エピローグ



 あれから数日が経ったが、鷲族が総出でどんなに遠くまで探しても、ルヴァルフェンサは影も形も見つけられなかった。


 ずうっと泣きっぱなしで憔悴したファロットの面倒を見てくれたのはタナエスだった。彼は「しばらく間借りする」と言って師匠──アルラダの部屋に移り住み、ファロットに心が落ち着く薬を調合し、毎晩遅くまで眠れないエテンの話し相手になってくれた。


 「最後の被害者」である彼が率先してそうしたことで、塔の中に「連続殺人鬼の弟子と娘」であるエテン達を虐げるような雰囲気は生まれなかった。加えて真実を聞かされた長老が犯人の発表と同時に「ファロットとエテンに偏見の目を向けたもの、陰日向にかかわらず心ない口を利いたものは永久に塔から追放する」と宣言したのも大きかっただろう。そんな高潔な人に疑いの目を向けたことをエテンは深く反省し、謝罪しようかと考えたが、それはタナエスに止められた。


「それを告げられたとして、相手に何の得がある? 自分が許されるための言葉ではないか、よく考えることだ。黙って、今まで以上の心を返すことこそが優しさだと私は思うがね」


 きっぱりした物言いは厳しいが、よく見ると目は優しい。ソファであたたかいレモネードを飲んでいたファロットが同意するように頷いた。「最後の夜」に皆で飲んだミルクティーを飲めなくなってしまったファロットは、気に入ったのか最近こればかり飲んでいる。ついでにエテンにも作ってくれるのだが、酸っぱいのがそんなに得意ではないので三回に一回は断っていた。


「それで今日は、長老のところで面談でしたっけ?」

 エテンが尋ねると、タナエスが「ファロットが動けるようならば」と頷いた。


「次の師匠を……正式に決めるんですよね。大丈夫です」

 ファロットが俯いたまま言う。久しぶりに声を聞いた気がする。エテンが微笑むと彼女は目を上げて、胸が痛くなるような淡い笑顔で少しだけ微笑み返し、そしてエテンの顔をじっと見つめた。目の端からつうっと静かに涙が伝う。もう十日近く、ずっとこんな調子だった。


「……エテン」

「なに、ファロット?」

「私……どうしたらいいのか、少しわからないの。何もかも、痛くて、苦しくて……寂しくて。でも、エテンと、タナエス様がいてくれて良かった」

「うん」


 エテンは頷いて、一度深呼吸して心を落ち着けると、思い切ってファロットの手をそっと握った。握り返されはしなかったが、振り払われもしない。


「……全部なくして、どうしてあの時一緒に死ななかったんだろうって毎日毎日思っても……人はまた大切なものを見つけられるし、幸せになれるよ」


 呟くように言うと、ファロットは一度大きく肩を震わせて、息を止め、涙が溢れそうな瞳でエテンを見た。


「エテン……エテンだけは、ずっと一緒にいてね。どこにも行かないでね」

「永遠に」


 重ねた手を鳩尾に当てる故郷の作法で誓うと、ファロットは少しの間途方に暮れたような目をしてから、クッションに顔を埋め、声を上げて泣きだした。彼女がようやく力一杯泣けたことにほっとして、どうならエテンに抱きついて泣いてくれればいいのにと思っていると、様子を見守っていたタナエスが「君にはまだ早いのではないかね?」と小さな声で言った。


