第8話 スーパー銭湯”弥生の湯”
8 スーパー銭湯“弥生の湯”
25区と隣の市境沿い。国道20号線を左に曲がり200メートル進み、また左折し200メートル。そこにスーパー銭湯“弥生の湯”はある。
辺りは駅から少し離れた住宅街がある。鈍行列車しか止まらないが、芸術系大学や女子大、商店街、少し離れると高級住宅街、別の私鉄に向かうバスなどがある為駅周辺はそれなりに栄えている。
弥生の湯はそこから少し外れている。多くの人が利用するらしいが僕らが着いた午前4時過ぎは流石に閑散としていた。
男性陣の中で一番先に風呂からあがり、休憩スペースの座敷に座る。すぐに館内着を着た雪ちゃんと安国会長が来た。雪ちゃんは僕の隣、ちゃぶ台を挟んで安国会長は正面に座った。
他の会員が来る前に来ておくが。そう前置きして会長が
「天辰君は鬼族なのか? 」あれを見ていたのなら誰もが気づいてしかるべきだろう。
「失われた支族。いわゆる人間とは別の知的異種族。伝説ではなく実際に存在している彼ら。
外国にもいるらしいが、私達の帝国で確認されている異種支族の一つである鬼族。天辰君はその一人だね」安国会長は僕らにのみ聴こえる声で鋭い眼光を向ける。
「正確にはクォーターです」雪ちゃんは笑顔で答えた。確かに隠し通せるものでは無いけど。不安をよそに雪ちゃんは続けた。「私のお祖母ちゃんが中国地方の鬼族の末裔に当たります。
あの戦争で純粋な鬼族はほとんど亡くなったって聞きました」
「教科書通りだね」会長は言った。
「お祖母ちゃんは戦後まだ若いのに隠居し、山でひっそりと暮らしていました。そこで人間のお祖父ちゃんと出会って、色々あって孫の私がいます」
「色々すっ飛ばしたけど、なんとなくわかったわ。四分の一だから基本的には人のなりと変わらないのか」
「そうです。鬼モードにならなかったら、ただの女の子です」鬼モード、アンコン会長は言いかけたがすぐにやめて
「まあ近年男女ともに平均身長伸びているし、大きい事に違いないが、そこまで不自然でもないな」
「そういう事ですと」
「もしかして天辰君の様に鬼の子は多いのかい? 」
「あんまりわからないとです。でも前にテントの外にいた熊を女子中学生が妹と間違えて蹴って撃退したなんてニュース知りませんと? 」
「ああ、そういえばネットで話題になっていたわね」
「あの子、私のはとこです」
「なんと」安国会長は軽く手を叩く
「ほかにも明らかに熊より弱いはずの人が熊や猪を撃退したニュースはだいたい鬼族の血筋の人たちとです」
「そうなのか」会長は身を乗り出し嬉しそうにする。僕をちらっと見ると元の落ち着きを取り戻した。「天辰君は撃退したことはあるのかい」
「えっと… その… 」もじもじと恥ずかしがる雪ちゃんの代わりに僕が答えた。
「雪ちゃんは中学生の時に熊と大猪を倒してますよ」
「ちょっと、雅人ちゃん」
「春にタケノコ狩りに行った時と秋にキノコ狩りした時ですね」
「ほうほう、続けてくれ」
「どっちも5メートル位離れていたのですが、雪ちゃんが先手必勝と言わんばかりに先制攻撃を仕掛けましたね。
そのまま倒して縛って村に持って帰って熊はステーキ、猪は鍋になりました」
「お転婆だったのだね」ニヤニヤと安国会長が言い。雪ちゃんは、やだもうとのたまいながらポコポコと肩を叩く。結構痛い。
「仲良くて結構。まあ天辰君が鬼族なのは黙っておくよ。今日の調査メンバーにもそれとなく聞いて箝口令を敷いておく。カミングアウト等は自分で好きな時にやればいいさ」
「会長さん、ありがとうっ」雪ちゃんは会長に抱き着いた。
「ははは、愛い奴め」笑う二人。
「あれ、会長痛くないのですか」あたりまえだろう、と答え雪ちゃんがこちらを向いて
「女の子相手に本気で抱き着かないとよ」
「ねー」会長と声を合わせ言う。この二人の相性は本当に良さそうだ。
