スマートフォンアプリ『ラブ五分』

松藤かるり

スマートフォンアプリ『ラブ五分』

 どうやら僕は五分ほど意識を失っていたらしい。それは昨日から二日間続いている。

 頭がふわっとして眠くなるような感覚。考えていたこと作業していたことは全部止まって、意識を取り戻せば時間が五分進んでいた。


「最近、五分ぐらい意識がなくなるんだよ」


 水曜日の午後授業は体育。男子も女子もグラウンドでサッカーだ。僕のグループはグラウンドの端に腰掛けて休憩中。その間、友達に五分ほど意識を失う件について相談していた。


「意識なくなるっておかしくね? それ授業中?」

「いや放課後。最近、残ってるからさ」

「そういえば文化祭実行委員の仕事があるって言ってたもんなあ。今週ずっと残ってるんだろ、疲れてるのかもな」


 今週は文化祭の企画書、予算案作りで放課後残っていた。だから疲れて五分意識を失ってしまうのかもしれない。友達の言葉に納得する。


「なんで五分ってわかるんだ?」

「あー、それは時計を見る癖、ってことで」


 聞かれたけれど答えは濁した。時計を見る癖というより、つい時計を見てしまうだけだ。それには理由があるけれど友達には話せなかった。

 深く聞かれたらどうしようと迷ったが、他の友達がこちらに声をかけてきたことで杞憂に終わった。


「なあ、小山こやま。ラブ五分ってアプリ知ってる?」


 初めて聞くアプリだ。僕が首を傾げると、友達が「お前知らないの?」と目を丸くした。


「片思い応援アプリってやつらしいぜ。どんな効果があるのか知らねーけど、片思いしてる人のサポートをしてくれるんだって」

「じゃあ検索すればいいじゃん」


 なんだって僕に聞いてくるんだ。眉をしかめたけれど、友達たちは「いやいや」と首を横に振る。


「選ばれた人しかインストールできないんだよ」

「なんだそりゃ」

「みんな探しててさ、だから小山にも聞いたんだよ」


 選ばれた人しかインストールできないアプリなんて変だろ。都市伝説かもしれない。信じる方が無駄だ。


 遠くで笛の音がする。どうやら女子も試合開始になるらしい。男子たちの視線がそちらに向いた。


「やっぱアイドルちゃん可愛いなあ」


 友達はクラスのアイドル的存在の女子に夢中だ。その子は学年で一番可愛いと話題になっている。確かに可愛いとは思うけど、僕は友達ほど夢中になれない。


 だって、僕の視線は彼女に向けられている。

 同じクラスの名波ななみさん。大人しい子で、クラスでもあまり目立たない。話しかけてもおどおどしている彼女は長い前髪と眼鏡で顔を隠している。でも本当は可愛いことを僕は知っているんだ。

 入学式の日に下駄箱でぶつかって、その時に彼女の素顔を見た。彼女は声まで可愛らしくて、本当はもっと喋って仲良くなりたい。

 運動が苦手らしい名波さんはサッカーボールを追いかけるのも苦労して、それどころか転んでいた。膝についた土を払うより先に眼鏡を拾う姿が可愛くて、つい笑ってしまう。


「小山はだれ見てんの?」

「別に」


 友達には言えず、素っ気なく答えてごまかした。




 放課後。生徒がいなくなった教室に残って、文化祭実行委員の企画書作りを始めた。今日で三日目。来週までには終わらせないといけない。

 机を向かい合わせに並べてプリントを取り出す。そうしているうちに彼女がやってきた。


「お、遅くなって……ごめんなさい……」


 もじもじと小さな声で喋るのは名波さん。このクラスの、もう一人の文化祭実行委員だ。


 同じ委員になっても名波さんは僕と目を合わせてくれない。言葉を交わすのは平気みたいだけど、目が合ったと思えばすぐに顔を背けてしまう。


「今日も名波さんは企画書担当で。名波さんは字が綺麗だから助かるよ」

「あ……はい」

「僕は予算案作りしてるね」


 そうして作業が始まったけれど、名波さんのペンが止まった。どうやら漢字がわからなくなったらしい。


「こ、この漢字って……どんなのだっけ……」

「あー、それって難しい字だったよね。スマホで出したら?」


 僕は机にスマホを出していた。計算していた数字そのまま電卓アプリに表示されている。僕が提案したことで名波さんはスマホのことを思い出したのか、机に出していたスマホに手を伸ばそうとして、しかしやめてしまった。


