第6話 雪へと

 一転して、周囲は薄暗くなった。それまで、真っ白く輝く砂浜のなかにいたので、目が慣れるまでに少し時間がかかった。家族は、支え合いながら進んだ。

 足元のランプに添って進むと、駅のホームのようなものが見えてきた。

 電車のかわりに、人が入れるほどの銀の卵のようなものが、天井からレールで吊り下げられて動いてくる。集まった人々は、少しずつ、その中に入っていっているようだった。中に人が入った卵は、レールの先、先の見えないトンネルのなかへ、しゅうっと音をたてて送り出されていく。

 どうやら、この場所がそうであるようだった。

 人々は、あきらめているようでもあったし、困っているようでもあった。だが、どんな人にも、順番は回ってきた。

 老人は、列を整理しているロボットに、声をかけた。

「何人まで乗れますか」

「お二人までです」

 老人は、ずっと考えていたことを言った。

「タロウ。お母さんと乗りなさい」

 老女は、老人を見た。

「ずっと、考えていたんだ。こんな時は、母親と子供でいたいものだろう」

「いいえ、お父さん」

 男は、静かに微笑んだ。

「僕は、ハツコとトモハルと乗ります」

「タロウ」

「どうか、そうさせてください。それに、お母さんの意見も聞かないと」

 老女は、みるみるうちに泣きそうになった。

「最後くらい、お前といてあげたほうがいいかも、と思っていたのよ」

「僕には、ハツコとトモハルがいますので、怖くはありません。お母さん、お父さんと乗ってあげてください」

 親子の番が来た。

 生涯の別れは、これで二度目だった。

 再会できたのは、たったの一時間ほどだった。けれども、これでよかったのだろうと、男は思った。

 老人が先に卵に入り、後から老女が入った。

 言葉らしい言葉はなかった。振り返った老女と、それを支える老人が、食い入るように息子を見て、三人ともがうまく言葉にできないうちに、卵の扉は閉まった。トンネルの奥へ、しゅうっと送り出されていく。

 すぐに、次の卵が来た。男は、一人で乗り込んだ。

 灰色の、小さなソファーが壁沿いにあったので、そこに座った。

 扉がしまり、頭上にぽつりと明かりが灯るだけの銀の球体のなかで、男は一人きりになった。レールの先へ進んでいるらしいのだが、あまりその感覚はない。

 不意に、ゆったりとした音楽が流れ出した。男には楽器のことはわからなかったが、たしかバイオリンとかいう楽器の音だな、と思った。

 銀の卵の内側に、映像が流れ出した。緑の草原に、一面、名前も知らない青い花が咲いている。

 身体を楽にしてください、という電子音声が流れた。

 空気に何か混ざっているのだろう、うとうとと眠くなってきた。

 男は、息子のことを思い出している。

 息子が生まれたのは、夕方のことだったこと。色々と手続きがあって、次の日の夜まで何も食べられなかったこと。初めて顔を見たのはさらに次の日のことで、人形のように小さい顔で、ふにゃふにゃと泣いて、






 あらゆるものを無駄にはできない。

 富裕層に、季節を知らせるイベントとして、雪は人気だった。

 高いビルの上で、人々は歓声をあげた。真っ暗い空の上から、一面に雪が降ってくる。

 本当は、もう世界のどこにも雪は降らない。

 泳げる海もない。


 微細な粉末に、水分と低温でそれらしい処理をして、雪によく似た何かをつくっている。

 ビルの下で生きる人々は、見上げることもしなかった。

 なまぬるい空気の底では、雪などすぐに溶けてしまう。地面が濡れて、歩きにくくなるだけだった。空気が無駄にひんやりするので、いいことなど何もない。

 ビルの上でも下でも、子供たちだけが素直だった。声をあげ、両手を広げて駆けまわる。雪は天上から、決まった時間だけ降り注いだ。その間だけ、夢中になれる時間だけ、子どもたちだけは本当に自由だった。

 ビルのてっぺんでは、雪景色を見つめながら、穏やかな会話が続いている。夫は妻の肩を抱いて景色を眺め、家族と、仲間と、友人と、美しさの代名詞として与えられた慰めに見入った。

 ピアノの傍で、疲れ切った男が一人、暗い気持ちで雪を眺めていた。

 天上に行けるようにならなくてはいけない。

 天上に行けるようにならなくては。

 昔、曽祖父と言われた男を見た。チューブにつながれ、薄っぺらい骨だらけの胸を上下させていた、肉の塊。

 あの姿を忘れられなくて、男はいつでも孤独だった。ここでは誰も、死ぬことを意識したりしない。でも、ああして生きていたくなかった。絶対にいやだった。

(あそこに行けるなら)

 何でもする、と男は思った。

 でも、この雪が何でできているのかは、男も知らなかった。


 ある家族の一部を含んだ、雪が降っている。

 閉ざされた天上から。

 美しい景色の、一部となって。


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天上の銀の卵、雪 多々良 @tatara10

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