「べ、別に何も考えてません……そのポーズやめてくださいよ」

「ポーズ」

「そのかっこよく足を組んで顎に手を当てるやつです!」

「なぜ?」


 そう言いながらもタナエスは組んでいた足を戻して、顎に当てていた手をゆったりとソファの肘掛けに預けた。それはそれで、どこかの王様か王子様の肖像画みたいだ。


「また絵画みたいになった!」

「……絵画?」

「本当に自覚ないんですか?」

「ふふっ」


 小さなファロットの笑い声がして、エテンとタナエスは揃って彼女の方を向いた。クッションから濡れた目だけ上げて、少女が泣きながら笑っている。


「……もう少し泣かせてよ、エテン。すぐ面白いことするんだから」

「僕じゃないよ、今のはタナエス様だろ?」

「……私?」

「ふふっ」


 さっきより楽しそうに笑い出すファロットにエテン達が顔を見合わせた時、コンコンと、優しいノックの音が響く。


「あ、はい」

 エテンが立ち上がって扉を開けると、そこにいたのはなんと長老と、そしてなぜかラグじいさんだった。


「えっ、長老……どうしたんですか?」

「ロットにはまだ安静が必要かと思ってのう……こちらから出向くことにした。しかし見る限り、そうでもなかったらしい。流石は鷲の娘、悲しみにも憎しみにも囚われず、いつも自由じゃ」


 長老がファロットに歩み寄って、「ほら、よく頑張っているロットにはこれをやろう」と薄青色のもこもこした布の塊を差し出した。そして「エッタにも」と同じ色のもこもこ。

「……ありがとうございます」

 広げてみると、袖が鳥の翼のようになった丈の長いローブだった。


「しばらくは皆でここに住んだほうが良いじゃろう? 故にエッタにも正式に薄青の衣を与え、こちらへ移ってもらうことになった。今後はその衣を着て、白の区画に住まうものとして相応しい振る舞いを心がけるように」

「えっ、これを着るんですか?」

 手にした可愛らしい寝巻きを見つめて眉を寄せると、長老が「ほっほっほっ、冗談じゃよ冗談! あとで寝巻き以外も届けさせるからの」と好々爺のお手本のような朗らかさで笑った。


「それで、ロットはタニスに付くので決まりかのう?」

「ええ。彼女が薬学の道へ進むのなら、私が引き取るのが良いでしょう。それから、エテンも。彼の加速増幅の研究を進めるのに、私の凝縮の研究は役立つかと」

 タナエスが言って、エテンとファロットが揃って頷いた。しかし長老は、それを聞いて少し困ったように首を傾げる。


「それがのう、エテンの方はラギィも弟子に迎えたいと言っておっての」

「えっ?」


 エテンがびっくりして声を上げると、勝手にソファに腰掛けてポットからレモネードを飲んでいたラグじいさんが、ずずっと蜂蜜色の液体をすすりながらタナエスを睨みつけた。

「知らんのか? わしの研究は魔法陣の効率化だ。こやつの論文の大半は、わしの論文を元にしておるわ。エテン、こちらに来い。百四十年分の知識を、わしの黄金を全部与えてやる」


「……百四十年?」

 エテンが眉を寄せていると、ラグじいさんは続けた。

「こやつは世界を変える魔法陣学者になるぞ。わしが付けば、それはそう遠くない未来になるじゃろう。既にわしが送りつけた論文を読んだ今代の賢者から、転移術の共同研究者にならぬかとこやつに打診が来ておる。加速増幅術式を更に発展させ、魔力変換式と組み合わせて陣に組み込みたいとのことだ」


「えっ!」

 賢者様と共同研究だって? それも人類には不可能と言われている転移の魔術の? 夢みたいな知らせに、エテンは両手で口を押さえて飛び上がった。タナエスも驚いた様子で「それはそれは」と目を瞬かせている。


「そうなったのもわしのお陰だ。さあ、こちらへ来い、エテン!」

「あ、ええと……ごめんなさい。僕はタナエス様に師事します」

「なんじゃと!? 欠片ほどの黄金しか持たぬそやつに付いてなんの利点がある! まさか顔が良いからか? わしとて若い頃は──」

「流石に欠片ということはないと思うが」

 タナエスがぼそっと言って、ファロットがくすりと笑った。エテンはラグじいさんの若い頃の顔が想像できずにしばし思考を止めていたが、我に返っていやいやと首を振った。


「どっちに利があるとか……そういうんじゃありません。僕は、一番辛い時にファロットを救ってくれたタナエス様に報いたいから。タナエス様がいずれ魔石に代わる魔力保存媒体を見つけようとしているなら、きっと僕の研究が役に立てると思うんです」


