メビウスの猫 時間矛盾のほぐし方

田中ざくれろ

第1話

 ぼくは常日頃、内心喜んでいた。

 自分につけられた『マッドサイエンティスト』というあだ名とその陰口に。

 この高校の部活には科学部は正式に存在するが『時間旅行研究会』という正式な部活ではない同好会には、ぼくと宇佐真美恵の2人しか入っていない。部室はない。2つある理科準備室の1つを勝手に使っていた。

 真美恵も喜ぶべきだった。内向的な彼女の友達は幼馴染のぼくしかいない。たとえ、実質上のこの研究会の会員にされているのが嫌だったとしても彼女は唯一の友であるぼくの、この土曜日の放課後に世界で初めての 時間旅行実験の人体実験の被験者の1人になれるというのを誇りに思うべきなのだ。

「大丈夫なの、航時くん」

 真美恵が不安そうに聞く。

 勿論、大丈夫だ。科学部の奴らがうらやむほどにぼくの理系のテストは常に学園トップだった。

 IQテストでの点数を誇るなんて、IQテストが何故行われる様になったかを知っている者には馬鹿馬鹿しいが、自分が世界でトップクラスだとして驚きはしない。

 航時。ぼくの名だ。両親がどうして自分にこの名をつけたかは訊いた事はないが、この名前故に今、こうして世界で初めてのタイムマシン作成者として歴史に名を刻もうとしているというのは間違いはない。

 名は呪縛だ。キラキラネームをつけられた者は「たとえ、そんな名前でも気にしないよ」と言われても「あえて気にしない」という風に「気を使わざるを得ない」状況を自然と生み出す。

 航時。その名はぼくがタイムマシン開発を幼くしてめざすというのには十分な動機だった。親から与えられた、その名。空気を読まないという選択肢はぼくにはなかった。

「大丈夫だよ」とぼくは真美恵に言葉を返した。温和な優等生の顔で。

 真美恵はニキビだらけの頬を掻いた。

 ぼくらのタイムマシンは頭にかぶる物だった。マシン、と呼ぶのもおこがましいほどに簡易なそれはほぼ段ボール感。飾りのない、中世日本の兜の様だった。縁から首を守る様に垂れがある。薄いバッテリーからのびる配線は内側にめぐらされていた。

「これって段ボール? こんなので大丈夫?」

「和紙を重ねたのさ。重層和紙製。和紙は軽くて丈夫なんだぞ。昔、銃で撃たれた男が胸の財布に入っていた札束で弾を受け止めて助かったという事例もある」

「これで2人、一緒に跳べるの?」

 跳ぶ、真美恵は時間転移をそうとらえているらしい。時間跳躍。タイムジャンプ。

「マシンは同調してある。2人とも同じ仕組みさ。人間原理とブロック宇宙論と集合無意識を利用して跳ぶ。尤も真美恵のだけちょっと細工がしてあるけど」

「え?」

「いや、何でもない。跳ぼう。すぐ正午だ。そのタイミングで」

 真美恵はその言葉に、ストローを射し込もうとしていたトマトジュースのパックをスカートのポケットに押し込んだ。ジュース。果汁100パーセント以外をジュースと呼んではいけない。濃厚だ。

