シルバートゥースレディオウ

金澤流都

俺の銀歯がやかましい!

 引っ越してから銀歯がうるさくなった。


 いつぞやテレビで、ガードレールがラジオを受信して近づくと音がする、というのをやっていたが、それと同じ理由で俺の奥歯にはめられた銀歯が、口を開けるとわんわん鳴るのである。


 最初は幻聴かと思って心療内科に行った。この街の心療内科はわりかしこざっぱりとしたイイ感じの心療内科で、ドクターもとても好印象だった。いつも空いていて果たして経営は大丈夫なんだろうかと思ったが、まあそんなことはともかく俺は心療内科でどこも悪くないとお墨付きをもらい、じゃあなんなんですかねと尋ねたら、「銀歯じゃないでしょうか」とドクターに言われてしまった。てっきり引っ越しのストレスでメンタルをやられたと思っていたので、銀歯が鳴っているだけと知って安堵したと同時になぜ俺の銀歯が……と途方に暮れた。


 銀歯が受信しているのはこの街に放送局がある「ニコニココミュニティラジオ」というチャンネルだ。もっぱら健康の話をしているローカルラジオ局である。


 ちょっと口を開けただけで、強制的に投稿川柳のコーナーや懐メロや健康番組を聴かされているわけだが、正味のところ俺は二十代の若者なので懐メロの類はよく分からないし、お年寄りの気持ちもよく分からないので川柳もあからさまな老人自虐ネタくらいしか笑うところがない。しかもパーソナリティが訛っている。


 どうしたもんだろう。仕事自体は基本的に重機を動かして護岸工事をする仕事だからなにかのはずみに口があいてニコニココミュニティラジオが聞こえても全く問題がないのだが、さすがに日常生活で当たり前に訛ったパーソナリティの声が聞こえるのはげんなりする。かと言って銀歯のはまっている歯をインプラントにするお金もない。どうしようか考えたが、まあどうせしばらくしたらこの街だって出ていくだろうし、気にしないことにした。


 そう思っているそばから水害が起きた。


 幸いにも死人は出なかったし俺のアパートもかろうじて無事だった。俺の銀歯は口を開けるとひたすら避難情報を伝えてきて、こういうときは役に立つな……としみじみと思った。しかし護岸工事はやり直しである。仕事が終わったら引っ越すという俺の目論見は粉砕された。


 そのうちに、だんだんと銀歯ラジオの音量が上がってきた。


 ラジオの音が自分以外のひとにも聞こえるようになってしまったのだ。うるさい。弁当を食べるのも一苦労だ。口からいろんな音がするので、同僚達にいちいち説明するが、信じてもらえない。


 そういうふうに過ごしているうちに、銀歯ラジオの音量はますます大きさを増し、口を開けると大音量で鳴るようになってしまった。


 コンビニで弁当を買うにしても、

「温めますか」と聞かれて「お願いします」と答えようと口を開けると、

「それでは投稿川柳のコーナーですァ。まずはマッキー山本さん、82歳の方からですァ」


 みたいなのを放送してしまう。店員に怪訝な顔をされる。どうしろというのか。


「お箸いりますか」


「お孫さん いいえこの子は ひ孫さん……、箸ください」


 みたいな感じになってしまうのである。さすがにしんどすぎる。クラウドファンディングでインプラント代を集めることも考えたが、世の中の人にこの「銀歯がラジオを受信する」というのをどこまで信じてもらえるのだろうか。


 まあとりあえず口を開けなければ聞こえないわけで、弁当は自作すればいいし、スーパーの無人レジを使えばとりあえず仕事以外に口を開く理由もない。


 そう思っていたら変に寂しくなって、毎日プレイしなければならないというのがハードルでやらないつもりでいた某スローライフゲームを始めてしまった。タヌキ野郎に借金を返しつつ、どうぶつどもにいらない服を押しつけて徳を積んだ。でもそれも飽きてしまった。


 さてそろそろ護岸工事も終わるかな……というころ、会社に大規模な道路工事の依頼がきた。断ってさっさと引っ越してしまおうと思ったがものすごく引き留められて引っ越せなかった。我ながら性格が弱い。


 そのころ、俺の暮らすボロアパートの隣の部屋に、若い女の子が越してきた。年ごろは俺とあまり変わらない。顔も体型もごくごく普通ながら、どこかチャーミングで、惹きつけられるものがあった。それまでただやかましかった生活音も、隣であの女の子が何かしているのだ、と思うとワクワクできた。掃除機や洗濯機の音すら愛おしい。


