第24話 終幕

 想定外の事態ではあるものの、実験は成功裏に終了した。過去を偽装することでターゲットの記憶は置き換わり、現実世界の行動に反映されたと観て間違いない。


 「そういえば、あの人のポルシェって呼び方、僕たちが勝手に付けたモノでしたね。あと、もう一つ宿題がありましたか。」


 ふと思い出す。ターゲットの名前は“跳馬”という漢字で表されるが、“はねうま”でも“ちょうば”でもなく、別の読み方らしいということ。そしてもう一つ、偽装現実の世界で“偽装が剥がれる”結果、何が起こるか。そのリスクが明かされて居なかった。


 「そんな話もありましたねー。あ、実験も成功したことですし、コレ呑みましょうよ新橋さん!」


 どうでも良いこと、とでも言わんばかりに、今回のプロジェクトのきっかけとなった本格麦焼酎が開封される。


 「なるほど、これは美味しいですね。」


 独特な個性を感じさせつつも、クセと表現するするほどのものではなく、口あたりが良い。夜風のような酒豪でなくても、それなりに嗜む人間ならぐいぐい呑める。


 「ですねっ。やはり私の勘に狂いは無かったのです、ちょっとお買い物の窓口を間違えてしまっただけで。」


 まだ転売屋から購入したことが引っ掛かっているのだろうか。とはいえ、今回そのお返しも、想定以上のお釣りを伴って達成されたのだから、いずれ振り切れるだろう。


 「さてさて、それでは新橋さん、宿題のお話でしたね。」


 どうやら話しを誤魔化したということではなく、単純に呑みながらしたい話題だったらしい。


 こちらとしては、話したくないのであれば無理に聞くことでも無いと思っていた。どうにもその判断は正しかったらしく、酒の肴になる程度の重要性しか持ち合わせていない様だ。


 「ええ。偽装が剥がれることの、リスクでしたっけ。アレって結局、なんだったんですか?」


 とはいえ、答えるつもりがあるのであれば、聞いておくに越したことは無い。


 「そうですねー。一応宿題ってことにしていましたから、まずは新橋さんの回答を聞かせて下さい。」


 こちらとしては、答えさえ得る事が出来れば文句はないのだが、下手に急かして乗り気になっている上司の機嫌を損ねることもないだろう。


 「そうですね、確かあの時の印象だと、命に関わる様な問題は無い様でしたね。とは言え、現実換算では一瞬で1年以上の記憶が増えたわけですから、やはりそれなりに脳に負担はあるんじゃ無いでしょうか。」


 自分で回答を出しながら、実際ありそうで若干不安になってきた。


 「ふむ。ある意味で正解ではありますが、心配は要りませんよ。」


 「えー、結構不安なんですけどねぇ、それは。」


 嫌な予感は当たったが、心配要らないというのはどういう事だろうか。


 「確かに脳への負担はありますが、その辺りは事前に影響を試算しています。さて新橋さん、帰還時に健康への影響があるレベルに達するには、おおよそどのくらいの期間、偽装現実に潜っていないといけないでしょうか。」