「頑張って思い出す……」


 検索すればいいのに。妙なこだわりが可愛らしい。気づかれないように口元を緩めながら、時計を見上げる。


 一緒にいられるのはあと何分だろう。名波さんと二人で残ることが嬉しくて、何度も時間を確かめてしまう。だから意識を失うのが五分だってわかったんだけど。


 そうして時計を見上げていたとき、視界がくらりと揺れた。ふわふわと体が浮いているような感覚。

 また、だ。意識を失う予兆。


 その予感は正しく、僕は五分を失った。


***


 どうして僕は意識を失うのだろう。それも決まって放課後に、五分だけ。三日連続で続けばやはり気になってしまう。

 別に五分失ったところで企画書作りに問題はない。きっと今週末に終わるだろう。でも問題はせっかく名波さんと一緒にいる時間なのに、たった五分でも失うことが嫌だった。


 翌日の放課後も僕たちは教室に集まった。


「今日と明日で企画書と予算案も終わりそうだね」

「……うん」

「来週はクラスのみんなも残って、文化祭に向けて準備開始だ。頑張ろう」


 そう話しておきながら、来週のことはあまり楽しみじゃなかった。みんなが残るようになったら名波さんと二人きりじゃなくなる。向かい合わせで作業するなんて奇跡はきっと起きないだろう。

 今日の時間が続いて、ずっと名波さんと二人きりでいられたらいいのに。


 残り時間を確認しようと時計を見上げて、ふわふわとした感覚に体が包まれる。眠気を誘うような頭がぼーっとして自分じゃなくなるような、不思議な状態だ。

 意識が途切れる直前、現在時刻を覚えて――そこで意識を失った。




 いつもなら意識を取り戻した時、頭はすっきりとしていた。だというのに今回は、体がどんよりと重たい。長く寝た後みたいな、体調不良ではないけれど体がだるいあの感じだ。


 ぼんやりとしながら時間を確認する。これまできっちり五分であったのに今日は三分だった。

 どういうことだろう。時間が短いから、こんなに体がだるいのか。


「こ、小山くん……大丈夫?」


 名波さんの声がして、そちらを見る。いつものように心配したまなざしがこちらに向けられていた。


「大丈夫、だと思う」


 時間が短くなっていたのだから幸運と思っておこう。そう考えて企画書作りに戻ろうとした時だ。名波さんがスマートフォンを持っていることに気づいた。いつもなら机の上に置いているのに珍しい。


「どうしたの?」


 僕が聞くと、名波さんは「こ、これは……その……」と口ごもって俯いてしまった。

 液晶は暗いままだから、もしかして充電が切れたのだろうか。だとするなら僕のカバンに急速充電器が入っているはずだ。電池を入れて使うやつだからここでも使えるはず。


「よかったら、僕の急速充電器使う?」

「あ……い、いいの?」


 その反応からすると、やはり充電が切れていたらしい。僕は微笑んで「いいよ」とカバンから充電器を取り出した。

 電池式だからパワーはないけど、しばらく差し込んでおけば電源は入るだろう。


「借りちゃって……ごめんなさい」

「気にしないで。充電終わるまで時間がかかるから、今日は持ってていいよ。僕は今日使う予定ないし、家に帰るまでにまた充電が切れたら大変だ」

「こ、小山くん……その……」

「なに?」

「……あの……えっと……小山くんの連絡先……」


 ぼそぼそと小さな声で何かを言っている。聞き取りづらいけど、たぶん連絡先交換したいってことかな。


「もしかして、連絡先交換?」

「あっ……そ、そのっ……小山くんが……いやじゃなかったら……」


 名波さんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。それと同時に名波さんのスマートフォンがぱっと明るく光る。充電量は少ないものの、電源は入ったらしい。


