第8話 転機

 豊穣祭が終わり、季節は冬を迎えた。

 今冬は各地で疫病が流行り、多くの民が命を落とした。山上の神殿には疫病が届かず、ルーカスとミラルディは俗世間から切り離された世界で逢瀬を重ねた。

 そして春が訪れた。


 *  *  *


「にいちゃ。おねがいだ、けえってきてこ」


 みすぼらしい姿の痩せた少女が山上の神殿に来た。


「一番上のにいちゃと六番目、七番目のにいちゃが死んだよ。他のにいちゃは婿入りしてもう家には帰ってこん。ルーカスにいちゃんしかおらん」


 赤毛で雀斑だらけの妹は泣き出した。


「にいちゃんが帰ってこんと、畑、取られるだに。あたしは隣のいやらしか爺さんの嫁にさせられるじゃ。そんなん、いやじゃ」



 *  *  *



「上の兄が疫病で亡くなったと。私に山を下りて帰ってくるようにと」


 その夜、ルーカスは寝所でミラルディに告白した。


「妹さんは?」

「ふもとの集落で宿泊させてもらってます」


 ミラルディはそう、と答えてルーカスから身を離し、起き上がった。


「さみしくなるわね、貴方が居なくなると」


 ルーカスが追うように身を起こすと、ミラルディが振り返って微笑んだ。


「お元気で」


 ルーカスは言葉を失った。

 ミラルディを凝視するルーカスにミラルディは静かに微笑みながら口を開いた。


「貴方はこの関係がいつまで続くと思っていたの?」


 更に言葉が出てこない。

 そんなことは考えたことがなかった。


「私はこの姿のままで、貴方は歳を経て老いていくわ。老人になっても私の相手をしてくれるつもりだった?」


 紫の髪の少女は神々しいほど美しく、その表情は平坦だった。


「私も今は理解しているの……前に、ザフティゴに言われたの。『貴女は人の倍以上、これから長い時を過ごすんです。その間、いい男とたくさん、これから過ごせばよろしいんです』って。その言葉を聞いた時、突き離されたようで悲しくて泣いたわ。それでも今はその言葉が正しいんだと分かってるの」


 ミラルディの小さな手が伸ばされ、ルーカスの頬に触れた。


「ありがとう、ルーカス」


 *  *  *


 三年、過ごした山上の神殿での日々はあっけないものだった。二日後、同僚への挨拶も終え、わずかな恩給と少量の荷物を携え、ルーカスは神殿を後にした。

 苦学の末、三回目にして神官登用試験に合格し、晴れて神官となりここで過ごした時間は何だったのだろうか。八男では長男である兄に一生、飼い殺しにされるだけだと、考えた末での逃げ道だった。

 物事の終焉があまりにもお粗末過ぎて、ルーカスは実感が湧かなかった。

 ミラルディと過ごした時が夢のように思えた。


 昨晩、ミラルディが最後の木簡を手に、ルーカスの元へ来た。


「貴方に」


 白い手で差し出された木簡をルーカスはその場で開いた。


『貴方に会うまで、私は咲かずに暗い土に埋もれたままの花でした。貴方の温かな光で、私は呪縛が解け、地上の世界を知ったのです。


 貴方と出会うまで、私はこの世は土のように冷たくつまらないものだと思っていました。

 それが今では世界はとても温かく、全てが愛おしくてたまらない。

 自分の身体さえ愛おしく思えるのです。


 わたしの幸運はこの神殿で貴方に会えたこと。

 私がこの神殿に来たのは貴方と出会うためだったのでしょう。


 貴方は光。私を照らし出してくれた光。


 光を追って咲く花のように、私も貴方の光を追って咲き続けたい』



 歌に目を通し終えたルーカスは、口元を歪めて笑った。


「これはザフティゴに贈った歌ですね」

「ええ。そうよ」


 あっさりと悪びれずにミラルディは認めた。


「確かに最初にこれを贈ったのは彼。でも、これは貴方にあてた歌でもあるし、未来の相手に贈る歌でもある」


 なんと言っていいかわからず、ルーカスは曖昧に頷いた。

 若干、胸が痛んだ。

 ミラルディの瞳に涙はみられなかった。

 ミラルディにとって、二人の逢瀬にその価値はなかったのだろう。


「いつか貴方のお孫さんがこの神殿に来たら。彼にも贈るかもしれないわね」


 傷ついたように涙ぐんだルーカスに、ミラルディは慌てて謝罪した。


「ごめんなさい、今の言葉は不謹慎だったわ。許して。ごめんなさい」


 顔を俯けたルーカスを抱きしめて、ミラルディは何度も繰り返した。


「貴方と過ごした時間はとても幸せでした。貴方からもらった歌は私の宝物。幸せだったわ」




 *  *  *



 神殿を出て、山道を歩き始めたとき、少し離れた先のところに白い神官服を着た男が一人立っているのが見えてルーカスはかすかに舌打ちした。

 相変わらずの美男子ぶりはザフティゴだった。


「身内の不幸ごとでお気の毒やったな。お前も折角、ここに来たのに、大変やのう」


 会いたくもない奴にどうして最後に会うのだろう。


「どうも。今まで世話になったな」


 お前の世話には一度もなってないけどな。

 思いながら社交辞令を言い終えて、ルーカスは背の高いザフティゴの前を足早に通り過ぎようとした。


「いずれ、里長の娘に婿入りするんだろ。お幸せにな。元気でやれよ」

「お前も達者でな。田舎のブスの嫁さんもろて、山程ガキ作れや」


 瞬間的に爆発した感情のまま、ルーカスはザフティゴにつかみかかり、地面に押し倒した。


「……悪いな、最後にこれくらい言わせろや。俺、お前にミラルディはん、寝取られてんぞ」


 喉元を押さえつけたルーカスに、ザフティゴが苦しそうに呻く。


「え?」


 手を緩めたルーカスにザフティゴは続けた。


「里長の娘は許嫁がおるんや。俺はあの女にあそばれとったんじゃ。いや、あんな女と、はなから一緒になんかなるかいな」

「……てっきり、お前が玉の輿に乗るんだと」

「アホ言えや。俺の実家の方が数段、里長より上やっちゅうねん……離せ」






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