 腕の時計を見ると、頂点の12の数字に長身と短針がほぼ重なり、ゆっくりと秒針が近づいていた。

 全ての針が重なった。

 正午を知らせる優雅なチャイムが学校の内外に響き渡り始めた。

 それが聞こえるか聞こえないかの内に、2人は同時に『跳』んだ。

 跳躍は一瞬だった。

 時間移動というよりは空間移動の様に感じられる。

 瞬間的にぼく達は正午の理科準備室から、夕方の街の路地に跳んでいた。周りには誰もいない。ビルディングに挟まれたそこは西日に照らされ、長く黒い影をのばしていた。

 20年前の東京のとある場所。夏。夕方。

 この場所と時刻を『跳躍地点』に選んだのは勿論、ぼくだ。

 跳躍地点の入力方法は一応、真美恵にも教えてある。

 ぼくは成功して当たり前という感想だったが、真美恵は物凄く感動している様だった。

「ねえ……これって本当に私達はタイムマシンで過去へ……」

 そこまで言って、真美恵は口を押えた。吐き気を催しているのが解る。

「……気持ち悪い……めまいが……」

「どうした、つわりか? ぼくの子供か?」

「こんな時に、変な冗談言わないで……大丈夫、おさまってきた……」

 変な冗談か。当たり前だ。ぼくと真美恵はそんな仲ではない。あくまでも幼馴染で時間旅行研究会の会員同士にすぎない。

 そんな事を思っているビルディングの一つ、マンションの中から一人の若い男が飛び出してきた。派手な背広だ。いくら何でも純白はキメすぎだろう。押されてきた様な勢いで自動ドアを通ってこの路地へと出てきた。幾ら、これから結婚の申し込みに行くデートに遅れそうだとしても慌てすぎだ。

 その男は泳いだような姿勢から走り出そうとして、その瞬間に眼の前にいるぼく達に気づいた。そして驚いた。最初は真美恵を見て驚いた風だったが、すぐにぼくの手に握られていた物に気づいて驚愕の表情を大きくした。

「さよなら。父さん」

 ぼくは手に握った灰色の小さな拳銃の引き金を引く。

 軽い銃声と共にその男の青いシャツの胸の中央やや左に穴が空き、赤い血が噴き出した。その出血量。心臓か大動脈の損傷だ。そのショックでほぼ即死だという事はすぐ解る。

 男はうつぶせに地面へ倒れた。身体の下から血の染みが広がる。

「何やってるの!? 航時くん!?」

 真美恵が大声をあげて驚いた。

「ああ、たいした事はない。学校の3Dプリンターを勝手に使って、ネットで拾ったデータから作り上げたんだ。違法データだけど。硬プラスチック製で1発しか撃てないが人を殺すのは十分だ」

「そうじゃなくて何でこの人を殺したの!?」

「ぼくの父さんだからだ。まだ母さんに結婚の申し込みはしてないけれども」

「なんでそんな事をしたの!?」

「聞いた事ないかい? 『親殺しのパラドックス』だ。タイムマシンで自分が生まれる前の過去に行って、自分の親になる人を殺したら、その親を殺すはずの自分は生まれなくなる。すると、親は殺されないから生き残ってぼくは生まれる事になる。するとぼくは親を殺せる。矛盾だ。この理屈は昔から議論の対象になっている。ぼくはタイムマシンを作り出せたら、まっさきにこのパラドックスを実際に起こしたらどうなるか実体験する事に決めていたんだ」

 真美恵は顔が蒼白になっていた。

「そんなのの為に自分の親を殺したの……?」

「ぼくにとってはそんな事、じゃないんだけどな。さあ、どうなるか。因果矛盾に耐え切れず、この宇宙自体が崩壊して全てがなかった事になってしまうか……おや、影響が現れ始めたみたいだぞ」

 ぼくは自分の姿を見下ろした。

 まるでTVの画面が故障した様に身体がチカチカと激しく点滅を始めていた。自分がある瞬間、実体を失い、そしてすぐに復活するのが解る。それは決まったタイミングがある様な、ない様な不安定さだ。

「多分、確率にすれば50%……文字通り半半というところか。ここまでは予想通りだな」」

 ぼくを見ている真美恵はこの点滅を見つめて眼が痛くなっているだろう。

「状況をぼくの頭脳でぼくなりに考察してみよう」ぼくの言葉も細かく振動したノイズ混じりだ。「今、ぼくは生と死の重ね合わせ状態だ。『シュレディンガーの猫』さ。物理学者エルヴィン・シュレディンガーが考え出した、宇宙の微視的なレベルで起こっている量子の確率的な性質を、猫の死という人間が実感出来る日常レベルにまで拡大した思考実験モデルだ。親殺しのパラドックスの実行によって、ぼくは今、存在と非存在がせめぎ合っている」

 喋りながらぼくは手に持っていた硬プラスチック製の拳銃を真美恵へ放った。

 彼女は1回、それを落としそうになりながらもかろうじて受け取った。普通の拳銃よりはるかに軽いはずだ。弾丸はもうない。ぼくの手から離れて真美恵に握られた拳銃は点滅をやめ、確実な灰色の実体に戻った。