「僕は嫌じゃないよ。連絡先交換しよう。こっちからメッセージ送るね、ID教えて」

「私……IDってよくわからなくて……機械、苦手で……」

「じゃあ僕のIDを登録するよ。スマホ借りるね」


 どうやら名波さんはクラスの子とも連絡先交換をしたことがないらしい。ということは僕が初めて、なのかな。

 名波さんのスマートフォンを借りる。空色水玉のスマホケースは、女子って感じがしてドキドキした。

 そしてSNSアプリを探そうとして――そのアプリに気づいた。


 ピンクのハートが描かれたアイコン。アプリの名前には『ラブ五分』と書いてある。


 これって、友達が話してたアプリだろうか。気になるけれど、人のスマホをまじまじと眺めるのは気が引ける。

 僕はさっとスクロールしてSNSアプリを探した。




 その夜は名波さんにメッセージを送った。明日で二人作業が終わること、名波さんがまとめてくれた企画書が読みやすいこと。緊張した結果、業務連絡みたいな内容になってしまった。

 彼女も直接話すよりメッセージの方が話しやすいのか、口数多めで、可愛いウサギの絵文字がついている。

 楽しい時間だけれど、僕の心は晴れなかった。


 あのアプリ『ラブ五分』。選ばれた人しかインストールできないアプリを彼女は持っていたのだ。

 調べてみると、ほとんどの人がこのアプリを見つけられないらしく、『ただのウワサ』や『片思いの人限定』と書いてある記事しかなかった。


 彼女に直接聞くのが一番だけど、それを聞いたら気まずくなってしまいそうで一歩踏み出すことができなかった。明日は名波さんと居残りできる最後の日だから、何事もなく楽しく過ごしたい。


***


 金曜日の昼休み。僕は友達らと席をつなげて弁当を食べていた。僕がおにぎりにかじりつこうとしたタイミングで、友達が「そういえば」とこちらを向いた。


「こないだ、五分意識を失うって話してただろ? あれ、わかったぞ」


 その発言に驚いて手を止める。友達はニヤニヤと口元を緩めながら続けた。


「『ラブ五分』、使われてるんじゃね?」

「は? どうして」

「アプリを使われた人の体験談載ってたんだよ。五分ぐらい意識がなくなるんだってさ」


 そこからは友達が調べたらしい話が始まった。

 何でも『ラブ五分』は片思いを応援するアプリであって、片思い相手が五分だけ使用者のことを考えるようになるらしい。操られたように相手のことだけを見つめる。言葉を交わしたりはできないものの、告白の練習や相手の目を見る練習ができるというわけだ。

