音楽室の魔王
Rui
第1話
音楽室は魔王の部屋。
闇と奈落が笑い、美しき天上の女神が見守っている。
「にーさま!」
開口一番、もはや挨拶のようなものだ。
愛はそうやって音楽室に駆け込んでくる。相変わらず反則みたいな可愛さだ。
少し癖っ毛の黒髪に可憐な瞳。やわらかそうな紅い唇。惚れない男がいたら問いただしたいくらいだ。
「兄様、愛してる!」
「そうか」
筋金入り、ていうか選ばれしブラコン。
兄の終と俺は幼なじみ。今はいないけど、もう一人と俺と終、合わせて生徒会役員。終が会長だったがために、『煉獄会』と別称で呼ばれていた。
もっとも、今は妹の愛が会長をやってるので、別称は変わっている。(いまは聖徒会)
「あ、やんちゃん。おーっす」
やんちゃん、というのは愛が俺に付けたあだ名。名字の
「いいのかよ大天使様、文化祭の会議近いんだろ」
大天使、とは愛の別名。名前が特徴的なので、そんな風に天界に例えられている。終の時とは真逆だ。終は見た目の幼さとかけ離れた天才的な手腕とその寡黙さから魔王と呼ばれ、遠巻きに恐れられていた。
「むー、その呼び方やめてって言ってるのにぃ。
あたしは結論議会しか出ないもん。提案報告会議とかは、ぬぅと、ちーちの仕事」
変なあだ名だ。元の名前が分からない。まぁいいけど。
黙ってぬいぐるみのようにしがみつかれていた終が、手にしているヴァイオリンを弾こうとする。
ぬいぐるみと称したが、終は愛よりも背丈が小さい。
弟と言われても納得できる程見た目は幼いが、圧倒的に終の方が落ち着いている。
あまり感情的にならず冷徹な印象で、天才肌というか一種の高貴なカリスマ性があった。あの頃は終が静かに会議室に入ると不思議と皆緊張したものだ。
終が譜面を見ながら、四苦八苦している様をしばらく見ていた愛は、首を傾げる。
「にーさま、ヴァイオリンが壊れてるよ」
違う、この音は弾き手の問題。背中がかゆくなるような、ひっかき音。
要は下手なのだ、ヴァイオリンはまず音を出すのが難しいと聞いているが、終はかれこれ一年くらい弾いている。
「難しいな」
「にーさま、向いてないのかもしれないよ。カスタネットとかにすればいいんじゃない」
「頑張る」
ぎーと音を探りながら、終は必死に弾いている。
愛と俺はそれを遠巻きにみながら、離れた机に座った。
「にーさまってホントかっこいいよなー。
あの熱心さもパンドラの女神のためなんだよね。
あぁ…もう素敵すぎ」
パンドラの女神というのは、前の卒業生の別称。終の一つ年上で、麗しいヴァイオリニストだった。今は有名な音大に行っているらしい。
終は彼女に三年間片思いしていて、今の希望進路は同じ音大。
「一途っつーか…すごいよな、恋に生きすぎだろ。
あいつなら東大とか狙えるのに」
「兄様にとっての価値が違うのさ」
愛は少し笑って、兄を尊敬の眼差しでうっとりと見つめている。呟くように、言葉を落として。
「兄様はパンドラの女神がめっちゃめちゃに好きだからね。
でも私は兄様みたいに努力できないかなぁ。
だから今のうちにいっぱい言っておくな。
…秘めたままにしておく、我慢が足りないんだね」
あぁ、と俺は軽く頷く。それもできないでいるけどな、とは言えなかったけど。
愛と俺はずっとこんな感じだ。気持ちなんて伝えようと、思ってない。
なぜなら…
「ぐぁっ!るっせーな!
ベルゼ、まだそんなヘタクソなのかよ!」
入ってくるなり騒々しい、碧眼の男。でも日本人。
元煉獄会の最後の一人、
愛と同様に勝手に変なあだ名を付ける、天然女殺し。
「ん…奈落、二時間目テストだった」
ベルゼと呼ばれた終は、弾くのを止めて、俺たちにしかわからない程度に笑う。
「マジで?うわー抜き打ちかよー」
「いやいや、先週やるって言ってたろ」
俺が笑いながら言うと、ふてくされたように口を尖らせる奈落。
「奈落さまは細かいことをお気になさらないのね!ますます素敵です」
目をキラキラさせて奈落をみる愛。それに奈落は困ったように苦笑い。奈落ほどの女たらしの男でも、この猛烈アタックには困っている様子。
本当に問いただしたい気分にさせるやつだった。
奈落が愛を好きにならない理由を一度本気で聞いてみたことがある。
彼いわく…ベルゼの妹に手を出したくない。
奈落は終を気に入っていて、尊敬していて、大切にしていた。憎まれ口をたたいても、最後は必ず終の味方をして言うことを聞く。
だから妹の愛を好きになることはしない。
執事か部下、奈落はそれほど忠実だから。
「闇岬、奈落。僕の音ってどうかな」
少し弱気そうな声の終。奈落は笑って言う。
「すっげー下手!才能ねーよ、努力はスゲーけど」
慌てて俺は言う。
「前よりは音がクリアになってる。もう少し頑張れば違ってくるさ」
くすくすと肩を揺らす終。
「お前たちの言うことは難しいな。真逆ではないか。
愛はどう思う?」
愛は優しく笑う。
「愛はにーさまが頑張ってるの、好き!」
「そうか、そうだな」
愛の言葉に満足したのか、終は頷く。窓から漏れる日の光に照らされて、終は再び譜面に向き合う。そして俺たちはそれを見守る。
闇と奈落、就き従うは魔の王。
王愛する女神は天上より来たりし清らなる乙女。
「サタン、なに考えてるか当ててやろうか?」
にやつきながら、顔を覗き込んでくる奈落。俺も負けじと奴を意地悪く睨む。
「じゃあデモン、なにを隠してるか当ててやろう」
分かっていたように、互いに笑みを深くする。肩にかけていた手を放し、奈落は両手をあげる。
「そいつはごめんだね」
「俺もいやだ」
音楽室は魔王の部屋。闇と奈落が笑い、美しき天上の女神が見守っている。
音楽室の魔王 Rui @rui-wani
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