「親殺しのパラドックスによって、この宇宙の20年は正規の歴史から切り離され、閉じたメビウスの輪状態になっている。今のぼくは閉じたメビウスの輪に閉じ込められたシュレディンガーの猫だ」ぼくの身体は点滅のサイクルが激しすぎて、半透明の幽霊の様になっている。「この20年は、20年後からのタイムマシンという時間遡行によって過去と未来が閉じている。親を殺してぼくが存在しないはずの20年。親が殺されずにぼくが存在する20年。相反する関係の2つの歴史が一旦切れて、今のぼくという特異点で矛盾する裏と表が半分ねじれて接着されている。この宇宙はメビウスの輪という閉鎖時空間だ。そしてぼくは矛盾した特異点であるが故に存在と非存在の重ね合わせ状態で死んでもいるし同時に生きてもいる。シュレディンガーの猫だ。……この時空間はそれ以前の過去も無意味になって途切れている。ぼくを中心に20年のサイクルでねじれた堂堂巡りを永遠に繰り返すぞ。いや、多分、このぼくの状態が宇宙の物理的混乱、エントロピーを撒き散らして熱的死を迎えさせるだろう。20年の幅しかないこの宇宙の破滅はきっと速やかに訪れる」

「何を言ってるの、航時くん」真美恵が叫ぶ。「何を言ってるか解らないわよ」

「いや、解るはずだ。真美恵はぼくと一緒にずっと時間旅行研究会員としてすごしてきただろう。それ以前に幼馴染だ。ぼくが真美恵に何をさせたいか解るはずだ」

「解らないわ。一体全体、何をさせたいの!?}

「真美恵がぼくを救うんだ。宇宙を救うんだ。……実はタイムマシンに細工をして真美恵だけ完全にこの時空間に同調していない。最初に感じた違和感、気分の悪さはそれが原因だ。真美恵がこの宇宙の外からの観測者なんだ。猫が死んだかどうかは真美恵の観測によって決まる。主役はぼくじゃない。真美恵、お前だ」

 真美恵が弾丸のない銃を両手で抱え、真剣な表情で息を飲む。

「真美恵は逃げようと思えば、タイムマシンでこの閉じた時空間から逃げられる。今から未来にある元の学校へ戻る事も可能だ。元の歴史に復帰出来る。だが、ぼくは駄目だ。もうこの時空間の一部だ。……真美恵、全てはお前次第なんだ」


 宇佐真美恵はいきなり宇宙1つの運命を託された事態に戸惑った。

 宇宙を救えと言われても自分で発明したわけでもないタイムマシンと、弾丸のない簡易拳銃を渡されただけの身一つの少女だ。

 幼馴染の航時を救いたい。実は昔から好きだった航時。それだけが彼女の心を突き動かした。

 自分だけ逃げる、その選択肢はない。

 考えるんだ。真美恵はただそれだけを思った。

 時間旅行研究会の会員として、様様な知識を航時に叩きこまれた自分に何が出来る。

 何をどう考える。

 タイムマシンでここに来てからの事を精一杯思い出した。

 航時は猫だ。

 メビウスの輪に閉じ込められたシュレディンガーの猫だ。

 メビウスの輪とは何。

 一般にはテープ状の紙の端同士を半分捻った形で裏と表を接着して作って裏表の境目をなくした様な図形だ。

 シュレディンガーの猫とは何。

 極めて微小サイズの量子の持つ不確定性を人間の日常レベルに拡大して理解する為のシステムだ。閉鎖された箱の中に50%の確率で崩壊する放射性原子とその崩壊を検出すると毒ガスを放射する装置を1匹の猫と共に入れ、箱を開けない限り、中では猫が確率的に死んでいながら生きている状態になるという不思議な事実を説明する思考実験だ。

