第10話 ファンデーション:アストロフェーズ

母が逝去してから、10年。

母と一緒に月に移住してしまった父は、母亡き後は、やはり、地球と、地球に住む私達のことが恋しくなって、母の死後すぐに、地球に舞い戻ってきた。

私と私の家族が住む近くに居を構えて、独りだが、悠々と過ごしていた父も、2年前に他界してしまった。


母が亡くなった後の10年間、私はファンデーションに移籍して、データや情報を管理する部門に長く在籍し、今は、CIO(チーフ・インフォメーション/インテリジェンス・オフィサー)としてファンデーションに残っている。


母が、ファンデーションの前身となるファームを始めた時、私は既に大学生であり成人していたので、育った家を出て、自分独りの人生を謳歌し、満喫していた。しかし、母がファームに籠もりっきりになって、父とは別居状態になりがち(それでも、二人の仲は相変わらずで、ファームのインターネット環境整備の手伝いとかで、父は週末毎にファームに行っていたようだが)になると、姉も既に家を出ていたこともあって、両親はさっさと家を売り払い、父独りが住むのに十分な、小さなアパートに引っ越していった。それで当然、長期の休みの時に「帰る」家はなく、かと言って、”ほぼ、父独り”のアパートでは部屋がなく、大学生の間は、「帰省」というものをしたことがなかった。


母のファームは、と言うと、最初の頃は、電気や水道は”かろうじて”あるような状態で、暖を取ったり料理には、薪を焼べるタイプのストーブを使ったものだった。この時のストーブは、父方の祖父母が、サマーハウスで使っていたものを「譲り受けた」ものであった。そういう「ノスタルジー満載」の、当初の母のファームは、春と秋に訪れる分には、外に設けるテントの中で、夜でも何とか過ごせたけれど、夏の暑さと冬の寒さの中では、テント泊はどう転んでも、私には不可能であった。それに、何よりも・・・、


両親は、私と姉が生まれる前から、2人で山小屋を管理したり、夏は山トレッキング、冬はテントを持ち出して、野外泊しながら山スキーをする、根っからのアウトドア人間であった。

私も小さい頃、両親に連れられて、山歩きを何度かしたが、どうも、いつも、季節が悪いのか、”雲”を作って群れる蚊やブヨの大群が飛び交う中を歩かされ、蚊さされ・ブヨさされで、いつも飛んでもない目に遭っていた。そのことが、多少「トラウマ」となっていて、いまでも、夏の山歩き・森歩きは、正直、したくないと思っている。

母のファームの中には、雑木林程度にしか木は生えていなかったが、ファームのぐるりは、樫の大樹達を中心とした、多くは広葉樹からなる森が控えていた。


母のファームは、今では、ファンデーション所有となっている。そのうちの一画を、建築家である姉が借り上げて、居住兼アトリエオフィスをデザインし建てた後、彼女の家族と移り住んでいった。


私は、母の死後にファンデーションと関わるようになったが、姉が、「元」ファーム内に住むようになってからも、ほんの数えるほどしか訪れていない。母のファームは、ある意味、私にとっては、自分の記憶にある母と彼女のパーソナリティーと「マッチしない」ものであり、故に、いつも何らかの違和感に囚われ、落ち着かなくなるような感覚に陥ってしまうからだった。

私達家族が一緒に住んでいた家では、母は既に、園芸や菜園を営んでいたが、それはあくまでホビーであり、細やかな規模であった。そもそも、当時の母は、元々の専門であった宇宙物理学を活かして、宇宙天気に関する起業を嬉々としてやっていた。母は、「宇宙」と「物理学」が好きなのであって、それ故に、それに関する事をやっているのだと、子供ながらにも、私にも充分理解できた。


