第29話 騎士と妖精のアデオポーズ

 汗と筋肉があふれるロテワデム騎士団の訓練場にて、剣で打ち合う二人の姿があった。

 一人は明るい茶髪に人懐こそうな顔をした、騎士団長付きの補佐官ランディ。

 もう一人はアッシュグレーの髪に不機嫌そうな顔を張りつけた、ロテワデム騎士団の騎士団長ロイクだ。

 二人とも愛用の真剣ではなくて、訓練用の木剣を手に打ち合う。

 二人の訓練に興味を示す騎士たちの、尊敬と憧れの視線の中、間合いをはかっていたランディが大きく踏み込んでロイクに上段から斬りかかる。


「これで良かったんですか?」

「……何がだ」


 ランディの剣を下段から腕力で力任せに打ち上げたロイクが、ランディの腹めがけて蹴りを放つ。

 ランディは後ろに仰け反った体勢を立て直すことなく勢いに任せ、さらにそこに魔法を乗せて軽々ととんぼ返りをしてみせた。

 魔法と身体の上手い使い方に、見ていた騎士たちから感嘆の声が上がる。


「ミカ嬢の存在は周知されたし、今後、第二王子派の動きは抑えられるでしょう。でも人の口に戸は建てられないようで、いろーんな噂が飛び交ってますよ」


 堅物騎士団長ロイクの屋敷に少女が住んでいるという話は、瞬く間に王宮へと広がった。

 女っ気のなかった騎数士団長が身元不明の少女を連れ込んでいるという事実は、あちこちで様々の憶測を生んでいる。

 曰く、ロイクが身寄りのない少女を拾ってきただとか。

 曰く、事件に巻き込まれた少女がロイクに言い寄ったとか。

 曰く、隠されてはいるが故郷から送られてきた婚約者だとか。

 ロイクはこの件に関して少女を住まわせていることは否定しないものの、その詳細に関してはまともに取り合わないために、余計に噂に尾ひれがついていく。

 オーバンのように誰かに美嘉を奪われないよう睨みを効かせているロイクは、まるで巣を守ろうとする狼のよう。

 色恋沙汰とは無縁だと思われていた堅物騎士団長の溺愛具合に、ランディは呆れこそすれ、下手に薮蛇をつつくことはしなかった。

 だが、それも今日までだ。


「あんまり独占欲丸出しもどうかと思いますよ」

「……なんの話だ」

「すっとぼけんな。騎士団内だけなら良かったものの、第二王子のせいで騎士団の外にまでミカ嬢の存在が知れ渡ってるじゃないですか。第二王子と親しいからか、各種お茶会やら夜会やらの招待状がミカ嬢に宛てて届いてるんでしょ? それなのにお返事は常にお断り。あんまりにもつれなさすぎて、騎士団長の屋敷には幽霊が住み始めたのかって噂まで出始めてますよ」

「ミカは幽霊じゃない。妖精だ」


 訂正するところはそこじゃないんだが、とランディが突っ込みを入れる前にロイクが踏み込んで鋭い突きを繰り出した。

 ヒヤッとしたランディはギリギリのところでロイクの突きを受け流す。そのまま滑るように横凪ぎに切り払えば、ロイクは伏せるように腰を落としてそれを避ける。


「幽霊は、まだ、良い方です、よっと」


 足払いをかけられたランディがバックステップでロイクと距離を取った。至近距離での攻防戦に、観客となった騎士たちがはらはらと手に汗を握る。


「ミカ嬢、マティアス様の所に通ってるじゃないですか。オーバンを大人しくさせたからといって、第二王子派が全員大人しくなった訳じゃありません。第二王子の婚約者として団長が養子にとったとか、陰で好き放題言ってますよ」


 鋭い殺気がランディを襲う。

 怯みそうになったのを本能のままに身体を動かして横へと飛び退いたら、今までランディが立っていた場所に木剣が叩きつけられた。

 バキッと悲しげな音を立てて、石畳に叩きつけられたロイクの木剣が半ばからへし折れる。


「……ミカと殿下はご友人だ。それ以下でもそれ以上でもない」

「……あ、ハイ」


 対峙していたランディだけではなく、周囲を囲んでいた騎士たちもざわっと一歩引いた。物理的にも、精神的にも。

 殺伐とした気配を醸し出すロイクに、余計なことを言ってしまったかとランディが内心焦っていると、輪を成す騎士たちの一部がざわめいた。

 不自然なざわめきにロイクが顔をあげる。

 ランディもつられて視線を上げれば、騎士たちが引き潮のように道を開けていく。

 その先には今噂の一人の少女。


「ロイクさん」


 ふんわりと淡く微笑みながら、籐で編まれた篭を持った美嘉が訓練場に姿を現す。

 陽向にさらされた髪は烏の濡れ羽のようにしっとりとしながらもさらりと風に流れる。黒曜石の瞳は真っ直ぐにロイクを見つめ、陶器のように白くなめらかな肌が黄色のワンピースからちらりとのぞいている。