メンバー全員集まったところで安国会長が言った。
「スパ銭のいい所はやはり電源がある所だと思う。Wifiがない所、岩盤浴が別料金な所、サウナが狭かったりテレビがない所、やけに料金が高い所、そもそもお風呂自体が狭い所。
しかしどこでも電源はある。電気があれば大体の事はなんとかなる」
「しおり、話が長いわ」布藤さんが水を飲み言った。会長は咳払い
「これから撮影した物の再確認を行う。最初から見ていこう」
録画した映像を見ながらそれぞれが思う事を言うが特にそれらしいものはまだでない。
「ここから二手に別れた後になるな。まず私達のチームから見ようか」全員で確認するが特に何もなかった。
「うーむ」布藤さんのチームが用意している間に会長が腕を組む「時に田中、地下室までに何か気がかりなことはあったか」
「エレベーターが動いていた様な気はしたのですが、ご覧の通り映像には残せなかったです」
「君はあの病院の特別な関係者だ。天辰君は鬼族。もしかしてそのせいで霊たちが隠れてしまったのかもしれんな」準備ができたと藤橋がいい
「私達も特に怖い事は無かったなぁ。ねえ」布藤さんの声に頷く男二人。
「本当かあ」冗談めかして会長が聞くと藤橋が
「正直怖かったですよ。だって雰囲気満点ですもん。ただ布藤さんの言う通りでおかしな事はなんにも」
「俺もヘッドホン越しだが別れる前と大きな変化は無かったです」安田先輩も言う
「期待薄だが見てみるか」会長は録音テープのスイッチを入れる。
三人の会話と時折外の野良猫の声が聞こえている。少しノイズが出る部分があるが気になる程ではない。
「二人とも大丈夫かっ」安田先輩の声だ。
「ザザッ丈夫です。ザザァたしも大丈ザザザぁっ」
音の大きさとノイズに一瞬皆が驚くがすぐに
「ああ、すいません。この時マイクも動かしちゃって、ノイズと二人の声が強くなってしまいました」一同納得。だが
「違和感がある」会長が巻き戻す様に指示した。「安田2回生、ノイズキャンセラーを強めてくれ」はい、と機材をいじくり親指を立てる。
「同じ所流します」
「二人とも大丈夫かっ。
大丈夫です。わたしも大丈夫。…なぁ」
「なにか聞こえ、た?」布藤さんが確信を持てずに確認をした。先ほどより音量が小さい。
「えっあれ、安田先輩の声でしょう」藤橋の声が上擦る。
「確認しよう。安田、音量を上げてくれ」安田先輩は無口で合図し、三度流す。
「大丈夫です。わたしも大丈夫。 …たにいくなぁ… 」沈黙を直ぐに雪ちゃんが破る。
「下に行くな、って言ってるとよ」
「面白い。次は藤橋1回生のカメラだ」
録画を流し、藤橋が説明する。映像は階段に差し掛かった。
「何か撮れたか? 」安国会長が聞くが
「いや、別に何も… 」
録画映像中、ひっ、と藤橋の声が聞こえカメラが上を向くがすぐ戻る。
「水滴が腕に当たってびっくりして、上を見たら水道管があって、なんてことなかったです」
「えっ、あれ水道管なの」布藤さんが聞く。見直すため巻き戻す。その間に僕はある事に気が付いた。
「病院の水道は病院がスタジオにする前には完全に閉じました。タンクの水も次の週にはすべて排水しました」
「少しくらい水が残ってたっておかしくないだろ」安田先輩が言うが僕は
「それ以前にあの建物は鉄筋コンクリートで頑丈に作られています。人が触れる壁と違って天井から水道管が露出するわけないはずです」
「えっえっ」布藤さんの小さな悲鳴に僕らは一時停止された映像を見た。
「ほらあれ、水道管の先だろ」藤橋が安心するために言うが
「私にはそうには見えないな」安国会長の目が半月の様だ。
映像には確かに天井から細く白い管の様なものが出ている。藤橋が水道管と言ったそれはよく見るとあるものに見える。
「前腕の骨だな」依田先輩が低い声で言う。その他映像に不自然な点はなかった。