 そんなアプリが存在するわけないだろ、と否定したいところだが僕の頭には昨日のことがあった。

 名波さんは『ラブ五分』をインストールしていた。つまりそれは――僕の考えを見抜くように友達が言う。


「お前、誰かに『ラブ五分』使われてるんだよ」


 だから五分だけ意識がなくなる。その五分間の記憶がない。

 辻褄があったその瞬間である。僕の後ろで、誰かの息を呑む音が聞こえた。


「あ……小、山……くん……」


 振り返るとそこには名波さんが立っていた。手には、文化祭実行委員会と書かれたプリントがあった。

 彼女は顔を真っ赤にし、手を震わせながらそのプリントを僕に渡す。


「こ、これ……さっき……配られて……小山くんも……」


 昼休みに配布されたプリントらしい、が。問題はそれじゃない。名波さんの態度が明らかにおかしい。

 俯いて顔を隠しているけれど耳まで赤くなっている。それにプリントはぐしゃりと折れていて強く握りしめた跡があった。


「名波さん、今の話――」

「ごめんなさいっ!」


 名波さんは僕たちの話を聞いてしまったのか。それを確かめたかったのに、僕が言いだすと彼女は逃げるように走り去ってしまった。

 いつもなら昼休みは自席で弁当を食べているのに、その姿は自席に戻らず廊下に消えていく。


 放課後、名波さんと二人きりの時に五分だけ意識がなくなること。

 彼女のスマートフォンに入っていた『ラブ五分』のアプリ。


 まさか彼女は……僕にアプリを使っていたのだろうか。

 確かめたいけれど彼女は次の授業が始まるまで教室に戻ってこなかった。教室に入っても僕の方をちらりと見ることもない。

 もしかしたら、放課後だって来ないかもしれない。あれほど待ち遠しかった放課後が急に遠のく気がした。




 放課後になって僕は教室に残っていた。名波さんが来ないかもと思いながら、いつ来てもいいように机を向かい合わせに並べる。

 彼女がやってくる時間はとっくに過ぎていた。向かい合わせの机に誰も座らないことが一人の寂しさを煽る。

 予算案を書き終えて片付けを始めた時、おずおずと教室の扉が動いた。


「遅くなり……ました」


 申し訳なさそうに目を伏せて現れたのは名波さんだった。僕は昼のことなんてなかったように普段通りに微笑む。


「待ってたよ。さ、企画書終わらせよう」

「……うん」


 気まずい空気が流れる中、彼女が対面に座る。

 いつもの通り、机にスマートフォンを置く。相変わらず綺麗な文字が企画書のプリントに書きこまれていった。


 僕は横目にそれを見ながら、考えていた。

 もしも『ラブ五分』のアプリを僕に使っていたのなら、彼女は僕に片思いをしているのかもしれない。だとするなら、名波さんは勘違いをしている。これは片思いじゃなくて両思いだ。


 僕は時計を見上げた。いつもの癖、だけど。たぶん名波さんはこのタイミングで使っていたのだろう。僕が机や彼女のスマートフォンを見ていない隙だから。

 だから動くなら今だ。


「今日が最後だね」


 視線は時計に向けたまま言う。名波さんが息を呑んだのがわかった。


「来週からクラスのみんなも参加になるから、二人で残れるのは今日が最後だ」


 そしてゆっくりと視線を名波さんに移す。

 僕の予想は当たっていて、彼女は手は机上のスマートフォンに伸びていた。液晶には『言いたくても言えない気持ち 片思い応援アプリ ラブ五分』と表示されている。


 起動する前に。僕が意識を失う前に。彼女の手首を掴んで、それを止める。


「これ、使うつもりだった?」


 名波さんは観念したように、ゆっくりと頷いた。頬から耳まで、ぜんぶ赤い。

 たぶんその赤色は答えで、彼女の言いたくても言えない気持ちが映し出されていたのだろう。


「か、勝手に使って……ごめんなさ――」

「いいよ、使っても」


 掴んだ手首を離せば、驚いたように彼女が顔をあげる。入学式の時に気づいた綺麗な瞳が僕をまっすぐ捉えていた。

 意識がなくなる五分間も、彼女の瞳は僕を見ていたのだろうか。そう考えると五分失うことが悔やまれる。


「君が僕を好きならアプリを使って。その五分が終わったら、僕も君に伝えたいことがあるから」


 時間が止まったように僕たちは動けなくて、教室が夕暮れの赤色に染まっていく。彼女の頬と似た色をしていて、もしかしたら僕も顔が赤いのかもしれない。

 五分。僕が意識を失ったのならその時は――恥じらうような照れるような彼女の表情。

その指が、スマートフォンのボタンを押す。


 この五分が終わったら、君に気持ちを伝える。

 そして、僕は意識を失った。

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スマートフォンアプリ『ラブ五分』 松藤かるり @karurin_fuji

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