 首を伸ばして美嘉の姿を見ようとしている騎士たちに気がついて、ランディが声をかけるよりも早く、ロイクがさっと美嘉の元へと近づいた。


「ミカ、こんなところへ来ては行けない」

「どうして?」

「危ないからだ」

「そうなんですか? でもここはロイクさんと一緒に国を守ってくれる騎士団でしょう? 危険なんてないですよ」


 そういうことじゃないとロイクが眉を寄せるが、美嘉はそんなことお構いなしらしく、そっと手に持っていた篭を持ち上げた。


「お弁当を作りました。これからマティアス様の所に行くんですが、その前に渡したくて」


 マティアスから呼び出されたらしい美嘉が、ロイクにお弁当を渡すためにわざわざ騎士団に立ち寄ったのだと言う。

 そんな健気な少女を相手に厳しいことは言えないのか、ロイクは深くため息をつくと美嘉から篭を受けとった。

 そのついでのように身を屈めると、美嘉の頬に唇を寄せる。

 美嘉もまた、お返しというように離れようとしたロイクの頬にキスを送った。


「殿下のところへ送ろう」

「ううん、大丈夫。お仕事中でしょう? 私はお弁当を届けに来ただけだから」

「ちょうど休憩にするところだったから問題ない。―――ランディ」

「はいはいはーい。各自休憩、かいさーん!」


 ロイクはランディに向けて、へし折れた木剣の柄の方を投げ渡す。

 ランディはロイクの意図と投げられた木剣の柄を掴むと、さっさと訓練を見学していた騎士たちを散会させた。

 休憩となったのを確認したロイクは、美嘉をうながしてゆっくりと歩きだした。

 ペコリとランディにお辞儀をした美嘉が、歩きだしたロイクの隣を歩く。

 その表情はまるで蝶が蛹から羽化したかのように変わっていた。

 初めて会った時の迷子のような雰囲気は脱ぎ捨てて、優しさと温かさの滲み出る面立ちは、確かにロイクの言うとおり妖精のように可憐で愛くるしい。その様変わりした少女の姿は、隣に寄り添う騎士の献身の賜物か。

