葉月は手を止める。

 カッと身体に熱が走ったようだった。恥ずかしい。

 全部バレた。聞いていたことも、泣いていたことも、寝たふりをしていたことも、全部全部。


 謝ろうとした瞬間、先回りする様に、葉月が僕の頭をぽん、ぽん、と優しく宥めた。


「みねちゃん、私も疲れたから一眠りするね」

「おっけおけー」


 柔らかいけど細くて、甘い制汗剤の匂いがする何かが、僕に触れた。


「おぉー、これははっちゃんの初・積極的あたっくかー!?」


 ……葉月の身体が、僕に寄り掛かっていた。

 のだと気づくのに、十秒必要だった。


「不安にさせてごめんね」


 耳元で葉月が囁く。僕の左手が葉月の右手に包まれる。僕の隣の満月が、暗がりを照らす。返事の代わりに、手を繋いだ。


「好き、だから、ね?」

「ありがとう」

「うん」

「ねぇ葉月、月が綺麗だよ」

「ふっ、なにそれ……ふっ……ちょ、笑うといちゃついてるのバレる……ふっぅく――」


 隣の月が、淡く、暖かく僕の中を照らす。一筋の道と、幾つものゴールが見えた気がした。まだガキな僕がみたものだけど、葉月が見せたものだ。僕はそこを目指す。きっと、この「空回り」も数を減らすだろう。


「あぁーー!! なんじゃー! こいつら、急に凄いイチャつき始めたんだけど!!」

「先生これは!?」

「んーー、アウト!」

「はい、隔離!!」

「「あ」」

 


 これは余談になるけど、本当に色んなことがあったこの遠征。この遠征のおかげで、僕が部活に居られる時間が伸びたのは、間違いない。


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遠征の月 九里 睦 @mutumi5211R

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