枯れない薔薇を、あなたに。

@toookaaa

白薔薇の国のお姫様

 ───その日。


 シャノワール王国は民の歓喜と祝福に包まれていた。

 王都の王宮から真っ直ぐに延びる行列はそのまま隣国に続く。煌びやかな馬車とそれを護る正装の騎士達、王都を駆け巡る花びらを孕んだ優しい風が青い空に舞い上がって人々の目を楽しませる。

 今日は王族の輿入れの日。

 シャノワール王国の第一王女マリアローズ・フロン・シャノワールが、隣国グランジェルドの王太子レイヴィス・ロルノ・グランジェルドの元に嫁ぐ、祝いの日なのだ。




 ❁︎ ❁︎ ❁︎



「姫様、本当によろしかったのですか?」


 疲弊して馬車のソファに沈む主に、侍女のグレイスは端的に訊ねた。


「...何が?」


 主──輿入れのために真っ白の美しいドレスに身を包んだ王女マリアローズは、眠るように閉ざされていたサファイアブルーの瞳を開き車窓から見える空に視線を留めたまま答える。

 王都では民に最後の別れを告げるため馬車の窓から笑顔で手を振り続け、これから3日かけて──泊まる宿は郊外であれ上等の宿であるが──隣国の国境まで旅をする。

 普段ほとんど城から出ることのないマリアローズにとって人生初となる長い旅路を思うだけで疲れるが、それ以上に城を出るまでのトラブルにすっかり消耗していた。グレイスが訊ねていることも大体予想がついていたが何となく据わりが悪くはぐらかしてしまう。


 しかし、それが主の現実逃避であると分かっているグレイスは逃がしてくれない。呆れたような視線をマリアローズに向けてこほんと一つ咳払いをすると滔々と言葉を続けた。


「...聡明な姫様でいらっしゃるので分かっておいででしょうが敢えて口に致します。姫様は陛下とフリード殿下の反対を押し切って今回の婚姻を決められ、とうとう輿入れの今日までろくにお話もされておりませんでしたが、そのような別れ方で本当によろしかったのですか」


 なんとも丁寧に追い詰められてマリアローズは瞠目した。優秀かつ面倒見の良い侍女をもてて、まったく幸せである。


「...良いもなにも、もう城を出た後だもの。どうしようもないわ。それに反対してたのはお父様とお兄様だけで、その理由だってこの外交を跳ね除ける理由にならなくてよ」


 だからこそ、宰相を初めとする政務官や貴族たちは今回の婚姻に大喜びして準備を進めたのだ。


 マリアローズが嫁ぐ隣国グランジェルドは小国であるシャノワールなど足元にも及ばぬ軍事大国である。

 つい一年前にようやく終結した大戦で、唯一拮抗した軍事力を持つとされていたルルチェッタ公国を統合し名実共に大陸一の王国となった。

 そんな大戦で多大なる功績を挙げ、“血濡れの王太子”という二つ名を大陸中に知らしめたのがグランジェルド王国の、第一王子レイヴィス...そう、マリアローズの夫となる人物である。


 その姿は禍々しく馬を駆る姿は鬼神の如く。

 残虐非道の限りを尽くした先の戦によって浴びた多くの血の呪いにより、その瞳は深紅に染まる、血濡れの王太子。

 曰くルルチェッタ公国の戦意を削ぐため、敵地に刈り取った首を投げ入れた。

 曰く女子供の逃げ遅れた街に炎を放ち、見せしめにした。

 曰くルルチェッタの民の生活を支える川に上流から毒を流した、等々。

 出るわ出るわ、戦においての恐ろしい逸話がこれでもかというほど囁かれる“血濡れの王太子”の名は、当然シャノワール王国にまで届いていた。

 そんな“血濡れの皇太子”からの突然の求婚。しかも正式に婚姻が結ばれれば、グランジェルド王国はシャノワール王国に政治的な圧力は一切かけない、という内容にマリアローズも最初は首を傾げた。

 あまりにもグランジェルドに利の無い婚姻。

 マリアローズは王族の結婚というものに夢など抱いていなかった。それは望んで得た地位ではなかったにしろ、国民たちに傅かれ喋よ花よと守られて育った第一王女が、母国のためにできる唯一の恩返しと思っていたからだ。18歳の少女であるが、随分と昔にどこにでも嫁ぐ覚悟はできていた。

 だからこの婚姻も、それで母国の安寧が保たれるならばと喜んで受ける気になっていたし当然父もそのつもりであると思っていたのだ。


 だから宰相から「陛下がこの婚約を断ろうとしているのでどうにか説得してほしい」と聞かされた際には咄嗟に言葉が出てこないほど驚愕したのだ。



 あろうことか、この破格の婚約をマリアローズを溺愛する国王バルドと王太子フリードはマリアローズに知らせることなく断ろうとしていた。

 宰相が知らせてくれたから事なきを得たものの、少し遅れていたらと思うと冷や汗が止まらない。バルド王は世にいうところの“賢王”であるらしいが、どうにも愛娘のマリアローズのこととなると盲目的になる。それは妹を溺愛するフリードに関しても同様で、臣下たちの悩みの種であることをマリアローズは知っている。


 結果としてマリアローズは反対を叫ぶバルドとフリードを無理やりに説得し、グランジェルドの使者に婚約を了承する旨の文書を託し正式に婚約を結んだ。

 バルドも臣下達に詰め寄られては我を通すこともままならず、泣く泣く判を押すこととなった。


 その後は輿入れや結婚式の準備に忙しく、とうとう父兄と碌に話す機会もなくこうして旅立ちの日を迎えてしまったのだ。

 父王バルトを尊敬し、兄フリードとも仲睦まじかったマリアローズを知るだけに、長く側仕えをしているグレイスは心配している。それが分かるマリアローズの歯切れは悪くなる一方だが、この婚姻が孕む意味を考えると単なる親心で縁談を一蹴されるわけにもいかなかった。

 旅立ちこそささくれの残るものであったが、結果としてはこれで良かったのだと後悔はないのだ。

 そういう気持ちを込めて、マリアローズは凪いだ瞳でグレイスを見つめた。


 マリアローズの意志を汲み取ったグレイスは小さく笑いを零すと、不器用な主に柔らかな毛布を掛ける。


「陛下も、フリード殿下も心から姫様を大切に想っておいでです。姫様が国を想うように」


「……」


「無事に輿入れが済みましたら、お手紙を書かれてはいかがでしょう」


「…そう、ね」


 心配されて、嬉しいと思うと同時にどこか淋しかった。バルドとフリードにとって、自分はまだまだ子供だと言われているようで。

 それで、意地になった部分も確かにあるのだ。マリアローズは肩の力をふっと抜いて凪いだ海の瞳をゆっくり閉じる。


「グレイス…」


 幼い頃から幾度となく呼んだ侍女の名前を呟いて、そっと頬を緩ませた。


「ありがとう、着いてきてくれて」


 それを受けたグレイスは「当然のことにございます」と、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

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