 二人並んで訓練場を去っていったのを見送ると、休憩に行かず唖然としていた騎士たちがぞろぞろとランディの元に寄ってくる。


「ああ? どうしたお前ら」

「いや、どうしたもこうしたもないですよ」

「今の誰ですか」

「あん? 誰ってお前らも知ってるだろ。団長の屋敷にいるミカ嬢」


 誰何した騎士に向かって、ランディは片目をつむりながら呆れたように答えを返す。

 ここにいる騎士たちは皆、以前美嘉を狙ってロイクの屋敷を襲撃した魔術師たちを捕獲するために伴っていた者たちだ。当然、美嘉のことを知っているはず。

 それなのに誰何した馬鹿にランディが呆れていると、別の騎士が「違いますよ」と声をあげる。


「あの団長、中身は本当にロイク・ディヴリー騎士団長ですか? 女の子相手にキスしてましたけど、ご本人です?」

「しかも目、見ました? めっちゃ蕩けてましたよ。いつもこんなんで眉がつり上がって皺も寄ってるのに、ミカ嬢が来た途端に表情筋が脱力してましたよ」


 口々に言い募る騎士たちの言葉に、ようやくランディも得心がいった。

 そういえば、部下たちはロイクの溺愛行動を見るのは初めてだったか。

 ランディはへし折れた木剣の尖端を拾いながら、動揺を隠せない騎士たちにロイクの真実を教えてやる。


「団長、めちゃくちゃミカ嬢溺愛してるから、お前らミカ嬢に色目使うなよー」

「溺愛って……団長が女性に口づけするだけでも驚きなのに、それ以上があるんですか?」

「ある」


 茶化す騎士に、ランディは大真面目にうなずく。

 それから、今までランディが一身で受けてきたロイクの惚気のあれこれを滔々と語ってやる。


「団長がミカ嬢のことを何て呼んでるか知っているか? あれは卒倒しかけたぞ」

「え? 普通にお名前でお呼びしてるのを聞きましたけど」


 ランディはチッチと人差し指を振り、真顔で聞き返した騎士を見る。


「妖精」

「ぐふっ」

「はぁっ?」

「へ?」


 騎士の一人が盛大に吹き出した他、信じられないと言わんばかりに目を見開いたり、何を言われたのか分からないときょとんとしたりと、反応は様々。

 ランディは三者三様の反応をしてくれた騎士たちに畳み掛けるようにして、ロイクの溺愛私生活を暴露する。


「なんでもな、ミカ嬢の背中に羽が見えたんだと。本気だったかどうか知らねぇが、団長がミカ嬢のことを俺に初めて話した時の第一声が『妖精が飛べなくて泣いているんだ』だ」

「ぐぶふっ」

「は……」

「えーと……?」


 これまた三者三様の反応にランディは気を良くして、さらに自分が見聞きしたあれこれを暴露してやる。


「因みに俺が身元調査するべく団長んとこ行った時、ミカ嬢の定位置は団長の膝の上だった。しかも見た目あんな厳ついくせして、ことミカ嬢に関しては脳内がお伽噺の精霊も裸足で逃げ出すファンシー仕様だ」


 ランディの言い様に騎士たちはもう呆気にとられるばかり。

 想像もつかないロイクの姿に互いに顔を見合わせている。


「……団長も、人の子ってことですか?」


 ようやく騎士の一人から上がった言葉は、それだけだった。

 ランディが深く頷けば、ようやくその言葉の意味が浸透し始めたのか、次々に騎士たちが声をあげ始める。


「はぁー、あの団長が溺愛とか未だに目を疑ってしまう」

「恋愛のれの字も無かったのになぁ」

「でもさ、団長があんな可愛いくて大人しそうな子を恋人にするのは意味わかんないけど、愛妻家って言われたら納得できる」

「「「わかる」」」


 口々に散々なことを言う騎士たちに、ランディは苦笑した。

 自分でも散々内心で言いたい放題言っていたけれど、騎士たちは遠慮なく思ったことを口にしていく。素直なことは美徳だが、あまりにも素直すぎるのはどうかと思う。部下たちが思っているロイクの人間像が浮かび上がってきて面白いが。

 溜まり場と化してきた訓練場で、ランディはやれやれと折れていない方の木剣を肩に担いだ。


「さぁ散った散った。早くしないと昼飯食い逃すぞー?」


 ちょっと早いがロイクの計らいで昼休憩になったのだ。ランディは騎士たちを食堂へと追い立てていく。

 途中、「王族の居住区行ったらミカ嬢いるかな」とか言い出す野次馬根性丸出しの馬鹿がいたので、そいつには木剣の片付けを押しつけてやった。

 ランディは騎士団の建物に入る前に、いつかのように空を見上げる。

 どこまでも広がる広い空。

 手を伸ばしても掴めないほど遠い空の彼方から落ちてきた一匹の妖精と、彼女を手に入れた一人の騎士。

 不思議な運命にランディは目をすがめる。

 『妖精が飛べなくて泣いている』と言った騎士は、結局のところ妖精の羽をどうしたのだろうか。

 妖精の望みを叶えるべく、存在し得ない羽を与えたのか。

 それとも羽は与えず、愛だけで傷ついた妖精を満たしたのか。

 それはいずれ、妖精と騎士の関係から分かるだろうか。

 不器用ながらも歩み寄る二人の関係は築いたばかりの脆いもの。

 今はまだ、そっと見守ってやる時期。

 喜ばしいことに、妖精は少しずつ騎士に同じ想いを返しているように見えるから、周囲も応援してやりたくなるというもの。

 人の恋路を邪魔して馬に蹴られたくはないけれど、政治的なこととか、騎士の初恋とか、諸々の諸事情で早く結婚までこぎ着けてほしいと思ってしまうのは、ずっと側で見てきた補佐官の特権として許してほしい。

 妖精と騎士の幸せと穏やかな日常を願って、ランディは澄んだ空を見る。

 いつかランディも、騎士の腕に舞い降りる妖精の羽を見ることはできるのだろうか。




【異世界へのグラン・パ・ドゥ・シャ 大団円アデオポーズ

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堅物騎士団長とトゥシューズ 采火 @unebi

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