ケーキの女とカレーライスの女

深水えいな

ケーキの女とカレーライスの女

 人間誰だって、甘いものを食べた後にしょっぱいものを食べたくなる、という経験をしたことはあるだろう。


 俺はお酒をほとんど飲まないので、その代わり甘いものが大好きになった。スイーツ男子って奴だ。


 特にケーキには目がない。ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン。俺はどんなケーキだって好きだ。


 でもどんなに好きなケーキだって毎日食べれば飽きてくる。


 たまにはカレーとか、牛丼とか唐揚げとか、そういうのを食べたくなる。そうだろう?


 でも今度はカレーを毎日食べ続けたとする。するとどういうわけか、無性にケーキを食べたくなるんだよな。


 何が言いたいかっていうと、俺にとって「ケーキの女」がマキで、「カレーライスの女」がレイカだってことだ。


 ケーキとカレーライスの間に優劣は無いし、どっちも好き。それじゃあ駄目なのかな?



 ***


「ショージさん、これ。今日もお弁当作ってきました」


 マキが優しい笑顔でお弁当の入った包みを差し出してくる。


「いつも悪いね、ありがとう」


 俺は頭をかきながらそれを受け取った。


「ううん。だってショージさん、目を離すとすぐに外食とかコンビニ弁当とか、体に悪いものばっかり食べちゃうじゃないですか。もう若くないんだから、健康には気を使わないと」


 マキは職場の後輩で、俺の彼女だ。


 俺たち二人が付き合いだしたのは三年前。マキが俺と同じ部署に配属されたのがきっかけだ。


 全く違う部署からやってきて仕事に慣れないマキを、俺が指導をしているうちに仲良くなり、付き合うことになった、というわけだ。


 小柄で朗らかなマキは、いつも柔らかな声でうふふ、と笑っていて、マキが笑うと、周りに漫画みたいに花や蝶が飛んでいるように見える。


 いつもすっぴんで、髪を無造作に後ろでまとめていて地味だけど、笑顔が優しいおかげでマキはとても魅力的に見える。


 地味だし特別美人って訳じゃないけど、そんな所に惚れて、俺とマキは付き合いだしたのだ。


「マキちゃんすごいねぇ、料理が得意で羨ましいよ」


 先輩のイズミさんが褒める。俺はハハハ、と笑った。


 マキが毎日俺に凝った手作り弁当を持ってくるおかげで、俺とマキが付き合っているのは職場ではもうすでに知れ渡っている。


 結婚秒読みじゃないかというウワサまで立っているほどだ。


 マキも満更じゃなさそうに、うふふと笑った。


「それにいつも外食やコンビニのお弁当じゃ経済的じゃないですから」


 「質素・倹約」が信条のマキらしい返答。イズミさんは感心したようにうなずく。


「マキちゃん、しっかりしてるね。まるで奥さんみたい」


「うふふ、やだ。まだ奥さんじゃありませんよ」


 「まだ」か……。


 そういえば、もうすぐマキの三十歳の誕生日だな。


 料理が得意で、家庭的で、子供が大好き。男の後を三歩下がってついてくるような、そんなマキは、お嫁さんにするにはピッタリかもしれない。


 そろそろプロポーズ、しないとなあ。


 そうだ。マキはロマンチックなことが好きだし、バラの花束なんか送れば喜ぶかもしれない。


 俺はマキの喜ぶ姿を思い浮かべた。よし、決めた。マキの三十歳の誕生日の日に、バラの花束をプレゼントしてプロポーズしよう。



 ***


 その日、俺は仕事を定時で切り上げ帰路についた。


 マキはまだ残ってやることがあるというので、俺は一人で車に乗り込む。


 するとしばらくして、俺のスマホが鳴った。


「はい、もしもし」

「私よ、レイカ」


 ドキリと心臓が鳴る。

 艶やかなハスキーボイス。電話はレイカからだった。


「仕事は終わったのか?」

「ええ。ねえ、これから会えないかしら?」


 レイカが電話越しに色っぽい声で囁く。


「いいよ」


 俺は浮足立った気持ちで車を走らせた。

 レイカと会う時はいつだって心が沸き立つ。


 こうして二人で会うのは久しぶりだ。


 マキが「ケーキの女」だとすればレイカは「カレーライスの女」である。


 毎日ケーキばかり食べていれば飽きる。そんな時、レイカのスパイシーさが恋しくなるのだ。



 ネオンがピカピカと輝くビル街の街灯の下に、レイカは立っていた。


 銀のピンヒールの靴に、黒いタイトなワンピース。綺麗に巻いた髪を肩に垂らし、長いまつげと赤い唇がセクシーなレイカは、夜の街に降り立った一匹の蝶のようだった。


 そういえば、レイカとこうしてデートをするのは随分と久しぶりだな。


「ショージったら遅いよ」


 レイカは髪をかきあげながら言った。


「悪い、悪い」


 適当に謝る俺の腕にしがみつき、レイカはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「おわびに、存分にサービスしてもらわないとね」


