3-1 夢を諦めない

 月葉と未希也が出会ってから一ヶ月が過ぎようとしている木曜日。未希也の足の怪我は傷跡に変わり、月葉の話し方にぎこちなさが消え、慣れ親しみ始めた頃。


 未希也は月葉に会うためにいつも通り病院のパン屋に訪れていた。

 色々なパンをトレイに乗せていき、レジへ向かう。

 顔馴染みとなった店員がレジをしていたので軽く話していた。すると横から店長が現れ、今日の月葉は少し暗い様子だと言う。月葉を元気つけろと言わんばかりに幾つか追加でオマケのパンが置かれる。

 未希也は軽く礼を言い、直ぐに月葉の元に向かった。


 いつもの席。月葉は窓の外――病院の廊下を行き交う人々の流れを見ていた。カフェラテを一口飲み、溜め息を零して雑誌をめくることを繰り返している。

 傍から見たら憂いに満ちた薄幸美少女だ。


「月葉、どうした?」

「――っ!」


 声を掛けると月葉は飛び跳ねるように驚いて振り返った。見ていた雑誌を乱雑に閉じて隣の席へと投げるように置く。


「未希也先輩でしたか、驚かさないでくださいよ……」


 未希也だと分かるとホッと胸を撫で下ろし、落ち込んだ表情に戻ってしまう。


「驚かしてないぞ。俺はちゃんと靴音を鳴らしながら堂々と歩いていた」

「あはは、そうですよね……」


 大量のパンを乗せたトレイをテーブルの真ん中に置いて向かい側に座った。

 通常の月葉なら多少落ち込んでいても未希也の軽口を返す余裕がある。だが、今回は特に酷く気が滅入っているらしく、反応が薄い。

 笑顔を顔に貼り付けたかの如き表情で事務的に応対される。


 チラッと投げ置かれた雑誌を見る未希也。その雑誌は始めて出会った時に月葉が手に持っていた雑誌の一つであるバーチャルが中心の情報誌。その最新号であった。


「お前の身に何かあったのなら、話せることだけ話してみろ。俺が手伝うことが出来るなら手伝うぞ」


 このままでは埒が明かない判断した未希也は話せる様に促してみた。それでも反応が薄かったので買ったパンが乗ったトレイをテーブルの真ん中から月葉の方へ滑らす。


「いつも奢って頂きありがとう、ございます」

「どうした、急に感謝を口に出してさ」

「いえ、その……振り返ると食べ過ぎだなぁって思いまして、ははは」


 何時もであれば「ゴチになります!」とか言って食べ始めるが、今日は一転して憂いに満ちているようだ。


「急にどうした。いつもの覇気がない」

「そういうときもありますよ……」


 態度に出るほどの何かが月葉自身に起きていることは明らかだ。しかし未希也は無理に聞こうとはしなかった。


 何処かそわそわしている様子で黙々とパンを頬張る月葉を横目に話し出すまで待つ。その間、暇潰しに携帯電話スマホを弄る。


 両者間の沈黙は気不味い雰囲気ではなく、さながら話したい事が言葉として中々言い出せない子供とそれを優しく見守る親だ。


 無言の儘、数分が過ぎる。

 いつもよりスローペースで一個目のパンを食べ終わる月葉。意を決して落ち着かなかった視線を前に合わせた。それを合図に未希也は携帯電話スマホを弄るのを止めて机に置いた。


「――あ、あの……実は、今週の土曜日に退院することになりました。ですが……」


 ゆっくりと話始めた声は尻すぼみになって最後の方は聞き取れず、まだ半分くらい入っているカフェラテを覗き込んでまた黙ってしまった。


 見兼ねた未希也は立ち上がる。

 レジへと向かうと店員に耳打ちをした。最初は訝しんでいた店員だが段々とにこやかな表情となり、最後は大笑いした。


 店員はチラッと月葉の様子を窺い、料理を作りに厨房へと行った。数分後、新たなトレイに乗せられたのは出来たてホカホカの四つのおにぎり。

 会計を済ませて月葉の目の前に置いた。


「えっと……これは――」

「退院の前祝い。さ、食べて食べて」


 ――これはどういうことか。と尋ねようとする月葉だったが、言葉を言い切る前に食入くいって未希也が強引に勧める。


「分かりました」


 月葉は恐る恐る四つのおにぎりの一つを手に取る。その様子をニヤニヤと未希也は見つめる。


 おにぎりという事は具材に何かあるだろう確信した月葉は警戒する。

 小さくおにぎりを噛み千切り口に含ませた。しかし、その一口があまりにも小さすぎてその具材に当たることはなく飲み込んだ。


 具材の正体が分からないまま恐る恐るもう一口、今度は先程より大きく食べた。


「〜〜ッ!!」


 瞬間、顔のパーツが全て真ん中に行くような感覚に陥る。

 具材の正体はパン屋特製手作り梅干しであった。


「はははっ!!」


 大きく口を開けて笑う未希也は急にバンッ! と机を思いっきり叩く様に手を置き、上半身を机スレスレまで倒す。

 そして月葉の顔を下から覗く様に見ながら嬉々としたニヤケ顔で言った。


 「その顔が、見たかった! ――あでっ」


 スパーン! と月葉は思わず椅子に投げ置いていた雑誌で叩いてしまった。

 未希也の顔が机に沈んだ。


「何をするかと身構えたら……あはっ、こんなことですか。あははっ!」


 重たい雰囲気だったのが馬鹿らしくなる月葉。こみ上げた笑いが堪えきれず決壊した。


「やっと笑ったな」


 上体を起こして赤くヒリつく鼻頭を軽く撫でる未希也。成功だと言わんばかりうれしぶ。

 

「そりゃあ、笑いますよ。こんな事されたら」

「そうか。ならやった甲斐があったわ」


 一通り腹が捩れるほど笑いまくった後、冷静になった月葉は話出す。


「酸っぱい、酸っぱいですよ。未希也先輩」


 食べ掛けのおにぎりを片手に頬を大きく膨らませた。


「知ってる、俺が頼んだからな。で、表情筋は柔らかくなったか?」


 未希也の言う通り強張っていた表情筋が動かせるようになっていた。そのことに気が付き、目を見開いて驚く。


「そうですね、お陰でほぐれました。ありがとうございます」


 手に持っていた食べ掛けのおにぎりを口に放り込み飲み込む。自分の頬をむにゅむにゅと触って確認しつつ、にへらと笑い感謝を述べた。


「ははっ、こちらこそ月葉の新しい表情を見させて貰ってありがとうな」

「照れるのでそういう事を言うのはやめてください」


 少し頬を紅潮させて二個目のおにぎりを食べ始める。食いで照れを誤魔化そうとしているのがバレバレだ。

 完全にいつも通りとなった月葉を見て未希也は安堵した。

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