「楽しくなってきたなぁ、諸君」会長はじめ3回生の先輩方は生き生きとしている様だ。もっとも安国会長だけかも知れないが。安田先輩はもう慣れたと言わんばかりにため息を吐くが血の気が引いている。
「さて、布藤。映像を見る前に聞くが、何かなかったか。どんな些細な事でもいいから教えてくれ」
「私も特には。でも調べてない所が一つあって、安田君も藤橋君もスルーしたから別にいいかあって思った場所があるの」
「なんかあったんすか」安田先輩が聞く
「確か2階と3階の踊り場にリネン室があったでしょ」
「全然気が付かなかったです」
「俺も。まあかなり暗かったですもんね」二人とも平静だが、動揺はしている。僕はここでまた気づく
「あの、リネン室は地下にあったはずです」
「あー、そうだよね。二人で地下のお布団が沢山あるとこで遊んだ記憶あると」雪ちゃんも覚えていたようだ。
「じゃああれは… 」
「再生しよう」安国会長を中心に全員でカメラの画面を覗く。
「まだ、まだ、確か次の踊り場。そこで布みたいな物を踏むの」布藤さんが言う。画面が揺れる。どうやら踏み外した所を誰かに支えられたようだ。「そう、ここの踊り場にあったわ」足元に向けたカメラは床だけを映し、映像が踊り場の壁を向く。全員が同時に息をのんだ。
踊り場のリネン室の入り口であったであろう壁には、歪んだ顔が大人の身長ほど口を大きく開けていた。全員の体温が下がった中
「ちょっと待って下さい」安田先輩が慌てて言う「布藤さんは誰に支えられました? 」
「えっ安田君でしょ」
「映像だと胸と腕位しか映ってなかったね」会長が言う
「俺は布藤さんが声を出したから振り向きましたけど、支えてないです」
「俺も布藤さんが踏み外したのは見てましたけど、そんなにバランス崩さなくて一人で立ってましたよ」
「…じゃあ私を支えたのは誰なの」確認をしようと巻き戻し、支えた者の胸が映ったタイミングで一時停止をした。
「暗視モードになっているから、白が目立って分かりづらいね」画面には確かに白が多い画面だが人はいる様だ
「なんねすこし太ってると、この人」雪ちゃんがいう。
「なんだか服に縦線入っていませんか」安田先輩が指で線をなぞる。白い服の左側に縦線が2本見えた。
「確かにあるな。既視感がある服だが… 」
「ナース服だな」依田先輩が言った。それだ、と会長は指を鳴らして先を発言者に向ける。
「では田中、どう思う」
「多分、いえ確かにこれは看護婦さん達の服装だと思います」
「確かに柔らかかった… 」布藤さんは聞こえるように深呼吸をした。
映像を全て見終わり眼福を得たと言わんばかりに安国会長の頬はテカテカとしている。しかし他の者は映像などを確認する前に比べ明らかにテンションが下がっている。
依田先輩がもくもくと機材の片づけをしている。本来なら後輩である自分達がやるべきなのだが会長はじめ先輩らは何も言わない。
正直心霊現象を目の当たりにするとここまで動く気がなくなるとは。それをいいことに雪ちゃんは自分の腕と僕の腕を組み楽しそうだ。彼女が耳打ちする
「あのナースさん見た事あるかも」
「あれだけで判る? 」
「なんとなくだけど、おかっぱの優しいおばさんナースさんいたと」僕はそれを聞いて、脳が引き出しを勢い良く開ける感覚を覚えた。
「ヤスおばさん?」
「そうそう、ヤスおばさんと。あのいっつも助けてくれる」
「そうだね」そうか球井病院が閉まった何年も後に母からヤスおばさんの訃報を聞いたことがあった。母は彼女を看護婦の鏡と言ってた。亡くなったあともあそこで人を助けていたんだ。
「皆、ブルーになっているが気づかないか」安国会長は立ち上がり「安田2回生の録音にあった。‘下に行くな’の声は3人に警戒を呼び掛けていた。それに夏美が転倒しそうな時支えた幽霊もいた。もしあの時転倒して踊り場で止まったら二人にもリネン室が見えて、あの口の中に入ってしまったかも知れん。