「……そうか」

 ラグじいさんが毒気を抜かれたように大人しくなり、タナエスが「……ごとを」と囁きながらちょっと手元をそわそわさせてそっぽを向いた。珍しくポーズが決まっていない。


「だから、ラグ様のところには息抜きに通いますから。黄金はその時に分けてください」

「はあ?」

 嫌われ者の老人が半分裏返ったような声を上げ、そして「このわしを、息抜きとは……」とまんざらでもなさそうにぶつくさ言った。それを微笑ましそうに見ていた長老が「そうと決まれば」と腰を上げ、「そうじゃった」とエテンを見下ろした。


「エッタ、近いうちにツシを尋ねてやりなさい。歴史上初めて植物魔石の生成を確認した功績を友人に自慢したくてならないようじゃが、エッタはまだ辛い時期だろうと遠慮しているからの」


「あ……」

 エテンが言葉を見失っていると、長老は何もかも知っているように微笑んで「少し濁って、淡い緑色をしておったよ」と言った。ファロットと顔を見合わせて、そして視線を戻す。


「あの……長老様、ごめんなさい」

 ファロットが言った。長老は緩やかに首を振って言った。

「全く、何の問題もない。それが悪しき心から生まれたものでないと、わしは知っておる。エッタ達が愛するものとそうでないものを区別せず、全てを平等に見て考え、疑ったからこそ、タニスの命は救われた……ただ念のため、ツシには内緒にしておいてやりなさい。あの子はまだ若い」


「はい」

 エテンが頷いて深く頭を下げると、長老は「うしろのところに寝癖がついておるよ、エッタ」と言って部屋を出て行った。ラグじいさんが「ふん、寝癖など気にする暇があれば本を読め」とぶつぶつ言いながら後に続く。


「……えっ」

 エテンが後頭部を触って確かめていると、タナエスが「では私のところに来たまえ、エテン」とかなりタイミング悪く言う。


「あ、はい。よろしくお願いします」

「……魔法名はタナエスだが、本名はナイジュエル=アルクという。よろしく」

「ロゥラエンです。家名はありませんが、家族は『ラゥガの一座』と呼ばれてました」

「ロゥラ……ヴォーガリンならば名が後ろか。ラゥガ=ロゥラエン。咆哮し鳴り響くもの。君自身は大人しい子のようだが、君の研究が世界に轟くよう力を貸そう」


 タナエスが手を差し出し、エテンはニッと笑うとその手をしっかり握って振った。まだ傷は深かったが、それとは別に楽しい日々も始まる予感がした。





 二人を弟子に取ることになって、タナエスは本格的にこちらへ移住することに決めたらしい。ファロットとも弟子入りの挨拶を交わして間もなく、彼は荷物を纏めるために元々の自分の部屋へ帰っていった。エテンは手伝いを申し出たが、ファロットを見ているように頼まれてしまったので、笑顔にならないよう気をつけながらいそいそと彼女の隣に座る。久しぶりに、ふたりっきりだ。彼女がまだちっとも立ち直れていないのはエテンとてわかっていたが、それはそれとして、一緒にいられるとやっぱり嬉しい。


「良かったね、ファロット……タナエスから薬学を教えてもらえることになって」

 そっと声をかけると、ファロットはふんわり微笑んで頷いた。その顔があんまり可愛くて、急に心配になってくる。


「……あのさ、ファロット。タナエスを好きにならないでね」

 勇気を出して、小声でそっと言った。ファロットが訝しそうな顔になって、小さな小さな声で答える。


「……そんなに、彼の見かけが羨ましいの?」

「えっ? いや、違うよ。そうじゃなくて……君が、その」

「私は、エテンの顔の方が好きよ」

「えっ!」


 エテンは目を見開いて固まった。どうしよう……もしかして、奇跡が起きた?


「肌が少し黒くて、髪と瞳の色が明るくて綺麗で、なんだか樹の精みたいだもの」

「樹の精……」


 それはなんか、花なら薔薇よりタンポポが好きとか、そういう「好き」じゃないか……。


 やっぱり、傷ついていてもファロットはファロットだ。男として意識してもらえる日なんて当分やって来そうにないと、エテンはクッションを抱えてがっくり項垂れたのだった。



〈了〉





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ルヴァルフェンサ 遺石蒐集家 綿野 明 @aki_wata

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