それなのに、、、。

宇宙天気ビジネスを起業し、それが軌道に乗ってきた矢先、

「さて、これでようやく、アストロ・ハビテーションに着手できる!」

と言って、それまでビジネスをパートナーに任せて、自分はそこから退き、

「農業、やりたかったのよー!」と言って、会社の株を売って得た資金を元手に、当時、既にボロボロな様子であった「ファーム」を購入したのだった。


「母さんはね、昔から農業やりたがっていたよ」

と、父と二人きりの時に尋ねた際、父はそう言っていた。当時、私は知らなかったが、母は折に触れて、父に、

「どんなところで、農場を開くと良いかしらねぇ?」とか

「農場っていっても、牛や羊や鶏を飼いたいわけではないのよねー。」

と、言っていたらしい。


・・・


母が、アストロ・ハビテーションを立ち上げ、それを「アストロ・ハビテーション」と名づけた由来なら、創立当時のメンバーの方が、私なんかよりも知っていると思う。


私が、ファンデーションの広報から、「ご母堂が、”アストロ・ハビテーション”に至るまでの、軌跡というか、子息であるあなたの”視点”で、彼女が、アストロハビテーションに至った経緯を、考察していただけないでしょうか?」と依頼があった時、

(それは、無理だろう・・・)

と思い、一度は「回答を保留」とした。

しかし、母は生前から日記を書く習慣があり、それらの日記は、父の死後に、彼の遺品を整理していた時に、私が見つけ、父の遺品と共に手元に引き取っていた。・・・「回答」のヒントとなるものはある。ただ、これまで一度も、それらの日記を開いたことはなかったし、開く気もなかった。


母とは言え、彼女だって「一己の人間」であり、日記とは、それが属する人間の「プライバシーの”砦”」だと、私は思っている。故に、彼女の日記を読むことで「彼女が知られたくなかった事を知ってしまう」ことに対する、大きな躊躇いがあったのだ。


・・・


しかしながら、私は結局、広報からの依頼を「受ける」ことにした。

それは、母の日記に対する好奇心からではなく、今、私が大きく関わっている「アストロフェーズ」と大いに関係していた。


アストロフェーズ。


母のことをよく知る、ファンデーション創立のメンバーの一人から、

「君のお母さんはね、月に行くことには凄く積極的だったけど、火星移住とそれに伴う汎用土壌開発には、全くと言っていいほど、興味を示さなかったなぁ。。。」

と言われたことがあった。


そのメンバーは続けて、

「君も知っての通り、アストロ・ハビテーションは、”地球外”、すなわち、”アストロ”での、”生存居住”、つまり、”ハビタット”のために、一番、と言うか、生存の基本となる、”食糧を、その地で確保するための農業を可能にするための、汎用土壌創生”を同義語としている。」

「これは、君のお母さんが創った、概念を含んだ造語であるが、彼女も我々も、それをヴィジョンかつゴールとして、これまで邁進してきたんだよ。」

「だから、地球外の最初の”ターゲット”として、月を視野に入れたのは当然だった。しかし、その次となると、彼女は一度たりとて、”次は、火星よ”と言うことはなかったな。。。これには、正直、誰もが不思議がったものだった。」


結局、月でのアストロ・ハビテーションの目処が立った後、当時CEOであった、創立メンバーの一人が「決断」して、火星移住のための「アストロフェーズ」が始動したのである。

尚、アストロフェーズが始動し始めた時、母の死後から3年が経過しており、私もファンデーションという組織と、それが手がける事業のことを大方理解していた。何よりも、アストロ・ハビテーションというものを、月だけに留めておく理由と動機は、母以外のファンデーションのメンバーには無かったわけだし。


広報からの依頼を受けると決めた、その日の夜、私は、母に日記を時系列順に積み直し、彼女がファームを始める2年前のものを選び出し、そこから読み始めた。

記述されている内容は、ほとんどが宇宙天気のことであったが、たまに、夏のバケーションで滞在した先のことが記されていて、例えば、

「今朝散歩をしている時に、既に畑に出ている人がいたので、少し立ち話につきあってもらった。

昨日見つけた、見たことのない花をつける植物が何なのか尋ねるためであった。その植物は、その地域の畑を取り囲むように咲いていることが多かったので、畑作をしている人であれば、その植物が何で何のために畑のそばに咲くのかが分かると思ったからである。

その人によると、XXXという花であり、マメ科もしくはマメ科に近いもので、窒素固定のために植えているが、この葉は一方で、鹿などが嫌う成分を出すために、耕作中は、畑を取り囲むように、そして、耕作が終わると畑全体に種を播くらしい。」

