エピローグ
A.D.1100年、浮遊都市ニルヴァの街を、イスカと二人並んで歩く。よく晴れたニルヴァの街からは、どこまでも遠くを見渡すことができて、世界樹の姿も綺麗に見える。とてもいい気分だ。
妖刀“
アルドは、怒りと悲しみとでぐちゃぐちゃになりながら迫ってくる男の顔を思い浮かべてしまって、先ほどまでの清々しい気分が嘘のようにげんなりしてしまったのだった。
――君の帰りを、今度は僕が待つよ。その時は、二人で世界を旅しよう。
だけど、今朝立ち寄ったリンドウの隠れ家で、“自首する”と決意したスイセンに返したリンドウの言葉を反芻すれば、“それでもいいや”という気持ちになる。憑き物が落ちたかのようにすっきりした表情のスイセンと、そんな彼女を見て穏やかな笑みを浮かべているリンドウは、きっともう大丈夫だろう。
「……あの二人、幸せに暮らせたかな」
おもむろにそう呟くと、金糸のような髪と白制服を風に靡かせながら、イスカはゆるりと笑む。
「大丈夫さ。ナグシャムの住民の意見は、辻斬りを擁護する声の方が大きかったからね。きっと、重い処罰は受けないはずだよ」
「いつのまにそんなこと聞き取ったんだ?」
「外套を調達したときに少しね」
イスカ曰く、スイセンは、盗賊や人斬りと言った、所謂“悪党”と呼ばれる部類の者を主に闇討ちしていたのだという。今回、未来から来たアルド・イスカ・妖刀“竜胆”が介入したことで、彼女が罪の無い人を傷つける前に道を正すことができたということになるだろう。猫正が言っていた、“辻斬りに襲われ、命からがら逃げ帰った者”についても、後日イトイスまでリンドウを案内する約束をしたので、どうにか解決できるだろう。
スイセンがどのような罰を受けることになるかはわからないが、民間人に被害が無いこと、擁護する民の声、辻斬りに至った背景から、情状酌量の余地ありとなって、たとえば長期間の禁固刑や懲役刑であるとか、リンドウのような重い体罰であるとかを受ける可能性は低いと思われた。取り調べが終わって、短い刑期を終えれば、晴れて自由の身となれるだろう。
その間リンドウは、ナグシャムに戻って、できる仕事を探しながら、リハビリを受けると言う。彼を歓迎する声ばかりではないだろうが、それでもスイセンのためにそうしたいと。
遠くない未来に、二人が、揃って新たなスタートを切る日が来ることを切に願う。
「本当、イスカには敵わないよ。なんでもお見通しなんだもんなぁ」
「大したことないさ。情報収集と精査を欠かさなければ、容易く推測できることばかりだ」
「……それ、ぜんぜん簡単じゃないぞ……!」
“ふふふ”と口元を抑えながら優雅に微笑むイスカに苦笑を返したところで、マクミナル博物館が見えてきた。アルドとイスカが入口の門を越えると、ちょうど中から出てくる男女二人組の姿が目に入る。
「あぁ……ッ、最ッ高だったね!」
「え、えぇ……あなた、展示を見て泣いてたものね……」
「とても感動したんだよ……!迷い、間違えながらも、力を合わせて逆境を乗り越え、歴史に名を残すなんてとても素晴らしいことじゃないか!」
「……あなたが楽しかったならよかったわ……」
そんな会話を繰り広げる、IDAスクールの制服に身を包んだ二人の顔には、見覚えがあった。
マクミナル博物館で数多くの歴史的意味を持つ作品に触れ、興奮のあまり情緒不安定に陥りながらも、早口で素晴らしさを語る男子生徒と、彼のテンションに全くついて行けていない女子生徒は、以前IDAスクールで妖刀“竜胆”の被害に遭ったあの二人だ。
“ちょうど良かった”とばかりに、事の顛末を報告しようとアルドが声をかけようとしたところで、先に向こうが声をあげる。
「あっ!イスカさんだ!偶然ですねっ」
「イスカさん!こんにちは!もしかしてそちらの方は……彼氏さんですか……!?」
しかし二人はイスカにだけ深々とお辞儀をして挨拶したかと思えば、あたかも初対面であるかのようにアルドの顔をまじまじと見たのだった。
「いや、オレは、そうじゃなくて――……」
「ふふふ。どうかな。お忍びなんだ。内緒にしてくれると助かるよ」
否定しようとしたアルドを遮って、イスカが意味深なウインクを送ると、男子生徒と女子生徒は興奮した様子で顔を見合わせ、コクコクと何度も頷く。
「はいっ!もちろんです!」
「見学、楽しんでくださいね!」
“お邪魔虫は退散!”とばかりに、そそくさとマクミナル博物館を去っていく二人の背中を見送りながら、否定してくれよ、という非難の意を込めてじっとりとした視線をイスカに送るけれど、彼女は全く意に介していない様子だった。
「あの二人、まるでアルドのことわからないみたいだったね」
「オレの顔なんて忘れちゃったのかな」
それならちょっと寂しいな、と続けたアルドだったが、“うーん”とイスカが首を捻る。
「スイセンが辻斬りをやめたということは、“竜胆”は妖刀にならなかったということだから――……彼らとアルドが出会ったことは、無かったことになったんじゃないかな」
「そうか!歴史が変わって、“竜胆”はオークションに出品されなかったのかも」
