第9話 ルーカス

「昨日の夜、お前のせいで号泣するミラルディはんを一晩中、慰めたんやぞ。俺の身になってみろや」


 ルーカスは息をのんだ。


「他の男で泣く女子おなごを身体ナシで慰めたんや。アホらしわ」


 そろそろと手を離したルーカスをザフティゴは突き飛ばした。


「お前は頭ええんや。俗世間でなんでもやってけるやろ。ヨメさんもろて、真っ当な人生送れる外の世界の方がおうとるわ」

「……」

「by ミラルディはん」

「……」


 ルーカスは泥も払わずにゆっくりと立ち上がった。


「ルーカス。俺は頭のええお前と違うさかい、ずっとここに居るわ。爺さんになってくたばるまでな」


 見返したルーカスの目をザフティゴの艶やかな黒い瞳が射抜く。


「俗世間の女では俺はもう、物足らんよってに」

「……」


 背を向けて歩き出したルーカスに、ザフティゴの声が追いかける。


「なんや。おい、最後になんか言えや。おいこら、ルーカス!」

「……さよなら」

「……おお。ほなな。……さいなら、ルーカス」




 *  *  *



 山のふもとで妹が待ち構えていた。

 ルーカスの姿を見るなり、こちらへ走ってくる。


「兄ちゃん! 良かった」


 胸に抱きついた妹を抱きとめて、ミラルディは妹よりも小さな身体だったと、ルーカスは気付いた。


「安心したじゃ。兄ちゃんがおらんと、もうどうしていいかわからんかったけん」

「悪かったな、不安にさせて」

「あたし、ルーカス兄ちゃんが一番好きだったんじゃ。帰ってきてくれて、嬉しいよ」


 見上げる妹の頭を撫でて頷くと、ルーカスは先を促して歩き出した。


「帰ったら、領主と交渉する」

「こうしょう?」

「疫病で多く死んだ。逃げたやつもいるんだろう」

「うん、二番目と三番目の兄ちゃんたちの家族は逃げたよ」

「小作人の確保が出来ずに困るのは領主だ。俺たちの取り分を増やすぞ。逃げ出した奴らのぶんの畑は俺たちの財産としてもらう」

「ふうん、わかった……よく分からないけど」


 妹はルーカスの腕に抱きつくと笑った。


「良かったじゃ。お父ちゃんお母ちゃんも喜ぶよ。兄ちゃんなら頼りになるじゃ。はやくお嫁さんもらおうねえ。あたし、いいお嫁さん探したげる」

「……」

「帰ったら、みんなで焼き芋でもしようねえ。それしかないんじゃ。ごめんねえ」

「……」

「神殿ではおなかいっぱい食べられるの? あたし、沢山の供物置いてある部屋、少し見たよ、いつもあんな感じなの、にいちゃ……兄ちゃん、どうしたじゃ」


 不安げに見上げてくる妹と目を合わせられず、ルーカスは前方を見たまま歩き続ける。


「兄ちゃん、泣いてるの? そんなに、神殿では良い暮らしだったの? 楽しかったの? ごめんね、にいちゃ……」


 俺とお前は違うな、ザフティゴ。


 歪んだ目の前の景色を見ながら、ルーカスは耐えきれずに息を吐いた。


 俺とお前は違う。

 ミラルディさんに問われたとき、俺は答えられなかった。

 年老いた自分を想像したとき、そこにミラルディさんを思い浮かべられなかったんだ。

 お前のように、ミラルディさんを選べなかった。


「兄ちゃん、お願い、泣かないで……」


 自分はこの先、言われたとおり故郷の女と所帯を持つのだろう。子供をつくり、日々の生活にうもれながら、彼女のことを忘れていく。年老い、命がついえるその時も、彼女は変わらずあの姿のままで神殿にいるのだろう。

 打算的な自分はミラルディに人生を捨てることなど考えられなかった。


 お前はやっぱり俺とは違うな、ザフティゴ。


 ミラルディを捨てたのは自分だ。


「兄ちゃん、にいちゃん泣かないで」


 俺はそんな程度の男だった。


 すみません、ミラルディさん。


 ルーカスは脱力し、その場に崩れ落ちた。

泣き声を漏らし、見下ろした地面に可憐な紫の花が咲いていた。


 それでも、この先。

 紫の花を見るたびに、暫く俺は貴女を思い出すでしょう。

 貴女の肌や髪や温かさを。貴女と過ごした日々を。


 貴女と過ごした時間は、木の葉が地に落ちるように儚く、幸せで、俺にとって永遠でした−−





 *  *  *






『私にとっては貴女が光で。

 夜空の無数の星の中で一際輝く美しい星が貴女です。


 なんと美しく尊い光か。

 その輝きには他の星は遠く及ばない。


 私はしがない小さな木で貴女のその光を見つめている。

 貴女に見出された幸運を噛み締めて、その幸せに打ち震えながら。


 色褪せず、永い時を輝き続ける貴女の光を。叶うならば側で見続けたいと思うのです。

 老木になり、枯れ木で朽ちる、その時まで』















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Ten Years 紫の髪の少女 青瓢箪 @aobyotan

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