と、ファームを運営するのに利用出来るあらゆる知識を、こういう形で収集していたようだ。

しかし、「月だけに拘った」もしくは「火星を念頭にいれなかった」ヒントになるような記述は、その年のものの中には見出せなかった。


そして、続く数日をかけても、ヒントとなるような記述を見つけることは出来なかった。


・・・いい加減、読むのをやめようか、と思い始めた時、何気に選んで、気晴らしに読んだ日記帳の最後に、雑誌か何かの切り抜きが挟まっていることに気づいた。その切り抜きの端に「母の手」によると思われる走り書きされた日時があった。切り抜きの内容を読み進んでいくうちに、(この日時の日記は!)と閃き、もう一度日記最初に戻り、該当する日時の部分を求めて、ページを次から次へとめくっていったのだった。


切り抜きは、火星移住を希望する、しかも、”片道切符”で火星に行こうとする、宇宙飛行士候補の事が書かれたものだった。そして、走り書きにあった日時の日記に行き当たると、次のような、「記事に対する」コメントが、しっかりと記されてあったのだった。


「自分のエゴだけで、家族を置いてまで、火星までの”片道旅行”をしたがる人の気が知れない。

勝手に行って、死ぬのは勝手だけど、残される者がどんな思いをするのか、”想像出来ない”・”思い至らない”時点で、宇宙飛行士候補”以前”に、人として何かが欠けているのではないか?

そもそも、火星にそんな”価値”はあるのか?」


よくよく考えてみると、母は、感性というか、感情面で、感情移入「し過ぎる」ところがあった。

例えば、同じビデオを何度観ても、いつも決まって、同じところで涙を流ということがしょちゅうであった。


「お母さん、それ観るの、何度目?」

と尋ねると、

「いいものは、何度観てもいいものだから、数える意味ないの!」

と、涙を拭きつつ、洟水をかみながら、応えていたのを憶い出した。


おまけに、母の、専門家としての宇宙天気に関する知見は、彼女の日記を通して

述べられていることも多く、日記のどこかで、


「火星は、地球のような磁気圏も持たず、薄い大気は、宇宙線を遮蔽するのに充分でない。仮に、テラフォーミングが出来たとしても、生物が棲む星として、果たして適しているといえるのか?」

と記していて、宇宙天気という観点では、火星は、人類はもとより地球上の生物が長期的に棲息可能な場所ではないのではないか、という趣旨の見解を示していた。


(だから、それでも火星に行きたがる人間を、どうしても理解できなかったのではないか・・・)


もしかしたら、母にしてみたら、火星は「根本的に、”ハビテーション”に向かない」惑星だったのではないだろうか?

確かに、月だって、原理的にはハビテーションに向かない天体であるが、原理がすなわち「不可能」というわけではない。実際、月面開発は、アルテミス・アコード以来、さらに加速度を上げている。

一方、根本的に無理なものは、不可能とほぼ同義語である。どんなに改良・改善を施しても、「根本的な欠陥」は是正されることはない。

母の中では、火星は、例えば、どんなテラフォーミングを施されても、100年、さらには1000年のスパンでは、「真の」人類のハビテーションにはなり得ない惑星なのではないだろうか?


月は、様々な条件を鑑みると、火星よりずっとハビテーションに向かない天体かも知れないが、月は、地球の「衛星」であり、地球圏の一部であるでことを考慮すると、実は、火星よりも、ハビテーションという点で、条件がいいのかも知れない。


(母は、きっと、火星移住を”促す”ような、汎用土壌の開発はしたくなかったのだろう・・・)


何だか、ふいに、夜風に当たりたくなって、書斎から出られるバルコニーに、出てみた。


今日は満月である。

大気が澄み切っているからだろうか、輪郭がくっきりとした月が、今の時間、中天よりやや下がったところに見られる。「静かの海」の位置は分かっているが、こうしてみると、「静かの海」はそれなりの大きさ故に、セレーネ月面都市どころか、ファンデーションが位置する辺りを推測するのも難しそうに思えた。


ただ、月は、私にはとって、やっぱり「特別」である。

(あそこで、母は、あの一部になっている。)


だから、月に「繋ぎとめられている」母が、どんな形であれ、火星に渡ることは、未来永劫ないと思う。


それでも、、、。

母さん、あなたは渋い顔をするかも知れないけれど、私はやっぱり、このアストロフェーズを進めてみます。

進めて、人類が「アストロ・ビーイング」になれるか、とにかく試してみたいと思います。

そして、私は、もしかしたら、あの地に行くかも知れません。家族が行ってみたい、と言えば、の話ですが。。。

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アストロ・ハビテーション @DrAurora

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