 今の航時は、親殺しのパラドックスによって生と死が半半の確率で不確定でいるシュレディンガーの猫だ。

 航時を助ける為には彼が生きている状態で状況を確定するしかない。

 その為にはどうすればいい。

 真美恵は地面にうつぶせに倒れている航時の父親の死体を見た。赤い血の染みが地面に広がっている。

 そして、この父親がマンションの自動ドアから押される様に出てきて、まず自分を見て驚いたのを思い出した。

 そうだ。メビウスの輪だ。

 半回転させた輪は別の箇所でもう一回、逆方向に半回転ひねればいいんだ。そうすればねじれは取れて元の裏表のある図形に戻る。普通の輪だ。

 時間の否定的操作に対する、肯定的操作。

 その為にはこのタイムマシンと空の銃が要る。

 そして、あと1つ。

 真美恵は航時に教わった通りのかぶっているタイムマシンを操作法を思い出す。

 自分の腕時計を見た。

 デジタルの文字盤。午後12時4分。元の世界の時間に合わせてあるから正午丁度の跳躍から4分経っている事になる。

 自分のタイムマシンを操作した。今から5分前だ。

 時間跳躍。

 真美恵の周囲の光景が瞬間的に一変した。室内照明。マンションのエントランス。

 ここは航時の父親が出てきたマンション内のエントランスホールだ。

 すると玄関ドアの対面にある壁のエレベータが開き、白いスーツの男が慌てて出てきた。航時の父親だ。彼の母親になる女性に結婚の申し込みをするデートに遅れまいと必死の慌てぶりだ。

「止まりなさい! 動かないで! 黙って!」

 真美恵は彼の前に空の拳銃を構えて立ちふさがった。

 思わず立ち止まった彼はまじまじと真美恵の顔を見る。銃らしき物を突きつけられた恐怖感も見えた。動作が凍りついている。悲鳴も出さなかった。

「私の言う事を聞きなさい!」近づきながら真美恵は必死に叫んだ。「まず、シャツの中にこれを入れなさい! 胸元よ! 中央からやや左寄りに!」2人きりのエントランスで、真美恵は自分の兜状のタイムマシンから引きちぎった重層和紙製の『垂れ』を航時の父親に押しつけた。糸で縫いつけられていたそれは彼女の渾身の力ならば引きちぎられた。

 青ざめた彼が青いシャツの胸元のボタンを開け、震える手でそれをしまった。

「それからその上にこれをしまいなさい! そしてシャツをきちんと閉めて」

 スカートのポケットから飲まないまま入れていたトマトジュースのパックを出した。

 彼はそれも胸元にしまった。これで頑丈な重層和紙の上にトマトジュースを隠した事になる。胸が少少膨らんだが、とっさなら気づかれないだろう。

「これからあなたは殺されます!」真美恵は自分に言い聞かせる様に彼への説得を始める。「安心して、本当に死なないわ。外で銃に撃たれたら、そのままうつぶせに倒れ込んで死んだふりをしなさい! それっきり何があっても絶対に動かないで! 絶対よ! 私がいい、と言うまで!」