「ああ、そうだな」


 レイカのこの小悪魔さが、俺はたまらなく好きだった。


 俺は久しぶりにレイカのショッピングにつきあうと、夜景の綺麗な高級レストランで料理を奢った。


 少々散財してしまったが、レイカのためだ。仕方ない。


 結婚してしまえば、こんな事もできなくなるだろうからな。


 お酒好きなレイカはワインをぐいっと飲み干すと、俺にも飲むように勧めた。

 

「いや、俺は車だし」

「えー? そんなの、代行で帰ればいいじゃん。タクシーを呼んでも良いし。これ、すごく美味しいの!」


 ワイングラスの中で揺れる赤い液体は、確かに凄く美味しそうに見えた。


 結局、俺はレイカの押しに根負けしてワインを飲むことにした。


「これ甘くて美味しいな」


「でしょ。どんどん飲んで」


 久しぶりに飲むワインだったが、ジュースのように甘くてすいすいと飲める。


 結局、俺はレイカに勧められるがままにワインを何杯も飲んでしまい、気がつくとフラフラに酔っ払っていた。


 レイカが真っ赤な唇でささやく。


「ねえ、私たち、結婚しない? 相性もばっちりだし、きっといい夫婦になると思う」


 酒に酔っていた俺はすぐさま承諾した。


「ああ、良いんじゃない」

「じゃあ、決まり。ダイヤの指輪、買ってよね」


 俺は酔っ払った頭で、派手な化粧をしたレイカの顔を見つめた。


 真っ赤な唇は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


 それはまるで、「最後に勝つのはこの私よ」と言っているようだった。




「はあ、俺は何ということをしてしまったんだ」


 家に帰り、俺はベッドにダイブをし、枕に顔をうずめた。


 お酒が抜けて、頭が冷静になるにつれ、どんどん後悔の感情が浮かんでくる。


 マキの朗らかな優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。


 どうしよう。マキの三十歳の誕生日には、薔薇の花束をもってロマンチックにプロポーズしよう、なんて思っていたのに。


 イズミさんや、他の同僚たちの顔も思い浮かぶ。


 ああ、一体どうやって説明すればいいんだ?


 ***


 次の日、俺は職場で意を決して全てを打ち明けることにした。


「ショージさん、どうしたの?」


 真剣な顔をした俺に、マキが首をかしげる。


 俺は宣言した。


「わたくし、庄司明彦しょうじあきひこは、ここにいる真木麗華まきれいかさんと結婚することに決めました!」


 職場は盛大な拍手に包まれた。


「まあ!」


 和泉いずみさんが目を見開く。


「おめでとう! じゃあ、二人とも『庄司さん』になっちゃうのね!」


「じゃあ、真木は『麗華さん』でいいんじゃないですか? 俺も職場の外ではそう呼んでるし」


 俺が提案すると、和泉さんはうんうん、とうなずいた。


「そうね、じゃあ今度からはそうしましょう」


 別の同僚が身を乗り出して尋ねる。


「プロポーズはどっちから?何て言ったの?」


 俺は、麗華の顔をちらりと見た。麗華は「分かってるわよね?」と言う顔をしていた。


 ああ、分かっているとも。「清楚で家庭的な真木さん」というお前のイメージを崩すようなことは言わないよ。


 どうもマキは職場では「良いお嫁さんになりそうな家庭的な女性」を気取るところがある。俺は派手でセクシーなお前も好きだし、どちらも良いと思うんだけどな。


「ええと、俺から。夜景の見えるレストランで結婚してくださいって」


 まあ、夜景の見えるレストランに行ったのは本当だしな。昨日は麗華の三十歳の誕生日だったし。


「まあ、なんてロマンチックなの!」


 和泉さんはうっとりとした表情で俺たちを見た。


 本当は、バラ花束を買うのも忘れてしまったし、酔い潰れてしまったし、自分からプロポーズしようと思っていたのに向こうから逆プロポーズされてしまうし、全く計画通りにはいかなかったんだけどな。


 レイカは嬉しそうな顔で同僚に「ありがとうございます」「結婚式には来てくださいね」なんて話してる。


 あの笑顔には誰にも勝てない。完敗だよ。


 この埋め合わせに、今度はダイヤモンドの指輪を買って帰って、改めて俺の方からプロポーズしないとな。


 こうして昼は家庭的で清楚な「ケーキの女」のマキ、夜は派手好きで小悪魔な「カレーライスの女」レイカ。


 二つの顔を持つ彼女を、今度から俺はいっぺんに味わえることになったのであった。

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