今回は悪い奴ばかりじゃなかった。それだけだ」全員の顔にほっ、と生気が戻り始めた。丁度依田先輩が片づけを終えた。
「よし、全員帰宅するぞ。大丈夫だと思うが家に入る前に塩を振るように! 」
矛盾してないかと布藤さんが聞き、女子更衣室に向かう。雪ちゃんもそれを追い、男性陣も更衣室へ。
屋外駐車場はカンカン照りだがまだ暑さはやってきていなかった。気づいたら夜は終わっていたのだ。
「天辰君もここでいいのかい」助手席の窓から安国会長が聞いた。はい、と雪ちゃんが答えると会長はヒューと口笛を吹いた。正直車に残っているのが依田先輩と会長だけで本当によかった。
藤橋が降りる時に一緒に来てほしいとせがまれたが、布藤さんの「怖いの? 」の一言で大丈夫ですと答えた奴はミラー越しにチワワの様なつぶらな瞳をしていた。
先輩らに頭を下げて車を見送った。雪ちゃんをばいばーいと手を振る。
「帰ろっか」彼女は振っていた右手で僕の手を取って、アパートに進む。よく見ると甲に小さな切り傷があった。
「雪ちゃん、どうしたの? 」部屋に戻ってから雪ちゃんはずっと壁の方を向いてしゃがんでいる。これは叱られた時や落ち込んでいる時にやるポーズだ。本人曰く石になって平常心を取り戻すらしいが、180cm越えの人が行えば石と言うより岩だ。
僕は隣に座り「苔が生えるまでは待つよ」と。この台詞は昔彼女の母親から聞いたのだ。これを使えば雪ちゃんはいつも話してくれた。きっと今日も。
「…あんな」彼女は2分も経たずに口を動かした「雅人ちゃんは私の事嫌いになった? 」
「どうして?」
「久しぶりに会ったのに塩対応と。それに大人になっての鬼モードはだいぶ怖かね。やっぱり大きい女子を嫌か、会長みたいなちんまい子がよかと」彼女は今にも泣きそうだ。僕は彼女の右手をとった。
「この手の甲の切り傷は地下で、だよね」
「うん… 」僕は救急箱から、イ号絆創膏を取り出して傷に当てた。
「今回はこの大きな手が助けてくれた」僕は手のひらを広げて彼女の手のひらと合わす。「昔からずっと変わらない。どんなに大きくても雪ちゃんは僕の大切な人だよ」見上げる彼女の目を見る。すこしして彼女が笑った。そのとてつもなく綺麗な向日葵を見て僕は急に恥ずかしくなり、顔をそむけた。
一拍置いて手を引っ張られる。比喩ではなく身体が宙に浮き、重力を感じる前にもう一つの手で支えられた。直後に体が翻りお尻からゆっくりと降ろされ、床に座った。僕を支えていた腕は両方のわき腹を通り胸の前で交差し肩口に置かれた。左肩に雪ちゃんの顎が乗る。完全に後ろを取られた。包み込まれたというのが正解かもしれない。
「捕まえた。あん笑顔がよかよ」彼女は嬉しそうに僕を捉えた。ぼくはまあいいかと思い身を任せる。
「逃げないと? 」彼女が優しく体をゆする。
「逃がしてくれるの? 」
「うーん」少し悩むと「大好きって言ってくれたら解放してあげる」またこの子はと思い左を向く。そこには今まで一番近くに顔があり、すぐに顔を背けた。
「言わなかったら? 」
「ずうっとこのままと」これは僕の負けだ。人質を解放するためにもこの愛くるしい凶悪犯の要求をのむしかない。
「………」
「聞こえないと」
「……だよ」
「ぜんぜん聞こえないと」
「大好きだよ… 」何度も繰り返させられ体温と怒りと似て非なる感情が強くなった。
「ああっもう、雪ちゃん大好きだよっ! 」やけくそでかなり大きな声を出した。
「私も大好きっ! 」雪ちゃんは身体を強く抱きしめた。
僕は恥ずかしさと痛みで意識が朦朧とするなかこのアパートの防音設備の強さを祈りながら気を失った。
終
鬼嫁 @huyumasaaki
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