 言いながら真美恵は銃で脅したまま、彼の後ろに回りこんだ。背中から銃を突きつける。

「歩いて!」

 言いながら腕時計を見る。12時6分。1分経った。これが自分達が最初に時間跳躍でこのマンション前に現れたタイミングだ。

 航時の父親が自動ドアの前まで歩いて、ドアが開いた。

 外から夕刻の光。

 真美恵は彼の背を背中から力一杯押した。自分の姿が外から見えないように気をつけながら。

 父親はマンションから外へと押されて出ていった。泳ぐ様な姿勢で。

 自動ドアが閉まっている最中に外から1発の軽い銃声が聞こえた。

 外で何が起こっているか、見なくても真美恵には解っていた。

 眼を閉じて、自分の気持ちを落ち着ける為にゆっくりと深呼吸を繰り返す。両手に構えた空の拳銃を意識すると、何故かお守りみたいで安心した。

 腕時計を見る。12時10分。航時が父親を殺してから5分経った。

 真美恵は自動ドアを開けて、覚悟を決めて外へ出ていった。


「逃げなかったな。見事だ、真美恵」

 外でぼくはマンションから出てきた真美恵を出迎えた。

 身体はもう生と死が重なり合った半透明の不確定状態ではない。ぼくは完全に元の実体に戻っていた。

 声も強いビブラートではない。普通の声だ。

「破壊的歴史改変による否定的タイムパラドックスに対して補助的歴史改変による肯定的タイムパラドックスか。恐れ入ったよ」

 ぼくは身体の細かい震えを隠してない真美恵を見た。

 そして、地面にうつぶせのままの自分の父親を見つめる。地面に広がった赤い染み。

 ぼくの父親になる男は死んでいない。胸に命中した弾丸は心臓にも肌にも届いていない。

「見事だ。本当に見事だ。ぼくは生きている状態で確定された」

 真美恵が何をしたかぼくには解っていた。想定以上だ。ぼくは心の中にあふれる感動を必死に表情に出さないようにする。

「助けかったから」真美恵は呟いた。「ただ航時くんを助けたかったから」

「そうでなくちゃいけない」

 時空間のメビウスの輪状態は解除され、時空間は閉じた状態から元へと戻っただろう。時間復帰だ。ぼくはこれでも元の学校へ戻る事が出来る。タイムマシンは成功だ。科学部の奴らはきっと悔しがるだろう。世界中にぼくの名が轟くぞ。

「あのぉ」それまで死んだと思われていたぼくの父親になる男が恐る恐る顔を上げた。「自分ははいつまで死んだふりをしていればいいんでしょうか?」

「もう、いいわ」

 真美恵は、彼女が許可を出す前にぼくの父が動き出した事に内心あきれている感じだった。それでも努めて平静に彼に動く許可を出した。

 その言葉を聞き、跳ねる様に起き上がった。地面に穴の開いたトマトジュースのパックと弾丸を半ば受け止めた重層和紙製の垂れが落ちる。

 青シャツと白いスーツの前面に大きな甘く赤い染みを広げたまま、彼は走り出す。その姿のまま、恋人であるぼくの母親に結婚の申し込みをしに行くのか。夕陽の中に影が消える。まあ、ぼくが無事という事は、その告白は成功するのだろう。もうパラドックスはないのだ。

「何故、この方法をとったんだ」ぼくは真美恵に訊いた。「時間跳躍する寸前の理科準備室に戻り、跳躍しようとするぼく達を止めるという選択肢もあったのに」

「それは結局、親殺しのパラドックスと同じ事になると思ったの。メビウスの輪に積極的否定という同じ方向のもう1つのねじりを入れるだけだと。それでは状況はますます複雑になるだけで解決しない。それに」と真美恵。「航時くんの死んだ父親が航時くんと同じ状態にならないのもおかしいと思った。因果の矛盾で存在があやふやになるなら死体もそうなんじゃないの。そうならないのには理由がある。私はこの状況を積極的に肯定すべきだと思ったの。だから……」

「戻ろう」ぼくは感動した。そして、先ほどまでの幽霊だった新鮮な感覚を忘れない内に帰りたかった。「ともかくタイムマシンは作動成功し、ぼくが見たかった一番の事を確認したんだ。これ以上はここにとどまらず、研究会の部屋に戻ってレポートを提出する準備をしよう。この学校を、この世界中を相手に大大的発表だ。科学部は悔しがるぞ」

 真美恵がぼくを見つめていた。

「もう、ぼくは親殺しのパラドックスを試みないよ。約束だ。さあ、さっさと戻ろう」

 真美恵の同意をはっきり聞かない内に2人のかぶった兜状のタイムマシンをもう一度、作動させた。

 夏の夕暮れの外気から一瞬で理科準備室の中へと戻ってきた。

 スタート地点。

 そしてゴール。

 まだ正午のチャイムが鳴っている最中だ。

 元いた世界の時間は行って帰って、まだ1分も経ってないのだ。

 ぼくは自分の腕時計を見た。電波時計のアナログの針が自動的に動いて、地域の標準時間に同期するところだった。午後12時00分。

 そしてチャイムが鳴り止み、午後12時01分になった。

「怖かった……」真美恵が泣いている。「全てを失うんじゃないかって。……何で、あんなことをしたの」

「テストでもあるんだよ。ぜひとも真美恵を試したかったんだ。命や宇宙をかけてでもやる価値はあるじゃないか」ぼくはタイムマシンを頭から外した。「大好きな人がぼくと同じくらい頭がいい奴じゃないと、ぼくのプライドが自分の心を許せない」

 真美恵が涙を浮かべたまま、きょとんとぼくの顔を見つめた。

 2人しかいない理科準備室に時間の風が流れた。

「宇佐真美恵さん」ぼくはタイムマシンを小脇に抱えて教室の床に片膝をつき、幼馴染にこうべを深く垂れた。「どうか、ぼくとつきあって下さい」

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メビウスの猫 時間矛盾のほぐし方 田中ざくれろ @devodevo

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