 と、質問する以上は相当長い期間あちらに浸っていなければ影響は無いと言うことか。


 「10年とか、20年ぐらいは大丈夫ってことですか。」


 「大丈夫、という点にまあ間違いはありませんが、試算の結果はもう少し余裕があります。6億年弱ですね。」


 「・・・億?」


  命数法の表記が変わるレベルで桁が違う状態を、もう少し、とは言わないと思う。


 「はい。なので脳の負担以前に、新橋さんの人格が、その長さの人生に耐えられなくなりそうですね。」


 たしかに、そこまで生かされ続けるというのも、結構な苦行になるかもしれない。


「しかも、実際には数年で現実に時間が追いつきます。この場合、偽装プロセスが強制終了しますので、この問題は発生し得ないのですよ。」


 「すると、偽装が剥がれることのリスクってのは、結局何なんです?」


 「えっとですね、分かり易く言いますと、ほぼ無いです。あるとしても先ほどの脳への負担程度の、無視できる範囲のものですね。」


 肩透かしにもほどがある。一応真面目に考えた時間を返して頂きたい。


 「それって、問題として問題がありませんか?」


 若干抗議の色をこめて正解を受け入れると、先生から回答の解説が始まった。


 「そこはまあ、私なりの配慮なんですよ。人間はいささか面倒くさい面があるもので、何も問題ないですよー、なんて言ったら逆に怪しいって思いますよね。」


 「かもしれませんが、研究所の一員なら自分を信じてくれるだろうという、信頼感みたいなものは無かったんで?」


 「そう言って頂けるのは嬉しくもありますが、まあ、ある種本能のようなものですからね。」


 空けたグラスに手酌で焼酎を足しながら、愚痴でも語るかのように解説をのたまう。見た目はともかく、ようやく雰囲気だけはご年配のそれに近づいてきた様だ。


 「こんな便利なものに、リスクが無いはずが無い!って思い込んじゃうんですよ。そういうとき、目に見えるリスクを与えてあげると納得されるケースも多いのですが、流石に嘘を教えるよりは、と思いまして宿題形式にさせて頂きました。」


 「配慮をされているというのは理解しましたが、手のひらで転がされていた様で情けない気分ですね。」


 「そこは悲観するところではないですよ。先ほどお話しました様に、ある種本能のようなものですから。むしろ私は新橋さんを評価しています。大丈夫です、新橋さんのことはむしろ単純ではなく、もっと面倒くさい人だと思っていますから、自信を持ってくださいっ。」


 面倒くさいというのが褒め言葉かどうかは置いておいて、そう評価する僕の思考を思惑通りに導いたのだから、この酔っ払いは全くもって侮れない。


 「すいませんねご厄介をお掛けしまして。これからは、多少は素直に生きていくことも、前向きに検討させて頂きますよ。」


 我ながら心にもないことを言ったものだ。


 「えーっと、それじゃあとは、ポルシェさんのお名前について、でしたね。」


 「正直そちらについては、嫌な予感もするので謎のままにしておいても良い様な気がしています。」


 同氏に対して興味が無いというか、どちらかというと関わりたくないというのもあるが、彼が隠したがっていた情報を無理に聞き出すことも無いだろう。なにより、もはやポルシェがしっくり来すぎている。


 「む。なかなか勘が鋭いですね。ですが残念ながら帰ってきたらお教えすると約束しましたから、悪魔としては契約を果たすことを優先させて頂きますからねっ。というか、新橋さんもこのモヤモヤした気分を味わって頂きます。」


 「何ですかその前置きは、むしろもう嫌な予感しかしなくなりましたよ。やめましょうこの話。ほら、あの人の個人情報ですし、ここはコンプライアンス優先でっ!」


 何故本名を教えるというだけで物騒な物言いになるのか。いや、確かに悪魔に名前を知られると物騒なことにはなりそうではあるが。


 「ダメです!残念ながら、新橋さんの性格は私にバレていますので。本当の情報を聞いたところで、ポルシェさんのことをあざ笑ったり馬鹿にしたりするような人で無いことはお見通しです。そうである以上、一緒に微妙な気持ちになって頂きます!」


 それはポルシェに配慮しているのかしていないのか。ツッコミを入れるまもなく、夜風からプロジェクトのターゲットについて、その真の名が告げられた。


 「彼の名は、ヤグルマ・マクラーレンホンダさんですっ!」


 「文字数!詰め込みすぎでしょうそれはっ!」


 想定通り、想像以上の真実が告げられた。


 こうして、僕の新たな職場での1日は幕を閉じた。色々ありすぎて、深夜勤務には手当ぐらいは付かないか、確認がおろそかだったことに気付いたのは、これから数日後の事だった。


 しかしこのとき、それ以上に大きな“謎”が生まれていたことに、僕たちは気付いていなかった。


 もはや、ポルシェの両親が跳馬のシンボルを勘違いし名前を付けたという、微笑ましいエピソードで片付けられない衝撃に、僕は気にもとめることは無かったし、おそらくは夜風もそうだったのだろう。


 F1の歴史に詳しくはないが、普通なら引っ掛かりを感じるぐらいはしてもいい。少なくとも勘の良い夜風なら、ここまでの衝撃がなければ気付いていたかも知れない。マクラーレンホンダの名前で広く一般に知られる提携がなされた時期と、ポルシェの年齢に矛盾があったことに。


 どう考えても、あの髭面が小学生であるはずは、無いのだから。

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現代悪魔の実験ノート1 偽装現実 @vanlock

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