 とりあえず男がいる雰囲気ではなかった。もしかしたら遠距離恋愛とかしているのかもしれないが、隣の部屋で暮らしている感じからすると、電話をしたりしている気配もあんまりない。なにかお近づきになる方法はないだろうか。そうだ、作り過ぎたふりをして食べ物を持って行こう。というわけで、会社の社長からもらった大量のジャガイモでポテトサラダをこさえて、隣の部屋のドアをノックした。


「はぁーい」と、女の子が出てくる。


「それではきょうの健康のコーナーですァ! 認知症予防の基礎について、大学病院の……いえ。ポテトサラダ作り過ぎたので、おすそ分けしようと思って」


「……あ、ありがとうございます……」


 第一印象気持ち悪がられてしまった。俺は説明を試みる。


「あ、あの。これ銀歯がラジオ受信してて。……寝たきりというのはようするに寝かせきりということなんです……俺が喋っているわけじゃなくて、銀歯が」


「お、面白いですね……」


 隣の部屋の女の子はドン引きでタッパーウェアのポテトサラダを受け取ると、すっと引っ込んで施錠した。その二日後、俺の部屋のドアノブに、レジ袋に入れたタッパーウェアが返却されていた。中身はイチジクの甘露煮だった。なかなかおばあちゃんみたいなレパートリーだ。


 そうやって事あるごとにおすそ分けをして、ちょっとずつながらその子と親しくなった。


 銀歯がラジオを受信しているのも分かってもらえた。「災難ですね」とその女の子はしみじみと言った。彼女は近くの歯科医院で歯科助手をしているらしく、インプラントにしたらどうですか? と訊ねてきた。俺はそんな財力はない、と答えた。


 会社の人から、近くのちょっとおしゃれなイタリアンレストランの割引券をもらったので、その女の子を誘って出かけてみた。おお、なかなか雰囲気がいいぞ。そして食べ物もとてもおいしい。ウニとカラスミのパスタを食べる。なるべく口は小さめに。


 そのムードのある食事のあと、夜の川べり――もう水害の痕跡はほとんどない――を歩くというこれまたムードのあるデートをして、そこで好きだ、と言おうと口を開けた瞬間、


「きょうは尿道結石についてのお話をォ、大学病院の先生に伺いますァ」


 というフレーズが飛び出してきて、俺は(なんでこのタイミングで!)と泣きたくなった。


「あはは。面白いですね、銀歯ラジオ」


 面白がられてしまった。せっかくムードよく「好きだ」と伝えるつもりだったのに。それでもなんとか好きだと伝えて、俺たちは付き合いはじめた。


 それから二年ほど付き合って、互いに結婚のことを考えるようになった。俺は彼女がいるので引っ越せない状態が続いていて、彼女もいまの歯科助手の仕事がとてもよくて簡単にはやめる気はないらしい。もしかして俺は一生銀歯ラジオが鳴る生活を続けることになるんだろうか。


 最初はそう思っていたが、とりあえず口を開けないかぎり鳴らないので、極力口を開けない生活に慣れてしまった。それで銀歯ラジオはあまり気にならなくなっていた。彼女と日曜の昼間なんかにデートしているときは、たいがい懐メロの番組なので、古い歌が漏れるだけだ。健康番組は主に夜だ。


 だが慣れというのは怖いものである。


 夕方のデートの帰り道、俺は家賃の節約のために同棲しないかと誘ってみることにした。しかし突発だったので手紙とかは用意していない。でも言うならいましかないという雰囲気。


 思い切って口を開く。どうか懐メロ番組であれ。


「きょうは耳垢のただしい取り方をォ、耳鼻科の」


 なんでこのタイミングで! なんで! そう思ってへたへたと座り込みそうになるも、とりあえず彼女は俺の銀歯ラジオのことを分かっているので、すごく笑いを取りつつ同棲の話を切り出した。彼女は了解してくれた。


 そうやって少し暮らして、俺はそろそろプロポーズする頃合いかな、と、俺はサプライズの計画を練り始めた。サプライズだから失敗はできない。ニコニココミュニティラジオの番組表をよくよく確認して、夜にいつぞやのイタリアンレストランでプロポーズすることにした。


 おいしく豪華なイタリアンを食べた後、俺は腕時計で時間を確認して口を開けた。いまなら確実に天気予報だ。



「きょうは報道のため放送時間を予定より変更してお送りしていますァ。それでは『きょうの健康』のコーナーですァ。きょうはいぼ痔の治し方についてェ、大学病院の」

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