「だとしたら、考古学マニアの彼も、あの刀のことは覚えていないかもしれないね」
少し前に、歴史を変えてマクミナル博物館を復活させた時も、似たようなことがあった。あの時は、考古学マニアに“カマストーン”という貴重な品を譲ってもらい、それがきっかけで博物館を無事復活させることがきたのだが、博物館で再会した彼は、アルドに“カマストーン”を譲ったことをすっかり忘れてしまっていたのだ。覚えているかどうかの是非を本人に直接問いかけたわけではないが、その話題が一切出てこないことから、そういうことなのだろうと思っている。何かきっかけがあれば思い出すのかもしれないけれど。
とにかく、会ってみなければわからない。アルド達は、考古学マニアの男を探して、マクミナル博物館の中を進んだ。
静かな館内を進み、階段を上った先に、目的の人物はいた。感嘆を隠せないと言った表情で熱心に展示を眺める男は、ぶつぶつと興奮した様子で何か独り言を言っていた。どうやら展示の素晴らしさについて事細かに感想を述べているようだが、こちらの存在にまるで気が付いていないようだ。相変わらず、目の前のことに夢中になると、周囲が見えなくなるらしい。
「えっと……」
「やぁ、こんにちは」
声をかけるべきかかけざるべきか悩んでいたアルドだったが、イスカはお構いなしだった。爽やかな笑顔で挨拶したところ、イスカの顔を見た考古学マニアの男は“はて?”と一瞬首を傾げ、その後ろにいるアルドの顔を視界に入れて、漸く合点がいったようだった。
「あぁ、お嬢さんはアルド君の知り合いなんだね。二人ともこんにちは」
やはり彼も、イスカとは初対面であるという認識に変わっているようだ。そのことを確信して、アルドとイスカは顔を見合わせて頷き合う。それなら、妖刀“竜胆”は消えてしまったので博物館に寄贈できないなんて話はしないほうがいいし、する必要もないということだ。
そんな二人の、言葉の無い意思疎通をどう思ったのか、考古学マニアはにこりと人好きのする笑みを浮かべながら、声高らかに言葉を紡ぐ。
「最新の展示を見に来たんだろう?さすが、アルド君はお目が高いねえ」
「あ、ああ……うん、そうなんだ。それはどこに?」
適当に話を合わせてみると、男は、“うんうん、関心関心”と満足げに頷いて、両腕を広げた。
「まさに!今君たちが目にしているこれだよ!」
つい先ほどまで男が熱心に眺めていた展示を指されて息を呑む。
それは、刀の展示だった。白い布が被せられた台座の、上段には照明の光を反射して輝く刀身が、そして下段には立派な装飾を施された拵えが飾られていた。傍らにあるのは、刀を腰に差し遠くを見る、小袖を身に纏ったポニーテールの女性と、彼女と背中合わせの向きでしゃがんで刀を手入れする長身の男性の銅像だ。
展示に添えられたキャプションには、リンドウが贋作の罪で裁かれ二度と刀が打てなくなったことだけでなく、彼が幼馴染で剣士だった妻をとても大切にしていたことや、妻と二人で世界を巡る旅に出たこと、行く先々で多くの人を援けたこと、その時に残された刀に関する逸話など、二人のその後についても記載されていた。
妖刀‟竜胆”のもう一つの未来の姿が確かにここにある。これからも多くの人の目に触れ、誰かの心に残っていくだろう。刀匠リンドウの名と共に。
胸がいっぱいになって、思わず拳を握りしめるアルドの背中に軽く触れた温もりがあった。視線を向ければ、穏やかに微笑むイスカがいる。
「……やぁ。願い事は叶ったみたいだね」
イスカは、刀に向かって静かな声でそう呟く。勿論返答は無かったけれど、彼女は続けた。
「素敵な名前だ。お互いを想い、支え合うきみ達にとても似合ってる」
「うん……オレも、そう思うよ」
コクリとアルドも頷く。二人は暫く刀を眺めながら、リンドウとスイセンが辿った道のりに思いを馳せた。
辛いことも、苦しいことも、幸せなことも、笑ってしまうようなことも、きっと二人で乗り越えたからこそ、今がある。八百年経っても色褪せずに残ったその名は、きっとこれからも標となって人々の道を照らし続けるだろう。
アルドは、願いを叶えて光となって消えてしまった異形のことを想いながら、展示の傍らに刻まれた文字をなぞったのだった。
『刀
銘 竜胆猫正
竜胆はミグランス王朝時代の代表工の一人である。
同時代の名匠猫正の作品をオマージュしており、当初は猫正とだけ銘入れしていたが、後日所持者銘と共に竜胆の銘が追記された。
竜胆の現存作刀は一口のみだが、地鉄・波紋の出来が抜群に優れていることから、竜胆の生涯でも一等の刀剣であっただろうと賞されている。
その切れ味は、一振りするだけで、触れずとも骨を断つほどであったと言う。
愛妻家であった竜胆が、剣士であった妻のためこの刀を打ち、自ら進んで手入れを行っていたという逸話と、所持者である妻の名から、比翼水仙と名付けられた。』
空虚の亡霊と偽物の名刀 春海さら @sarah-harumi
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